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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
三章 レオン・エーヴェとシーラ・クライン

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13/13

13.放置終了のお知らせ?



「ロッテ!ユリウスから手紙が来たぞ!」


 居間へ飛び込んできた父の第一声に、ロッテは目を見開いて刺繍枠を取り落とした。

 手にした針糸の先にぶら下がったそれを掴み、急いでテーブルへ置く。向かいのソファにどかりと腰掛けた父の髪は少し乱れていて、書斎から駆けてきたのだろうと察した。父は既に読んだらしく、手紙は開封されている。


「お父様、声を潜めて!上階までは届かなかったと思うけれど。」

「あ、ああ、そうだな。」

「お母様は――出かけているものね。先に見せてもらってもいい?」

「もちろんだ。婚姻の事は知っていた、ディーデリック君が報せてくれたらしい。」

「カイゼル様が?そう…」

 差し出された便箋を、ロッテはおそるおそる手に取った。

 少しでも先に情報が届いていて良かったという気持ちと、「じゃあカイゼル様が報せなかったら、未だに連絡がついてなかったって事じゃない!お父様の馬鹿っ!」と刺繍枠でテーブルをカカカカンと叩いてやりたい気持ちがせめぎ合う。

 何の装飾もない便箋には、懐かしい兄の几帳面な字が綴られていた。


 しばらく――「しばらく?」とロッテは聞き返したくなったが――連絡していなかった事への謝罪。

 同僚のディーデリック・カイゼルから、マリアンネ・フランセン子爵令嬢と自分が婚約から結婚までいったらしいと聞いたこと。なぜそうなったかわからないが、事実であればひとまず承知したということ。


 ――承知したって、そんな簡単に。お兄様はもっとお父様に怒るべきだわ。


 任務の最中で王都には戻れない上に、内密に動いているため、直接の連絡先を教えられないこと。返信先については偽名と仮の住所、業者の指定が記されていた。

 結婚において両家での契約や前提条件があれば教えてほしいこと、泣き暮らしているという――「確かに人の噂はそうなるわよね」とロッテは思った――マリアンネ嬢については、体調も含めて最大限配慮してあげてほしいこと。

 そして、同封のものを彼女に渡してほしいと書かれていた。


「お義姉様宛に!?さすがだわ、お兄様…!何がついていたのですか、お父様。」

「これだ。」

 てっきり小包だろうと思っていたロッテは、小さな封筒を見て一瞬固まった。

 しかしマリアンネについて情報がほぼないだろうユリウスに、それも任務の環境すらロッテ達にはわからないのに、彼女宛の贈り物を期待する方が間違っていたかもしれない。

 持った時の硬さから考えて、入っているのは便箋ではなくカードだろう。装飾も至ってシンプルな、ただの小さい封筒である。


「……で、でも、何もないよりは。ようやくお義姉様に、お兄様との繋がりができるのね。」

「…しかし、なんと書いたのだろうな。」

 顎に手をあてた父が思案顔で呟き、ロッテは瞬いた。

 それはもうたった一通でマリアンネがめろめろになって、「いつまでもお待ちしております…!」とカードを胸に抱くような、完璧で甘々でそれでいて紳士的で理想の夫を体現したような、美しい言葉を書いていてほしいものである。


