61 私とローレンスと婚約者
連れてこられたのは平民街だった。
「ここのワゴンのサンドが絶品なんですよ。是非召し上がってみてください」
私は広場のベンチに腰掛けたまま手渡されたコロッケサンドをじっと見つめる。
「いかがですか?お口に合いませんか?」
心配そうなローレンスを横目に見ながら私は大きく口を開けてコロッケサンドにかぶりついた。
お口に合わないわけないじゃない。誰が監修したと思ってるのよ。
無言でムシャムシャ食べ続ける私に安心したのか、ローレンスもコロッケサンドにかぶりつく。
「たまたまここを通りかかった時にこのワゴンを見つけたんです。かなり目を引く色合いでしょう?ついフラフラと立ち寄ったんですがこれが絶品で。是非あなたをお連れしたかっんです。お口に合ったようで本当に良かった」
「…こちらこそ。気に入って頂けたようで。嬉しいです」
「え?」
ローレンスの顔に?が浮かんでいる。
まさかここに連れてこられるとは思わなかった。確かに目を引くように視覚効果は狙ったけど。
お腹も空いてたし久しぶりのミハエルのコロッケサンドだし満足しないわけないじゃない。むしろ願ったり叶ったり。
アッという間に食べ終わった私は、はしたないけど指まで舐めてしまった。
はー、おいしかった。いつ食べてもこれはほんっとに最高。満足満足…。
ついうっかりお腹までさすっていた私を、嬉しそうに眺めていたローレンスが、
「やっぱりいいですね、ステラ嬢は。以前同級の令嬢にここの話をしたら露店の軽食はちょっとと敬遠されてしまいました」
(まあ、そうでしょうね。大口開けてかぶりつくなんて貴族の令嬢ならまずしないもの。エレオノーラ様は別として)
そう言いながら彼は私の口元に張り付いていたパンくずをそっと指でつまんだ。
あらやだ、ちょっとがっつき過ぎちゃった。
私はお礼を言ってそのパンくずを受け取ろうとハンカチを出した。
こういう事自然にしちゃうとこお兄ちゃん気質なのかしら。そういえば弟がいるって言ってたっけ。
それなのに…、
ローレンスはそのパンくずを自分の口に持っていき、あろうことかパクッと自分の口に入れた。
「ロ、ローレンス様…!!」
「ふふ、おいしいです」
嬉しそうに頬を赤らめ微笑む。
いやもう、これはダメでしょ…。恋人でもないのにこんなラブラブシチュエーション。というかこの人天然なのかしら。この間も思ったけどこういう女性がドキッとする仕草を自然に出してくるとか、私がそこいらの純真無垢な令嬢だったら一発で即落ちしてるわよ。
私はローレンスの顔をつかむと
「はき出してください!!」
と迫った。
「ステラ様…っ?!」
何事かと慌てたローレンスがびっくりした顔で私を見る。
「今食べたものを出してください!家族でも恋人でもない者の食べかすを口に入れるなんて絶対してはダメです。先日から思っていましたがローレンス様はスキンシップが過ぎます。誤解を招くような行動は慎んだ方がよいです!」
「誤解…とは?」
「え?」
「ステラ嬢はどんな誤解をされたんでしょう」
目が笑っている。からかうように突っ込まれ思わず口ごもる。え、そう来る?敢えて一般論を言っただけで別に私が何かを誤解したわけじゃないんだけど。
「あ、あくまで世間一般論です。こういう行為はあなたが相手に対して好意を持っていると勘違いされても不思議ではないと。普通はそう考えるのかと…。あくまで一般論ですが…」
「一般的にはみんなそう考えるのですか?」
更に突っ込まれてなぜかしどろもどろになる。え、違うの?なんか自信がなくなってくる。
っていうかなんで私が追い詰められないといけないわけ?!
「もし、勘違いではなかったら?」
「……えっ」
「勘違いされても構わないと言ったら…あなたはどうなさいますか?」
(き、きた!!)
ローレンスは私の両手をギュッと掴み甲にキスを落とした。
耳を塞ぎたいけど手を抑え込まれててそれも叶わない。
「初めて会ったあの日から、僕はあなたの事が気になって仕方がありませんでした。明るく屈託のない笑顔も、少しドジなところも、そして今のように恥じらう姿もすべてが愛らしく思えて仕方がないのです。もしよろしければ僕とお付き合いしていただけませんか?」
少しうるんだ瞳で熱っぽく紡がれる愛の告白に何と答えていいかわからなかった。
ローレンスの事は嫌いではない。優しいし気遣いも素晴らしいし女性だったら憧れずにはいられない男性だと思う。貴族としての地位も十分だし家の事を考えれば政略的な意味でも申し分のない相手だ。しかも次男…。こんな好条件の物件そうはいない。
過去の人生も含めこんな風に熱っぽい告白をされたことのない私は正直心が揺らぐ。
(付き合っちゃえばいいじゃん!こんな小説みたいな展開滅多にあるもんじゃないわよ)
(だめよ!今はよくてもこれから先どうなるかわからないのよ。流されて付き合ったって碌なことにならないわ)
(でもいい人よ。ステラの事を真剣に想ってくれてるのあなただってわかるでしょ!それにアレンだってステラが幸せになる事を望んでる。彼だって自分のための一歩を踏み出せるかもしれないのよ)
(アレンのために付き合うなんて絶対ダメ。そんなの後で後悔するに決まってる。それに今はアレンの事でやらなきゃいけないことがあるでしょ!)
