28 私と蜂と庭師
ステラが養蜂に興味を持ってしまったため話がちょっと本筋から離れます。
あと6話くらい続く予定です。
翌日はあいにくの雨だったので視察は次の日に持ち越した。
予定通りに事が運ばず手持ち無沙汰になってしまったので、中庭に面したコンサバトリーでお茶を嗜んでいる。コンサバトリーとは簡単に言えば建物に面して作られたガラス張りの温室のようなスペースだ。男爵家のそれはかなり大きめに作られておりソファや本棚などゆっくり過ごせる空間に仕上げられている。中庭に面して大きく扉を開くこともでき、雨さえ降っていなければかなり開放的にくつろげるだろう。
中庭では秋咲きの薔薇が見頃になっている。春先に花をつける一季咲きの薔薇たちより花数は少ないものの、温かい時期から寒い時期にかけてゆっくりと咲く秋の薔薇は色鮮やかで香りも豊かだ。今庭を彩っているのはワインレッドの大輪。名前はなんと言うのか…。雨に当たり首を下げてしまっているのがどうにも惜しい。
その薔薇の茂みからひょこひょこと何かが動く。あれは多分、庭師のジェームズさんだ。
私は傘を持って庭に出る。
「ジェームズさん。風邪をひいてしまうわ」
慌てて傘を差し出す。
「これはステラ様。はははっ、いいんですよ。いつもこんなもんです」
ジェームズさんが傘を私の方に押し返す。
「折角綺麗に咲いているのに憎たらしい雨ですな」
ジェームズさんは薔薇の一つを指で弾く。雨のしずくがぽたぽたと落ち花首が少し上がる。
「もしよろしかったら一緒にお茶でもいかがですか?一人で飲んでいても楽しくないの。話し相手が欲しいんだけど…」
ジェームズさんが私の顔をみてほっほっと笑う。
「そんなお誘いをされては断るわけにはいきませんな。それでは少しだげお邪魔させていただきますかの」
コンサバトリーの中ではアレンがタオルを持って待機している。私はその一枚をジェームズさんに渡しソファを勧めた。でもジェームズさんはもったいない、と言って近くの椅子を引き寄せて座った。私もそれに倣って椅子に座る。
「ここの花はいつもとてもきれいですね」
「年寄り一人ではなかなか手が回らない事も多いのですが…、今年は特に花付きもよくきれいに咲いてくれたましたな」
そう言ってお茶を一口すすった。
「ずっとジェームズさんお一人でお世話しているのですか?」
「そうですね。昔は女房と一緒にやっていたんですが…。もう何年になりますかな、あれが死んで」
10年…、いや11年になりますかな…?と口ひげをいじる。
「もともとは息子も一緒だったんですが所帯を持って出ていきまして。確かとある伯爵領で庭師の仕事についていると風の便りに聞きましたがはっきりとは…。今頃どこでどうしているのでしょうな」
「連絡は取られてないんですか?」
「……あれの結婚についてすこし揉めましてね。ある日突然姿を消してしまいまして…それっきり。もう20年になりますか…」
「そんなに長く…」
「はっはっはっ。便りのないのは元気な証拠と申しますし。どこかで元気に暮らしてくれていればそれでかまいません」
「……後悔してるのですか?」
「……どうでしょうなぁ。今となってはどうという事はないんですよ」
ジェームズさん薔薇の花園に目を向けた。遠くを見つめる目は何を見ているのか…。
「それはそうとお嬢様。何やら珍しい事をやろうとしているらしいですな」
「…?」
「養蜂について学んでいるとか」
「養蜂について知っているんですか?」
ジェームズさんはほっほっほっと笑うと口ひげに手を伸ばす。
「もともと私はこの国の人間ではありません。祖父の代にこの国に移り住んだ移民なのです。祖父は彼の国で転飼養蜂を生業にしておりました」
「転飼養蜂…?」
「南から北へ花を追いかけて移動しながら蜜を集めるのです。そのような者たちがかつてはたくさんいたのですよ」
今ではほとんど見られないようですが、と懐かしむように目を細めた。
「ジェームズさんは養蜂についてお詳しいんですか?」
「…さあ、どうでしょう。子どもの頃の話ですから。あまりよくは覚えていませんねぇ」
でも、そうか。そんなやり方もあるのか。でもなかなかに効率の悪いやり方だ。だから徐々に淘汰されていったんだろう。
「でも、巣箱の事なら少しは覚えておりますよ」
「え!ほんとですか?」
「巣箱は代々、子どもたちが最初に請け負う仕事なんです。年長者が年下の子たちに受け継いでいく形でね。これがうまく作れないと蜂が巣箱に入らないんです。重要な仕事だと聞かされて育ったもんです」
「じゃあ、巣箱…」
「作れますよ」
私は思わずジェームズさんに抱き着いた。
「すごい!ジェームズさん!!頼りになる」
「ほっほっほ、この年になってこんなに頼りにされるなんてうれしいですな。じじいを長生きさせる良薬ですわい」
「すぐじゃなくていいんです。お時間のある時に進めてもらえれば。雪解けまでに形になれば十分ですから」
「年寄はせっかちですからな。そんなに時間はかかりますまい。初雪までにはいくつかお持ちしましょう」
そう言うとジェームズさん、少し赤みのさした顔で楽しそうに笑い、何度も何度もひげを撫でつけていた。
次話投稿は明日19時を予定しています。
よろしくお願いします。




