FILE.4-2 就活と死神②
「――貴方の不幸は買い取る価値もない」
それは死刑にも等しい宣告なのかもしれない。
なぜなら青年はそれを買い取って欲しいから来ているのであって、その不幸に「価値がない」と言われることは門前払いされたということなのだ。
「なぜだっ! 価値がないって……そんなことが言える立場か!」
青年は怒鳴り散らしていた。僕はただただイルがこれからどうするのかを見ているだけしかないので、何もすることができない。
というより、僕にとってもイルが「買い取らない」と明示したのは初めてのことだったので、それはそれで当然と言えることなのだけれど。
「思い上がるなよ、クソガキが……」
瞬間、イルの赤い二つの瞳が目の前で怒鳴る青年を射抜いた。
「たかだかそんな程度の失敗がどうした。失敗が続いているからどうだというのだ。周りに、環境に八つ当たりをして満足か? 私にウサ晴らしをして気分はいいか? そんなことで状況は何か変わるのか?」
「ぐっ……」
「お前のやっているのは小さな子供が駄々をこねているのと大差ないことだ。そういうのはな――〝逃げ〟としか言えないんだよ」
「じゃあ俺はどうすればいいんだよ! こんなことってあるか? 大々的に説明会をして、書類でふるいにかけ、何度も何度も面接をして落とされる。結果を見れば採用されたのはわずか数人という状況だ。こんなにも非情で残酷な社会で、どうしろと言うんだ!」
これが依頼主の『本心』なのかもしれない、と僕はそんな身を切るような叫びを聞きながら思った。
「確かにこの世は地獄の釜みたいなものさ。非情で残酷で、欲望とドス黒い権力が渦巻いた釜だ。――ただ、社会がというよりも人間の思考や価値観がより残酷になっているんだ」
「……どういうこと?」
僕の思考の隙間を抉るようなイルの言葉。僕がパッと隣にいた彼女を見やると、その白髪少女の死神はいつものように意地悪く笑っていた。
「働くということは素晴らしいことだ。生きていくために必要なことだし、人間として健全な営みでもある。けれど、人はモノじゃない。ましてやロボットでも何でもない。けれどもそんな当たり前のことをついつい忘れがちになる。なぜか? それはこの世は力のある者が上に立っているのだから。経営が厳しくなったからリストラさせます、なんてまさにその典型だろう? コストカット? 人的資源の節約? 経営の健全化? 状況が悪くなれば、都合が悪くなれば人を切って乗り切ろうなんて考え方自体、人をモノのように扱っているのではないのかい?」
イルの言葉を反芻しながら、僕はぐるぐると思考の輪を拡大させていった。
昔の『売り手市場』という言葉は色あせ、もはや影も形も存在しない。
大々的に説明会を実施し、選考をかけても採用されるのはほんの一握りという見かけ倒し。
苦労して会社に尽くしても経営が傾けば容赦なくクビを宣告され、「コストカット」という耳触りのよい言葉の裏ではいくつもの悲劇が生まれていく。
喩えるなら、それは砂漠だ。水も動物も植物も見えない、ただ広大な砂の風景。
誰も助けてはくれない。誰も同情してくれない。それほどまでに辛く残酷な社会という名前の現実。
「その上で聞こう。なぜお前は『自分を磨く』ということをしない?」
「自分を磨く……?」
「そうだ。要するに『キミには価値がない』と弾き出されなければ良いのだろう? なら話は簡単だ。向こうから『是非ウチに来てくれ』と言われるような存在になればいい」
「そんなことできるわけないだろう!」
「本当にそうか? それはお前がそう決めつけているだけなのではないのか?」
「無茶苦茶だ! 話にならない。そんなことができれば誰だって苦労はしないだろう!」
「……キミはバカか。言っただろう、『人間なんて勝手な生き物だ』と。相手がお前のどこに魅力を持つのかは相手次第だ。お前はお前の中にある武器を一つ、磨きに磨き、訓練に訓練を重ねてモノにすればいい。それが相手に評価されれば、お前は自然と目的を達成できるようになる」
「俺の……武器?」
