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【完結】エピローグ ~カイルと星の聖女~

2021.8.12 続編を書くに当たり読み返していた所誤字脱字を発見しましたので修正しました。内容に変更はありません。


今でもよく思い出す。


ヒンヤリとした母の手と、すりおろして口に運んでくれる瑞々しく甘いリンゴの味。


「おかあさまはたべないのですか…?」


幼い頃から何度も口にしたその言葉。パイロン様が毎日、自ら届けてくださるアドラム領のリンゴは、大きく瑞々しくとても甘かった。僕は母にもそれも食べてもらいたかったのに…。


母は微笑みながら首を横に振るばかりで決してそれに手を付ける事はなかった。

母が食べるのは決まってマールム産の小さなリンゴ。水分の少ないそれは、硬くて酸っぱくてとても食べられるようなものではなかった。それでも母は毎日のようにそのおいしくないリンゴを齧っていた。僕はずっとそれが不思議で仕方がなかった。






「カイル……起きてください。もうすぐ焼きあがりますよ」


まどろみから覚めると、僕を覗き込むヘーゼルの瞳が間近に輝く。プラチナブロンドの髪をなびかせ穏やかに微笑む彼女に、一瞬自分が天上にいるのかと錯覚した。


「お茶の準備ができていますよ。みんなも待ってますから。行きましょう」


そう言って差し出してくれた手を僕は温かい気持ちで掴んだ。




僕は一度死んだのだと、そう聞かされて5年が経つ。


起きる事すらままならず、いつもベッドから天井だけを見て過ごしていたあの頃。高熱のため朦朧とした意識の中、浅い呼吸しかできない苦しさにこのまま死んでしまいたいと何度も願った。口にできるのはわずかな量のパン粥とすりおろしたリンゴだけ。動かせない体に筋肉などつくはずもなく、衰弱していくこの呪われた命がただ消えていくのをじっと待つしかなかったあの頃の僕。



それが今、



「遅いぞ、カイル!!早く来ないとお前の分も食べちゃうからな」


「そうだよ。早い者勝ちだから。大きいのは僕が貰うけど」


「は?ふざけるな、エリオット。ステラが作ったケーキだぞ。大きいのはオレが食べる」


「全く…相変わらず心が狭いんだから。いつかステラに捨てられるといい…」


「なんだと…っ!?」


騒々しい兄たちが笑顔で僕を迎えてくれる。テーブルを囲む他のみんなもそれを楽しそうに見守っている。


穏やかな時間。


温かい気持ちでその様子を見つめていると、


「ごめんなさい、カイル。騒々しくて…」


僕の命を救ってくれたという、伝説の白き乙女が申し訳なさそうに謝罪する。


「ううん。気にしないで、ステラ。それより、すごいごちそうだね」


王宮の中庭に設置されたテーブルの上には、所狭しと料理が並んでいる。サンドイッチにマスタードのチキン、パンの沈んだオニオンスープにベーコンの入ったポテトパイ。それにコーヒーゼリー。どれもこの5年間でステラが教えてくれたメニューばかり。


「だって、今日はカイルの15回目のお誕生日ですから。でも、ホントによかったんですか?真新しいものは何もないですが…」


「うん。これがいいんだ。だって全部、僕の大好物ばかりだから」


世の中にこんなにおいしい食事があるなんて知らなかったあの頃の僕。それを教えてくれたのは誰でもない長兄の婚約者のステラだった。


彼女の甦生により命を取り戻した僕は、命だけではなく健康な体をも手に入れる事が出来た。これまで体に根を張っていた病巣はすべて消え、すぐに起き上がれるほどに体力も回復していた。


母は涙を流し、僕を強く抱きしめた。


それが僕と母との最期の記憶。


それから数日後、母は自ら命を絶った。

それはパイロン宰相が処刑された翌日の出来事だった。

倒れた母の傍らには、一口だけ齧ったアドラム領のリンゴが転がっていたという。



あれから5年。僕は自ら王位継承権を放棄した。髪色こそラングフォードの血筋ではあったけれど瞳の色はとても王位を継げるようなものではなかったから。

そしてこの春、兄たちも通っていた王都の学園に入学することが叶った。


(まさか自分が学校に通えるようになるなんて、夢にも思わなかった)


