5 私とスラムとできる事
改稿しました。内容はほぼ変わっていませんが少し読みやすくしました。(2021.3.4)
「ほんとによかったの?」
一人荷車を引っ張りながらアレンが言う。荷車の上には大量のじゃがいもの山。
「なによ。私が貴族の令嬢になっちゃえばよかったっていうの?」
「う~ん、うん?」
「…どっちよ」
男爵家を出る時、なにか欲しいものはないかと聞かれた。
ちょっと考えて、そういえばあの時に持ってたじゃがいもはどうなったんだろう、勿体ないことをしたなという思いが頭をよぎった。
そうしたら口が勝手に「じゃがいも!」と動いていた。その結果がこの荷車だ。
想定の100倍以上のじゃがいもの重量にアレンがヒーヒー言いながら荷車を引く。
(私も運ぶの手伝うって言ったのに、頑として受け入れなかったのはアレンだからね。私は悪くない)
「いきなりあんな話されて、はいそうですかって簡単に頷けるわけないでしょ。おばあちゃんに何て言うのよ」
「ソフィアさんだったら喜んでくれると思うけど?」
その言葉に立ち止まる。
「なによ、私みたいなお荷物はいない方がいいってこと?」
「そんなこと言ってない。ただあんなとこにいつまでいたって状況は変わらない。そんなのステラだってわかってるだろ。幸せになりたければ自分で動く。抜け出すチャンスがあればそれをつかむ。そうすべきだと僕は思う」
「……私、不幸だなんて思ったことないもん」
アレンは足を止めて私に向き直り、じっと私の目を見つめる。
「知ってる。だけど今の生活を続けてたってなにも変わらない。これ以上悪くはならないけどよくもならない」
アレンの言うことは最もだと思う。それは私もわかってる。だけど、あのまま私が男爵婦人の言葉に頷いたらその時点であそことの縁が切れてしまうかもしれないと思った。
あの男爵夫婦に限ってそんなことはないと思うけど、万に一つ「スラムの人間との付き合いを禁ずる」なんて命令をされたら私に拒否する権利はない。
私たちと貴族の間にはそれくらいの隔たりがある。男爵家に行く方がメリットは大きいかもしれないけどそれが私の幸せに繋がるとは限らない。
(どっちに転ぶかわからない賭けに飛びつくほど私は子どもじゃないの。まあ、見た目は10歳の女の子だけど…)
とにかく今はまだ考える事を時間が欲しい。
正直、返事は今すぐじゃなくていいという男爵夫妻の申し出は嬉しかった。こんな下層民の子どもの意見を尊重してくれたのだから。
「わかってる。男爵様のご厚意を受けないとは言ってないわ。ただ少し考える時間が欲しいの。それに、やりたいことも思い付いたし」
「…なにする気?」
私はじゃがいもの山をポンッとたたく。
「思いがけず元手もできたし!取り敢えず軍資金を稼ぐわよ!」
一週間後、私とアレンは数人のスラムの子供たちと一緒に平民街の広場にいた。
小さなワゴンには大量のじゃがいもと揚げ油、それに塩。油と塩はじゃがいものついでに男爵家から頂いたものだ。油は高級品だからこんなに沢山頂けたのは本当にありがたい。さすが男爵様、気前がいい。
じゃがいもはきれいに洗って水気を拭き取る。それを皮がついたままスティック状に切り、大量の油の中に投入する。しばらく待つと、静かに沈んでいたおイモ達の周りからが小さな泡が浮かび、ゆっくりと浮かび上がってくる。油の弾ける音がパチパチと高く変わったタイミングで一度引き上げそのまま隣の、高温にした油の中に移す。ジュワっといい音がして美味しそうな香りが漂う。黄金色に色づいたタイミングで引き上げ、パラパラと塩をかける。
「フレンチフライよ!食べてみて」
「いい匂いだね」
アレンが鼻をクンクンさせて一本つまむ。
「あっ、熱いから気を付けて」
「あつっ!あちっ!」
アレンは左右の手でお手玉しながら口の中に放り込む。
「あっ……うまい!」
ハフハフしながらアレンの目が輝く。ほかの子供たちもぱぁっと顔を輝かせた。
「フフッ、でしょ?」
紗奈の記憶を思い出して以来、この世界について色々と考えていた。