「そうだ。さっきお前も言ったがこの社会は非情で残酷でひどく息の詰まるところだ。けれどもそれを嘆いたところで状況は変わるか? ……答えはNOだ。なら、どうすればいいのか。決まっている。それは――なんとかするしかない」
「ふざけるな! そんな答えが聞きたくて僕はここに来たんじゃない!」
叫び声を上げた依頼主の男性に対し、イルはため息交じりに「やれやれ」と言わんばかりに大きく肩を落とした。
「これだからネット検索世代は困るんだよ。むやみやたらに『お願いです助けて下さい』などと両手を広げていれば、望む答えが手に入るものだといつも思っている」
「何だと?」
イルの言葉が気に食わなかったのか、依頼主は眉尻を上げて真向かいに座る少女を睨み返していた。
「いつもそうだ。『助けて下さい』『答えを下さい』とまるで雛鳥のように五月蠅く囀って、口を開けていれば誰かが答えをくれるものだと思っている。そんなヤツらに私から言ってやろう。『助けて欲しいなら、答えを欲しいならそれ相応の礼儀を尽くせ』と」
「どういうことだ」
「つまりはキミが何を望んでいるのか? ということさ。エントリーシートの書き方? 封書の宛名の書き方? そんなものは本でも読んでいろ。相手だって暇じゃないんだ。わざわざ相手の時間を割かせるのなら、それ相応の礼儀ぐらいを求めても当然だろう。お前はこれまで数多くの知人や先輩に助けられたことだろう。けれども、自分から礼儀を払ったことはあるのか?」
「礼儀を……」
「具体的には、そうだな……。例えば『エントリーシートの自己PRについて効果的に、相手に響くように格にはどういった書き方があるでしょうか?』とか、『自分の長所について、いくつか挙がっていますが、他にはありますか?』とかさ。助けを求められた方だって自分の時間を割くんだ。出来る限り応えてやろうとは思う。けれどもただ『助けて下さい』と言われたところで手の打ちようがないだろうよ」
「…………」
「武器を磨け、牙を研げ幼稚なキミよ。誰が終わりだと決めつけた? この世は確かにキミの言う通りクソったれかもしれないが、意外とまだまだできることはあるかもしれないぞ?」
イルの強烈な言葉が、確信が目の前でうなだれ、諦め、打ちひしがれていた青年を蘇生さていく。他の人なら感動すら覚えるかもしれない場面だ。
残念ながら、僕にはこれっぽっちも分からないことなのだけれど。
それは「悲しいか?」と問われれば、僕はきっと首を横に振って否定するだろう。
なぜなら、その〝悲しい〟ということも分からないのだから。
◆
「人はどうして働くのかな?」
僕は帰っていった青年のことを思い出しながら、イルに訊ねた。それほどまでに努力しなければ勝ち取れない仕事、労働、職業。
なぜ人はこんなにも「働かなくちゃ」という義務感に駆られるのだろう?
「それは『働く』ということは、すなわち『生きる』ということだからさ。人は生きるために働く。汗水たらして労働を行う」
イルはいつものように僕に教えてくれた。視線は僕に向くことはなく、目の前に広げた本に注がれたままだったけれど。
「そうなんだ」
「けれども、『働く』ということが一体何なのか。あの依頼主に限らず、今の人間たちにはその本質が見えていないと私は思うけれどね」
「労働の本質? だって、さっきイルは『人は生きるために働く』と言っていたじゃないか。それが本質なんじゃないの?」
「違うよ。それは人が働く目的であり動機さ。『労働』という行為の本質は他にある」
「それは何?」
僕がそう聞き返すと、イルは読みかけの本を閉じてうっすらと笑みを浮かべた顔を僕に向けた。まるで僕が問いかけることを愉しんでいるかのように。
「それは――『命を削って生きる糧を得る』ことだよ」
「命? なぜ?」
僕はますます訳が分からなくなってきた。一般に「労働行為」とは被雇用者からの労働力の提供と雇用主からの(労働力の提供に対する対価としての)賃金という二項対立の関係を指すんじゃないだろうか。
イルいわく、労働の目的は『生きるため』であり、その行為の本質は『命を削って生きる糧を得る』ことらしい。
なぜここで『命』という言葉がでてくるのだろう?