 ――わたくしが思うに、マリアンネお義姉様とユリウスお兄様は相性ぴったりだけれど……お兄様はまだ、お義姉様のお顔も性格も知らないのよね。


 法律上は既に妻とはいえ、そんな相手にいきなり口説き文句を綴る人ではない。

 妻になった女性への義理として、礼儀として書かれただろうこのカードに、果たしてなんと書いたのか。ロッテは部屋のシャンデリアに封筒をかざして目を細めたくなった。

 あるいは、そうっと封を剥がして中を改め、そうっと糊で戻せはしないだろうか――できるわけがない。


「ロッテ。できれば開封の時は、マリアンネ嬢の傍に…」

「この後すぐ届けてきます。その場で開封されるかは、お義姉様の意思によりますけれど…。」

「ああ。私はユリウスに経緯を報せる手紙を書いておく。」

「詳細を省いてはいけませんよ、お父様。くれぐれも、くれぐれも全てお兄様に伝えるのです!」

「わ、わかっているとも。」

 結婚式で花婿の代理をさせられた事が未だ許せないロッテの圧に怯え、ヴィンケル伯爵は肩を縮めてコクコクと頷いた。

 母譲りの長い金髪を背中へ流し、座り直したロッテは片頬に手をあてる。


「お兄様がカイゼル様から聞いたのは、あくまで結婚について。爵位の事も領地の事も、何も知らないはずですわ。」

「もちろん、その説明もしなければならないな。本来は対面ですべき話だが、戻れないのでは仕方あるまい。」

「お願いします。……あの、お父様。」

「何だ?」

「お義姉様は、領地の事を知っていて嫁いでいらしたのですよね?」

 まさかとは思いつつ、ここしばらく疑念を抱いていた事だ。

 もし万が一にも知らずに嫁いできたのだとしたら、騙し討ちのような非道な行いであるとロッテは思う。マリアンネはこの平和な王都ラグアルドで、ゆっくり過ごしていけると思っているのではないか。

 伯爵はさも当然のように頷いた。


「子爵から聞いているはずだ。どこで屋敷を持つ事になるのかを」

「そう…そうですわよね。ああよかった!わたくしったら、余計な心配を。」

「どの道補佐官はつくから、日中の勉強会でも向こうの領地については後回しにしているが。」

「いえ、ご存じならいいのです。ありがとうございます。」

「よし。ではユリウスからの手紙を頼んだぞ。」

「はい」

 父娘は顔を見合わせて頷き、伯爵は書斎へ戻っていった。

 ロッテは侍女に刺繍セットを片付けておくよう頼み、早速マリアンネのもとへ向かう。


 部屋を訪ねると、マリアンネと共にフランセン子爵家からやってきた侍女、プリスカが扉を開けてくれた。

 今はちょうど本を読んでいたところだというマリアンネは、ロッテの来訪に合わせてテーブルセットへ移動してくれている。


 浅緑色の長髪は丁寧に結われ、小花の髪飾りが彼女の上品で清楚な雰囲気を際立たせていた。

 ふわりと微笑む姿はまさに深窓の美姫、ロッテは自分が持つ愛らしさとは違うマリアンネの美しさに見惚れ、心の中でうっとりと顔を緩ませた。「本日のお義姉様」という題の詩を詠んでも構わない程である。

 白く長い手指に示されるまま、ロッテは席についた。


「…ご機嫌ようございます、お義姉様。今日はお届けものに参りましたの」

「ご機嫌よう、ロッテさん。届けものとは……?」

「こちらを。……兄からです。」

 ロッテの言葉に僅か、マリアンネが瞳を丸くする。当然予想はしていなかっただろう、マリアンネにとってユリウスは、結婚式の数分しか顔を合わせていない、連絡もしてこない、あまりに放置主義な夫である。


「ありがとう。ユリウス様から便りを頂けるなんて、今日は良い日ね。」

 封筒を受け取ったマリアンネに、いつの間に取ってきたのか、プリスカは完璧なタイミングでペーパーナイフを差し出した。

 慣れた手つきでそれを封筒の隙間に差し込み、さくりさくりと切っていく。


 中のカードを取り出して目を通すマリアンネの表情を、ロッテは生唾を飲む心地で見守っていた。心の中では緊張を隠すための扇子をばさりと広げ、両目だけその上から出して震えている。

