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FILE.7-1 真実と死神①

 僕が住むこの骨壺ヶ原(こつつぼがはら)市には、とある奇妙な店がある。

 その店は中心街の裏路地のさらに入り組んだ細い道の先に居を構え、まるで来る人を拒んでいるかのような印象さえ抱く。

 本来、店(商店やデパート、スーパーなど人が物を買い求める場所)というものは、多くの人が集まって経営が成り立つものだ。品物を売る人、それを買いに来る人。その双方があって初めて「店」としての機能が、存在意義があるように僕は思う。

 けれども、この店はまるで逆だ。

 ごくごく普通の感性を持つ人なら、まずもって裏路地のこんな入り組んだところへ足を向けないだろうし、来たとしても無視して通り過ぎてしまうだろう。

 なぜなら――

 僕が「店」とは言うものの、その店には名前さえないのだから。あるのは木製の扉とその扉の前で自らの存在を悲しげに主張する小さな看板のみだ。


「あなたの不幸、買い取ります」


 その扉の先、柱時計が響かせる規則的な音の中にいるのは心が壊れた僕と人間ではない――つまり死神のイルという少女の二人。

 普通の人が見れば、「何だここは?」と鼻で笑ってしまうその店に、僕は助手として仕事をしている。

 格好よく「助手の仕事」なんて言うものの、その仕事は種々様々だ。

 たとえば――

「あっ……」

「うん? どうしたマコト」

「コーヒー豆が切れているんだ」

「ならキミが買ってきたまえよ」

 こんなことも僕の仕事の一つだ。端的に言えば、《使い走り》。それも僕より幼い外見をもつ少女の。

「うん……。いいけど、問題がある」

「何だい?」

「どこに行けばいいんだっけ?」

 キッチンから空のケースを手に出てきた僕に、イルはため息をついて読みかけていた本を閉じた。



 イルは白髪の長い髪を持つ死神だ。加えて白磁の高級な陶磁器を思わせるキメ細かい肌と、蠱惑的とも思える宝石のような二つの赤い瞳が特徴的だ。

 いつもはその身に黒のゴスロリ服を纏い、店内の中央に置かれた黒革張りのソファに深々と腰かけている。

 なぜこんなにも長々しくイルのことを描写したのか。

 それはつまり、彼女が外に出れば――この上なく目立つということだからだ。

「……何だ? いつもより余計に視線を感じるんだが」

「それはイルが黒のゴスロリ(そんな)服を着ているからでしょ?」

「そうか? こんなものは秋葉原でも行けば普通に目にすると思うが?」

「ここは秋葉原じゃないよ」

「知っているとも」


 結局僕とイルはコーヒーの豆を買いに町の中心へと歩いていた。イル曰く、今まではそんなに頻繁に買い物せずとも良かったらしいのだが、流石に僕が来てからは備品の調達や食料品の買い出しが必要になったとのことだ。

 まぁ、それらもほぼ全て僕がやっていることだけれど。

 僕は「地図があれば行けるよ」と告げたが、イルはそれを拒んでわざわざ一緒に付いて来ている。イルがこんな風に僕と一緒に外を出歩くことは珍しい。死神もたまには気分転換でもしたいのだろうか?

 隣で歩くイルを目の端で捉えながら、そんなふうに歩いている時だった。

「すみません。ちょっと聞いてもいいですか?」

 よく通る澄んだ声に警戒心を抱かせない笑顔。カジュアルな服装で僕達二人の進路を遮った女性は、マイクを片手に話しかけた。

「……は、はぁ。何でしょうか?」

「今、『この社会をどう思いますか?』というタイトルで若者の意識調査をとっているんです。いろいろな不満や不安があるかと思いますが、どう思いますか? 何か政府に言いたいことなどはありますか?」

 レポーターらしき女性がそう言葉を切ると、不意に手に持っていたマイクを僕に差し向けた。隣にはカメラを回す男性がレンズを僕に向けたまま突っ立っている。

「さぁ……。僕には『不満』も『不安』も分からないのでなんとも。分からなければ、それはつまり「ない」ということと一緒でしょう?」

「分からない……?」

 頭に疑問符を浮かべるレポーターに、僕は瞬間的に頭を切り替えた。こういった人に一から説明するのは時間がかかるし、そもそも僕の「特性」について理解してくれない公算が大きい。

 そんなことを僕はこれまでの経験からよく知っていた。

「イルはどう思う?」

「何だ、マコト。彼女はキミに話しかけられているんだろう?」

「僕の特性を知っているでしょ?」

 だから、僕は話の矛先を変える。僕よりも人間という生き物を知っている死神に。

「お嬢ちゃんじゃあ難しいんじゃないかなぁ~……」

 若干困ったような顔を浮かべたレポーターをさらりと流し、僕は隣に立っていたイルに話しかける。イルはニヤリと笑みを浮かべ、「それもそうだったな」などと意地の悪い言葉を僕に投げつけた。

 イルは視線を目の前に戻し、マイクに向かって言葉を紡ぐ。

「難しい? 一体全体何がだい? この社会は至極簡単な要素で成り立っているじゃないか」

「えっ?」

 突然の言葉に、女性リポーターは驚いた顔でイルの顔を見つめていた。

「この世の中を構成している要素は三つ。――それは四九・五%の事実と四九・五%の虚構。それに一%の真実さ」

 イルは意地の悪い顔を浮かべたまま、さらりと当たり前のようにマイクに言葉を吐いた。

 呆然とするリポーターを目の前に、僕は何もしなかった。


「貴方はこの世の九九%が事実と虚構で出来ていると?」

 完全にスイッチが入ったのか、リポーターの女性は仕事をする態勢へと移行する。相手は自分よりも身長の低い、それこそ外見は小学生や中学生ぐらいの女の子だ。そんな相手に挑むような口調で訊き返している。

