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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
二章 放置系(?)旦那ユリウス・ヴィンケル

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12/13

12.私がシーラだったなら




 懐かしい街並みにはぽつぽつと私の知らない建物があって、時の流れを感じさせる。

 レオンさんには友人とは「時々お茶をする」なんて言ったけれど、実際には私自身がガレトに来るのは久しぶりだ。

 プリスカから聞いていた通りに変わってしまったもの、変わらないもの。レオンさんにこの街で手に入る土産物や嗜好品を見せて回りながら、ゆっくりと変化を楽しんだ。


「今日が晴れでよかったわ。市場の屋台の中には、雨の日は営業しない店もあるから。」

「そういうものか。大体がパラソルの下だから、平気そうに思えるが。」

「それでも危ない物もあるのよ。泡沫(うたかた)細工(ざいく)と言うんだけど」

「ああ、聞いた事がある。ほんの一滴少し濡れただけでも駄目になるとか…」


 こんな風に誰かと話しながら太陽の下を歩いたのは、いつ振りかしら。

 「病弱で部屋にこもりがちな娘」を求めた伯爵家の皆様には悪いけれど、私はやっぱり外が好きで、屋内だけで過ごすのは性に合わない。


 ……出かけている事を伝えられたら、ロッテさん達にもお土産を買えるのだけど。


 それができるとすれば、いつかユリウス様に会って彼の人柄や考え方を知り、明かしても問題ないとわかってから。

 妻が一人で出歩く事を許す男性なんてそうはいないでしょうし、魔法の事は家族にだって明かしてない。たとえ書類上はとっくに夫婦であろうとも、扉繋ぎの事を言えるかどうかはまったく別問題だ。


「…どうかしたのか?」


 はっとして、自分が少し眉根を寄せて考え込んでいた事に気付く。

 心配そうにも怪訝そうにも見える顔のレオンさんに、「大丈夫」と軽く手を振って。


「ちょっと、義理の家族の事を考えていて。」

「……やはり、何か問題が?」

「まさか。問題があるとしたら私……というか、『やはり』って何?やはりって。」

 ひどい所に嫁いだなんて話をした覚えはないのだけど。

 驚いて聞き返すと、レオンさんは私の目をじっと見つめた。誤魔化さないかどうかを見張るように。


「結婚したと言った時、君はあまり嬉しそうではなかったから。」

「……それは、」

 そうだったかもしれない。

 恋だの愛だのどころか、知り合いですらない人と結婚したから。まだろくに話もできていないし、今は自由にできているけれど、これからもそうとは限らない。


「だから、家の都合で不本意な結婚をしたのかと思った。」

「…それは、レオンさんの方でしょう?」

「俺はまだわからない。いざ妻に会ってみたら、とても気が合う人かもしれないしな。」

 少し高台にある店を目指して石段を登りながら、レオンさんは淡々と言う。

 結婚の事を知ったあの夜も思ったけれど、この方は落ち着いているというか、冷静というか。わくわくしてるようには聞こえないし、皮肉っぽく言っているわけでもない。


 勝手に決めた家族への文句や怒りではなく、これからを考えて。

 自分が置かれた状況を見つめて、どうするかを決めている。優先順位も明確で。

 簡単なようで、意外と難しい事だ。


 石段の一番上に着いた。

 ガレトの街並みと、それ以上に広大な湖を目に映す事ができるお気に入りの場所。心地良く吹いた風が紺色の髪を揺らして、首筋へ伝う汗を冷やした。

 レオンさんの左目が私を見ている。


「君はどうだ?夫の事も義理の家族の事も、何も問題ないならいいんだが。」


 一度しか会ってないユリウス様の姿を、思い浮かべようとした。

 顔合わせも何もかも来ずに、結婚式でほんの少しだけ口を開いて、結局は謝って去っていかれたあの方。

 やっぱり、お顔なんてぼんやりとしか覚えてない。二十四歳にしては若いと思った事と、噂通りに美しいと感じた事は覚えているけれど。


 自分の夫というより、ロッテさんの兄という位置付けだ。

 義妹である彼女との方がよほど顔を合わせているし、話しているから。


「義理の家族は…問題ないわ。皆さん優しいし、気を遣ってくれるの。」

「そうか」

「夫は……」

 なんと言ったものかわからなくて、私は曖昧な微笑を浮かべてしまった。

 レオンさんは待ってくれている。強制するでも、急かすでもなく。


 ……私と似た状況のこの人に隠して、何になるのかしら。


 ふとそう思って、言いづらく感じていたのが馬鹿みたいになった。

 プリスカに色を変えてもらった髪を耳にかけ、一呼吸おいて顔を上げる。


「実は、夫とはろくに会った事がないの。」


 伝えてみると、レオンさんは意外そうに目を丸くした。

 冷静沈着かと思えばこうして素直に驚くところも、部下の皆さんに慕われるこの人の魅力なんだろうなと思う。ぱちくりと瞬く様は、氷爪熊(ひょうそうゆう)を見事に倒したらしい人と同一人物だとは思えなくて。


