69 私とバザーとアレンと美少女 2
「大変だ!!子どもが…っっ!!池に落ちたっっ!!」
突然の叫び声にハッと我に返った。
周囲の人たちが慌てたように同一の方向を指さしている。私も弾かれるようにそちらに向かって走り出した。
池のほとり、人垣をかき分けて前に出る。
小さい子どもが大きな声で泣いている。その傍らにはひっくり返ったバスケットと散らばるカップケーキ。
(まさかっ!!)
泣いている子どものそばに駆け寄る。それはさっき元気に返事をしていた孤児院の女の子だった。
「ねえ…っ!何があったの?!」
泣きじゃくる少女が池の方を指さす。その視線の先には、
(……っ!!)
池の中央付近に、水面に浮かぶ小さな子どもの姿があった。
いつ池に落ちたのか…。どのくらいの時間がたったのか…。
身じろぎ一つせず、ただ人形のように水面にたゆたう様子に私は息を飲んだ。
「リリアおねーちゃんに…っ、もら…った…り、リボンが…っ、飛ばされちゃって…そしたら…リズが…リズが取って…きてくれるって…。そしたら……っ」
私は少女をギュッと抱きしめると、安心させるように背中を撫でた。
「わかった。大丈夫だから、ここにいて…」
私は立ち上がると靴を脱ぎ、そのままジャバジャバと池に入った。
「あ、あんた!何する気だ!!」
近くにいた露店のおじさんが私の腕を捕まえる。
「決まってるでしょ!!早く行かなきゃ死んじゃう!!」
「ばか!!この池は見た目以上に深いんだ!!あっという間に足がつかなくなる。今人を呼んでるからもう少し待て!!」
「そんなの待ってらんないっ!!」
羽交い絞めにされて身動きが取れない。
私こう見えても水泳得意なんだから!!放してっ!このっ!!
その時だった。
「リズ――っっ!!」
誰かが私の目の前を横切った。その勢いのまま池の中に飛び込んでいく。
「リリアっっ!!」
バシャバシャと大きな水音を立てながらリリアが池の中を進む。数歩進んだところで彼女の体がトプンッと池に沈んだ。
「…リリアッ!」
でも彼女はすぐに浮かび上がり、腕で大きく水を掻きながら一心不乱に前進していく。髪が乱れ、水を飲みそれでも彼女は前に進んだ。
そしてようやくリズの元にたどり着く。ホッとしたのもつかの間、リリアはそこで力尽きたのか浮かんでいるのが精いっぱいのようでこちらに戻ってくる気配はない。
(このままだとリリアも沈む…っ)
私は、私を羽交い絞めにしているおじさんの腕に思いっきり噛みつくと、その腕を振りほどき急いでリリアの後を追った。
おそらくすり鉢状になっている池の底は、おじさんの言った通り数歩進んだところでいきなり足場がなくなった。
そして水を吸ったドレスは思いのほか重い。くそっ!こんなことなら脱いで来ればよかった…っ!
そこから先は平泳ぎで進む。リズの元にたどり着いた時点で既に力尽きているリリアはかろうじてリズを抱え、息も絶え絶えに浮かんでいた。
「リリア。とにかく力を抜いて仰向けになって。リズの事絶対に離しちゃだめよ…」
力なく頷くリリアを仰向けにすると彼女の首に手を回し顎を上げさせる。リズを抱えてる分どうしても体が沈んでしまうし重さも増す。
私はゆっくり、慎重にリリアの首に腕をかけ水面を進む。
「リリアっっ!!ステラ嬢!!」
岸までもう少しというところでローレンスの声が聞こえた。彼は慌てて水中に飛び込むとリリアとリズを抱えてくれる。
私は自力で岸に上がると意識のないリズの元に駆け付けた。
「リズっ…!!リズっ!」
必死に呼びかけるリリア。私はローレンスにリリアを任せると、横たわるリズを覗き込んだ。
胸に耳を当て、腕を取り脈を診る。
(息をしてない…。脈は…弱いけどまだあるっ!)
私はリズの傍らにしゃがみ込むとあご先を持ち上げ、顔がのけぞるような姿勢を取らせ気道を確保した。
そして、
(1、2、3、4、5……)
数を数えながら胸の下半分を片手で強めに押す。それからもう片方の手で鼻をつまみ、リズの口全体を覆うように自分の口を密着させ思い切り息を吹き込んだ。肺が大きく膨らむ。それを確認してもう一度心臓マッサージ。それらをリズの意識が戻るまで繰り返す。
ドキドキと心臓の音がうるさい。もし、このまま意識が戻らなかったら…。そんな思いを振り切りながら一心不乱に心肺蘇生を施す。
「おい…あの嬢ちゃんなにしてるんだ…?」
「わかんねーけど…あれはもう手遅れなんじゃないのか…?」
周囲が固唾を飲んで見守る中そんな声が耳に入る。
(そんなことない!!絶対この子は助かるっっ!)