自分の足で立てる奇跡。食べたいものが食べられる奇跡。そして学べる奇跡…。

全ての奇跡は彼女によってもたらされたもの。そして一番の奇跡はこの時代に彼女が存在してくれたということ。

彼女がいなかったら今の僕はここに存在すらしていないのだから。


「さあ、カイルも座ってください。アンネローゼのお隣でいいですね?」


王太子でもある次兄の婚約者が、椅子を引いて手招きをする。僕が椅子に座ると、ヴェルナー家の次期当主ルーカスがカップにお茶を注いでくれた。


「あ、ルーカス。僕にもおかわり」


「自分でやれよ、バーナード…」


二人は同い年で今年学園を卒業したばかり。

卒業と同時に、二人は共同で王都に新しく商会を作り手広く事業を始めたのだそうだ。元々ルーカスが手掛けていた鉱山関係の事業に加え、他国との輸出入の事業にも今後精力的に乗り出すのだという。学園始まって以来の秀才ツートップの二人が組めば外れるわけがないと、取引を申し出る貴族や商人が後を絶たないのだという。



「エ、エレオノーラ…?そんなにすごい勢いで食べたらみんなの分がなくなってしまうだろう。少しペースを落としてみてはどうだ?」


「あら……そうね、私ったら。ステラのお料理はおいしいからいくらでも食べられちゃうの。困ったわね」


テーブルの向かいでふふふと笑うのは、マクミラン公爵の奥方のエレオノーラ様だ。

現当主のヴィクター様が控えめに奥方を嗜めるが、その様子はどうにも尻に敷かれているようにしか見えない。


「大丈夫ですよ、エレオノーラ様。まだまだたくさんご用意していますから。たくさん召し上がってください」


「ふふ、だから大好きよ。ステラ」


「もうすぐミハエルがコロッケサンドを届けてくれることになってますので。カイルも是非召し上がってみてください。おいしいですよ」


「コロッケサンド…噂の…」


思わずごくりと喉が鳴る。一度食べてみたいと言っていた僕の言葉を覚えてくれていた事がすごく嬉しかった。


「コロッケは揚げたてがおいしいので、思い切ってワゴンごと来てもらう事にしたんです。よかったですよね。エリオット?」


「もちろんだよ、ステラ。君のやる事に僕が反対するわけがない。どんなお願いだって聞いてあげるよ」


エリオット兄様が輝くような笑顔で微笑む。


「コロッケサンドもおいしいんですが、今日は是非、カイル様にこれを召し上がって頂きたくてご用意したんです」


両手にミトンをはめ、こんがりと良い色に焼けたパイをステラが運んでくる。パイからはシナモンと甘いいい香りが漂ってくる。


「これは…アップルパイ?」


格子状に編まれたきつね色の表面がパリパリと小さく音を立てる。


「ホントは冷やした方がおいしいと思うんですが、召し上がっていただきたい食べ方がありまして…」


そう言ってステラは慣れた手つきでパイを切り分け、上にバニラのアイスクリームを乗せた。

アイスとは、最近ステラがアンネローゼ様と考案した冷たいクリーム状の冷菓子の事だ。ミルトレッドの水の魔法を応用して氷を作り、それを溶かさないための箱をバーナードと試作し製品化したのだ。ステラはそれを「レイトウコ」と呼んでいる。


「さあ、食べてみて。カイル」


ステラの差し出した皿を受け取る。パイの熱で徐々に溶けるアイスがリンゴと混ざり、やがて皿に広がる。ナイフで切り分けアイスを乗せて口に運ぶと、今まで味わったことのない感覚が口内に広がる。温かなパイと冷たいアイス、後味に残るシナモンが何とも言えず、切り分ける手が止まらない。


「おいしいですか?カイル様」


「うん!すごくおいしいよ!リンゴの少し硬めな食感がとてもいいね。リンゴって煮込むとジャムみたいになっちゃうのに、これは違うね。このシャクシャクする感じ、僕は好きだな」


「そうですね。この国に流通してるアドラム領のリンゴは、大きくて甘くてそのまま食べるならすごくおいしいんですけど、煮込むとどうしてもとろとろになっちゃうんです。水分が多い証拠なんですが…」


