53 私と帰省と麗しの貴公子 1
王都の中心街を抜けるとそれまできちんと整備されていた石畳の街路が終わり急激に道が悪くなる。土むき出し、小石ゴロゴロの街道は馬車が走るだけで土煙がもくもくと上がった。貴族の馬車とはいえ、この世界の車輪にクッション性は皆無なのでどんなに石が小さくても乗り上げる度お尻に衝撃が伝わる。
「ステラ。いい加減馬車の中に入ったら?」
アレンが馬を操りながらあきれたように言う。私は御者台のアレンの隣で上下左右に激しく揺られながらその衝撃に耐えていた。
「大…大丈夫。中に入ってたら折角の景色が見えないでしょう?」
しゃべると舌を噛みそうになる。確かに馬車内の方が座席のクッションがある分乗り心地はいいかもしれないけど、あの閉鎖的な空間がどうも苦手だ。
私は座席をギュッとつかみながらそれだけを答えた。
入学から4カ月。
開始早々色々あったおかげで、あっという間に季節が移り変わってしまった。学期末試験を終える頃にはセミが鳴き太陽の位置も気温も高くなった。私が過去に住んでいた日本と同じく四季があるこのロクシエーヌ王国はこれから暑い夏が始まる。
あの逆断罪イベント以降、カリスタの姿を見ることはなかった。
国外追放になったのだとヴィクター様が教えてくれた。取り巻きの令嬢たちも謹慎処分を受け私の周りは一気に静かになった。王太子殿下の配慮により、これまでに学園を追われた令嬢たちは復学を許され、エレオノーラ様の汚名も返上された。私に絡んできた王太子の婚約者の取り巻きも波が引くように静かになり、気がつけばすべてが丸く収まっていた。
これまでの事はすべて、ヴィクター様の手腕によるものだったとアレンが教えてくれた。他の令嬢とは一線を画す肝の太さの私と出会ったことで今回の作戦を思い付き決行を決めたのだと聞かされた。まああんな役どころ、他の令嬢には間違っても頼めないだろうからそれはいいんだけど、できればもうちょっと説明をして欲しかった。私だって多少なりとも痛む心はある。そう詰め寄るとヴィクター様は微妙な顔をしてアレンを見ていたがすまなかったと謝罪してくれた。アレンは早いうちからその計画を聞いてたそうで、パーティーでの変装も私にせまる演技もすべてが指示だったとこちらからも謝罪を受けた。まあいいんだけどさ…私のドキドキを返してほしい。
「おでこ、大丈夫?」
いきなり前髪を分けられて物思いに耽っていた私は我に返った。
「…うん。たんこぶだけだから。触らなければ痛くないし」
あの日カリスタに投げつけられたティーポットは小さい割に重量があり私の額に傷を作った。流れ出た血にびっくりしたけれど傷自体は深くはなく、それよりもお茶を被ってできた火傷の方が深刻に思われた。急ぎ医務室に運ばれ氷とぬれタオルで冷やしながら校医を待つ。首の部分に触れると水膨れのような感覚があった。涙をこらえてタオルを交換してくれるセシリア。ヒリヒリとした感覚がだんだん薄れて来た頃、シンディに腕を引かれ慌てた様子で学校医が姿を現した。慎重にタオルを外す医師が驚いたような顔で私を見る。隣ではなぜかシンディとセシリアも目を丸くして私を見つめていた。
(治っちゃってたんだよね…)
タオルを外した患部はなぜか火傷も傷もきれいさっぱり消えてしまっていた。さっき感覚が消えていったのは痛覚が麻痺したためでなく治癒していたからだと理解した。確かに昔から怪我にも病気にも強かった気はしてたけど流石にこれには唖然とした。鏡を見るとかろうじてたんこぶだけが被害の痕跡として残っている。
シンディが私の顔をペタペタと触りながら、なんで?どうして?!を繰り返す。セシリアはベッドサイドに座り込み、よかったを繰り返しながら泣いていた。この収拾のつかない状態を収めてくれたのはアレンだった。断罪イベント中、渦中の私を置いて突如いなくなったくせにどこからともなくフラッと現れ、医師に勘違いだった旨を伝え早々に追い返し、私の顔にカモフラージュの包帯を巻いた。シンディとセシリアにも私の強靭さを熱く語り最終的に、ステラだもんねと納得させていた。
(理由に納得がいかない…)
そして今、私のおでこには名残のたんこぶだけが残っている。
その額を何度も手でさするアレン。
「…ねえ聞いてる?触らなければ痛くないって言ったんだけど。触ったらまだ痛いんだけど」
「…うん」
それでも手を離さないアレンの手をパシッとはらう。
「やめれ」
それでようやくアレンが手を離した。
「ごめん。でも、あとが残らなくて本当によかった」
