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FILE.6-1 権力と死神①

 僕が住むこの骨壺ヶ原市は、最近になって政令指定都市になったらしい。数年前からいくつもの市町村を呑み込むようにして合併を繰り返し、ついに目的を遂げたということだ。

 合併をする前は「行政のムダを省き……」とかなんとか言っていた記憶もあるけれど、いざしてしまえばそんなにがらりと状況は変わるわけでもない。

あえて挙げるとするなら、昨日まで他市だった住所がいきなり合併先の住所に変わった違和感があるぐらいだろうか。

でも、そんな違和感も時間が立てば薄れていくのは当たり前のこと。そんなある種化け物のようだった骨壺ヶ原市には、とある奇妙な店がある。

 その店は中心街の裏路地のさらに入り組んだ細い道の先に居を構え、まるで来る人を拒んでいるかのような印象さえ抱いてしまうかもしれない。

 その店は他人から見れば「変だ」の一言に尽きるだろう。なぜなら、僕が「店」とは言うものの、その店には名前さえないのだ。あるのは木製の扉とその扉の前に置かれた小さな看板のみ。


「――あなたの不幸、買い取ります」


 そんな奇妙な雰囲気を醸し出す扉の先にいるのは、心が壊れた僕と人間ではない――つまり死神のイルという少女の二人。

 この店では、依頼にやって来た人が持つ『不幸』を『買い取る』。

 これは文字通り、依頼主には金銭を支払いますという意味だ。

 普通の人が見れば、「何だここは?」と鼻で笑うおかしな店に、これまたおかしな客が来たのはどんよりと分厚く灰色の雲が漂う休日の昼間のことだった。



「不幸を売って(・・・)くれ」

 今回店にやって来た依頼主の男がそんな言葉を呟いたのは、僕がいつものようにお茶を出してイルの隣に腰かけた時だった。

 冗談でも何でもない。僕の目の前にいるその男性は、イルに真顔でそんな言葉をかけて頭を下げたのだ。

 こんなことは僕には初めての出来事だった。大人がイルの前で『不幸』を語る場面はこれまでに何度か見てきた。けれども、こんなふうに大人が(外見は幼い女の子に見える)イルに頭を下げてお願いしているのだ。端でその光景を見ていた僕には「初めての出来事」という表現以外に、「どこか変な構図だな……」とも思えてならなかった。

「貴方はそこの扉の前に立っている看板の文字が読めないのか?」

「いや、分かってはいる」

「では、なぜそんなことを?」

「…………」

 依頼主の男は、イルがそう問い返すとしばらくの間口をむすんだまま黙ってしまった。イルとしても理由を聞けない限り対応できないのか、男が再び口を開くのをじっと待っている。

「いきなりそんな事を言われましてもね。とりあえず、なぜ私が持つ『不幸』を売ってくれと言うのか……。まずはその事情とやらをお聞かせ願いますか?」

そんな沈黙に耐えかねたのか、依頼主はおもむろに抱えていた事情を話し始めた。聞けば、依頼主の男性は政治家――もっと具体的に言えば市議会議員と呼ばれる職業をしているらしい。

 確かにその身なりを見ればどれも高級そうなものを身に付けている。スーツも仕立てられたものらしく、細かなところまで丁寧に作られているし、時計もその輪郭を輝かせていた。

「――それはもちろん、勝つためさ」

「勝つために……ですか?」

「あぁ」

 男は深く頷くと、こぼすように喋りはじめた。

「ライバルを蹴落とし、自分がのし上がるためにな。政治の世界は権力の世界。自分が自分でいられるために、自分が安全で仕事を続けるためには他人を蹴落とし、自分が今よりももっと高い地位にあることが必要なのさ」

「つまり、貴方はライバルを蹴落とすために私の持つ『不幸』を利用したいと?」

イルがそう聞き返すと、男の表情がぐにゃりと醜く歪んだ。

「利用じゃない。これはビジネスの問題さ。貴方は他人の不幸を買い取ることができる。けれども、それをただ買い取っているだけでは単なる趣味であり、コレクションの域でしかない。どうだね? キミにとっても旨味のある申し出だとは思わないか?」

