168 乙女の覚醒と心の闇
(この人が…)
ロクシエーヌの現宰相様…。
スチュアートを使って私をここに連れてこさせ、何かをさせようとしている悪の親玉…。
私は勢いよく起き上がると、ベッドの端に身を寄せて距離を取り、思い切り睨みつけた。
その様子を黙って見守っていたパイロンが、静かに目を伏せ口元に僅かな笑みを作る。
「何がおかしいんですか?!」
「いえ…猫のようだなと…。あなたを見ていたら少し昔を思い出しました。前にも同じような反応をした少女を知っていたので…」
(え?なに、この人…。こんな風にレディの寝込みを襲うの初めてじゃないって事?!草食系の紳士面してるくせにとんでもない男なんじゃないの…?)
ジト目で見つめる私の視線にも全く気付かない様子で、彼は勝手に言葉を綴る。
「クラレンスの子息が手荒な真似をしたようで、大変申し訳ない事をしました。本来ならこんな形で『白き乙女』と関わるべきではなかったのですが…なにぶんもう時間がないもので…」
穏やかな口調につややかなバリトン、ゆらぎのあるその声に思わず引き込まれそうになる。
「あなたが寝ている間に、少し記憶を探らせて頂きました。なにか…どうしても思い出したくない事がおありのようですね?どうやらそれが、あなたの覚醒を妨げているようだ」
「は…?記憶を…探る?」
何言ってるのこの人…。記憶を探るって…寝てる私に何したの…。
「我がアドラム家にはそういった力が受け継がれているんです。転移、もしくは転生者である『白き乙女』を庇護し、必要とあればその能力を覚醒させる魔法力。これがアドラム家が宰相の地位を歴任している所以です」
「能力の覚醒って…どうやって?」
「白き乙女の覚醒は記憶。過去のすべてを思い出しそれらすべてを受け入れた時、乙女は真に覚醒するのだと伝えられています。そして、記憶の殻が硬ければ硬いほど乙女の力は強いのだと…そう言われています。見たところあなたの能力は初代乙女に匹敵するもののようだ。相当に強い力…つまりどうしても思い出したくない記憶をお持ちのようですね」
「そんなの…ないです」
こう言っちゃなんだけど、渡瀬紗奈の人生で後ろめたい事なんて何一つない。クリーンもクリーン。ホワイト過ぎて叩いたところでホコリも出ない…はず。
思い出せない記憶ならたくさんあるかもしれないけど、思い出したくない記憶なんて…。あんなに心から消したかった先輩との事だって、結構早い段階で私の記憶に蘇っていたんだから。
(あれ以上に思い出したくない事なんて…何があるって言うの…?)
「そうですか。しかし、あなたの記憶の核の部分に…黒く閉ざされた闇がありました。それはおそらくあなたが自ら封印した記憶だと思います。本当に、思い当たる事はありませんか?」
そう確認されると急に不安になる。
言われてみればさっき見た夢に降誕祭で見た白昼夢…。
どちらも私が事故に遭う直前のものだった。そしてそこにはなぜか必ず康介の姿があった…。
(あの時、何かがあった…?私の思い出せない…思い出したくない何かが覚醒を妨げている…?)
「その闇を壊さない限りあなたの真の覚醒はない」
「……」
「もう少しだったんですけどね。壊す寸前であなたの目が覚めてしまったので…」
「え…?」
「だから、もう一度眠って頂けるとありがたいのですが…」
そう簡単に言われても、私には某未来猫マンガの眼鏡少年のような特技は持ち合わせてはいない。
それに、
「壊す寸前って…、宰相様は人の夢で何されるおつもりだったんですか?!って言うか壊したらどうなるんです…っ?」
その言葉にパイロンは少し考えるように目線を上げた。
「さあ…どうなるんでしょう?私もそこまでは考えていませんでしたが…」
(考えてくださいよ!!!)
心の中でそう突っ込む私をパイロンはもう一度真っすぐ見据え、口元に笑みを浮かべた。
「もしかしたらあなたの心が壊れてしまうかもしれませんね」
そうあっさりと言われ呆気にとられる。
「あの…っ!他人事だと思って勝手な事ばっか言わないでくれませ…」
そこまで言って、私は思わず黙った。
(この人……っ)
私を静かに見つめるその瞳が…ちっとも笑っていなかった。
無機質な石のようなその瞳に、感情は一切ない。ただのガラス玉のような黄色の瞳が冷たく私を見据える。
背筋にゾクッと冷たいものが走った。
「ええ、他人事ですから…。ただ、あなたに申し訳ないと思っているのは本当ですよ。このタイミングで…私が宰相としてこの国を動かしているこの時代に、偶然転生してきてしまったあなたに心の底から同情します。でも私にはどうしてもあなたの協力が必要なんです」
「か…勝手な事ばっか言わないでください!!協力しろって言うんならちゃんと理由を説明してください!どうして私の覚醒した力が必要なんですか?時間がないって…いったんどういう事なんですか?!」
パイロンは声を上げる私を静かに見つめている。
その瞳に一瞬だけ光が射したような気がした。
その時…、
ドンドンッと強くドアを叩く音が聞こえた。
パイロンが立ち上がりドアを開ける。外にいた兵が慌てたように耳打ちをすると、彼の顔色がスッと変わった。
「少し席を外します。すぐに戻りますから戻ったら…続きをしましょう。心を壊されるのがお嫌なら、ご自分でその扉を開いてください」
そう言い残しパイロンは部屋を出ていった。
本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
パイロン様は本来、人当たりよく優しく穏やかでどちらかというと気の弱い性格の方でした。という裏話。
次回もどうぞよろしくおねがいします^_^




