72 私とアレンと深窓の令嬢
この章はしばらくステラのモヤンとした話が続きます。
好き嫌いの別れる内容かと思いますので苦手な方はお気を付けください。
とはいえ今後の展開に結構影響する章でもありますので、できればお付き合いいただけると嬉しいです。
―――私はいつも図書室にいますので。愚痴りたくなったらいつでも来てくれてかまいませんよ。
別れ際、スチュアートにそう言われた。散歩中の独り言を聞かれていたかと思うと死ぬほど恥ずかしかったが、私はコクンと頷いた。
学舎に戻ると同時に終業のチャイムが聞こえてきた。みんなが続々と帰り支度を始めたところで教室に滑り込む。
「ちょっとステラどこ行ってたの?!授業に出ないとかどういうつもりよ」
「堂々とおさぼりしましたわね」
戻った途端、シンディとセシリアが私に詰め寄る。
私はへへっと誤魔化すと自分の机に戻り荷物をまとめる。
それにしても…、
「ねえ、なんか今日、騒々しくない?なんかあったの?」
いつもだったら我先に教室を後にする生徒たちの大半が、今日はまだ教室に残ってザワザワしている。
その一角が特に騒がしく人だかりができているのに気がついた。しかも全員が令息たち…。
「編入生が入ったのよ」
シンディが腕を組みながらそちらにちらっと視線を向けた。
「それはおキレイな令嬢ですのよ」
セシリアがにっこりと笑う。
人だかりは、どうやらその令嬢に取り入ろうと取り囲む男性陣の群れだったようだ。椅子に座っているであろう麗しの令嬢は一ミリたりとも姿を見ることができない。
(だからって、あんな風に取り囲まれたら帰れないじゃない…)
そう思った私は、「人かご」に囚われた姫を救うために一歩足を踏み出した。
その時だった。
「クローディア」
聞き覚えのある声が耳に響いた。私は踏み出した足をピタリと止める。
その人物はわき目もふらず一直線に人だかりへと向かう。そして、邪魔ものたちをかき分けると彼女の前に立った。
「お迎えに来ました。帰りましょう」
彼が彼女に手を差し出した。クローディアと呼ばれた少女はその手にそっと自分の手を重ねる。
「ええ、ありがとう。アレン」
鈴の音のようなかわいらしい声で彼女はアレンを呼んだ。アレンが優しい眼差しで彼女を見る。彼女もその視線を受け止め見上げるとかわいらしく微笑んだ。
私は見覚えのある光景に固まったまま動けなかった。目を見開いたままじっと二人を凝視する。
アレンに手を引かれ立ち上がった彼女がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
久しぶりに間近で顔を合わせた事に緊張が走った。何か話しかけなきゃと口を開きかけた瞬間、
スッと彼が私の横を通り過ぎた。
「あ…」
無表情のまま、私を見ることも声をかけることももちろんなく…。
まるでそこには何もいないかのような対応に胃の辺りがズンと重くなった。
すれ違いざまクローディアが「ごきげんよう」と微笑みかけてきた。
私は何とか目線だけを合わせたが、微笑むことも返事をすることもできなかった。
クローディア=ハリエット。
それが彼女の名前だった。
ハリエット家はロクシエーヌ王国の南方に領地を持つ子爵の家門だ。彼女はそこの一人娘だという。
ご当主のエドモンド子爵は、今でこそ辺境領の子爵という立場に甘んじているが、かつては侯爵位を持つ、現国王の王太子時代からの側近を務められた有能な方だったそうだ。
余程の失態があったのか権力争いに巻き込まれたのかは定かではないが、降爵され辺境の地に飛ばされるくらいだからそれ相応の何かがあったのだろう。
とはいえ、この国の特領地である港を与えられたのだから王の深い温情を感じざるを得ない。
クローディアは私たちより一つ年上の16歳。本来なら2年に籍を置くべき年齢だが、生まれた時から体が弱く病気がちのためあまり外に出ることができなかった彼女は領地での静養をやむなくされていたそうだ。あの陶器のような白い肌はそのためかと妙に納得させられた。
学園の入学も今日に至るまで見送られてきたが、少しずつ体力もつき人並み程度に生活できるように回復したため、社会勉強として1年生に籍を置くことを条件に学園の入学を許可されたそう。
