46 彼と彼女の和解
「ああ、久しぶりの外だわ~。息が詰まりそうで死ぬかと思った」
嬉しそうにコロッケサンドをパクつきながら、エレオノーラ様が言う。
「お父様ったら酷いのよ。私が何度も脱走するからって騎士に監視までさせて。今日だって交代の隙をついて屋敷を出たまではよかったんだけど、まさか生け垣がふさがれてるなんて予想外だったわ」
「いつもあそこから?」
「出口を一か所だけに絞るなんてそんな温い事はしないわよ。あそこは緊急用。屋敷から遠くて見つかる可能性が高いから滅多に使わないんだけど。でもまさかあんなに密集してるなんて」
想定外だったわ…と独り言ちながら、いつも通りのすごい勢いでコロッケサンドを飲み込んでいく。
見慣れた光景というか…もう驚きもない。
「ああ、そうだわ。ステラ、学園入学おめでとう。学園はどう?楽しい?」
「そうですね…。それなりにスリリングな毎日を送っていますので…退屈はしませんね」
「まあ、また何か楽しいことをやっているのね。ステラらしいわ」
フフッと笑われ複雑な気持ちになる。
楽しいかと聞かれると実はそうでもないのだけど…ここは曖昧に笑っておく。
「エレオノーラ様は?その後いかがお過ごしでしたか?」
「私は相変わらずの監禁生活よ。お父様は修道院行きをうんとは言ってくださらないし、先方から申し入れのあった婚約を無下にお断りもできないし…。なにか決定的なことでも起こさない限り状況は変わらないかもしれないわね」
はあ、とため息を漏らす。
「……婚約破棄、どうしてもしなければいけないんですか?」
「ええ、もう決めたことだし」
「お嫌いではないのですよね?婚約者様の事」
「嫌いじゃないわ。不器用で理解されにくいけどホントはとても優しい人だもの」
嫌いになる理由はないわ、と次のコロッケサンドに手を伸ばす。
「それならば破棄される理由がないのでは?私の印象では間違いなくヴィクター様はエレオノーラ様一筋のように思えます。政略婚ならば納得もいきますが、相思相愛なら問題はないように思いますが…」
エレオノーラ様がコロッケサンドを食べる手を止め、真剣な顔で私を見た。
「会ったの?彼に?」
「…はい。エレオノーラ様の婚約者だとは知らず、偶然でしたが…」
そう、と静かにつぶやくと彼女は小さく息を吐いた。
「…彼は、自分の気持ちを勘違いしているだけ。過去の罪悪感から私を愛してると思い込んでしまっているの。だからもう自由にしてあげたいのよ…」
「罪悪感ですか…?」
エレオノーラ様はニコッと私に笑いかけるとその理由を話してくれた。
「あれは私がまだ7歳の時だったわ」
エレオノーラ様が静かに話だした。
「私とヴィクターが初めて会ったのは王室主催のお茶会だったの。王子の遊び相手として選ばれた何人かの子息子女が呼ばれてね、その中に彼もいたの。その時はまだ婚約者とかそんな柵はなくてただの幼い子供同士だった。ヴィクターも今とは違う意味で大人しい子だったの。誰かの陰にかくれているような人見知りさんだったのよ」
想像つかないでしょ、とエレオノーラ様が昔を懐かしむように笑う。
「みんなで遊んでるうちに、誰かが魔法の話をし出したの。魔法が使えるのは王族とその直系貴族だけだったからみんな興味津々だったのね。貴族と言ってもなかなか見る機会はなかったから。その場で魔法が使える直系はヴィクターと当時健在だった第一王子と現王太子。王太子様はまだお小さかったから魔法は使えなかった。だからその関心はヴィクターと第一王子に向かったの。王子は庭園の薔薇に風を送り花びらを宙で躍らせた。とても綺麗だったわ」
エレオノーラ様は目を閉じて両手を空に向かって広げて見せた。
「次はヴィクターの番。彼はとても嫌がってた。火のコントロールは難しいから大人のいない所では禁止されていたみたいなの。でもみんなにせがまれて仕方なく魔法を使った」
彼女は静かに目を閉じ大きく息を吸い込むと大きく吐き出した。
「彼が指を鳴らすと空中にポッと小さな炎が上がったの。みんなは歓声を上げたわ。そしてもう一度とねだった。彼はねだられるままもう一度指を鳴らした。すると今度はさっきよりも大きな炎か上がったの、私の目の前で」
「えっ…」
「その炎は私の髪に燃え移り、当時腰まであった私の髪は大きく燃え上がったわ。慌てたメイドが私を転がして火を消してくれたけれど髪は半分くらいがチリチリになっちゃったの」
エレオノーラ様は当時を思い出したのか、なぜかフフッと笑った。
「せっかくかわいらしく着飾ったドレスも顔も煤まみれ。突然の事にびっくりしてつい固まってしまったけど涙は出なかった。周囲が焦げ臭くてみんなが青ざめた顔をしていたわ。その中でも特に青ざめて震えていたのがヴィクターだった」
それはそうだろう。と当時のヴィクター様を慮る。
「それはもう気の毒なほど。見ていられなかったわ。だから私、近くにあった園芸用のはさみを持って彼のそばに行ってこう言ったの。『髪はすぐに伸びるわ。だから気にしないで』って。そのまま持っていたはさみで髪を切り落として笑ってみせた」
(なんて男前な令嬢なんだろうか…)
