73 私とスチュアートと私の聖域
放課後。
学園の東の端、最上階の一室が今の私のお気に入りの場所。
西日が当たらず、直に日光があたる南を避けた本にとっては最良の場所。
結局またこの場所に戻ってきてしまったのかと思うと自嘲の笑みがこぼれた。
私は扉を開けると大量の書棚の間に座る彼に声をかけた。
「こんにちは。スチュアート」
私は彼の前に座ると一冊の本を取り出した。
「今日は何を読んでいるの?」
彼は静かに顔を上げると机に置かれた緑の表紙の本を立てて見せた。
「冒険譚だよ。上中下のこれは中。面白いよ。君も読む?」
「私はあなたに借りたこれがあるから…。まずはこれを読んでからかな?」
私はスチュアートに借りた記行集に目を落とす。
「それ、気に入った?」
「うん、この国以外の事がいっぱい載ってて面白い」
「そう。だったらそれあげるよ」
「え…悪いわ」
「どうせ私が持っていても差し押さえられて手元には残らないから」
私たちは頻繁に図書室で会うようになっていた。
最初のうちは毎日のように教室に現れるアレンと顔を合わせるのが嫌だったのが理由だったけど、次第にスチュアートと話す事が楽しくなり、目的に変わっていった。
彼は話を聞くのがとてもうまかった。たわいのない愚痴はさらっと聞き流し、相談したいことは親身になって聞いてくれる。だからつい余計な事までしゃべってしまいそうになる。
お互いの事を話し合っているうちに、彼の事情もいろいろと分かってきた。
スチュアートの家門クラレンス子爵家は、先代まで南方の広大な領地を与えられ豊富な資源と他国との貿易で領地を豊かに治めていたそうだ。ところがスチュアートの父親が爵位を継いで数年後、現国王の領地改革により交易の要であった港のある領地の一部をある子爵のために取り上げられてしまった。もともと政が苦手だった彼の父はそれらで失った損失を埋めることができず財政は徐々に逼迫していった。借金ばかりが増え続ける状況に子爵はとうとう爵位の返上を余儀なくされ今は身辺の整理に追われているらしい。
そう遠くない未来、邸の家財も人の手に渡るそうで、クラレンス領は元凶となったハリエット子爵領に統合されることが既に決定されているらしい。
「父は人がいいからね。祖父と違い領地を治める能力があまり高いとは言えなかったし。遅かれ早かれこうなる事は分かってたから覚悟はできてたよ。まあ、卒業までは学園に残れそうだから今後の事はボチボチ考えるかな?目下の目標はここの蔵書を読みつぶすことだけど」
スチュアートは悪びれもせずそう言って笑った。彼の飄々とした態度の裏にどんな葛藤があるのか…。私には計り知れない。
「僕は本があればどこにいてもいいんだ。できれば司書みたいな仕事につければいいんだけど」
「私で力になれる事があったら…言ってね。とはいっても大したことはできないんだけど…」
「気持ちだけで十分だよ。なんなら、爵位がなくなってからもこうしてたまに付き合ってくれたら嬉しいかな?」
「もちろんよ」
私は笑顔で即答した。
スチュアートと別れて教室に戻ると廊下の壁に寄りかかるアレンを見つけた。おそらくクローディアを待っているんだろう。教室内から人の話し声が漏れ聞こえてくる。
彼が私に気づき少しだけ顔を上げた。私は…気づかないふりをして彼の前を通り過ぎる。
「ステラ……」
彼が私の名前を呼んだ。一瞬足を止めかけたけど私は聞こえないふりをして教室に入った。中ではクローディアが教師と一緒に課題に取り組んでいる。邪魔にならないよう物音を極力抑え荷物をまとめると足早に教室を後にした。
「…ステラ」
教室を出たところで再びアレンに呼び止められた。今度は仕方なく足を止める。
「……」
目線を下げたまま少しだけ振り返る。なんのつもりで呼び止めたのかわからないが、私からは話すことはない。いつまで待っても次の言葉が出ない彼に焦れて私は一歩を踏み出した。
すると、
突然、強い力で腕を掴まれた。
「…っ!」
無理やり振り返らされドンッと強く壁に押し付けられた。両腕を掴まれ目線が合う。苦し気に歪められた顔を間近に見て、思わず息を飲んだ。
その時、
「お待たせ、アレン」
鈴の鳴るような声が聞こえた。我に返ったアレンが掴んでいた腕を慌てて離す。
「あら…?お邪魔だったかしら?」
伺うように覗き込まれ、私は慌ててその場を後にした。
「さようならー。ステラ嬢ーっ」
立ち去る私の背中を彼女の声が追いかけてくる。
掴まれていた二の腕がじんじんと痛かった。
腹が立った。
声をかけられたことも強引に腕を掴まれたこともすべてが腹立たしかった。
自分勝手な彼を、心底嫌いだと思った。
階段を駆け下り廊下を走り抜け、学舎を出たところで足を止めた。
上がった息を整え深く息を吸う。
(なんなのよ…ほんとっ!)
