71 私とモヤモヤと没落子爵
ステラがモヤモヤしながらうじうじしています。
苦手な方はお気を付けください。
雲一つない秋晴れの空。澄み切ったウォーターブルーの空色以外、目に映る色はない。つい先日まで空一面に飛び交っていた赤とんぼも、徐々に深まる寒さにいつの間にか姿を消した。学園の落葉樹もほとんどが葉を落とし、冬はもうすぐそこまでやって来ている。
私は中庭のベンチに腰を下ろし、ぼんやりとその光景を眺めていた。
傍らに置かれたホットココアに口をつける。溶けたマシュマロが唇に触れ甘く優しい味が口の中に広がった。私はホッと息をはいた。
アンダーソン家のバザーの日以降、私はいつもと変わらない日々を過ごしている。
シンディやセシリアとはもちろん、あれ以来なんとなくいい雰囲気のリリアやローレンス様と一緒にランチをとることもよくある。
ようやく打ち解けてきたクラスメイトとも親しく話せるようになり、前世では楽しめなかった学生生活を満喫している。
アレンとはあの日以来一度も会っていない。
彼をあの場に残し逃げるように走り去った事に罪悪感は拭えず、謝りたいという気持ちがずっと心の中にわだかまっている。
でも、彼と相対することが気まずい今、実現には至っていない。
あの日、彼は私を追いかけてはこなかった。いつもだったら追いかけられ捕えられ逃げた理由を白状させられていただろう。でも彼はそうしなかった。別に期待していたわけじゃない。だけどこんな風に急に突き放されるとどうしていいのかわからない。それに明らかに避けられているのがわかっていて会いに行けるほど私の神経も図太くはない。
(なんでこんな事になっちゃったんだろう)
彼と共に生活する中で、こんな気持ちになった事は一度もなかった。少し前までアレンの方が立場的に強いような雰囲気を醸し出してはいたけど、最終的に寄り添ってくれたのはいつでも彼の方だった。自分がいかにアレンを頼り甘えていたのかがよくわかる。それに気がついた今、急に背を向けられるととたんにどうしていいかわからない。
これならケンカをしていた方がずっとマシだ。仲直りの方法だったら私も知ってる。でもそうじゃない時はいったいどうしたらいいの?
アレンが私に何か隠し事をしている。
そう思うようになったのはつい最近の事。思えば新学期が始まり私の前に姿を見せなくなった頃から彼の変化は始まっていたのかもしれない。感じていた違和感は気のせいではなかったんだろう。
姿を見せないのは単純に忙しいから、そう思っていた。
新しい友人を作り、新しい環境に刺激を受けそれなりに学園生活を楽しんでいるからだと、そう思いたかった。
昔から自分の感情を押さえ誰よりも大人であろうとしていた彼が、歳相応の青年然としている姿を見るのは純粋に嬉しかった。
異変を感じたのはアレンが私の部屋に現れた頃。あの時のアレンは私の知っている彼とは少し違っていた。
何かあるんだろうと感じた。悩みがあるなら相談してほしいと思った。それができる関係性だと思っていたから。
でも彼は何も言わず部屋を後にした。彼にとって私は、相談するに値しないちっぽけな存在だと言われたようでひどく悲しかった。
私はベンチから立ち上がると、飲み終わったカップを下げ台の上に置いた。
それからぶらぶらと中庭を散策する。
(あの子…きれいな子だったな…)
ふいにバザーで見た少女の姿が頭に浮かんだ。学園では見た事のない少女だった。身なりからしてどう見ても貴族の令嬢。
彼の隠し事とは彼女の事だったんだろうか…。もしそうだったとしたら隠す必要なんかないのに。それともなにか後ろめたいことがあるのかな…。
「はぁぁ…っ」
考えれば考えるほど彼の事が分からなくなる。そもそも彼女はどこの誰で、どういう関係なのか…。
彼の交友関係なんだから知らないことがあってもそれは当たり前なわけで、それについてモヤモヤする権利は私にはない。そんな事わかってる。
だからこんな気持ち持ってしまう自体嫌で仕方なかった。だってこれは間違いなく嫉妬だから。
彼が私の知らない所で、私には内緒で、知らない美しい令嬢と恋愛をしている…。
それは悪い事じゃない。むしろいい事だってわかってる…でもっ!