 いつも優しいマリアンネの眼差しが、今日は冷ややかに見定めるような目に見えるのは気のせいだろうか。


 ――ユリウス様。やっぱり、わからない人ね。


 愛らしく微笑むロッテの心境に気付く事もなく、マリアンネはゆっくりと瞬いた。

 香りづけもされていない、花も土産も添えられていない、シンプルなカード。ろくに会った事がない妻に送るものなのだから、ある種この程度で当然なのかもしれない。


ーーー


マリアンネ嬢


仕事で長く帰れず申し訳ありませんが、

今しばし時間をください。庭には

黄色い星型の花が咲く頃と存じます。


ユリウス・ヴィンケル


ーーー


 悪い人ではないのだろう、とは感じた。

 いきなり何かしら、とも思った。

 礼儀を尽くすには遅いし、そのためには時候の挨拶も状況説明も足りていないし、急な花の話題は何かの暗喩だろうかとすらマリアンネは考える。


 ――今しばし。いずれは……そうよね。いずれ、戻られる。


 あとどれだけ自由でいられるだろう。

 マリアンネの脳裏にはゼイルで暮らす人々の姿が浮かんだ。キーヴィットの店主夫妻、常連客達、明るく話してくれる街の女達に、食いっぷりのいい騎士達。


『俺は好きだ。』


 髪の赤い隻眼の騎士を思い出し、マリアンネは心の中で「潮時なのかも」と呟く。レオンが自覚するより先に距離を置くためにも、もうしばらくしたら夫が戻るという事実を知れてよかったのかもしれない。

 ユリウスの言う「今しばし」が何週間、何ヶ月先の事なのかはわからないが。


「…ロッテさん。」

「はい」

「ユリウス様が、庭に黄色い星型のお花があると。」

「星型の花、ですか?」

 ピンとこなかったのか、ロッテの表情には少し困惑が見えた。

 父兄と同じ水色の瞳が記憶を辿るように空中へ向けられる。カードを封筒に戻しながら、マリアンネは言葉を続けた。


「ええ。わたくしは見かけた覚えがないのだけれど、それが咲く頃と教えてくださったから。」

「あったかしら……」

「ちょうど小休憩をと思っていたし、これを飲み終えたら探してみるわ。」

「わたくしも!ぜひご一緒させてください。」

 どうしても見つからなければ、庭師に正解を聞いてみる。

 そんな約束をして、ロッテはマリアンネが笑っている事に心から安堵した。いつの間にかプリスカが用意していたティーカップに指を添え、温かい紅茶をこくりと飲む。

 紺色の髪の侍女はただ、限りなく気配を消して壁際に控えていた。



「黄色い花というだけなら、花壇にいくつかあるのですが…」


 伯爵邸の庭で、ロッテは見事に咲いた花々の間に敷かれた煉瓦道を進む。

 庭でティータイムを楽しむ時にも通る道なので、ここに無い事はマリアンネもわかっていた。庭なら散歩がてら何度も見て回ったはずだが、ユリウスがカードに書いていた特徴の花は知らない。まだ咲いていなかったのか、見逃していたのか。


「なかなか見つからないわね。」

「そうですね、もう端の方まで……」

 まだ見回るところはあるのでという顔をしながら、ロッテは背中にじわりと冷や汗をかいていた。

 せっかく、ユリウスがマリアンネに咲き頃を教えた花である。心の中では「それって見つかりさえすれば、その花を贈ったって事でいいんじゃない!?」と、テーブルと椅子を踏み台にしてバイオリンをかき鳴らしている。


 ――咲いててくれないと困るわ!お兄様ったら、せめて庭のどこか教えてくれれば……あら?そういえばここって。


「確かこの辺りは、ユリウス様が鍛錬されていた場所でしたね。」


 口にするより先にマリアンネに言い当てられ、ロッテは思わず頷いた。

 覚えてくれていた喜びと驚きが混ざり、咄嗟に声が出てこない。さらりと吹いた秋風が、マリアンネの長い髪を揺らした。

 髪と同じ浅緑色の瞳が青空を見上げ、やがて下がった視線の先にそれがある。


「見つけたわ」


 屋敷の壁と低木の隙間、植えたのではなくどこからか種が飛んできたのだろう、わかりにくい位置に。

 背の低い茎の先に小さな星型の黄色い花が三つ、四つ集まったものがいくらか咲いていた。ただ遊歩道を進むだけでは見つけられなかっただろう。


 近くへ歩み寄ったマリアンネは、土がつかないようドレスの裾を膝裏へ折って屈んだ。

 鍛錬するうちに偶然見つけたのだろう花々を見つめ、困ったように微笑む。花壇に咲き誇る有名な花ではなく、こちらを勧めてくるとは。

 少々変わっているからこそ、上っ面ではなく本心で勧めたのだと理解できた。


 ――私の旦那様は、なんだか憎めない人のようね。




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