アレンとの出会いは今年の夏。フレデリックさんの補佐として出かけた商談先がハリエット家だったそうだ。数日間の滞在中、病気がちの彼女に親身に接していた事をきっかけにお互い好意を持ち始め、交際に発展したらしい。貴族籍を持たないアレンだが子爵は彼の人柄とその有能さを大変気に入り、娘との婚約を打診しアレンもそれを受けた。話はとんとん拍子に進みアレンが学園を卒業したのち子爵家に婿入りすることが決まっている…。
と、
ここまでが噂に対するシンディのリサーチ報告だ。
この短時間によくここまで調べたと妙に感心した。案外探偵みたいな仕事が彼女には向いてるのかもしれない。
私はホットミルクのカップで両手を温めながらシンディの話に耳を傾けた。
昼間はそうでもないが夜になると途端に冷えてくる。私はクローゼットから大きなストールを引っ張り出すと肩にかけた。
「ハリエットの領地って確か絹が特産じゃなかった?」
「ええ、それに港がありますから他国との貿易にも強いと聞いておりますわ」
そう言えば、夏の終わりにプレゼントされたドレス…あれは絹だった気がする。
「……どういうつもりなんでしょうね?」
セシリアがチラッっと私に視線を向ける
「どうもこうもないでしょう?婚約したんだもの。いずれは結婚するんでしょ」
シンディがはちみつをたっぷりと入れたホットミルクをすする。
「そういえば夏の終わりにお父様がおっしゃってたハリエット家の縁談ってこの話だったんだ。まさか相手がアレンだとは思わなかったけど…。すっごい玉の輿じゃない?ハリエット家って子爵だけど、そんじょそこらの落ちぶれ侯爵より財力があるのよ。やっぱり港があるって強いわ…っいった!!」
シンディ足を押さえてセシリアを見る。
「何よ…もうっ!」
「何よ!じゃありませんわ…少し言葉を考えて」
「いいじゃない、ホントの事なんだから。そうでしょステラ?」
悪びれずシンディが話を振ってくる。
「うん…」
私もホットミルクにそっと口を付けた。
「まだわかりませんわ。あくまで噂なんですから…」
「噂だとしてもかなり信憑性高いでしょ?ステラは何か聞いてないの?」
セシリアが再度シンディの足を蹴る、が空振りに終わる。
「私は何にも聞いてないわ。最近顔も合わせてないし…」
「ふーん、意外と薄情なのね。私はてっきりステラの事好きだと思ってたのに。見当違いだったか」
私は曖昧に微笑んだ。
アレンとクローディアの噂は瞬く間に学園中に広まった。
それはそうだろう。こんな中途半端な時期に深層の令嬢が編入してきたかと思えば、学園一の有望株のアレンが常にその隣に付き従っている。しかも婚約までしているという噂がまことしやかにささやかれている。
こんな話、暇を持て余した子女たちが見逃すはずがない。あれよあれよという間に学園中の公認のカップルとして認識されるようになった。
クローディアはとても性格のいいご令嬢だった。ブロンドの髪色やターコイズの瞳の美しさもさることながら鈴のようなかわいらしい声も控えめな笑顔もまるで天使のようで、なにより擦れていない。女の私ですら思わずギュッと抱きしめて守ってあげたくなるようなかわいらしいご令嬢はすぐにクラスメイトとも打ち解けていった。
当然のように彼女に近づこうと色目を使う令息も出てきたが、常にアレンが騎士として目を光らせているため誰一人近づくことはできなかった。
(まあ、あれだけピッタリと寄り添ってたら…そう簡単には近づけないわよね…)
正直アレンにあんなに甘い一面があるなんて知らなかった。
これが俗にいう溺愛…。そんな言葉が頭をよぎる。
登下校はもちろん、休み時間に昼休み…授業以外の時間になると必ず彼はクローディアの元に赴いた。
その視線、エスコート…その仕草すべてが甘く、正直見ているこっちが恥ずかしくなるほど。
木陰で寄り添う二人の姿は本当にお似合いで一枚の絵画のようだと思った。
まもなく始まる冬の休暇も男爵家には戻らず子爵家で過ごすのだと、フレデリックさんからの手紙で知った。
私は…、
次第にその光景に慣れていった。ざわついていた心も最近では静かに凪いでいる。
彼が私との関係をなかったことにしたいのというのであればそれで構わないと、そう思うようになった。
(こう思えるようになったのもすべて彼のおかげ、かな…)
私は静かに立ち上がるといつもの場所に向かった。
次回73話は明日19時更新予定です。
よろしくお願いします☆