 この依頼主の男は、もはやその立場を超えてイルとの対等な取引相手となっているようだ。さっきまでの慎ましげな態度はコロリと姿を変え、話すうちに態度が大きくなっていく。

「なるほどなるほど……」

 イルはおもむろに煙草に火をつけ、ゆっくりと白煙を噴き出すと、その白い歯を見せながら笑い始めた。

「不幸を買い取っても、ただそれを収集しているだけでは意味がない。カネにもならんしな。……しかし、私のようにそれを必要としている人間がいるのならば、話は変わってくる」

「なるほど。……私はブツを捌くルートとカネを手に入れ、貴方は私から買い上げた『不幸』を利用してのし上がり、さらに強大な権力を得る、と。そんなシナリオか」

「ハッキリ言ってしまえばそうなるな。貴方だって一経営者だろう。この店を存続させるのならば、カネは持っておいて損はないはずだ」

 極悪面してそんなしたたかな会話を交わす二人。依頼主の男とイルの間で繰り広げられるやり取りを耳にしながら、僕は「あぁ、今日淹れたお茶……。ちょっと濃かったかな」などと場違いな思考を巡らせていた。

「確かに旨味のある話だ。……いいでしょう。貴方にだけ特別に不幸を売ることにしよう」

「おぉ……! それはそれは」

 イルがその申し出を受け入れると、途端に男の目が輝きを帯び始める。僕は二人のやりとりを眺めながら、この話の行く末を見守ることしかできなかった。

 僕は所詮、イルの助手であり手伝いだ。僕に何かできるわけじゃないし、何かを期待されても困る。

「マコト、この鍵でそこの棚を開けてくれ。引出しにある七十四という番号のついた瓶をとって来てくれないか?」

「七十四番だね、分かったよ」

 隣に座っていた僕に古びた鍵を預けたイルは、笑みを崩さないまま依頼主の男と話していた。僕はイルが指定した棚の前へと歩き、渡された鍵で錠前を開ける。かなり錆ついていたのか、やっとの思いで鍵を開け、七十四とラベルされた瓶を取る。その中にはからんからんと虚しく音を立てる数粒の顆粒が入っていた。

「さて、この中にはご覧の通り、数粒の顆粒が入っている。貴方のお望みの代物さ。コイツを相手に飲ませれば、たちどころに不幸が付きまとうようになるだろう」

 僕から瓶を受け取ったイルは、それを目の前のテーブルに置き、依頼主にそう告げる。

「早く、早くそれを私にっ!」

 男が物欲しそうな目でそう訴えかけると、イルはニヤリと笑みを浮かべた。

「これはビジネスなんだろう? 貴方は一体、この不幸をいくらで買い取るつもりだ?」

「十万か? 五十万か?」

 男が取りだした小切手に値を書こうとした瞬間、その手がピタリと止まる。

「――いや……一千万」

「一千万だと? 馬鹿な!」

「嫌ならこの取引はナシだぞ? いいのか? チャンスは目の前にあるのにそれをわざわざ棒に振るのか? より高い権力を手に入れれば、それこそ一千万なんぞ端金のレベルだろう?」

「悪魔め……」

 イルの真向かいに座っていた男の、その手が震えているのが僕でも分かるほどだ。

「それで結構。私はもともと死神だからな」

 ギロリと怨みがましい視線をイルに向けつつ、男はイルが申しつけた通りの値をその小切手に書きつけた。

 イルは渡された小切手をひらひらともてあそびつつ、品物とともにその場を去ろうとした依頼主にこう呼びかけた。

「……この取引はその品物の売買だけだ。それをどういった目的に使おうが構わないが、使用した責任は一切負わない」

「わかっている」

「なら結構。また会えることを楽しみに待っていますよ」

「あぁ……」

 再びカウベルの音が店内に流れた時、そこには僕とイルの二人しかいない。

「マコト、コーヒーを頼むよ」

 嵐のような取引は終わり、店内はいつものような静寂を取り戻した。柱時計の時を刻む音が、「今まで君はどこにいたんだ?」と聞きたくなるようなか細い音を奏でていく。

そんな中で、彼女はいつも通り僕に注文を出した。

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