55 私と刺繍と手がかり
「あらあらよく来たわねステラ。…どうしたんだい?そんなに疲れて」
ドアの前でおばあちゃんが不思議そうな顔で私たちを見る。
結局おばあちゃんの家の前までお姫様抱っこで連れてこられた私は、ルーカスの腕の中で散々暴れたおかげでヘトヘトになった。
だっていくら言っても下ろしてくれないんだもの!
町の人たちは何事かと興味津々だし、もうほんとに恥ずかしかった。
ルーカスは疲れた様子も見せず私を下ろすと、丁寧に礼をしておばあちゃんにあいさつをした。
「初めましてレディソフィア。僕はルーカス=ヴェルナーと申します」
「まあまあ、これはご丁寧にありがとう。ふふっレディなんて…久しぶりに呼ばれたわ。狭い所ですがどうぞお入りください」
おばあちゃんは嬉しそうに笑うと私とルーカスを迎え入れてくれた。お土産のお茶とお菓子を渡すと早速それでおいしいお茶を入れてくれる。おばあちゃんのお茶はいつ飲んでも絶品だ。
「今日はアレンは一緒じゃないのかい?」
「アレンは他領に商談で出かけているの」
「そうなのかい。あの子がステラのナイトを他に委ねるなんて…。よっぽど信頼してるんだねぇ」
片目だけで私をチラ見し、お茶の香りをかぎながらおばあちゃんが言う。
うっ…内緒で来た事、もしかしてバレてる?
「それで?何か話があるんだろ?」
おばあちゃんに隠し事はできないと諦め、私は素直に今日の目的を話す。
「アレンがここに来た時の服を見せてほしいの。まだ取ってあるでしょ?」
おばあちゃんが黙って席を立つ。
近くにあったチェストの最下段の引き出しを開け、大切そうに包まれた衣服を持ってきてくれた。包みを開けると少し古ぼけた上質の子供服が現れた。広げてみる。特に変わったところは見られない。所々が擦り切れ古くなった茶色の染みがこびりついている。おそらくアレンの血。私は当時の事を思い出して、ギュッと服を握りしめた。
「これ…」
それまで黙っていたルーカスが襟の部分に触れ軽く撫でた。
「この襟元の刺繍…、金糸ですね」
「……?それがなにか?」
「金糸での刺繍は公爵家以上の家門にのみ許される特権です。しかもこれだけ広範囲に複雑な模様が施されているという事はそれなりの家門の出自であることは間違いないですね」
「刺繍だけでそんな事までわかるの?」
「はい、他にも見分ける方法はいろいろありますが、紋章の類も残ってはいませんしこの服だけで特定するのは難しいですね」
服を広げてあちこち探っていたルーカスが残念そうに私を見た。
「9年前なの。アレンがこの町に来たのは…」
私はアレンとの出会いを詳細にルーカスに話して聞かせた。ルーカスは黙って私の話に耳を傾けてくれた。
「それで、彼には当時以前の記憶がないと…?」
「そう…あれから9年経つのに未だに何にも思い出せないらしいの。分かってるのは当時8歳だった事とアレンって名前だけ…」
ルーカスは口元に手をやると何かを真剣に考えていた。
おばあちゃんか黙ったまま静かにお茶を口に運ぶ。
「姉上はアレンに元の生活に戻って欲しいんですか?」
「それは…ちょっと違うかも…。私はただアレンに選択肢を広げてもらいたいと思って…。何か深い事情があるのは分かってるし危険だって想像ももちろんつく。だけどアレンがいなくなって悲しい思いをしてる人もいるだろうし、記憶がないだけで大切な人がいたかもしれない。だからすべてを知った上で彼がどうするか、選んでほしいと思ったの」
「それでもし、アレンがここを離れてしまっても姉上は平気なんですか?」
「平気なわけないじゃない。寂しいに決まってる。でもアレンがそう決めたんなら私に止める権利はない」
ルーカスは黙って私を見つめていたがわかりました、と小さくつぶやいた。
「とりあえず9年前、公爵家の血統で失踪者がいないか内密に調べてみましょう。念のため死亡者も」
「そんな事できるの?」
「これでも一応爵位を持った貴族の跡取り候補ですからね。これくらいできないとヴェルナー家はあっという間に傾いてしまいますよ」
簡単に言ってるけどそれってすごくない?今回の帰省でルーカスがこんなに頼もしく思えるなんて。
「それで?他にも何かあるんでしょう?」
「そう!あとは一緒に行ってもらいたいところがあるの」
そして件の森に話は戻る。