「そしたらヴィクターったら泣き出しちゃって。そこで会はお開きになっちゃったの。それからしばらくして公爵家から謝罪と一緒に婚約の申し入れがあったわ。婚約はヴィクターの意志だと聞かされた。幼いながらに責任を取ろうとしてくれたのね、彼とても真面目な人だから。でもその事件が長い間彼を縛り付けることになってしまった」
「だから、自由にと…?ヴィクター様のために」
「彼は今もずっと、幼い日の罪の意識に縛られているのよ。もう忘れてくれていいのに。私の髪はこんなに長く伸びんだもの。責任なんて感じる必要はないの。だからこれ以上彼の貴重な時間を無駄にしてほしくない」
「本当にそれだけなのでしょうか?私にはヴィクター様がエレオノーラ様を心から愛しているように思えますが」
エレオノーラ様は静かに顔を伏せた。
「それでももうこの婚約は続けられない。あなたも私の噂聞いたんでしょう?私は公爵家の許嫁として恥ずべき汚名を着せられてしまった。たとえそれが真実ではないとしてもこれ以上彼にも彼の家にも迷惑はかけられない」
「俺は迷惑だなどと思ってはいない」
「……!!」
急に声を掛けられた。ビクッと肩を震わせたエレオノーラ様が声のした方に顔を向ける。
そこには切なそうな顔をしたヴィクター様が立っていた。
「…ヴィクター」
「久しいな。エレオノーラ…」
エレオノーラ様が私を振りかえる。
「私がお連れしました。どうしても一度きちんと話し合って頂きたくて…」
お互い想い合っているのは事実なのにどこかすれ違っている二人。カリスタという横やりもあって余計にこじれた関係を私は黙って見ていられなかった。
「今までお前の苦しみを知りながら手をこまねいていたのは俺の罪だ。つらい思いをさせて本当にすまなかった」
ヴィクター様が静かに頭を下げる。それを見たエレオノーラ様が慌てたように言葉を発する。
「やめて、ヴィクター。あなたが悪い事なんて何もない。頭なんか下げないでっ…。あなたがカリスタ様を諫めてくれていたことは知ってるわ。仕方なかったのよ。だからもういいの」
「君が修道院に入るつもりだと聞いた」
「…ええ」
「婚約の解消を望んでいるのだとも…」
「…そのとおりよ」
「なぜだ…。俺はこんなに君を愛しているのに…」
「違うわヴィクター。あなたは私への罪悪感からその気持ちを愛だと勘違いしているだけ。だから目を覚まして。あなたはもう自由に生きていいの」
「何を言っているのかわからない。俺は君を愛している。なぜ信じてくれない!」
「あなたこそどうしてわからないの?!あなたはあの日、私に火をかけた後悔から婚約を持ち掛けてくれただけ。その罪悪感を時の流れとともに愛だと錯覚するようになってしまっただけなのよ。違うのヴィクター。あなたは間違っている…。見てこの髪を…。あれからこんなに長く伸びたの。だから…」
「…君はずっとそんな風に俺の気持ちを考えていたのか…」
ヴィクター様が切なそうに眉間にしわを寄せた。そして一歩踏み出すとエレオノーラ様の腕を取った。驚いたエレオノーラは振りほどこうともがいたがそのまま両の腕に抱きすくめられた。
「ヴ、ヴィクター?」
「誤解しているのは君の方だよ、エレオノーラ」
ヴィクター様は力強く抱きしめたまま静かに口を開いた。
「俺はあの日の君に…君の言動に一瞬で恋に落ちたんだ」
「え…?」
「あの日、君に火をかけてしまった俺は頭が真っ白になった。どうしていいかわからなくて動けなかった。そんな時君が言ってくれたんだ。髪はすぐに伸びる、気になくていい、と。そして躊躇うことなく髪を切り笑ってくれたあの笑顔…俺はその笑顔に一目で恋に落ちた。この笑顔を自分のものにしたいと思った。だから父に頼んで婚約を申し入れてもらったんだ。決して罪悪感なんじゃない。俺はあの時から君を愛してるんだ」
エレオノーラ様の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「…それじゃ、私はずっと一人でそう思い込んでいただけだというの…?」
「そういう事だ」
「あの事件のせいでずっとあなたを縛り付けていたと思って…」
「俺は君に囚われてはいたが縛り付けられてはいない」
「ヴィクター」
エレオノーラ様がヴィクター様の背中に腕を回す。
「ごめんなさい。あなたの気持ちを信じられなくて。もっとちゃんと話すべきだった」
「俺もだ。カリスタから君を守り切れなかった。これで誤解は解けた。もう婚約解消の話は忘れてくれるだろう」
「……」
エレオノーラ様が静かにヴィクター様の胸を押しその腕から離れる。
「…私は淑女としての品位を貶められている。あんな噂をたてられてあなたの隣にはいられない」
「あれはカリスタが流しだデマだ。君が負い目を感じることはない」
「私がよくても公爵家として許されることではないはず。仮にもあなたは王家にゆかりのある3大公爵家の嫡男ですもの。たとえ噂だとしてもその品位は地に落ちたわ。傷物の妻を娶ったなんて一生後ろ指を指される。それに…王妃殿下も黙ってはいないはず」
一同が押し黙る。
沈黙を破ったのはアレンだった。
「それを解決する方法は一つしかないですね」
「アレン?」
「かの令嬢の広めた噂は嘘だと世間に知ってもらいましょう。ついでに彼女には退場してもらう。この世から…永遠にね」
次話投稿は明日19時を予定しています。
あと5.6話でヴィクター様編(?)が終わります。
今しばらくお付き合いください。