ステラは一旦言葉を切ると、テーブルの下から籠を取り出した。


「今回はこのリンゴを使ってみたんです」


籠に山盛りにされた小ぶりのリンゴを見て思わずドキリとする。


「これ…もしかして…」


「はい。これはマールム産のリンゴです」


久しぶりに目にした、懐かしいリンゴ。でも、目の前にあるこれは僕の知っているモノとは少しだげ違うような気がする。


「マールムのオリジナルを品種改良したんです。ドーソン様と一緒に。5年もかかっちゃいましたけど、ようやく今年、出荷できるまでになったんです」


「……!」


ドーソンというのは、現マールム領の当主の名前だ。元はパイロン様の右腕だった方で僕の寝所にも時々顔を見せてくれた人だ。


「アルテイシアの呪いが溶け、マールムの大地は徐々に回復しつつあります」


それは、ステラが定期的にマールムの地に赴き、大地の浄化に取り組んでいるから。それは僕も知っている。


「弱った大地には痩せた作物しか実りません。でも土さえ正常ならば、これだけのものが作れるようになるんです」


そう言ってステラが籠の中のリンゴを一つ、僕に差し出す。


「食べてみてください」


促されるまま受取り、一口齧る。見た目は以前のリンゴと変わらない。でも歯を入れた瞬間、


「……っ」


昔、母の目を盗んで齧ったリンゴとは全く異なる味と食感に、思わず彼女の顔を見つめる。


「おいしいでしょ?酸味はありますが、私はこれがリンゴの本来の味だと思っています。ただ生で食すにはまだ改良の余地があります。いずれはこのまま出荷できるようにしたいところですが、今のマールムの経済状況を考えると悠長に構えているわけにもいきません。そこで…こんなものを作ってみました」


ステラが瓶に入った何かを僕に手渡す。


「これは…?」


形のはっきりとしたシロップ漬けの中身は…。


「リンゴのコンポートです。瓶詰にしたので日持ちがします。当面の間、これをマールムの特産品として売り出していこうと考えています」


マールムは5年前、廃領寸前の状況に陥った。呪いの影響は甚大で、多くの領民の命を奪い、僅かに生き残った人々からもその住処を奪った。この5年の間にドーソンと国王の援助でそれなりの回復は遂げてきたが、それでも豊かと思えるまでには相当の時間を要すると言われている。


「今、マールムにこれの生産工場を建設中です。あとひと月もしたら本格的な生産に入れると思います。働き手は主に女性。男性陣は収穫の方で頑張ってもらっていますので…」


「生産が軌道に乗れば、僕たちの商会で販売を開始する予定です。いずれは国外にも販売ルートを拡大しようと思っていますので、近い将来マールムの経済も安定していくでしょう」


付け加えるようにルーカスが言う。そうか。だから二人は輸出入の事業を…。


「ベアトリーチェ様は僕にとっても母のような存在でした。彼女の望みはマールム領の安寧でしたから。呪いを払い、領民と共においしいリンゴを作る事が彼女の願いでした。その望みを叶えるお手伝いができるならこんなにやりがいのある仕事はありません。今頃はあちらで…笑ってくれていればいいなと、そう思います」


バーナードの言葉に…胸が締め付けられる思いがした。


僕の知っている母はいつも一人だった。

パイロン様にも、その心を開いた事は一度もなかったように思う。


(もし、母の側にも…彼らのような人がいてくれたなら、彼女の人生は違うものになっていたんだろうか)


王妃という地位にありながらも幸せそうには見えなかった母。

それはずっと僕のせいだと思っていたけど…。


そうじゃないと教えてもらった。母がどれだけ僕を愛してくれていたかという事を、ステラ達は時間をかけて訴え、僕の心の氷を溶かしてくれた。



僕の目から一筋、涙が零れ落ちる。


「ありがとう…みんな…。本当に…ありがとう」


そんな僕をそっと抱きしめてくれたのはステラ。

姉として、友人として、時に母のように。


天気のいい日には外に連れ出し、心細い夜にはずっと僕に寄り添ってくれた。そんな彼女を、僕は愛しくて仕方がない。


それはきっとここにいる全員が思っている事。



「さあ、カイル。お誕生日会を始めましょう!今年一年あなたが健やかに過ごせるように!」





ステラ。


それは星だと誰かが言った。


星の聖女。心の中、僕は彼女をそう呼ぶ。



彼女が生まれて来てくれた奇跡に感謝を込めて。







――――――――――――――――

完結しました。

ここまでお付き合い頂きましてありがとうございました。


本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

本日更新分をもって完結となります。ここまでブックマーク等でお付き合い頂いた皆様本当にありがとうございました。


当初100話くらいで考えていた話でしたが気がつけば188部。初めての作品にしてはちょっと長すぎたなと反省しております。仕事と家事を疎かにしながらの執筆はなかなかにハードでしたが、いろいろと勉強にもなりました。今後の作品に活かして行ければいいなと思います。


今後は番外編をいくつか執筆予定です。

エピローグの前にいれる予定だったベアトリーチェとパイロンの物語、聖女アルテイシアの物語等、週一ペースで書けたらいいなと思っています。(土曜更新予定)


続編を考えています。タイトルは

【前作ヒロインだった私ですが、今作ではのんびりNPCに徹します!】(仮)

的な内容です。タイトル通りなお話ですが、主人公はステラなので…のんびりはできないと思いますが…。年内投稿予定ですのでもし気になると思って頂けましたらユーザーのお気に入り登録をして頂けると嬉しいです。活動報告でご報告させていただきます。


当面はのんびりと皆様の作品の応援に回りたいと思っています。それでは☆

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