「……君も?」

「私も!ふふっ……結婚したのにろくに知らないなんて、不思議よね。私達って同志のようなものなのかも。」

 結婚式を重んじるこの国において、本当に珍しい事例だと思う。

 遅刻された新婦も、結婚するとは知らない内に式が終わっていた新郎も。夫に一度しか会っていない花嫁も、妻に一度も会っていない花婿も。


「結婚式当日に、ほんの数分会っただけ……夫になった方が何を考えているかもわからないし、性格も人伝に聞くばかり。」

「……式にも出てない俺よりは、誠実な男かもしれないが。」

「あはは!レオンさんは別でしょう。知らなかったんだもの」

 それに、数分しかいなかったのに「誠実」だとも思えない。

 励ましのつもりで言ってくれたのだろうレオンさんは、ちょっとだけ困った顔で。私が傷ついていると思わせてしまったかしら?その誤解は解かないと。


「私ね。夫に特別好かれたいとも、嫌われたいとも思っていないの。家同士の事だから、自分の都合だけで台無しにしようとも思わないし……ただ、ゼイルで皆と過ごす時間を失いたくなくて。」


 本当は持病なんてないこと、自室にこもる必要がないこと。

 部屋にいると見せかけて出かけていること、身分を隠して平民として働いていること。

 夫婦として暮らしていくのなら、少なくともこの内のどれかは。


「きっといつか知られてしまうと思う。その時に……ねぇ、レオンさん。夜な夜な外出する妻なんて、男の人はどうしたら許してくれるものかしら。」


 ああ、きっと今困らせている。

 レオンさんが何を思ったところで、何と言ってくれたところで、それは貴族である私とユリウス様の事には当てはまらないでしょうに。

 それでも私は聞いてほしかったのかしら、他ならぬ同志の貴方に。


「…ごめんなさい、忘れて。」

「……俺は、君と会えなくなるのは嫌だ。」

 予想外の言葉に瞬いた。

 少しだけ眉根を寄せたレオンさんはそこで一度、口を閉じる。今、懸命に考えてくれているのだろう……けど、その。


「…えっと、レオンさん。」

「ん……いや、今のは。言い方を少々間違えたか。」

「そうかも、しれないわね。」

「すまない。単に客の一人として…同志としても安心というか。その、違うんだ。二人で会いたいとか、そういうやましい話ではない。」

「わかってる。わかってるわ」

 なんだか焦ってしまって、意味もなく手を振った。僅かでもやましさがあったなら、彼のような人は口を噤むだろう。だからこれは、違う話だ。

 深呼吸したレオンさんは改めて口を開いた。


「キーヴィットで働く貴女は輝いて見えるし、その笑顔に元気づけられる者は多い。これは俺の感想でもあるが、事実だと思っている。」

「……光栄だわ」

 私はあそこにいていい、そんな肯定が心地良い。

 たとえ貴方が貴族ではないから、私が貴族の夫人だと知らないから、そう思うのだとしても。それでも、レオンさんの真っ直ぐな言葉は嬉しかった。


「店で……今日もそうだが、食事をしている時の貴女は特に幸せそうで、見ているといつも自然に口元が緩む。」

 いつも?……食事中の女性をあまり見るものではないと、注意するべきかしら。

 ばくばく食べる姿を見られていたかと思うと顔が熱くなって、目をそらす。


「…が、がっついてたりするわよね、私。その、恥ずか」

「俺は好きだ。」


 一瞬、呼吸が止まるかと思った。

 レオンさん、またやっているわよと言おうとして、彼を見る――ああ、見なければよかった。


 目を細めて微笑んだ貴方の、表情を。

 気付かなければよかった。そこへ僅かに滲む、温かな感情に。


 どくりと、心臓が嫌な音を立てる。

 嫌悪も失望もなく、私はただ、恐れていた。


 ――それは、()()()()()だわ。


 彼はきっと自覚していない、見たのは私だけ。芽吹いてもいない小さな種。

 友と言うには熱があり、恋と呼ぶにはあまりに無欲で。見守り慈しむようなそれを、両親や姉が浮かべるものとも違うそれを、私は見なかった事にする。


 その感情を抱く事自体は、決して悪い事じゃないけれど。

 でも、貴方と私とでは駄目。少なくとも表に出してはならない。

 だってそんな気持ちを抱いた事を人に知られたら、それだけで貴方の人生を狂わせかねないから。


「――ありがとう、レオンさん。」


 貴方のような人が好いてくれて嬉しいと、素直に思う気持ちも少し、あったけれど。

 貴族の倫理と平民の倫理は異なるし、それを差し引いたって黙認と受容は違う。


 これは眠るべき種子。

 貴方は自覚するべきではないし、私達はこれ以上近付いてはならない。

 私は気付かなかった事にして、丁寧にそっと蓋をするべきだ。

 だから何のてらいもなく笑顔で、簡潔に答えよう。


「その言葉だけでも励まされるわ。」


 ユリウス様と結婚したのはマリアンネ・フランセン。

 両親に言い渡された婚姻を断らなかったのは私。都合が良いかもと企んだのは私。

 働くのが好きでも、ゼイルの街が大好きでも、貴族としての自分を完全に捨てようなんて考えた事もない。


 なぜなら私は、フランセン子爵家の娘だから。

 生まれた時から、貴方とは生きる場所が違う。

 きっと、もしユリウス様との結婚がなくたって、私はここで同じように蓋をした。


「……風が冷たくなってきたわね。急ぎましょうか」

「そうだな。行こう」



 私が「平民で独身のシーラ」だったなら、今ここで、彼に何を返せたのだろう。


 そんな意味のない疑問が霞のように浮かんで、すぐに消えた。




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