57 私と騎士と馬の腹 2
「申し遅れました。僕はローレンス=アークライトと申します」
運び込まれた医務室は無人だった。
それはそうだろう。新学期も始まってないのに怪我をする生徒がいるわけがない。
であれば校医がいないのは当然の事。
ローレンスは私を椅子に座らせると濡らしたガーゼで丁寧に傷口を拭ってくれた。
足首にはきっちりとテーピングをし包帯を巻く。
「擦り傷は変に治療をしない方がいいと思いますので」
手慣れた様子で治療を終える。
「ずいぶんと慣れているんですね」
「歳の離れた弟たちがよく怪我をしていたので…。それに馬術部で落馬する者も大勢いますから」
馬術部…そんなものがこの学園にあったのか…。ってことは他にもいろんな部活があったりするのかな?今度シンディたちに聞いてみよう。
「あの…ありがとうございます。お手を煩わせて申し訳ありませんでした」
「いえ。もとは僕のせいですから。あの…もしよろしければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ステラです。ステラ=ヴェルナー」
私は素直に名を名乗った。
ローレンスは治療具を片付けていた手を止めて私を見た。
「ヴェルナー家のステラ嬢…ですか。あ、もしかして噂の…」
そこまで言ってローレンスがハッと口を押えた。
「あ…っ噂って…いうのは、いや、その…。あ、えっと…」
大きい体で真っ赤になりながら言い訳を考えているローレンスがなんだかかわいかった。思わずフフッと笑うと、
「ええ、その噂のステラは私ですよ。はちみつのステラ。パンケーキのステラ。スラムのステラ。カリスタ様と対決をしたステラ…。あなたの噂のステラはどちらのステラでしょう?」
と言ってみた。ローレンスは真っ赤な顔を片手で覆いながら指の隙間から私を見た。参ったな…とごにょごよ言っていたが、
「申し訳ありません。普段はあまりそういう噂話に興味はないんですが、部のみんながとても美しい令嬢だったと口をそろえて言うものですから…どんな方なのかずっと気になっていたのです」
へっ?美しいって…私が?
「まさかこんな形でお会いすることになるなんて思ってなかったので…失言でした。どうかお許しください」
耳まで真っ赤になって目を合わせようとしないローレンスを私は口を開けたまま見つめた。
美しいって…そんな噂が出回ってるの?
カリスタもはちみつもパンケーキも事実だから全然気にならないけど、その美しいって尾ひれは正直頂けない。これ以上余計な噂が広まらないようきちんと訂正しておく必要がある。
「それ…私じゃないですね」
私はきっぱりと言い切った。
「え…?」
「あなたのお友達のおっしゃる噂の主は私ではないですね」
「でもあなたはヴェルナー家のステラ嬢なのですよね?」
「確かにそうです。が、お友達の言う女性は私ではないでしょう。おそらく別の方と間違えてるんだと思います。もしかしたらあの時そばにいたシンディかセシリアか…。とにかく私はそんな風に言われるほどの容姿は持ち合わせていないので。期待を裏切ってしまって大変申し訳ないのですが…」
その噂は訂正をしておいてください、と頭を下げた。
シンディは私が見た女子の中でエレオノーラ様に次ぐ美人だし、セシリアもフワフワのかわいらしい容姿をしている。おそらくそのどちらかと勘違いしているのだろう。これ以上目立つことはごめんだし出来れば静かに過ごしたい。それなのに…、
「そんなことはありません!!!」
いきなり立ち上がったローレンスの勢いにびっくりして、私は思わず後ろにひっくり返った。
床に頭を打ち付ける寸前、ローレンスに腕を引かれ事なきを得た。が、背中にまわされた腕に抱き留められ至近距離で彼と目が合う。
(近い近い…っ!)
「勘違いなんかじゃありません!貴方はとてもお美しい!僕はあなたを好ましいと思っています!」
だから訂正はしません!と力強く言い切られ、その目力に押され私は思わず息を飲んだ。
何て言っていいのか分からず黙っていると、ローレンスはハッと我に返ったように口元に手をやるとその顔を再び赤く染めた。
「いや、あの…すみません…僕、何を言ってるんだろ?初めて会った方にこんなこと…」
そして自分の腕が私の背中に回されている事に気づくと、慌ててその手を離した。
「ぎゃ!」
結局後ろにひっくり返る私。ゴンッと鈍い音が響いた。い、痛い…。
「ああっ!!すみませんっ!!大丈夫ですか?あーもう、何やってるんだろ。いつもはこんなことないのに…かっこ悪い…っ」
真っ赤な顔をしたまま腕をつかみ今度こそちゃんと起こしてくれる。
ここまでの出来事がコントにしか思えなくて私は思わず笑ってしまった。
「ス、ステラ嬢?」
「ふふっ…あははっ!ご、ごめんなさい…笑ったりして。でも…はははっ!ローレンス様…かわいいです!その…見た目とのギャップが…っ」
騎士のような体格に甘いマスク。だけどさっきから落ち着きがなく、ずっと赤い顔をしている彼は大人びた見た目よりずっとかわいく見えた。
笑いが収まらない私をしばらく見ていた彼は、やがてふてくされたような顔でタオルを水で濡らすと、近くにあったベッドに腰を下ろし顔を覆って黙り込んでしまった。
(あっヤバイ。笑いすぎたかな…)
それきり何も言わなくなった彼に私も笑いが引っ込む。
「あの…ローレンス様」
「……」
「あの…ごめんなさい…怒りましたか?」
近づいて肩を叩こうとした瞬間、彼が顔を上げた。
「治りましたか?」
「…は?」
「僕の顔、もう熱くないですか?」
そう言って私の手を頬に押し付けた。
タオルで冷やした顔からは赤みが引きどちらかと言うとひんやりしていた。
なんだ。怒ってたわけじゃないんだ。
「ええ、もう赤くも熱くもありません。さっきは笑ったりしてごめんなさい」
私は彼の頬から手を放しペコリと頭を下げた。
「いえ僕の方こそ…失態ばかりお見せしてお恥ずかしい限りです」
この人多分すごくまじめな人なんだろうな。素直だし面倒見もいいし何より優しい。
人としてすごく好きなタイプだ。私はニコッと笑うと、
「恰好ばかりつけている人より余程いいのではないですか?嘘のつけないあなたのあのお姿は、人としてとても好感が持てます」
と言った。すると彼はまたしても顔を赤く染める。
何だろうこの人…赤面症なのかな?
そして彼は一瞬ためらうように喉を上下させるとやがて意を決したように言葉を続けた。
「ステラ嬢。今回のあなたの怪我はすべて僕の責任です。ですから怪我が治る間でかまいません。僕をあなたの騎士にしては頂けないでしょうか?」
「ふえ?」
言われた言葉の意味が分からず、私は間の抜けた声しか出すことができなかった。
58話投稿は明日19時を予定しています。
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