76 私と友人の真実
それは全くの偶然だった。
スチュアートと会わない日が続き、一人で本を読むことに退屈し始めていた私は一人で街に繰り出す事にした。
一番の目的は先日のスコーンを買いに行く事。
ほんとはカフェでまったりと一人の時間を過ごしたかったけど、この世界では女一人でお茶をするという行為はあまり好ましく思われない。変に声をかけられても面倒なので、楽しみは夜の女子会まで取っておくことにした。
口の中でホロっとくずれるサクサクの食感、塩気のきいた絶品クリーム…ああ、思い出すだけでもよだれが止まらない。
(できれば作り方を教えて欲しい…)
そうすればいつでも好きな時にお腹いっぱい食べることができるのに。
(学園を卒業したらパティシエになるっていうのも悪くないかもね)
元々お菓子作りは大好きだし、食べてる時のみんなの幸せそうな笑顔を見るのも大好きだ。男爵家の後継にはルーカスがいるし、もともと男爵様たちには好きな事をしていいと言われている。必要であればルーカスの補佐的な事をしてもいいかなと思っていたけど、夏の休暇で彼を見た限りその必要もなさそうだ。
(アレンも卒業したらお婿に行っちゃうし、私もそろそろ自分の将来について考えた方がいいのかもしれないわね)
前世で自分の将来について本気で考えだしたのは、付き合っていた彼と別れてからだった。それまでの私は、なんとなく学校を卒業し流されるまま就職先を決め、その後はいずれ結婚して家庭に入る自分を夢に見ながらぼんやりとした人生を歩んでいた。
大人たちには自分のやりたい事を早く見つけなさいとか自分の人生なんだからもっと真剣に考えなさいとか口を酸っぱくして言われたけど、正直あまりピンとこなかった。こういうのはある程度人生経験を積んだからこそ出る言葉であって右も左もわからない若者にとってはちっとも心に響かない。
(今思えばすごくもったいない時間の使い方してたな…)
まさかあんなに早く死んでしまうとは思わなかった。
いつなにが起こるかなんて神様にしかわからない。
だったら限りある人生を力いっぱい生きる方が得だと思う。
(今度は思い残すことなく最後の最後まで人生を全うしたい!)
私は改めてそう心に誓った。
カフェでスコーンとクリームを大量に購入し学園まで届けてもらう手配を済ませた私は、ついでにセシリアのためにマカロンとギモーヴも注文する。
(これだけあれば夜のお茶会に足りるかな?)
最近気づいたのだけれどセシリアは見かけによらず大食漢だ。しかもいくら食べても太らないというチートを持っている。うらやましくて仕方がない。
私はその後も何件かのお店でウインドウショッピングを楽しんだ。
久しぶりの解放感に鬱々としていた心がなんだかすっきりする。
(学園でみんなと過ごす事ももちろん楽しいけど、こうやって一人の時間を満喫するのも私にとっては大事な気晴らしだわ)
ふと気が付けば平民街にまで足が伸びていた。
夕方ともあって路上には市が立ち大勢の人で賑わっている。私は大通りの人込みを避け横道に入った。
一本路地裏に入っただけで様相ががらりと変わる。メイン通りと違い呼び込みのいない静かな佇まいの商店街には間口の小さな店が行儀よく並んでいた。手前から金物屋に道具屋に手芸店、雑貨やさんに靴にカバン。
それから…
「……!」
私はある店に目を留めた。ウインドウには細工の美しい懐中時計がいくつか飾られている。
その横に、
「眼鏡……」
銀色のフレームの美しい眼鏡が光を反射して輝いていた。
私は思わず、その店の扉に手をかけた。
カララー―ン。
ドアベルが軽い音を立てた。
店の奥から主らしい品のいい男性が姿を現す。エプロンをしている所を見ると何かの作業中だったようだ。
「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」
片眼鏡の奥の目が優しそうに微笑む。
「あ…えっと、眼鏡を……」
「お嬢さんがお使いになるのですか?」
「いえ、私ではなく…」
店主はああ、と納得顔で微笑むと一度奥に引っ込み、まもなく男性モノの銀縁の眼鏡を持って出てきた。
「プレゼントでございますね?こちらなどはいかがでしょうか?」
「智」の部分に小さなルビーが輝き、細い銀製のテンプルには美しい細工が施されている。
「きれいですね」
思わず顔を近づける。主はニコッと笑うと、
「ありがとうございます。私の自信作でございます」
と言って眼鏡を私の手に乗せてくれた。
細工の部分をよく見ると全面が透かし彫りになっていて職人の腕の良さを感じた。
「なんて繊細な細工なんでしょう…。これをあなたがお作りになったんですか…?」
びっくりして尋ねると、店主が嬉しそうに頷いた。