そんな僕の疑問を見透かすかのように、イルは浮かべた笑みを崩すことなく僕に再び訊ねてきた。
「……では質問だ。労働で得るものは何だい?」
「賃金でしょ?」
「それは結果的に見れば、の話だがね。けれども、その対価を得るためにはまず労働力を提供する必要がある」
「それはそうだね」
「じゃあその『労働力』とは何を源にして生み出されるんだい?」
「それは働いている本人から、としか言えないよ」
僕は素直にそう答えた。それはそうだ。誰かが「労働力」という名前のエネルギーを供給してくれているわけじゃない。
それは働いている人間が自らしか生み出せない。
「そうさ。労働力とは自らが生み出し、それを提供することでしかなしえない。誰かが代替してくれることはないし、機械が供給するものでもない。つまり、その淵源を辿っていけば、その労働者、その個人の命というエネルギーを使って生み出すものなのさ」
「だから『命を削って』と言うわけなの?」
「そうさ。労働とは『自らが命を削って動く代価に金を得る行為』だ。ただ、今の人間はどうも結果をすぐに求めるようにあるからな。視点が『どうすればより多くの金を稼ぐか?』というところへいっている気がする」
「それは悪いことなの?」
「いや、私には分からない。ただ見ている感想を述べたに過ぎないさ」
「ふ~ん」
「……そう。端的に言ってしまえば、金は命なのさ」
「それって拝金主義? それともイルの信条?」
「いや、別に私はそんなものは持っていないさ。ただ、私が見ている限り、人は『その金はどうやって得たのか?』ということを忘れがちになっているようだからね。都度思い返してほしいと言っているだけだよ」
「思い返す?」
「あぁ。では聞くが、キミはどうしてここに生きていられるんだい?」
「それは僕の両親が僕を生んでくれて、育ててくれているからだよ」
当たり前のように僕は答えを返す。それは紛れもない事実なのだから。
「では、両親はどうやってキミを育てているんだい?」
「どうやってって……。それは働いてお金を稼いでくれているからだよ」
そうだ。そもそも僕がこうして生きていられるのは両親が働いてお金を稼いでくれているからだ。資金があるから僕は物を買うことができるし、お金を払って電車に乗ったり髪を切ったりと様々なサービスを受けることもできる。
「そうだね。でも、キミはお金を使う時に『これは両親が働いた結果として得たものだ』という認識や自覚はあるかい?」
「そこまでは意識していないかもしれないね。だって、現にお金は手元にあるんだから」
「そう。人は目の前に金があると、その背景のことを忘れてしまうのさ。これはどうやって自分が得たのか? ということをね。それを忘れたまま、無駄に散財すると身の破滅を招く」
「そうなのかもしれないね」
「あぁ。『働きの喜びは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない。それは教訓からも、また残念ながら、毎日証明されるように、実例からも決して生まれはしない』ということさ」
「カール・ヒルティ。スイスの思想家であり、法学者だね。……あれっ? 『働きの喜び』? 本質じゃなくて?」
「『喜び』を『本質』に置き換えても同じことだよ。私がキミに今まで散々講釈しても、キミは実際にまだ社会に出て働いていない。ということは、だ。キミにとっては具体的なイメージも実感も湧かないだろう?」
「まぁね」
僕はふぅ、と一息つきながらそう返していた。イルの言った通り、僕はまだ社会で働いてはいないのは事実だから。社会に出ていない学生の僕にあれこれ言われたところで具体的に分かるはずもない。
「……でも、僕は『お金という結果を求めて働き過ぎても身の破滅を招く』と思うよ」
「それはなぜだい?」
「それは、働くということは『命を削る』ということだから。その人にやってくるのは、『死』という破滅だよ」
僕の言葉に、イルは「なるほど。上手い」と笑っていた。
僕にはそれがどう上手いのかは分からない。
ただ――
「……むっ。マコト、ここに拭き残しがある。それにまだ掃除の途中だっただろう?」
「あぁ、そうだったかも」
僕の仕事はまだ終わってはいない、ということだけは確かなようだ。