そう強く願う。
徐々に私とリズを包む周りの空気がふんわりと温かみを増した。
その熱がだんだん熱くなる。
(お願いっ!!戻ってきてっっ!!)
そして次の瞬間…、
「ゴホッ…!ケホッケホッ…ッ…うぅ…ゲホッ…ッ」
リズが飲み込んだ水を吐き出した。慌てて体ごと横向きにする。
「すごいぞ!!息を吹き返したッ!!」
「あんた何やったんだ!!生き返ったぞ?!」
「やったな!嬢ちゃん!!」
周りの人たちが一斉に騒ぎ出す。私はというと、急に力が抜けてその場にへたり込んだ。
(助かった……)
「リズっっ…!!」
リリアが慌てて駆け寄り、リズを優しく抱きしめた。
「ごめんね…リズ…私がちゃんと見てあげていなかったから…っ」
「…ふ、ヒック…ご、ごめんなさい…。リリアおねーちゃんっっ…あーんっっ」
リズが大きな声で泣きじゃくる。あれだけ泣けるんならきっともう大丈夫。
近くにいたおばさんが大きなストールでリズを包んでくれた。
「ステラさんっ!!」
急にリリアに飛びつかれ、私はその場にひっくり返った。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます…。リズが死んじゃうかと思って…私……」
泣き崩れるリリアの背中にそっと手を回す。
「あなたも無事で…本当によかった。泳げもしないのにあんな無茶二度としないでね…」
「……はい…は…いっ…」
髪もぼさぼさ、せっかくのメイクも取れてしまって涙でグチャグチャ。それでも今のリリアはきれいだと思った。
「ステラ嬢…あなたも無茶はしないでください」
心配そうな、でも少し怒っているような顔でローレンスが覗き込む。
「助けが遅れて申し訳ありませんでした。少し離れたところにいたので…騒ぎを聞きつけて駆け付けましたが間に合いませんでした」
申し訳ありません、と言いながらリリアを抱き起し、私に手を伸ばす。私はその手を断り自分で起き上がった。
「私は大丈夫ですから…、早くリズとリリアを病院に連れて行ってあげてください。二人とも池の水を相当飲んでますから」
「ステラ嬢、あなたも…」
「私は、大丈夫です。何ともありませんから…。さあ、早く」
「……わかりました」
ローレンスはリズを抱き上げるとリリアに寄り添いながらその場を後にした。
その後ろ姿を見送り、さあ自分も立ち上がろうと膝に力を入れる。
「あれ…?」
思うように立ち上がれない。自分の意志とは関係なく手と足がガクガクと震え、力が入らない。
「おかしいな…」
腕に力を入れて体を持ち上げる、と急に肘の力が抜けて前に倒れこんだ。
地面に顔を打ち付ける…と思った瞬間、誰かの胸に抱きとめられた。
「……大丈夫?」
顔を上げるまでもない…。この声を間違えるわけがない…。
「どろどろだね。ドレスのまま泳ぐなんて…相変わらずお転婆なんだから」
アレンが私の顔に付いた泥を袖口で拭う。髪についた水草を丁寧に取り除く。
愛しむような微笑みにふっと肩の力が抜けた。いつのまにか体の震えも収まっていた。
「あんまり無茶はしないで。でないと僕の心臓がいくつあっても足りない」
言葉の一つ一つが優しくて、私は目を閉じてアレンの胸に体を預けた。
深く息を吸いゆっくりと吐き出す。それを何度か繰り返しているうちに心が落ち着いてきた。
その間アレンは、私の背中をポンポンとあやすように優しくたたく。
私は閉じていた目をゆっくりと開けた。
ぼんやりとした視界の先にキラキラと光る何かが見えた。
それをじっと見つめているうちにぼんやりと見えていたそれが金色に輝くタイチェーンだと気がついた。
急に視界が…意識がはっきりとする。私は彼の胸からゆっくりと体を起こす。
彼の美しい濃紺のロングコートは泥にまみれていた。
私はそこでようやく自分の薄汚れた姿に気がついた。
慌てて彼の体から離れる。
「ステラ…?」
急にさっき見た光景が頭に浮かんだ。
濃紺の揃いの装いに金の装飾品。美しい令嬢に向けていた愛しむような笑顔。何もかもが輝いて見えた王子様のようだったアレン。
それなのに…私に触れた彼は今、泥にまみれた姿で目の前にいる。
彼を汚してしまった。私のせいで…。
彼女といた彼はあんなに輝いていたのに。
今まで感じたことのない…ひどくみじめな感情。
急にみぞおちの部分が重く苦しくなった。
まともに彼の顔が見ることができない。
私は心配そうな顔をしたアレンを残し、何も言わずその場を逃げるように走り去った。
次回70話は明日19時更新予定です。
ローレンス編は明日のアレンの回想で完結になります。
アレンの気持ちが…なかなかうまく表現できなくて苦しんでいます(笑)
昨日今日でちょっと嬉しいくらいブックマーク頂きました。
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