あれから9年…未だ足を踏み入れる者も少ないこの森は当時とあまり変わってないように見える。
あの時は雪が降り積もっていたから森の様子なんてわからなかった。しかも夜。
只々夢中で新雪に足跡を残し追手を引き付けた。崖に続く一本のけもの道を必死で走り続けた。
追手は三人。月明かりの下、木の上から見た男たちは一様に剣を握っていた。二人はごろつきのような平民服、残る一人は上質のマントを着込んでいた。体格と服装から見ておそらく騎士…。
もし手がかりが残っているとしたらこの手付かずの森しかないと思った。
当時の足跡をたどる。気がつけば崖の手前まで来ていた。慎重に下を覗き込む。あの時はよく見えなかったけど結構な高さだった事を知った。
(落ちなくて良かった…)
ゾゾっと鳥肌が立った。
「それにしても…無茶なことをしてたんですね」
この森での出来事も、道すがらルーカスに話して聞かせた。
その上で、今後は絶対にそんな事やらないでくださいと釘を刺された。
分かってるわよ。私だってもう小さい子供じゃないんだし…。
崖から離れ、周りを見回すとあの時登った木が残っていた。当時より大分成長しているがこの木で間違いない。この木に登って見下ろしたら何か見えるかもしれない…。そう思って幹に手をかけた。
「なにしてるんですか…姉上」
「木に登ってみようかと」
「…やめてください。仮にもレディでしょう」
腰に手を回され無理やり木から引きはがされた。
はぁとため息を吐くルーカス。とうとうルーカスにもあきれられてしまった。しかもサラッと仮って言ったわ、この子。
ちょっとムカッとしたので腹いせに落ち葉の山を蹴り飛ばした。湿った枯れ葉が土ごと舞う。
それと一緒に何か硬いものがつま先にあたった。
(ん…?)
拾い上げるとそれは小さなカフスボタンだった。よく見ると何か紋章のようなものが刻まれている。
「ルーカス」
「何ですか?」
「これ…」
私はルーカスに拾ったカフスを見せた。
「この紋章…」
「ええ、どこかの貴族の紋章のようですね」
「どこのかわかる?」
ルーカスはポケットからハンカチを出すとカフスの表面をきれいに拭った。
「劣化が進んで見えづらいですね。ここにうっすらと馬の模様が見えるので…騎士爵のものでしょうか。僕も紋章についてはそれほど詳しくはないので持ち帰って調べてみましょう。手がかりになるといいですね」
私は大きく頷いた。
男爵家に戻ったのは夕方を少し回った頃だった。
夕食を食べ、お風呂に入ってまったりしていたところにコンコンコンとノックが響いた。
「どうぞ」
入ってきたのはアレンだった。お茶を持ってきてくれたのだ。けれど…
「アレン?!なんで?一週間は戻らないんじゃなかったの?」
後ろめたさが勝ってつい余計な事を言ってしまった。
「商談が早くまとまったから僕だけ先に戻ってきたんだけど…。なに?僕が戻ってきて何か不都合でもあるの?」
「そ、そんな事ある訳ないじゃない。お帰りアレン」
得意だった天使の笑顔を久々に披露してみた。それが余計によくなかった。
「なに?なんか僕に隠してる?」
「…なにも」
「…ふーん」
アレンがワゴンを押しやり私に向かってくる。ひいぃとばかりに扉に逃げ場を求めた。
ドンッ!
壁に手を突かれ行く手を塞がれる。反対を向くとそっちも塞がれた。
(ひいぃ…!!まさかこんな形で壁ドン!!怖い…っ!!)
アレンの顔が近づく。
「あれ…?ステラの頭ソフィアさんの匂いがする」
「そんなわけないじゃない!!ちゃんとお風呂入ったし!!」
「ふーん、やっぱり僕に内緒でソフィアさんとこに行ったのか。で、誰と?」
カマかけやがったな!!こいつ!!
それからのアレンはしつこかった。
結局、ルーカスと二人だけでおばあちゃんの所に行ったところまで無理やりはかされた。
アレンの尋問えげつなくて怖い…。
「馬に二人乗りとかありえないから…次からはちゃんと馬車を使うように。それから僕に内緒で行動するならもっと慎重に行動しないと。ステラは顔と態度に出過ぎ。まあ次はないと思うけど、わかってるよね?」
アレンの…目が笑ってない笑顔がほんとに怖い。
私は只々頷くしかなかった。
56話は明日19時更新です。
学園に戻ってきたステラに新たな出会いです。
よろしくお願いします。




