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91 彼女と時計屋の独り言

今日は時計屋さんの独り言回です

彼女が帰るのを見送り、私は扉に錠を下ろした。

いつも通りの日常の最後に、こんなに楽しい時間が訪れるとは夢にも思わなかった。


私はテーブルの上に置かれた籐かごから焼き菓子を一つつまむと口に運んだ。

サクッと音を立てたクッキーがホロホロと口の中で砕ける。

その今まで味わったことのない食感に既に虜になっていた。知らず知らずのうちに顔がほころぶ。



私は彼女が初めてこの店に訪れた日の事を思い返していた。


(なんて美しいお嬢さんなんだろう…)


思わず目を奪われた。

絹のようなプラチナブロンドの髪に透き通るような白い肌、見るからに貴族の令嬢だと分かる身なり。こんな職人街に訪れるにはふさわしくない身分である事は一目瞭然だった。


そんな令嬢が供の一人も連れず、たった一人で出歩くなんて…、とも思ったが前例としてファリントン家のエレオノーラ様の存在を思い出し思わず苦笑した。


(最近の令嬢は何とも…。好奇心の旺盛な方が多いのかもしれないな)


昔とはだいぶ変わった、と独り言ちる。



彼女は眼鏡を所望していた。そのもじもじとした様子に「相手は男性かな」と長年の勘がそう思わせた。

私は彼女のために、作業場から完成したばかりのとっておきの品を持ち出した。智にはめ込んだルビーはこの界隈で手に入る最高級品、テンプルの細工だけでも丸2カ月かけたここ数年で一番の自信作だった。


本来なら一現(いちげん)の客にこれほどの品物を出すことはしない。どんな人間かもわからない相手に自分の子どものような作品を渡したくはない、それが職人感情だろう。


それなのに…、


その時の私はなぜか彼女にこれを見てもらいたくなった。


眼鏡をそっと手に乗せてあげると、彼女は食い入るようにその眼鏡を見つめていた。そのキラキラとした瞳で眼鏡の出来をほめられるとなぜか胸に熱いものがこみ上げ、面映ゆく、同時に誇らしく思える自分がいた。

まるで駆け出しの頃に戻ったかのような…そんな青臭い感情がよみがえった。彼女は大層これを気に入ってくれ、購入し、嬉しそうに帰っていった。


彼女の思いがお相手に届きますように…、心からそう願った。





私は作業場に戻ると一つの眼鏡を手に取った。


智にはめ込んだルビーとレンズを取り外し、テンプルに細工を施したフレームを小さくなるまで折り曲げると、()()()の中に放り込んだ。ふいごで炉に風を送り温度を上げると、その眼鏡だった塊は次第に形を変えていく。やがて完全に溶け切った液体は時間をかけず冷えて固まり、ボタン型のインゴットへと姿を変えた。



彼女が店を訪れてから数日後、馴染みの質屋が()()を私の元に持ち込んだ。


「これ…お前んとこのだろう?」

「そうだが…これがなぜお前の所に…?」


幼馴染の()悪童はハッと吐き捨てるとカウンターの上に乱暴に肘を乗せた。


「クラレンスんとこのバカ息子が持ってきたんだよ!あの野郎、大分吹っ掛けていきやがったぜ。しかも質入れじゃなく買取れと来たもんだ。一目でお前んとこのだと思ったから乗りゃしなかったがな。それでも結構な額、持っていきやがった」

「すまない…質請けにしてくれ。いくらだ?」

「そんなことはかまわねーよ、お前にゃいつも世話になってっからな。そんな事より…どうしたんだ?こんないい品、あんなクズに渡るような商いしてないだろう?」


私はつい黙り込んだ。



(そうか…、あれはスチュアートのために買ったモノだったのか…)



クラレンス家の子息スチュアートはこの界隈でも知らない者がいないくらい評判の悪い悪童だ。幼い頃から金にモノを言わせ平民街の悪ガキたちを従えていた不遜な顔が今でも目に浮かぶ。大人になった今では酒にギャンブル、そして女…。甘やかされほったらかしで育ってきたつけはかなり大きく最近では家門の資産も尽き、相手にするものは誰もいなくなったと飲み屋の主人が笑い飛ばしていたのを思い出した。

私は胸の辺りに痛みを覚え、無意識に手を当てた。自分の作った作品がそんな扱いをされた事に対してではない。彼女のあの時の笑顔を思い出すとなんだか胸を締め付けられる思いがした。


(彼女はあんなろくでなしとどこで知り合ったんだろう?もし騙されているのだとしたら…)


そこまで考えて私はフ―と息を吐いた。

何を言ってるんだろう。彼女はもう二度と会う事のない人じゃないか…。

仮に騙されていたのだとしてもそれは私には全く関係のない話。





それからまた、いつもと変わらない日々が過ぎていった。

木々の落ち葉が絨毯を作り、やがて枝だけになった裸木(はだかぎ)にたくさんのイルミネーションが吊るされていく。

今年もまた「聖女祭り」の季節がやってきた。年を重ねるごとに季節の巡りが早く感じるのはおそらく年のせい。一年で一番賑わうこの時期、街には多種多彩の出店が立ち並び行商人も取引を求めて多くがこの街を訪れる。






そして今日。

今年になって初めての雪が降った。

うっすらと積もる白い雪を見て今日は早めに店を閉めようと思っていた。

その矢先、


彼女がやってきた。


私は一瞬自分の目を疑った。まさかまた会えるとは思いもしなかったからだ。

彼女は私に深々と頭を下げると「ごめんなさい」となぜか謝罪の言葉を述べた。

一瞬なんのことかわからず沈黙していると彼女はその事情を説明してくれた。


ああ、彼女は知ってしまったのか…。そう思うととても胸が締め付けられた。

でも彼女の思いは私の心配とは違うものだった。


彼女は「眼鏡がかわいそうだ」と、そう言った。そして「どんなモノにも神がいる」のだとも言う。だから一度自分の手に渡ったものならばどんなものでも幸せになって欲しい、とそう言っていた。


私は彼女の言葉に思わず目を瞠った。同時に胸に熱いものがこみ上げてくる。

自分の作った「モノ」に対して「価値」ではなく「存在」として想ってくれる、そんな人に今まで出会った事がなかったからだ。


それから私たちはたくさんの話をした。

手に入れたばかりのコフィアをおいしそうに飲む彼女がとても愛らしく、令嬢が聞いてもつまらないであろう鉱石の話も興味津々に聞いてくれた。

私はこの年になるまで結婚には縁がなかったが、娘がいたらきっとこんな感情を抱くんだろうとそう思った。


振り子時計が鳴り、彼女は「また来る」と言って店を後にした。

何とも寂しい気分になったのは言うまでもない。


先ほどのインゴットに火入れをする。

再び溶けて柔らかくなっていく様を見ながら私は、彼女がくれた「アルテイシアの星」に思いを馳せた。


(彼女にはきっと(ステラ)がよく似合うだろう)


聖女祭りの最後には大切な人に「アルテイシアの星」を送るという習わしがある。

私は年甲斐もなくワクワクする気持ちを押さえつつ、名も知らぬかわいらしいお嬢さんのため最高の贈り物を用意して次回の来店を待つことにした。



次回92話は明日19時頃更新予定です。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

明日もどうぞよろしくお願いします(^^♪

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