172 私と宰相と願い
「ステラ…」
アレンが私を見つめる。
その時だった。
「覚醒したようですね。白き乙女」
不意に聞こえたバリトンボイスに、思わず体がすくむ。
いつの間に現れたのか、そこにはパイロンと多くの兵が私たちを取り囲んでいた。
アレンが素早い身のこなしで立ち上がり私を背にかばうと、するりと腰の剣を抜き、構える。
「まさかあなたが生きていらっしゃったとは。ダンフォードの陞爵は過ぎた褒賞だったようですね」
「パイロン…っ!」
アレンが鋭くパイロンを睨む。
「お久しぶりです、アレクシス殿下。最後にお会いした時はあんなにお小さかったのに…随分とご立派になられましたね」
「ああ。お前のおかげでずいぶん強くなれたよ。礼でも言おうか?」
挑発的な態度のアレンに対し、パイロンは一切表情を変えることなく、静かに私に視線を移した。
「あなたがここに現れたのは想定外でしたが、私が用があるのはそちらのご令嬢です。乙女、大人しく私についてきて頂けますか?」
感情のないガラス玉のような瞳に思わず息を飲む。
「はっ!ふざけているのか?お前がこれまでステラにしてきた事、オレは絶対に許さないっ。ステラは渡さない…。どうしてもというなら、ここでお前を切る」
その言葉に兵たちが一斉に色めき、剣先を上げる。
「困りましたね…。私にはどうしても彼女の力が必要なのです。大人しく引き渡して頂けませんか?」
「カイルの病状は…、そんなに深刻なのか?」
「……っ!」
アレンの言葉に、先ほどまで一切表情を変えなかったパイロンが初めて動揺を見せた。
「すべて、バーナードに聞いた。『アルテイシアの呪い』もこの目で見てきた。バーナードは…命を削ってお前の言いつけを守っていたぞ」
「……」
(なに…?どういうこと)
二人の会話の内容が全く理解できない。
「あれには…その力がありましたから。国を守るために命を差し出す、臣下として当然の義務でしょう」
「お前がそれを言うな!!実の息子だろう!!お前にとってあいつはその程度の存在なのか!」
「……今ここで、そんな議論は必要ありません。私にとって守るべき存在は王妃殿下とカイル様…それにこの国の行く末のみです」
「……き…さまっ…」
今にも飛びかかりそうな顔でアレンが睨む。
「ふざけるなよ!パイロンっ!たしかに…っお前の過去には同情する…っ。オレだってステラにあんなことがあれば…冷静ではいられないだろう…。けれど…もっと他に違うやり方があったんじゃないのか…。ベアトリーチェは…義母は…お前にそんな事は…望んでいなかった」
怒りの感情を押さえ、アレンが苦し気に言う。
「……」
静かに…アレンの言葉に耳を傾けていたパイロンが口元に僅かに笑みを浮かべた。
「……そうかもしれませんね。でも今更それを言ってどうなるというんです。私は…私の信じた正義を貫くのみ。さあ、白き乙女をこちらに渡して頂きましょう」
「パイロン…っ!!!」
「ちょーっと待ったぁっっっ!!!」
それまでおとなしく、黙って聞いていた私だったけれど、聞いてるうちに我慢ができなくなって思わず声を上げた。
(そもそも、私の力が必要だから二人は今こんな緊張状態にある訳でしょ?!それなのに当の本人である私がほったらかしってどういう事?!納得できないっ!)
