44 私と嫌がらせと悪役令嬢
「またやられたわね…」
噴水の中に腕を突っ込みびしょびしょになった教本を拾い上げる。水を吸って重くなったそれはインクが滲んで使い物にならない。
(これで4冊目…)
思わぬ形で始まったカリスタの嫌がらせ。
マクミラン様との逃避行(?)の翌日から本格的に始まったそれに私は何度目かのため息を吐いた。
カリスタに【敵】認定された私はその日のうちに空き教室に連れ込まれ私刑を受けた。
まずヴィクター様と同じテーブルについたこと。彼に名前を呼ばれたこと。彼に手を引かれたこと。お姫様抱っこ。手料理を食べてもらったこと…。取り囲まれこれらの事を突き付けられ、どつきまわされた。
(まさに乙女ゲームのヒロインのようだった)
残念ながら助けてくれるヒーローは現れなかったけど…。まあ現実なんてそんなもんよね。いいの、知ってる。
寮に戻って鏡を見ると叩かれた左の頬が腫れていた。手首には掴まれた跡がくっきり残っていた。
か弱そうな令嬢のにどこからあんな力が隠れているんだろうと不思議に思った。
案の定その場にカリスタはいなかった。狡猾だというのは本当のようだ。
カリスタの嫌がらせは思ったより稚拙だった。これまでに4度の教本紛失。それらはゴミ箱に捨てられていたり焼却炉で灰になっていたり今回のように水につけられていたり。廊下で無理にぶつかられたり、陰口を叩かれたり。空き教室に閉じ込められたりもした。
まるで小学生みたいな…というか最近の小学生だってこんなことしない。学生時代はSNSでの誹謗中傷が多かったし、ほとんどが無視と無関心だったからこんなあからさまな嫌がらせって初めてかも。
「もうこれは使い物にならないわね」
近くにいた用務員のおじさんに捨てておいてもらうようにお願いする。おじさんはちょっとびっくりして憐れむような顔で私を見た。
「さて、新しい教科書貰いに行かないと」
これだけの事をされているにも関わらず私の心は割と平気だった。
今のところ命の危険はない。これからどんどんひどくなるのかも…とうんざりもするけど今後の展開が予め想像できるので案外冷静だったりする。
逆にカリスタが哀れに思えて仕方がなかった。こんなことを繰り返す女がどうやったら好きな男の心をつかむことができるのか。恋は盲目というがあまりにも周りが見えなさすぎだ。
「ステラーっ!」
購買部のある建物に向かう途中、シンディとセシリアに呼び止められた。
「教本見つかった?」
二人は私の教本を一緒に探してくれていたのだ。
「うん、見つかったけどダメだった。噴水の中にあったから」
「またぁ?!」
シンディが憤る。
「もう何なの!!あの人たち!!」
「ほんとうに!先生に言った方がよいのではありませんか?」
普段大人しいセシリアも今日ばかりは本気で怒っている。
「うーん、先生に言ったとしても状況は変わらないと思うから」
カリスタは侯爵家の令嬢。しかもトップシークレットの持ち主だ。たかがと言っては申し訳ないが教師ごときが家格の高い階級の人間に強く言えるわけがない。
(こんな目にエレオノーラ様があっていたと思うとぞっとする)
エレオノーラ様の方が上級生だから流石にここまではしないと思うけど暴力は力だけでない。どれだけひどいことをされたのか…考えるだけではらわたが煮えくり返る。それに、心配はそれだけじゃない。
「ねえ、シンディ。セシリア…」
「なあに?」
「何ですの?」
二人が同時に返事をする。
「…二人とも今後はあまり私のそばにいない方がいいと思うわ」
「…どうして?」
「だって…。私と一緒にいると二人もターゲットになっちゃうかもしれないでしょ?当分距離を置いた方がいい気がす…ぶっ!」
シンディが私の言葉を遮るように両手で私の頬を挟み込んだ。
「何馬鹿なこと言ってるの!そんなの絶対許さない!あなたは全然悪くないじゃない!」
「そうですわ!ステラは私たちがそんなに薄情な人間だと思ってますの?!」
「そんなことは思ってないけど!でも二人がこんな目に遭うのは我慢できない…」
「いいステラ。こういう時一人になったらあなたの負けよ。味方はたくさん作っておかなきゃダメなの。自分だけなら何されてもいいなんて絶対に思わないで」
シンディがギュウっと強く私を抱きしめる。その上から腕を伸ばしたセシリアが私たちに覆いかぶさる。
「私たち、まだ会って間もないけど友達でしょ?悲しい事言わないで」
「そうですわ。今度そんなこと言ったら許しませんから」
「…うん。ありがとう。シンディ。セシリア…」
友達にこんな風にあったかい気持ちにしてもらったのは初めてだった。今思えば昔の私は友達に期待なんかしてなかった。どうせ誰にも自分の気持ちなんかわかるはずはないと、だったら一人でいた方が気が楽だと、そう言い聞かせてた。いつも壁を作っていたのは私だった。心を開いていたらもっと違った学生生活を送れていたのかもしれないと思うとちょっと悔しい。
購買部で教本を受け取り寮に向かう。この短期間で何度も教本を貰いに来る私を職員の男性が訝しんでいるようだった。私だってこれで最後にしたいと思ってるんですけどね。
寮に向かう途中、見覚えのある背中を見つけた。あの黒髪は間違いなくマクミラン様だ。
「マクミラン様ーっ!」
あの日以来挨拶を交わす程度には仲良くさせてもらっている。
弱みを見せた彼は少し気まずそうだったけど。
辺りを伺い、私たち以外誰もいないのを確認すると彼は漸く口を開いた。
「気安く話しかけるな。何をされるかわからないぞ」
声を潜めて彼が諫める。
「あ、それは大丈夫です。嫌がらせならもう結構な頻度でされてますから」
私はニコッと笑って教本を差し出した。
「先ほど購買部でもらってきた教本です。因みにこれは4冊目です。今までのは灰になったり水浸しになったり悲惨な最期を遂げました。あと廊下で突き飛ばされたり空き教室に閉じ込められたりどつきまわされたりもしてますので。心配しないでください」
「それだけの事をされて心配しないでとはどういう事だ」
「遠慮なさらず仲良くしましょうという事です。どっちみちやられるんですから一緒です」
シンディがやれやれと言った顔で私を見る。セシリアもクスクス笑っている。
「怖くないのか?」
「正直、めんどくさいなとは思いますが怖くはありませんね。今はまだレベル1ですし」
「レベル…?なんだそれは」
「レベル1は自分にさほど影響がない嫌がらせです。レベル2は身体攻撃、レベル3は精神攻撃、レベル4は死…」
「へんなレベル付けをするな」
マクミラン様があきれたように額を押さえる。
「まあとにかく、マクミラン様に関わってしまった以上腹はくくりましたので、今後ともよろしくお願いします。あ、変な気は使わないでくださいね」
私はにっこり笑ってみせた。
「お前は本当に変わった令嬢だな。だが、私もお前に話してすっきりした。俺も腹をくくろう。エレオノーラの事も…」
「はい。及ばずながらご助力させていただきます、マクミラン様」
「ヴィクターでいい」
「…はい?」
「ヴィクターと呼べ、ステラ」
「…はい。ヴィクター様」
ヴィクター様は初めて見る笑顔で私の頭をぐりぐり撫でまわした。
次話投稿は明日19時を予定しています。
よろしくお願いします。