何もかもがめんどくさい。
何を考えているのかわからないアレンもそんな彼に振り回される自分自身も…。
やっと取り戻した心の平穏をあっさりと攫って行く彼が心底憎かった。
(ほっといてよもう…なんで中途半端にかまうのよ…)
思わずその場にしゃがみ込んだ。
そこに、
「ステラ?」
名前を呼ばれてビクッとした。一瞬アレンが追いかけて来たのかと錯覚した。
「あれ?まだ居たの?とっくに帰ったと思ってたのに…」
顔を上げると、山のような本を両腕に抱えたスチュアートが立っていた。
「どうしたの?具合でも悪い?」
顔の高さまで積み上げられた本が彼の顔を半分ほどを隠している。それじゃ前が見えないだろうに…。
(しかも重そう…)
彼が持っていた本をヨイショっと抱えなおした。一番上の本が眼鏡のフレームに触れる。
傾いた眼鏡を何とか元に戻そうとするが両腕がふさがっているためどうすることもできない。
抱えた本でどうにかしようともじもじしているが眼鏡はどんどんずり落ちていく。
「…フッ」
思わず笑いがこみ上げてきた。私は彼の眼鏡を正しい位置にかけ直してあげた。
「ありがとう」
「眼鏡…あってないんじゃない?」
「うん、そうかも…」
へへっとスチュアートが笑う。私もつられて笑った。
「それで…どうかしたの?何かあった?」
スチュアートが真顔に戻り心配そうな顔で小首をかしげる。
「……あった」
私は正直に答える。
「聞こうか?」
「…いい。話したくない」
「……そっか」
彼はそれ以上突っ込んでこない。
「じゃあさ、これからどこかに遊びに行く?」
「…え?」
「おいしいものでも食べに行こうよ。さっきから私のお腹の虫が空腹を訴えているんだ」
自分のお腹を見る。お腹の虫はうんともスンとも言わない。
「鳴ってないわよ…」
「私の虫はね、とても控えめなんだよ」
彼の優しさが心地よかった。そんな彼を好きだなと思った。
私は彼の持っていた本を半分引き受けた。
「いいわ、付き合ってあげる」
そう言って私たちは街へと繰り出した。
「気になる?」
窓の外にステラが見える。一緒にいるのは確か…。
「ステラ嬢かわいそう。なんで避けるの?話せばいいじゃない」
「うるさいな…。彼女に余計な事言ったら許さないからな」
「わかってますよーだ。はぁ、めんどくさい…」
クローディアが大げさに肩をすくめる。
「そんなことしてると、ホントに嫌われちゃうんだからね」
知らないんだからね、そう言ってアカンベェをして歩き出す。
「お前に言われなくても…わかってるんだよ」
人気のない廊下でオレは一人つぶやいた。
手のひらに彼女の感触が残る。それを忘れるためオレはギュッと拳を握りしめた。
次回74話は明日19時更新予定です。
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