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162 オレと王妃と呪いの地

「……っ!」


老人の指す方向に少しだけ盛り上がった土山がある。墓標もなく、ただ年月にさらされたその地は一見人が埋められているとはわからない。


「あんなクズ。殺されて当然じゃ。事もあろうにベアトリーチェに手を出すとは…その場にいたのがわしじゃったとしても(くわ)で殴り殺してやっただろうな」


「じゃあやはり、ベアトリーチェがそのドイルという男を…」


「いや、やつを殺したのは…若き日のパイロン様じゃ」


「……は…っ?」


「あの日は盛大なパーティーが行われていた。会場には王都の貴族も多く招かれていてのう。その中にパイロン様もおったんじゃ。あの日は人手が足りなくて…動ける使用人は皆、屋敷の手伝いに回されていた。ベアトリーチェもそちらに回されていたはずなのに…なぜかこの馬小屋に連れ込まれていた。人の争う声が聞こえ慌てて覗きに行った馬小屋で…わしは見ちまったんだ。裂かれたお仕着せに体中傷だらけの…震えながら泣いているベアトリーチェを。そしてドイルを長剣で貫くパイロン様のお姿をな…」


「……っ」


「小屋の中は見るに堪えない惨状じゃった。パイロン様は…羽織っていたマントをベアトリーチェに巻き付け抱き上げるとそのままどこかに立ち去った。それきり…あの子はここには戻って来ていない」


「……」



思わず言葉を失った。まさか彼女がそんな目に遭っていたなんて…。

おそらく、その時できてしまったのがカリスタなんだろう。年代的にも符合する。


(合意の上ではなかったのか)


これまでの自分の思い込みを恥じる。そしてドイルという男の所業に(はらわた)が煮えくりかえった。


「そうか…ベアトリーチェは王妃様になったのか。まあ、あの子の器量ならそれも分からんでもないが…」


奥歯にものが挟まったような物言いの老人にその訳を聞く。


「なにか引っ掛かる事があるんですか?」


「まあこれは…わしの勝手な印象だが…パイロン様とベアトリーチェの雰囲気が普通ではなかったような気がしてな。なんと言うか…初めて会ったとは思えないほど、彼女を抱きしめるパイロン様の目が切なく苦し気に見えたんじゃ…」


「……」


「あの時のパイロン様の顔が、わしは今でも忘れられんよ」


老人が独り言のようにつぶやいた。





「あの…最後に一つだけ、いいですか?」


「なんだ」


「裏庭に一本だけ植えられたリンゴの木があったと聞きました。硬くて酸っぱいリンゴの木。ご存じですか?」


「ああ…確かにあったな。ずいぶん前に枯れてしまったが…あれはマールム領のリンゴじゃよ。好んで植えたわけじゃないが、物好きな鳥が種を落としていったんじゃろう」


「マールム領…」


「お前さんだって聞いたことくらいあるじゃろう。『アルテイシアの呪い』の広がる彼の地。それがマールム領だ」










鬱蒼とした森を抜け、獣道と化した街道を抜けた先に、マールム領はあった。

ようやくたどり着いた彼の地を前に、オレは言葉を失った。



「なんだ…ここは…」



これが果たして()()と呼べるのか…。


下草すら生えない荒れた大地に枯れ枝ばかりが垂れさがる古木。ちらほらと点在する家々は既に廃墟と化し人の気配は全くない。ウェズリー領も相当貧しい領地であったが、ここはその比ではない。




廃領。




国の領地として全く機能せず切り離された領土。捨てられた領地。そんな言葉が頭をよぎる。


(このロクシエーヌにまさかこんな地があるなんて…。まさかこれが『アルテイシアの呪い』の影響なのか)




