42 私とヴィクターと真相
翌日のランチ時、私はカフェエリアでマクミラン様を探した。
意外にも取り巻きはそばにおらず、たった一人黙々ときれいな所作で食べ物を口に運んでいる。
「ごきげんよう、マクミラン様」
目の前に立つ私に食事の手を止める。
「…またお前か。何の用だ」
面倒くさそうに言うと再び食事を再開する。
私はテーブルの上に持ってきたバスケットを置き、前の席に腰を下ろした。
近くのテーブル席からガタガタッと乱暴に椅子が引かれる音がした。顔を向けると一人の令嬢がわなわなしながらこちらを見ている。胸元のリボン結びのスカーフという事は二年生。おそらくあれがカリスタ嬢だろう。
「これ、先日のお礼です」
私は彼女を一瞥するとバスケットをそっと押し出した。
「そんなものを貰ういわれはない」
食事の手を止めず私の方をちらりとも見ない。
「そんなことをおっしゃらず是非召し上がってください。エレオノーラ様もおいしいと言ってくれるのですよ」
もちろんウソだけど。まだ食べさせてないだけでおいしいと言ってもらえる自信はあるからここはそういう事にしておく。
マクミラン様の手が止まる。置かれたそれを黙って凝視すると掛かっていたナフキンを外した。
「これは?」
「チップスと言います。薄切りにしたイモを油で揚げ塩を振ったものです。こちらは別のイモに砂糖衣をまぶしたもの。甘いのとしょっぱいもの。両方楽しめますよ」
マクミラン様がカトラリーを置き代わりにチップスをつまむ。しばらくそのまま眺めたのちおもむろに口に運んだ。パリッと小気味いい音がする。しばらく咀嚼したのちゆっくりと嚥下した。
「どうですか?」
「…うまいな」
「それはよかったです」
マクミラン様はしばらくの間チップスの入ったバスケットを見つめていたがゆっくりと視線を私に移した。
「お前はステラと言うのか?」
「?……はい」
なぜ、私の名前を…?
「エレオノーラとはいつ、どこで出会ったのだ」
「それは…話せば長くなりますので…」
ランチの合間に語るには時間が足りない。それによく考えてみれがエレオノーラ様の事は口止めされていたからこんな大勢人がいるところでは話せない。
「今度お時間のある時にゆっくりお話しさせて頂ければと思いますが…」
「ふむ、そうか」
マクミラン様が何かを考えるように腕を組む。しばらくそうしていたかと思うといきなり立ち上がり私の腕をつかんだ。
「ならばこれから時間を作ろう。外はいい天気だ。日の下でゆっくり話をしようではないか」
「えっ…ちょっと、待って」
カフェ中の生徒が見守る中、強引に腕を引かれ半ば引きずられるように連れ出される。その中で先ほどの令嬢がものすごい形相で私を見つめている。
(こ、怖い…)
鬼のような顔をしたカリスタ一行に見送られ、私はその場を後にした。
「それで、お前はエレオノーラとどういう関係なんだ」
連れてこられたのは周りを木々で囲まれた広場のようなところ。学園の中にこんな場所まであるのかと不思議に思うくらい広々とした原っぱだ。穏やかな春風が野の花を優しく揺らし、木の葉をざわめかせる。
枝葉が大きく張り出した広葉樹の下、マクミラン様に促され腰を下ろした。その際着ていたコートを地面に敷いてくれた。そのさりげない紳士の振る舞いはとても私に火を放った人と同一人物とは思えない。
「今日はお優しいんですね…」
「?俺はいつも優しいだろう?何度もお前を助けてやったではないか」
「その点に関しましては返す言葉もありません…」
表情を崩さず言葉にもあまり抑揚がないので感情が読み取りにくい。ただ穏やかな雰囲気は感じ取れるので機嫌が悪いわけではないのだろう、たぶん。
「エレオノーラ様とは王都の平民街で知り合いました」
「平民街?なぜ彼女はそんなところにいたのだ」
「それはわかりませんが、コロッケサンドを召し上がっていました」
「コロッケサンド…?」
ふむ、とヴィクター様が再び考え込む。私は簡単に説明する。
「なるほど…そのコロッケサンドとやらがエレオノーラの好物なのだな」
「はい会うたびに召し上がっていましたから、相当お好きなのではないでしょうか」
ふと、午後の授業はどうするのかなぁ、と思ったが言い出せる雰囲気ではなかった。
「お前は彼女と親しいのか?」
「親しい…といえばそうかもしれませんがまだ2回しかお会いしたことがありませんのでお互いの事は何も知りません。知っているのはお名前と月の女神のように美しいご容姿と弾けるような笑顔くらいでしょうか」
「…笑うのか?彼女は。お前の前で…」
「…?…はい」
「…そうか」
マクミラン様が黙り込む。
「私が最後に彼女の笑顔を見たのはいつだったか…」
風に揺れる草原を見つめながら、マクミラン様がつぶやいた。
「彼女が笑う姿など、もう何年も見たことがない…。私の知る彼女はただ呼吸だけをする人形のように感情を捨てて生きている姿だ」
「…平民街でお会いするエレオノーラ様はいつも楽しそうでしたよ。屈託なく笑い、私の手を引いていろんなところに案内をしてくれました。お茶目でいたずらが好きでよく笑う。失礼ですがマクミラン様のおっしゃるエレオノーラ様の姿は想像できません」
「…お前の前ではそのように振舞うのだな。昔の彼女のままに」
悲し気に顔をゆがませ俯く彼はとても辛そうだ。
「…私は、王都に来て間もないですし公の場に出たこともありませんので詳しい事情は分かりませんが、あなたの周りを取り囲んでいる令嬢たちが原因なのではと友人に聞きました。それは事実なのでしょうか?」
