79 私とスチュアートと晩餐会
(ナイフに救急セット…ハンカチにアルコール、裁縫セットにマッチ…それからおやつのスコーン)
私は馬車に揺られながら体にこっそり忍ばせた持ち物を頭の中で再確認した。
これだけあれば何かしらの役に立つだろう。特に最後のスコーンは必須アイテムだ。
スチュアートから晩餐会の招待状を受け取ったのは一週間ほど経ってからだった。
届けに来た使いの人にお礼を言い、ペーパーナイフで封蝋を解く。
そこに書かれていた日時と場所を確認して私はそっと引き出しの奥に手紙をしまった。
招待当日。
迎えにきた馬車はかなり豪華な物だった。二頭立ての黒塗りのキャリッジには金の装飾とどこかの家の紋章が描かれている。知識のない私にはどこの家のものなのか全く見当もつかないけど落ちぶれ子爵の持ち物でない事だけは確かだろう。御者に手を引かれ車内に案内されると仄かに香る花の匂いが気になった。
「あの…子爵家まではどのくらいかかるのでしょうか?」
「そうですね…四半刻ほど、でしょうか?」
「…馬車の中、ずいぶんといい香りがしますね」
「…そうでしょうか。私には何も感じませんが…」
嘘つけ!この匂いが分からないとか副鼻腔炎なんじゃないの?!
「さあ、早くお乗りください!お約束に間に合わないと私が叱られますからっ」
半ば強引に馬車に押し込められ扉を閉められる。仕方なく座面に腰を下ろすとふんわりとお尻が沈んだ。
(うわっ、なにこの座席っ!お尻が沈むんだけど…めちゃめちゃ気持ちいい)
思わず手で撫でまわす。
(この感触はベルベットかな…ふわっふわ…肌触り気持ちいい…)
改めて車内を見回す。外同様、内装にも豪華な材を使っているようだが、全体的に黒で統一されているせいかなんだかうす気味悪い。すべての窓はカーテンで覆われていて、ガラス面も何かで塗りつぶしているのか車外の様子が全くわからない。
(これじゃどこに連れていかれるのかわからないわね)
念のため王都の地図は頭の中に入れてきた。子爵家まで四半刻という事ならおそらく市街に出る事はないだろう。
出発します、という声が聞こえ鞭を振るう音と共に静かに馬車が動き出す。
サスペンションが効いているようでお尻に響く振動は一切感じられなかった。
(それにしてもこの匂いどうにかならないかな…、甘ったるくて気持ち悪い…)
キンモクセイのような香りが締め切った車内に満ちてくる。香りの出所を探したけれど見つからなかった。私はハンカチで鼻を覆うと裁縫セットから取り出した小さめの目打ちで窓のガラスを一枚抉た。パキンッと音を立ててガラスにヒビが入る。その一部をなるべく音を立てないように外そう…と思ったのになぜがガラス一枚が丸ごと外れてしまった。
(うそっ!やばっ!取れちゃった…。これ怒られるかな)
外からは冷たい風がびゅうびゅうと吹き込んでくる。おかげで車内の空気が一気に入れ替わった。
(逆にバレないかも…。っていうか寒い…)
ガタガタと震えが走る。いろんなものを持ってきたけど厚手のショールが一番必要だったかもしれないとちょっと後悔した。
どのくらい時間がたったのだろう。
「お嬢様、到着いたしました」
四半時と言うにはずいぶん長い間馬車に揺られていた気がする。手を添えられて馬車を降りる。
「ご気分は?」
「だ、大丈夫です…問題ありません。ありがとう」
歯の根が合わず、笑顔が引きつる。さ、寒い…早く屋内に入りたい。
御者が訝し気に首をひねった。
連れてこられた屋敷は思った以上に大きな建物だった。
「あの…ここがクラレンス家のお屋敷なんですか?」
「……」
御者は私の質問に一切答えず、黙ったままエントランスの扉を開け、私を促した。
(だんまり…か)
私もそれ以上は何も聞かず黙って屋敷の中に足を踏み入れた。
屋内は温かく私はホッとしたが、シンと静まり返った屋敷の中には人の気配がまるでなかった。通常出迎えてくれるであろう執事やメイドもただの一人も見当たらない。晩餐の招待にしては明らかに怪しすぎた。傷つけられることはないと思っていたけどこれはちょっとヤバいかもしれない…。
(ちょっとまずったかな…?)