「さっきからお二人して深刻な話をしてるみたいですが、私にもわかるように説明して下さい!パイロン様は私をどこに連れて行こうとなさってるんです?私にいったい何をさせようとしてるんですか?私の…この白き乙女の力が必要ならどこかで苦しんでる人がいるって事ですよね。もしかしてカイル様のお体の具合が悪いんですか?」
一気にまくしたてる私を二人が息を飲んで見つめる。
「どうしてそんな風に陰でこそこそなさるんですか?どうして直接私に言ってくれないんですか?最初からちゃんと説明してくれれば、私だって逃げ出したりしませんでした!それに…もっといろんな解決策だって見つけられたかもしれない。そんな死んだ魚のような目になる前に相談してくれればよかったんです!」
「…死んだ魚のような…目…?」
パイロンがきょとんとした顔で私の言葉を反芻する。
「パイロン様、失礼ですが仲のいいお友達っていらっしゃらないでしょ?話を聞いてくれる相手がいないからこんな頭でっかちな…拉致とか監禁とか…犯罪めいた方法しか思いつかないんですよ!」
ああもう、話し出したら止まらない。
「そうです!これは犯罪ですよ!何なら私、スチュアートに刺されてますし!!あれだってあなたの指示だったんですよね?拉致に監禁に殺人教唆って…一国の宰相ともあろう方がやっていい事だと思ってるんですか!」
「……」
「あれ…でも宰相だからこそ、そういう事があっても不思議じゃないのかな…。政治の汚い部分だっていっぱい見てるんだろうし…国を守るためにやむを得ない場合もあったりするのかしら…」
つい一人でぶつぶつ呟いていると…
「ブッ…!」
前にいたアレンが突然笑い出した。
「…アレン?」
「ハハッ!アハハハハッ!全く君って人は……っ」
左手で額を押さえ、前かがみになりながら文字通り腹を抱えて笑うアレン。
「な…なによ。なんで笑うのよ…っ。別におかしなこと言ってないでしょ!」
そうよ。特に笑われるようなこと言ってない…わよね?多分…。
「いや…この状況で、仮にも宰相であるパイロンに…面と向かって説教とか…っ。しかも死んだ魚の眼って…そんな事言えるの、君くらいだよ…っ!ほんとすごいよ君…っ」
「だ…だって…っ」
そ…そうか…そうだよね。頭に血が上ってつい…死んだ魚は言い過ぎたか…。
目線をもう一度パイロンに向ける。絶対怒ってる…と思って恐る恐る見た彼の顔は、なんとも形容しがたい顔で固まっている。
「あ…あの…パイロン様…」
私の呼びかけにハッと我に返ったように表情を戻す。そして…、
静かに笑った。
(あ…笑った…?)
笑ったというよりも…むしろ困った、もしくは呆れたというような表情で微笑んでいるパイロン。でもどこか寂しそうなその笑顔に少しだけ胸が痛んだ。
「いえ…。こんな風に…誰かに叱られたのは何十年ぶりだろうと、少し懐かしくなりました。確かに…そうですね…あなたの仰ることは最もです。相談する友…昔はいたのかもしれませんが…今では私に意見をするものは誰もいませんから…」
「一人で考えてると出口が見えなくなることってよくあります。正しいのかそうじゃないのか…それすらもわからなくなっちゃうんです。私も…そしてアレンも…それで昔失敗してますから」
そう言いながらアレンを見る。そんな私に笑みを漏らすとアレンはそっと私の肩を抱きよせてくれた。
「話して頂けますか?パイロン様。私はあなたのためにいったい何ができますか?」
今までガラス玉のようだったパイロンの瞳が揺らぐ。これまで被り続けてきた仮面が剥がれ落ちるかのように彼の顔が苦し気に歪んだ。
「白き乙女…いや、ステラ=ヴェルナー令嬢。私の望みはただ一つ…」
パイロンが祈るように両手を重ねる。
「どうか彼を…カイル王子を救って頂きたい…。彼女の苦しむ顔は…もう見たくないんだ…。だから…どうか…王子を…あなたのお力で…」
パイロンが声を震わせながら静かに頭を下げた。
その時だった。
「パイロン宰相に申し上げますっ!!」
静寂を破るかのように、一人の侍従が兵をかき分け、息を切らして駆け出る。
「何事だ」
アレンが剣を納め、侍従の言葉を促す。
「カイル様が…っ!第三王子カイル様が…たった今!身罷られました!!」
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
またブックマーク、評価共にありがとうございました。
もう間もなくの完結となりますが、宜しければ最後までお付き合いくださいませ。
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