幼い頃、乳母が寝物語で語ったこの国の起源。


ロクシエーヌ始まりの地とされる東の地「マールム」。

英雄ロクシエーヌは、当時この地にあった小国「マールム」の一平民として生を受けた。


当時まだ、この大陸は戦乱の世。各地に名ばかりの小国が点在するだけの無秩序な時代だった。

有能だったロクシエーヌは、村の幼馴染である若者と共に近隣の大型集落や各地の小国を次々と束ねあげ、後に巨大な王国ロクシエーヌの礎を築くことになる。


そんな戦乱の最中、突如現れたのが聖女「アルテイシア」だった。

彼女は不思議な魔力で傷ついた兵士たちを次々に癒していく。そんな彼女の助力もあり勢いを増したロクシエーヌ軍は更なる快進撃を続け、数年で今ある国土のほとんどを掌握することになる。


そんな中、黒い瘴気をまとった大地が突如マールムに出現する。


木々を枯らし大地を腐らせ徐々に広がりゆく黒い大地を人々は恐れた。

彼らの不安を懸念したロクシエーヌは、その地の再生を彼女に託す。


しかし彼女は、その地を浄化することなくこの世界から姿を消した。


そんな彼女を人々は(なじ)り、(さげす)み、(うら)んだ。


これまでの彼女への恩を忘れ身勝手な事ばかりを喚く民に王は怒り、彼らを罰した。人々は罰を恐れ次第にその口を噤むようになる。そして彼らは皮肉を込めて彼の地をこう呼ぶようになった。


【アルテイシアの呪い】と。


やがて王都が現在の地に移り、長い年月と共に「アルテイシアの呪い」自体人々の記憶から薄れていく。この史実を知っているのは今はもう国の中枢にあるごくわずかな人間と、当事者であるこの「マールム領」の領民だけだろう。







目の前に広がる実情と聞き及んでいた情報との乖離にしばし言葉を失う。ここまでの状態を誰が想像していたであろう。極めて厳しい状況に気持ちばかりが焦りだす。


領内を進むに連れ、おかしな匂いが鼻をつく。腐敗臭のような硫黄臭のような…とにかく今まで嗅いだことのない不快な臭いが辺りを漂う。馬がその臭いを嫌い突如暴れだした。仕方なく風上の木に馬をつなぐとその先は徒歩で進む。


(こんなところ、とてもじゃないが人が住める環境じゃない)


では、この地の領民は今どこでどうしているのか。



しばらく歩くと小高い丘のようなところに出た。丘の上に立つと眼下には緩やかな丘陵が広がる。

丘陵地の先、小高い山の裾野が交わるその場所に、どす黒く霧に包まれた大地がぼんやりと見える。その地を取り囲むのはひび割れた大地。草木が一本も生えない不毛の地だ。




不意に気配を感じた。

いつの間にか、自分が兵士たちに取り囲まれていた事に気付く。


(いつの間に…)


気配など全く感じなかった。

突然そこに湧いて出たような感覚に一瞬戸惑う。


「第一王子アレクシス様でいらっしゃいますね?」


一人の兵士が話しかけてきた。呼ばれたその名に返答をしかねる。


「主が屋敷でお待ちです。ご案内いたします。ご同行ください」


ローブの中で手をかけた剣の柄を握り直す。


「ご安心ください。あなた様に危害を加えるつもりはありません。お腰のモノもそのままで構いません」


(見抜かれている)


「お前たちはこの領の衛兵か?地方領において無断で兵を置くことは禁じられているはずだ。この地の領民はどうした?皆はどこにいる。無事なのか?」


「……」


兵たちは答えない。その態度についカッとなり乱暴に肩を掴んだ。


「おい!!何とか言ったらどうなん……っ」


言いかけた言葉を思わず飲み込む。


掴んだ衛兵の肩が突然、もろく砂のように崩れ落ちた。肩をえぐられ、支えを失った腕がそのまま落下し地面で砕ける。


「申し訳ありません。崩れやすいので…お手を触れないで頂けると助かります」


そう言うと千切れた腕をそのままに、何事もなかったように歩き出す。


(どういうことだ…)


それきりオレは、黙ったまま彼らの後に従った。



本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。


次回「主」と呼ばれる意外な人物登場です。


次話もどうぞよろしくお願いします。

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