今ならまだ怪しまれず帰れるかも…と様子を窺っていると、後ろでバタンとドアの閉まる音が聞こえた。振り返ると御者の姿はなく、私は一人その場に取り残されていた。
(だよね…。まあ、行くしかないか…)
目の前の廊下には先を促すようにろうそくの明かりが灯る。私は袖口に忍ばせていたナイフをギュッと握りしめるとゆっくりと歩みを進めた。
突き当りの大きな扉。その下からだけ煌々と明かりが漏れている。目的地はおそらくここだろう。
警戒しながらノブに手をかけ、ゆっくりと扉を引く。
「やあ、ステラ。遅かったね。待ってたよ」
扉の向こうに彼がいた。
いつもは下ろしたままの髪を高い位置で結わえ、顔の上に乗っているはずの眼鏡も今日はない。服装も見慣れた制服姿ではなく白の礼装に身を包んでいる。
「ここまで遠かっただろ?てっきり眠ってしまったのかと思っていたのに。よく歩いて来られたね」
(馬車の中の甘い香りはそういう効果のものだったのね。危ない危ない…)
まさか窓一枚外してきましたとも言えない。
「眠ってしまったら折角の晩餐が食べられなくなっちゃうじゃない?今日はそのためにお昼も抜いて来たんだから。もうお腹ペコペコ。子爵様にご挨拶がしたいんだけど…。どこにいらっしゃるの?」
私は子爵様を探すふりをして辺りを窺った。大きな掃き出し窓のあるパーティールームには、彼が座る王の玉座のような椅子がポツンと一脚だけ置かれているだけでテーブル一つ見当たらない。暖炉には赤々と炎が上がり時折パチッと薪のはぜる音が聞こえる。ここにも私たち以外に人の気配はなかった。
「さあ?あっちにいるんじゃない?ここには僕と君だけしかいないから」
「ここはクラレンスのお屋敷ではないの?」
「ここはね、ある方が僕に与えてくれた屋敷なんだ。クラレンスのボロ邸とは訳が違う。僕はもうじきここの主になるんだよ」
スチュアートが自慢げに胸を張る。
「…随分と気前のいい方なのね。是非私にも紹介して欲しいわ。お名前を教えてくれる?」
「それは…まだできないな。君が本物かどうか確認してからでないと」
「本物…?」
「そう、それを確かめるのがあの方からの僕への依頼だから…」
「いったい…あなたに何をさせようとしているの?」
スチュアートの目が鋭く光る。裸眼のせいで彼の深いブルーの瞳がより一層冷たく見えた。
「今日は…眼鏡してないのね」
彼はああ、と胸元を探る。
「もともと目はいい方なんだ。普段はかける必要もないし」
そう言った。
「普段は…?」
じゃああの眼鏡って…。
彼は私の聞き返した意味を理解したようだった。
「学園では変装のつもりでかけてただけさ。ああそうだ、君がくれたあの眼鏡…あれ、とてもいい品だったよ。質屋に流したらものすごい高値で引き取ってくれた」
「…売っちゃったの…?」
「うん。だって僕には必要ないからね」
悪びれす彼が言う。あれはかの店の店主が心を込めて作った一点ものだった。彼の思いを踏みにじられたようで怒りがこみ上げてくる。
「…私に何をするつもり?」
スチュアートがおもむろに立ち上がり真っ赤に燃え盛る暖炉の側に近づくと静かに手をかざす。
「あのお方がね、君の力を確認したいって言うんだ」
「……私の力?」
何を言っているのかわからず眉間にしわが寄る。
「そう、君の力。君…《白き乙女》なんだってね?」
「…白き…乙女?」
スチュアートが私の顔を見て静かに微笑んだ。
白き乙女……。
その言葉には聞き覚えが……、
全くなかった。
「なに?それ」
スチュアートが鳩が豆鉄砲を食ったような顔で私を見る。
「え?わからないの?」
「うん…全然。聞いた事もない。ミスコン的な何か?ではないわよね…?」
しろきおとめ、…シロキオトメ?白木音姫…? え、名前…?
あれ?でもなんか聞いた事あるかな?昔、誰かがそんな話してたようなしてないような…昔っていつだ?おばあちゃん?じゃないな…あれは…誰だっけ?……ダメだ。全然でてこない…。
一人でうんうんうなっている私を、呆れたような顔でスチュアートが見つめている。
「まあいいや、僕はそれを確かめて来いって言われてるだけだから…」
「確かめる…?」
どうやって…?
その瞬間、
スチュアートが私に向かって何かを投げた。それは私の頬をかすめて通り過ぎる。
鋭い痛みと共に頬から生暖かい何かがしたたり落ちた。
次回80話は明日19時更新予定です。
ちょっと鬱々とした話が続いてしまいましたがあと3話くらいで終わります。
いつものアレンの回想でクローディアの正体も明らかになります。
伏線回収のため今しばらくお付き合いください。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました☆




