169 私と塔と脱出劇 序盤
(よし、逃げよう)
ベッドからシーツをはぎ取り何本かに裂くと、一本の紐になるよう編み込む。
(ここに居ても、百害あって一利なし)
パイロンが見せたあの目…思い出すだけでもゾッとする。
あれは間違いなく本気の目だった。自分の目的を果たすためなら私の生死なんてどうでもいい。あの目は本心からそう語っていた。
(そうと決まれば行動あるのみ)
編み上げた白紐を、初日に繋がれていた鎖に縛り付け、窓の外に垂らす。
「ちょっと長さが足りない気もするけど…でもまあ、なんとかなるでしょ」
コンコンコン。
ドアをノックする音と共に、スチュアートが機嫌よく扉を開けた。
「ステラ~。ご飯持ってきてあげたよ。いないの~?…なーんてね」
テーブルの上にトレーを置くと辺りを見渡し、こんもりと膨らんでいるベッドに目を留める。
「寝てるの?今日はさ、チキンのクリーム煮とキッシュだって。起きないと僕が全部食べちゃうよ」
そう言いながら布団をめくる。
「…あれ?いない…」
ベッドのど真ん中に置かれていたのは枕代わりのクッション。それを取り上げポフポフと形を整えると、もう一度室内を見回す。テーブルとベッド以外にめぼしい家具のないこの部屋に、隠れる場所なんてないはずなのに…なぜかステラの姿が見当たらない。
念のため身をかがめてベッドの下を覗くも、やはりその姿はない。多少の違和感を感じつつ無意識に頭をかいていると、ふいに冷たい風が頬を撫でた。僅かに開かれた窓から入ってきたのだと認識し、閉めようと取っ手に手をかける。
下げた視線の先に、窓枠から外に向かって伸びる白い何かが目に入った。
不自然に部屋を横切るそれを辿ると、壁から伸びる鎖に繋がっている。
つまみ上げ、軽く引っ張る。
「………あっ」
ようやく異変に気づき慌てて窓を押し開け下を見る。
そこには、ただひらひらと風になびく白紐がゆらゆらとぶら下がっているだけだった。
「……ちっ!」
事態を把握したスチュアートが、開け放たれたままのドアに駆け寄り見張りの兵に向かって声を上げた。
「おい!!女が逃げた!!探せ!!」
ガチャガチャと、慌ただしく兵たちの足音が入り乱れ、やがて遠ざかる。
人の気配が消え、シーンと静まり返った室内。その静寂をかき消すかのように、
ギィィ……。
超番を軋ませ、ドアが勝手に動いた。
「はぁぁ、緊張したぁぁ」
辺りを窺い、誰もいない事を確認した私は、詰めていた息を思い切り吐きだした。
「ふんっ!スチュアートも大したことないわね。いくら天使みたいに軽い私だってあんな頼りない紐で下りるほどバカじゃないわよ」
鼻息荒くふんぞり返り、さて、と一歩足を踏み出す。
その途端。
ぎゅるるるる……。
自分の身から出たとは思えない大きな音が室内に響き渡る。反射的に腹を押さえ、きょろきょろと辺りを窺う。
(び…っくりしたぁ。やめてよね、こんな時に…。心臓に悪い…)
ちょっと待てよと言わんばかりに、ぎゅるぎゅると一斉に騒ぎ出す腹の虫に、つい無意識に語りかける。
「ちょっと、空気読んでよね…今それどころじゃないでしょ」
その言葉に反発するように更に鳴き続ける私のお腹…。
そう言えばさっきからものすごくいい匂いが室内に漂っている。それはわかっていた。わかっていたけれども………っ!
振り返ったテーブルにはホカホカと湯気を立てるクリーム煮とおいしそうな焼きたてのキッシュが手招きをしている。
思わずグビリと喉が鳴った。
私は数歩後ずさり、テーブルの上のキッシュをわし掴むと急いで口に放り込んだ。
「お、お腹が空いてたらいざという時に動けないからね…。一個だけ…キッシュ一個だけよ。時間がないんだから…。あ…これすごくおいしいっ」
人にはお見せできない所作で瞬く間にキッシュを平らげると、上品にナフキンで口を拭う。
「さあ、これで満足したでしょ!時間がないんだからね!行くわよ」
周りに人がいたらただの独り言でしかない相手に話しかけ、「ごちそうさまでした」と両手を合わせると、ようやく外に向かって一歩を踏み出した。
(ど…どうなってるのよ…この塔…)
ゼイゼイと息を切らしながら壁に寄りかかる。
あれから四半刻…。
私は未だ、塔の中をさまよっていた。
(出口がどこにもないんだけど…っ?!)
最上階の部屋から3階部分までは順調に階段で下る事が出来た。問題はその先、2階以下に降りるための手段が一向に見つからない。
唯一見つけたのが一つ上の階にあった本邸とこの塔を繋ぐ幅の狭い守備回廊だったが、外から丸見えの上前方を塞がれたら逃げるすべがない。
(いっそのこと窓から飛び降りちゃう?)
そうも考えたけど、この高さからではさすがの私も躊躇する。
「外にはいない!!もう一度中を探せ!!」
すぐ近くで聞こえる兵の声に、慌てて窓の外に身を躍らせた。
「この階にはいないようです!」
「よし!お前たちは上へ!俺は下に行く!」
「はい!」
足場のない外壁にかろうじてしがみ付きながら、その場を何とかやり過ごす。
(早く行って…っ。お…落ちる…っ)
遠のく足音を確認し、どうにか室内に戻った。
「ダメだ…こんなことしててもいつか見つかる。だったらイチかバチ…」
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