「…そうだな。十中八九それが理由だと思ってよいだろう」
「マクミラン様はそれをご存じだったのですか?」
「ああ、人伝ではあるが…知っている」
「…その上でエレオノーラ様が人形のようになっていく姿を黙って見ていたというのですか?」
「……ああ」
私は拳を握りしめると唇をかんだ。知っているのに黙ってた?そんなの絶対に許されることじゃない。
「マクミラン様はエレオノーラ様の事を愛してはいらっしゃらないのですね?」
自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。
「いや…俺は彼女を心から愛している。彼女のいない人生など考えられない」
私はキッとマクミラン様を睨みつけた。
「では、なぜですか?!なぜ苦しんでいるエレオノーラ様に寄り添って差し上げなかったのですか?心が壊れていく様をなぜ黙って見ていたのですか!」
マクミラン様の表情が歪む。今にも泣きだしそうな苦しさと後悔の顔。
「彼女を…カリスタ嬢を見たことは?」
「先ほどカフェで…。赤髪の目のきつそうな令嬢ですよね?」
「彼女はカリスタ=ベレスフォード。宰相補佐のベレスフォード侯爵家の令嬢だが、現王妃ベアトリーチェ様の隠し子ではないかと噂される令嬢だ」
「え…」
「あくまで根拠のない噂だが真実は是だ。これは王国でもトップシークレットの話だから他言はできないが…」
「私聞いちゃってますけど…」
「独り言だ。気にするな」
気にするなと言われても…。
「因みに他言すると…」
「首が飛ぶ」
(ひーっっ!!)
なんてことをポロッと言ってくれるんですか、この人は…っ!!
「彼女に逆らうという事は王妃を敵に回すのと同じことだ。俺個人としては切り捨ててやりたいところだが、公爵家の嫡男という立場ではそういうわけにもいかない。男子は俺一人だからな。父にもきつく釘を刺されている。人生はままならん」
まあ、お前も気をつけろ、と付け加える。
彼は空を仰ぐ。それから言葉を探すように、とつとつと語り始めた。
「公の場に顔を出し始めたころだ、俺がカリスタ嬢に好意を寄せられるようになったのは。あからさまな態度には当時から辟易していたが、何よりエレオノーラに誤解されるのがとても嫌だった。今も昔も俺はエレオノーラだけを愛しているからな。好意には答えられないと何度も断った。これは俺の問題だから俺が毅然な態度で接していればいいだけだと思っていた。まさかその矛先がエレオノーラに向かうなど考えもしなかった…」
時が経つにつれ、エレオノーラの表情や態度がおかしい事に気が付いた。彼女に聞いても「何でもない」と笑って言う。そのうち彼の耳にも「噂」が届くようになる。
「彼女のやり口は狡猾でえげつないものだった。決して自分の手は汚さない。はじめはクスクス笑ったり持ち物を隠したりする程度だったものが次第に身体を傷つけるようなものに変わり、やがては心を壊すようなものになった」
「他の男性の元に通われているという?」
マクミラン様は静かに頷いた。
「淑女として、そのような噂は社交界での死を意味する。まして婚姻前の令嬢だ。彼女はそれ以来公の場からも俺の前からも姿を消してしまった」
マクミラン様は静かに目を閉じしばらくの間そうしていた。深く息を吸い静かに吐き出す。その繰り返しの中でこみ上げてくる何かを我慢しているようにも見えた。
「それを知って俺はカリスタ嬢に詰め寄った。なぜ彼女にあんなマネをするのかと。そうしたら彼女は鼻で笑ったよ。だってあなたが振り向いてくれないからでしょうと。エレオノーラがいるせいであなたが振り向いてくれないというのなら、いっそ永遠にいなくなってくれればいいのに、と」
私は背筋がぞくっとした。
「背中に冷たいものが走った。彼女の目が冗談には思えなかったから。その翌日だ。エレオノーラの乗っていた馬車が事故に遭ったと聞かされたのは。車輪の軸に細工がされていたと聞いて真っ先にカリスタを疑った。俺が詰め寄ると、今回は大事がなくてよかったですわね。次がなければよいのですが、と平然と言い放った」
私は二の句が継げなかった。世の中にこんなひどいことを平然とやってのける人間がいるなんて。ましてそれは私とそう年も変わらない貴族の令嬢…。
「それ以来、俺はエレオノーラに会っていない。彼女の笑顔と命。それを天秤にかけて俺は迷うことなく命を選んだ。例え彼女の笑顔が見られなくとも生きていてさえくれればそれでいいと思った。ただ、もっと早く彼女の変化に気づき対処していればと思うと後悔しかない。すべては俺の責任だ」
強く両の拳を握りしめ下唇を噛みしめる姿が苦しそうで、思わず手をそれに重ねた。
マクミラン様は悲しげな顔を私に向けると無理に笑顔を作ってみせた。
「学園を卒業すれば成人男子として認められ妻を娶る事も許されるようになる。あと一年…、それまでの辛抱だと自分に言い聞かせてきたというのに…。まさか修道院に入ろうなどと考えていたとは…。追い詰めたのは俺だ。俺は昔と全然変わらない。肝心な時に何もできない愚かな男だ」
マクミラン様が私の両手を握りしめ肩に頭を寄せた。俯き肩を震わせている。泣いているのかもしれない。私は黙って彼の肩を引き寄せ抱きしめた。
次話投稿は明日19時を予定しています。
よろしくお願いします。