アレンが気づかわしそうに微笑む。
「ほら、男爵邸が見えて来たよ」
アレンが指をさす。
視線を向けると林の向こうに男爵邸が見えた。
たった4カ月しか離れていなかったのになんだかとても懐かしい。
眩しい日差しの下、馬車は足取り軽く街道を駆け抜けた。
「姉上。お久しぶりです。早くお会いしたくてお迎えに行こうかと思っていたところでした」
男爵邸のエントランス。私の目の前には爽やかなイケメン貴公子が立っていた。背はアレンと同じくらい。プラチナブロンドに透き通るような肌、アイスブルーの瞳。容姿は限りなくルーカスに瓜二つだけれど声が少し違う。それに私のかわいいルーカスはこんな色気を滲みだした少年ではない。
彼はクスっと笑うと私の手を取りチュッと軽くキスをした。
「どうされたんですか、姉上?僕の事忘れちゃった?」
その手を両手でギュッと握りしめ、屈んだ姿勢のまま上目遣いに私を見上げる。
この仕草…。
「…ルーカス、なの?」
すると彼は天使のような満面の笑顔を見せた。
「よかった。姉上と離れている間に僕少し変わったでしょう?わかってもらえなかったらどうしようかと思いました」
少しどころの騒ぎではない。脱皮でもしたんじゃないかというくらいの変わりように流石の私も口を半開きのまま固まった。思わず握られていた手をほどき顔やら体やらをペタペタ触ってみる。背が伸びたのは言わずもがな肩幅が広くなり胸板も腹筋もそこそこ硬い。いわゆる細マッチョ的な?体型に仕上がっている。ルーカスって13歳になったばかりだったはずなんだけど…。声が少し低いのも変声期のせいだと分かったけど、男の子ってこんな急激に成長するの?ほんとびっくりなんだけど…。
するとルーカスは私の手首を握りクスッと笑った。
「積極的ですね、姉上」
「…?」
「久しぶりに会ったというのに、まだ姉上から挨拶を頂いてませんよ」
そう言って自分の片頬を突き出し、指でつついた。ああそうね。
「ただいま、ルーカス」
私はルーカスの肩に手をかけると差し出された頬に軽くキスをした。ルーカスは満足そうに微笑む。
「それじゃ僕からもお返ししていいですか?」
そう言われて私も素直に頬を出す。ルーカスの唇が近づき頬に軽く触れた。そしておもむろに指で軽く私の顎を持ち上げると自分の方に向けさせた。え?と思う間もなく彼の顔が近づく。そしてそのまま二人の唇が触れ……。
る事はなかった。
間に割り込んだアレンの手がそれを遮る。
「邪魔しないでくれる?アレン」
「ああ、申し訳ありません、ルーカス様。無意識に手が動いてしまいました」
「…アレンは僕の味方じゃなかったの?」
「はい?もちろんです。そのつもりでございますよ?」
笑顔で、なぜか疑問形のアレンにジト目を送るルーカス。
「まあいいけど…ね。二人とも今日は疲れたでしょう?ゆっくり部屋で休んでください。僕もこれから授業があるので。終わったらお茶でも飲みましょう」
そう言ってあっさりと出て行った。あとには固まったまま残された私。
「ねえ、アレン…何?今の…」
急激にボボッと顔が熱くなる。
「ルーカスってばどうしちゃったの?急に大きくなったと思ったらあんなに色気振り撒いて…。私に…キ、キスしようとしたわよね?しかもあんな手慣れた仕草で…。何があったの?まさか私がいない間にとんでもない悪女に仕込まれたりして…」
「落ち着いてください。考えすぎです。あれはルーカス様の素地でしょう。彼はもともとあんな性格ですよ」
「何言ってるの、アレン。ルーカスは天使みたいな子だったはずよ。かわいくてあどけなくて…それなのに…、何あの顎クイ…」
前世では、「壁ドン」「顎クイ」「床ドン」は夢見る乙女の三種の神器だった。その中の一つをまさか義弟で初体験することになるとは…。
(ヤバイ、これ…学園に入る頃には変な虫がつきまくる…)
あれが誰にも仕込まれたものじゃなく無意識の行為だとすると相当ヤバイ。今だって微笑んだだけで倒れる令嬢が出そうなのに、2年後学園に入学する頃には立ってるだけで心臓が止まる令嬢が続出するに違いない。あんなの垂れ流してたら下手したら令息にだって手を付けられるかも…。
(そんなの絶対許さない…!)
姉としてそれだけは何とか阻止しないと。何やらブツブツと呟きつつ一人の世界に入り込んだ私を見てアレンが静かにため息を吐いた。
「彼のあざとさをもってすれば騙されるとかまずないと思うんだけどね」
アレンのこの言葉はもちろん私には届かなかった。
次話投稿は明日19時予定です。
よろしくお願いします。




