161 オレとウェズリー領の老人
(ステラは今頃、何してるのかな…)
ウェズリー領までの道中、ふと彼女の事が頭に浮かんだ。
今頃学園は降誕祭の準備で大いに賑わっている事だろう。
あの日の別れ際、思わず彼女にキスをした。
今思えばどうしてあんなことをしてしまったのかとため息しか出ない。でもあの時はどうしても自分の気持ちを抑える事が出来なかった。
(つい勢いでとか…ホントないわ。こらえ性無さ過ぎてマジ凹む…。絶対に手は出さないって誓ったのに…)
自分の意志の弱さに穴があったら入りたい。いやアレンになって約10年、それ以前に康介で20年以上…これでも我慢した方じゃないだろうか…。と、自分の気持ちがせめぎ合う。
(オレはいつまで彼女に隠し事をしたまま生きて行かなくちゃいけないんだろうな…)
ふと弱気な自分が顔をのぞかせる。
転生して、記憶が蘇り、そして誓った。今世こそ彼女にためにすべてを捧げると。
(わかってる。今はまだその時じゃない。彼女が消える未来を潰すまで…彼女の幸せを見届けるまで、オレの全てを彼女に捧げる…)
あれ以来、スチュアートも行方をくらましたまま居所が掴めない。いつまたステラを狙ってくるかわからない。
(一刻も早く上を潰す)
それ以外に彼女を救う道はない。
夜通し馬を走らせ、ウェズリー領に到着したのは翌日の昼過ぎだった。
馬を降りて手綱を引く。ここウェズリー領は領土としては決して広くない。昔は「ウェズリー小麦」の名産地として有名な穀倉地帯だったが、今目の前に広がるこの景色に当時の面影はないのだろう。耕されずに放置された広大な農地は荒れ果て、昼間だというのに人の気配すら感じられない。
ようやくたどり着いた男爵の屋敷も閑散としていた。門扉は傾き開け放たれたまま、以前は美しかったであろう庭園も手入れをされずに放置されている。入ってもいいものかと躊躇していると、奥から手招きをしている人影に気がついた。
「ここはウェズリー男爵家の屋敷で間違いありませんか?」
手招きしていた老人に促され中に入ると、近くの木に馬をつなぐ。パイプをふかし丸太に座る老人に声をかけると彼はこくりと頷いた。
「ここに客とはめずらしい…もう何年も訪れる者などおらなんだというのに…」
老人はフーっと細く息を吐くと空を見上げた。
「これでも昔は活気のある領だったんじゃよ。ウェズリー小麦、お前さん知ってるか?」
「…ええ、名前だけは。ここ最近は見かけませんが、昔は最も流通していた小麦の品種だったと習いました」
「そう…20年近く前まではここは小麦の特産地じゃった。それが突然、中央との取引を打ち切られ領は衰退するばかりだ。今じゃわずかな農民とワシみたいに行くあてのない年寄りばかりがこの地にとどまっている」
「ご領主は何をしているんですか…?」
領を統べるのは領主の義務だ。それを怠る領主にその資格はない。
「先代はとうの昔に亡くなった。当代は爵位を持ったまま別の領に嫁いだ妹様の家に入り浸っているよ。今は執事と侍女頭が何とか領政を行っている」
白い煙がゆらゆらと空に昇る。
「なぜそんな事に?」
「さあな。噂ではアドラムの当代の逆鱗に触れたとか…そんな風に言われておったが真相は知らん」
「アドラム…現パイロン宰相ですか?」
「他におらんじゃろ?」
「なぜ、そんな噂が…?」
老人は重く下がった瞼を額ごと持ち上げてオレを見た。そしてパイプに口をつけ思い切り吸い込むと一気に吐き出した。
「お前さん、ここへは何しに来なさった?」
「……」
正直に話していいものかと迷っていると、
カンッ
逆さにしたパイプを強く丸太に打ちつけた。
「なにか知りたいことがあってここに来たんじゃろう?でなきゃ、わざわざこんな辺鄙な場所まで来る理由がない。こんな老いぼれの話でよけりゃ、暇つぶしに聞かせてやらんでもないぞ」
老人は懐から新しい葉を取り出し、パイプの先に詰めると再び火を付ける。
「…ベアトリーチェという少女をご存じではないでしょうか?随分昔、ここで下働きをしていたと思うんですが…」
「ベアトリーチェ…」
老人はパイプから登る煙をしばらく眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「随分と懐かしい名を耳にするものだ。ベアトリーチェ…知っとるよ。あの子がここに連れてこられたのはもう20年以上前の事じゃ。確かあの時15と言っていたかのう。きつい目をした、でも正義感にあふれる強い子じゃったよ」
「連れてこられた…?」
「ああ、兵士のような男どもに脇を固められ文字通りな。随分身なりのいい娘じゃったよ。あの子は何にも言わんかったがおそらくいい所の令嬢だったんじゃなかろうか。金に困った貴族が自分の娘を売り飛ばす…まあ、ない話じゃないわい」
「現王妃ベアトリーチェと同一人物だという噂があります。本当だと思いますか?」
「そんなのわしが知る訳なかろう。王妃なんぞ見た事はないからな。わしの知ってるベアトリーチェは利発で働き者のかわいいあの娘だけじゃ」
「ここで馬番をしていたという男に聞いてここまで来ました。年下の面倒をよく見る少女だったそうですね」
「……ヴィルのやつか。ふん、まだくたばってなかったのか」
「もう一人、馬番がいたと聞きました。あるパーティーの後ベアトリーチェと共に姿を消したと聞きましたが何かご存じないでしょうか?」
「……ドイルの事か。あいつの死体はわしが埋めた。ほら、そこの木の根元。そこに埋まっとるよ」
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
アレンの情報集めの旅、続いてます。
次回は最終目的地を目指します。
次話もどうぞよろしくお願いします。