(なんで黙ってんの?!言えばいいじゃん!!恋人ができたんだって!!そしたら私だって、こんな気持ちにならずに済んだのに!!なんで隠すのよっ…!)
紹介してくれたら私だって仲良くなれるかもしれない。素直によかったねって言ってあげられたのに。そりゃ、私みたいな存在がそばにいたら変に誤解されちゃうかもしれないけど、だからって少しずつ距離を置くように離れてくなんて……、
「ひどすぎる……」
私は立ちどまって俯くと下唇を噛みしめた。
遠くで始業を告げるチャイムが聞こえた。気がつけば午後の授業が始まる時間だ。
(もういいや…さぼっちゃお……)
私はなんとなく学舎に戻る気も授業に出る気にもなれず、そのまま散歩を続ける事にした。
キレイに整えられた庭園だが、さすがに今の時期咲いている花は見られない。ただ綺麗に丸く切りそろえられただけの低木がお行儀よく並んでいる。
それらを一つ一つポンポンとリズムよく叩いていく。園路の終わりまで来た時、
「ふぎゃっ…っ!」
何かに足を取られた。
突然の事に受け身を取れず、そのまま派手に倒れこみ顔を打つ。
「いたたたっ…もう何?根っこ?」
そのままの体勢で顔だけ振り向くと、一人の青年と目が合った。
(え…ヒト…?)
青年は茂みのかげで、足を投げ出すようにしてびっくり顔で座っていた。制服を着ているという事は当たり前だがここの学生。胸のリボンがスカーフという事は2年生…?
「あの…」
そんなことを考えていると、その青年が声をかけてきた。
「あっ…大丈夫です。よく転ぶので…」
咄嗟に何を言ってるのかわからない返事を返してしまった。
「あ、いえ…そうではなくて…」
「…?」
「見えてますよ……その…下着が…」
「……!!」
慌てて自分の姿を見る。そんなに派手に転んだつもりはなかったのにひざ下まであるスカートがお尻丸出しの状態までめくれあがっていた。私は慌てて体を起こすとスカートを整える。
「大丈夫です。私は見ていません」
その青年はにっこりと笑顔でそう言った。
(そんなわけないでしょ!!)
私は動揺を隠しながら静かに微笑む彼に敢えて冷静な態度で返した。
「お見苦しいものを見せてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえ、ちっとも見苦しくはありませんでしたよ」
(このヤロウ…っ!ばっちり見てるじゃないか!)
でも…、
飄々とした彼の態度に、なぜか毒気を抜かれてしまった。
「あの…こんなところで何をなさっているんですか?」
学舎からここまでは結構距離もある。私が言うのもなんだけど午後の授業は既に始まっている。
「…本を読んでました」
「本…?」
確かに彼の膝には赤い表紙の分厚い本が開かれた状態で乗っている。
「こんなところで…?」
彼は小首をかしげると開いていた本に視線を落とした。
「教室は…あまり居心地がいい場所ではないので…」
彼は細い銀縁の眼鏡のフレームを押し上げて静かに微笑んだ。ブルーグレーのストレートの髪は長く顔周りを覆っている。瞳の色も濃いブルーでなんだか寒々しい印象を持った人だ。
「まさかこんなところまで学生が来るとは思いませんでした。私以外にも物好きがいるものですね」
ハハッと彼が笑う。そして近くに落ちていたイチョウの葉を読みかけのページに挟むとパタンと本を閉じた。
「こんなところでお会いできたのも何かの縁です。もしよろしければお名前をお聞かせ願えませんか…?」
「…ステラです。ステラ=ヴェルナーと申します」
「ステラ…」
彼はそう言うと空を仰いだ。
「星…ですか。素敵なお名前ですね」
「……」
その感覚になぜか覚えがあった、気がした。それが何だったのか思い出せない。
「私の名はスチュアート=クラレンス。没落寸前の子爵家の長男です」
そう言うと、優し気な微笑みと共に右手をそっと差し出した。
次回72話は明日19時投稿予定です。
例の令嬢が登場予定です。アレンとの関係は…?
よろしくお願いします☆