脳内の天使と悪魔がせめぎ合っている。
どっちの言い分ももっともで天秤が傾かない。
アワアワしていた…、
まさにその時だった。
「あの……、ローレンス様ではありませんか?」
唐突に声を掛けられ、ハッと我に返った。
顔を向けると、一人の少女が遠慮がちにこちらを伺っている。
私は慌ててローレンスの手を払った。
(あ…っぶなかった!!)
なんだか変な雰囲気に充てられて自分を見失うとこだった。
オレンジに近いブラウンの髪を左右で緩く編み込んだ小柄な少女は、ただ声をかけただけで下を向いたままもじもじしている。
少し赤く染まった頬にはそばかすが浮かび、自信なさげなアンバーの瞳がキョドキョドとせわしなく動いている。
「リリア」
ローレンスが彼女の名前を呼んだ。あ、知り合いなんだ。
でもそれきり何も言わない。リリアと呼ばれた少女も相変わらずもじもじしたまま何も話そうとしない。
(あの…なにこの間…。なんか、すごく気まずいんだけど…)
ローレンスの顔を伺うと、その顔にはいつもの華やかさがない。何ていうか…無表情。こんな顔もできるんだとちょっとびっくりした。
ローレンスはちょっとイライラしたようにため息を吐くと髪をかき上げた。
「…まさかあなたとこんなところで会うとは思わなかった。ここで何をしているんですか?」
声が冷たい。これまで見てきた彼とあまりに違う態度に思わず面食らう。
「あ、あの…今日は…その…教会のお手伝いに…。あの…ローレンス…様は、こちらで…なに…を?」
消え入りそうなほどの小さな声に耳をそばだてる。ほんとは耳に手を当てたいくらいだけど流石に失礼かと思い我慢した。
「僕はこのステラ嬢と昼食をとっていたところだ」
「ステラ…さま…?」
そこでようやく彼女が私を見た。目が合う。私は立ち上がると片手でスカートを軽く持ち上げ会釈した。
「ステラ=ヴェルナーです。どうぞよろしく」
「ステラ…様…。あっ、あのステラ…ですか…?」
またか…。これはどのステラ様を指してるのかな…?
その態度が顔に現れていたのかリリアが慌てたよう深くに頭を下げた。
「も…申し訳…あり…ません!私ったら…なんて…失礼なことを……っ本当に…申し訳…ございませ、ん…っ」
「い、いえ…っ。そんなに謝って頂くことでは…」
相変わらず囁くような声でペコペコと頭を下げてくる。なんか私が悪い事してるような気がしてきた。
すると、今まで黙っていたローレンスが大きくため息をつくと私とリリアの間に割って入った。
「さあ、もういいでしょう。そろそろ戻ってはどうですか?僕も暇ではありませんので」
ひどく迷惑そうに彼が言う。今までの彼にしてはありえない態度でリリアを追い返す。
「…っ!そ、そう…ですね。お邪魔をして、申し訳…ありません…でした。それでは…失礼、いたします…」
彼女はやっぱりおどおどした様子で軽くお辞儀をすると慌てたようにその場を立ち去った。
彼女の行く先に数人の小さな子どもたちが見えた。その子たちが彼女を囲み手を引きながら歩き去る。
私は何も言えずにその後姿を見送った。
「申し訳ありませんステラ嬢。嫌な思いをさせてしまったでしょうか…?」
ひどく申し訳なさそうにローレンスが言う。その顔は私が知っているいつものローレンスだった。
「いえ、そんなことはありませんが…」
そんな事より…
「ローレンス様のお知り合いの方でしょう?あんな風に冷たく追い返されなくてもよかったのではないですか…」
思っている事を正直に口にした。知らん顔してやり過ごすのも私の性に合わない。彼女に対するローレンスの態度はあまりに礼を欠いていたし傷ついたような彼女の顔も見てしまった。よっぽど性格が悪いとかだったらアレだけど、一見したところそんな風には見えなかった。すると、ローレンスは
「彼女はいいんです」
と、ひどく迷惑そうに言った。
「あの…差し出がましいようですが…彼女とローレンス様は…?」
余計なお世話だとも思ったけど、気になるものは仕方ない。
ローレンスは言いたくなさそうに口をとがらせリリアの消えた方向をじっと見つめていた。
「……婚約者です」
「は…?」
余りに小さな声に思わず聞き返した。
「リリア=アンダーソン。男爵家の令嬢で、僕の…婚約者です」
はいーーーーーーっっ?!
次回62話は明日19時更新予定です。
よろしくお願いします。