「この辺りは職人街ですから…。みんな丹精込めて作品を作り上げているんです。高級店にも引けを取らない品物も多いんですよ」
「本当ですね」
私は一目見てこの眼鏡が気に入った。
「これ、いただけますか?」
「ありがとうございます。今お包み致しますね。レンズはいつでも交換を承りますので合わないようでしたらおっしゃってください。気に入って頂けるといいですね」
「ええ、ありがとうございます」
(喜んでもらえるといいな)
スチュアートの笑顔が浮かんだ。
彼の眼鏡がずっと気になって仕方がなかった。
本人はまだ使えるからなんて言っていたけど、あれはもう使えるうちには入らない。壊れていたのは鼻あての部分だけではない事を私は知っている。
壊れたままの眼鏡をずっと使い続けている理由は言わずもがなだ。
余計なお世話だと気を悪くするかもしれないが、その時はその時。
包んでもらったプレゼントを見ると思わず顔がほころぶ。
私は店主にお礼を言うと店を後にした。
私はそのまま路地を奥へと進んで行った。このまま大通りに引き返しても面白くない。半ば探索気分で細い道を進んでいく。そう自分が方向音痴な事も忘れて…だ。
「……あれ、ここどこ?」
気がつけば迷子になっていた。周りには店一つなく住居と思しき建物が立ち並んでいる。しかもちょっと危険な香りが漂う…。
(なんか昔のスラムを思い出す…)
私はとりあえず元来た道を戻る事にした。それなのに…、
「うそ…ここさっきまで道があったのに…っ!」
そんなわけがない。が、方向音痴は自分の非は認めない。
その後も本能の赴くまま進み続ける。
私は完全に「ただの路地」という迷宮に迷い込んでしまった。
「こんなことなら、スコーン持ってくればよかった…」
お腹の虫がぎゅるるるる、と鳴る。私の虫は今日も元気いっぱいだ。
「はぁ…」
思わずため息をつく。
と、
ガシャーンっ!!
どこかから何かものすごい音が聞こえてきた。なんだろうと思い、その音を頼りに進む。
細い路地を過ぎたところで男性の怒鳴り声が聞こえてきた。思わず足を止めて物陰に隠れる。
「ふざけんじゃねーぞ!!貴族だかなんだか知らねーが借りたもんはちゃんと返せよ!」
そう言ったゴロツキ風の男が足元に転がる身なりのいい男の腹を思い切り蹴り上げた。グフッと声を上げ男が腹を抱えて蹲る。
「…ま、待ってくれ…。金ならちゃんと返す。だから…もう少しだけ待ってくれ…」
力ないその声に、どこか聞き覚えがあった。
「あんたの返すは当てになんねーんだよ!!ポーカーの負け分にルーレット。いくらたまってると思ってんだ!!金貨50だぞ!!落ちぶれ貴族のあんたにそんな大金返す当てなんてある訳ねーだろ!!」
荒くれ男が男の襟首をつかみ上げる。ガクガクと怯えた様子のその顔には見覚えがあった。
私はその場に身を潜めて様子を窺う。
「…あ…ある方に依頼された仕事があるんだ。それさえこなせば大金が手に入る…。だからそれまで待ってくれ…」
「そんなこと言って、こなせなかったらどうすんだよ!!まさか逃げるつもりじゃねーだろーなぁ!!」
「そんなつもりはない!!俺だってこの仕事に失敗したら命がないんだ…っ!金は絶対用意する!だからもう少し待ってくれ……」
荒くれ男は、小さな子どものように怯え小刻みに震えるスチュアートを乱暴に突き飛ばした。
「…あんたみたいな息子を持って子爵様はお嘆きだろうなぁ。たった一人の息子だってのに飛んでもないろくでなしだ。いいか、一週間だけ待ってやる。それ以上は待たない。もし金を持ってこなかったら身ぐるみ剥いでロアン川に投げ込むからそのつもりでいろ!!逃げんじゃねーぞ!!」
最後にもう一度けりを入れ、男たちは去っていった。
私は息を殺してその成り行きを見守った。
スチュアートはゆっくり起き上がるとぼさぼさになった髪をかき上げた。
「くそ…なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ…。金さえあれば何不自由なく暮らせたのに…っ!すべては親父と、国王のせいだ…!あの方の命令とはいえあんなくそみたいな学園に出戻って世間知らずな女の機嫌をとって…。ふざけるな!!いつか見返してやるからな!!俺を馬鹿にしてたやつら…全員っ!クラレンス家は俺が絶対立て直してやるっっ!」
いつもの穏やかな雰囲気とは違い、獣のように目をぎらつかせ怒りに肩を震わせる彼は衝動的に近くにあったゴミ箱を力いっぱい蹴り上げた。ガランガランッと大きな音を立て、中身をまき散らしながら転がっていく。
私は持っていたプレゼントの包みをギュッと握りしめた。
次回77話は明日19時更新予定です。
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