今私が存在しているこの世界は、ロクシエーヌ王国という名の前世では聞いたことがない大国だ。ここがいつの時代、どこの世界なのか全く分からない。とにかく私が前世で生活していた世界とは全く異なるのだけは間違いない。着ている服装や町並みからして、中世ヨーロッパ時代を彷彿とさせるけど確信は持てない。自分を納得させるだけの知識を、私は持っていない。
(勉強…そんなに好きじゃなかったからなぁ。こんな事ならもっと世界史勉強しとけばよかった)
まさか今はやりの「異世界転生」とかだったりして!なんて思ったりもしたけど、そんな事実際にある訳もなく…。
じゃあ「異世界転生」+「夢」のコラボレーションを疑ってみたけど、あまりに長くリアリティありありのこの世界が夢であるはずもない。
そもそも夢であるなら、土台になるストーリ―…、ゲームや漫画、小説で読んだであろう設定が多少なりとも組み込まれていていいはずだ。けれど、私の記憶という頭の蔵書にはこの世界についての知識は一切ない。
(ラノベとか結構読んでたけど、ロクシエーヌ王国なんて背景の話知らないし…。魔法とかエルフとか分かりやすい事例があれば思い出すとっかかりもありそうだけど…)
残念ながらそう言った特殊な世界観はこの世界には一切ない。
だからね…、
もう考えるのはやめにした。
よくよく考えてみれば、前世が何であれ今を生きているのは「紗奈」ではなく「ステラ」だ。過去に惑わされる必要なんて全くない。ただ人より少し情報量が多い分、得をしてるというだけの事。
元々細かいことを考えるのは苦手だし、考えるより先に直感で生きてきた人間だったから答えの出ないことをいつまでも考え続けるのは性に合わない。
ただ叶うなら、前世で三十路前という若さで死んでしまった分、今世ではおばあちゃんになるまで細く長く幸せに暮らしていけたらとそう思う。
紗奈の記憶はステラの生きる知恵としてありがたく利用させてもらうに留め、今の私としての人生を歩んでいくことが最善なのではないだろうか。
となれば、やりたい事が自ずと見えてくる。
これまで幼いステラがずっと考えていて、でもできなかった事……。
それは、
「スラムの街全体の生活の向上」
ステラは今よりもっと幼い時から、このスラムをどうにかできないかと考えていた。
自画自賛するわけではないけど、彼女は明るくて正義感が強く人を思いやれる子だ。だから、自分の友達がお腹を空かせていたり大人にひどいことをされたりする度、ひどく心を痛めていた。何も出来ない自分にとても苦しんでいた。
我ながらなんていい子だろうと思う。
紗奈だった頃の私は、人の事を思いやる余裕なんて微塵もなかった。わずかな空気の中で、常に息を殺し、目立たないように存在するのが精いっぱいだった。
(死ぬ前の数年間はいろんなことが吹っ切れてそこそこ楽しく生きていたけど、それだって全部自分のためだった)
けれど、ステラは違う。
自分の事は常に後回しにしてでも、誰かのためになりたい。そう考える子だ。
スラム街というのはいつの時代も世界共通の認識として治安が悪い。
なぜかとと言えば理由は一つ。貧しいからだ。
ここでの貧しい理由は簡単で単純にお金を稼ぐ手段がないから。雇用、つまり仕事がないのだ。スラムで仕事に有りつく場所は酒場か賭博場ぐらい。そんな環境で働けるのは一部の人間に限られる。
それならスラムの外、平民街に行けば見つかるかと言えばそう簡単な話じゃない。
スラムの出だとわかれば断られるか、運よく雇われても賃金は半値以下に値切られる。
虐げられる事に慣れてしまえば人は自棄になり犯罪に手を染めるようになる。ほんの一部の人間が自分の心に負けた時点で、すべての住人がそういう目で見られるようになり信用を得ることなど夢のまた夢だ。
この負のループをたち切らない限り街は恒久的に貧しいまま。
(だからまず、このループ断ち切りたい)
スラムの住人だって真っ当な商いができるって事を知ってもらいたい。信用できる人間もいるのだという事をわかってもらいたい。
たかが十歳の子どもにできることなんてたかが知れてる。だから小さな事から始めようと思う。
焦らず、じっくりと。
まずは出来ることから少しずつ……。
次話投稿は早ければ明日朝6時予定です。
間に合わなければ明日19時投稿になります。
よろしくお願いします。