「実際そうだろう? 君たちメディアは情報を流すのみの存在だ。『国会で法律が可決された』『どこそこで事故が起きた』『ワールドカップに出場が決まった』……。これらは単なる情報であり事実だろう?」

「では、虚構というのは?」

「それらは勝手に人間がこねた理屈であり仮説だろうさ。第一、飛行機がなぜ空を飛ぶのかさえも明確に判明していないんだ。空気抵抗と揚力が関係し、作用と反作用の法則で空を飛ぶ……と仮説が立っているに過ぎない。真実なんて分からない」

「その真実を明らかにし、それをすべからく伝えることが、私達マスメディアに属する人間の命題だと思いますが?」

 あからさまに馬鹿にされている、と感じたのかリポーターの女性はわずかに目を鋭くさせながらイルにそんな言葉をかけた。

「はははっ! 真実を明らかにする? マスメディアの命題? 冗談はよしてくれ」

 だが、大人の剣幕も死神には通じなかったようで、イルは笑って手をひらひらと振った。イルのそうした所作がいたく気に入らなかったのだろう。女性リポーターの顔がますます険しいものへと変化していくのが隣で立っている僕でも分かる。

「事実を伝えて何になる? 現状を伝えて、訴えて何だ? 世論を作りたいのか? それとも共感者を増やしたいのか? どっちにしろ酷い実情をお茶の間に流して君ら(メディア)は終わりだろう? 救いたいのならさっさとやればいいじゃないか。変えたいのならさっさと変えればいいじゃないか。現状をただリポートして、三秒後には笑顔で次の話題に切り換えるのなら、それはただ何もしていないことと同じことだろう?」

 僕達の横では、ビルの横に設置された巨大モニターがニュース映像を流していた。三秒前まで険しい顔と口調で「企業の談合疑惑」を取り上げていたキャスターが中継で流れる観光地の映像を見ながら「そちらはすっかり観光シーズンですねぇ~」などとにこやかな顔を浮かべて間延びした声を上げている。

 これだけ切り替えが早く出来るなら、このキャスターは演技の才能を持っていて、俳優にでも転向すればいいんじゃないか、とさえ素直に僕は思えた。

「君らメディアは情報を流すだけ。それ以降は何もしない。どうせ貧困国へ行っても『国際的な支援が弱者に行きとどいているとは言い難い』とかなんとかコメントして終わりだろう? 映像を流してコメントをするだけなら誰でも出来るさ。そこに責任も何も生まれないのだから」

 呆然と何も言えないリポーターを後に、僕とイルは歩き始めた。



「お待たせ」

 僕がいつものようにコーヒーを淹れたマグカップをテーブルに置くと、イルは早速口をつけた。再びテーブルに置かれたマグカップからは無邪気に走り回る子供のような湯気がゆらゆらと揺れていた。

「……うむ。やはり買って来たばかりの豆で淹れるコーヒーは格別だな」

 満足そうな顔を浮かべながら、イルは煙草をふかして本を読む。

 擦ったマッチのリンの残り香と煙草の煙が店内を包んでいた。

「それよりもさ、聞いてもいい?」

 僕はイルの真向かいに座り、マグカップに口をつけながらそう呟いた。

「何だ? いきなり。キミから『聞きたいことがある』とは珍しいじゃないか」

「そんなに珍しいことかな」

「そうだね。槍が降るぐらいに」

 イルは笑いながら「それで?」と続けた。まぁ、僕も「槍って空から降るものだったっけ?」などと返すこともなく口を滑らせた。

「イルはあの時こう言ったよね。『この世の中を構成している要素は三つ。それは四九・五%の事実と四九・五%の虚構。それに一%の真実』だと」

「あぁ言ったとも。それが?」

「事実と虚構は触れているようだったけれど……。残りの一%の真実って何かな?」

 瞬間、死神は嬉しそうに頬を綻ばせた。

「素晴らしい。だからこそ私は君を選んだのさ」

「……どういうこと?」

「キミの質問を褒めているんだよ」

「そうなの?」

「そうさ」

 白髪の長い髪を揺らした少女は読みかけていた本を閉じ、その赤い瞳を僕に向けた。

「……さて、ではマコト。キミの抱いた疑問に答えるとしようか。キミの質問はこうだ。この世の構成要素の最後の一つ。『一%の真実』とは何か? だったな」

「うん」

「一%の真実――それは『その人が真実だ』と判断したこと、だよ」

「そんなことが真実なの? それって真実って言えるのかな?」

 死神の少女はマグカップを手に取り、中に入っていた黒い液体をその細い喉に入れるとゆっくりと口を開いた。

「意外かい? でも、実際はそんなものだよ。道を歩けば誰かと出会うように、周りには情報があふれ返っている。ニュースや噂だけじゃない。それこそゴシップから他人の個人情報まで。ありとあらゆる情報が生き物のように蠢いて都度更新されて自由に歩きまわっている」

「確かにね。今ではインターネットを介して情報が世界中を飛び交うような時代なんだもの。ひょっとしたらそれは人と出会うよりも確率は高いのかもしれないね」

 僕の言葉に、イルは意地の悪い笑みを浮かべてコーヒーを飲みこんだ。僕も彼女に倣うようにマグカップに口をつける。

 いつもと変わらないその苦い味を感じながら、僕は静かに死神の話に耳を傾けた。

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