断罪
大きな教会のような場所で、中世ヨーロッパ貴族のような服装をした男は、以前と同じように祈りを捧げていた。片膝をつき、目を瞑りながら両手を胸の前で合わせている。祈りを捧げるその形は一般的なものではないが、その形は彼にとって最上級の敬愛を意味していた。
「後少し・・・後少しで、全てが終わります。いえ、始まるのです・・・だから、成功するように、見守っていてください」
男の前には、男の二倍半程の像が建っていた。それは人間の女性に羽が生えたような造りをしていた。男の祈りと呟きはその像に捧げられたが、もちろん、返事があるはずもない。
「あの時、私は何もすることが出来ませんでした・・・それはいつだって、私の心を苦しめています」
普段とは違った、男の丁寧な言葉には、様々な感情が含まれていた。その中でも一際強く読み取れるのは・・・後悔の念だった。
「どうか・・・弱い私に、力を・・・」
今まで誰にも見せたことのない弱弱しさを、男は像の前でだけ、見せていた。
葉月が言った通り、家を出てから四十分程で月夜たちはその場所に着いた。
「ここだよ、中は薄暗いから十分注意して」
葉月に案内され、月夜たちは今、森の中にある洞穴の前にいた。うっそうと生い茂る木々は陽の光を遮断し、まだ陽が沈むには早い時間にも関わらず辺り一帯は薄暗い。
「どうしたんだい?変な顔して」
洞穴をじっと見たまま動かない月夜と楓を不思議に思った葉月は、そう尋ねる。月夜は視線を動かさずに、葉月に聞き返した。
「この場所に・・・何があるって言うんだ?」
「何・・・と言われてもね、言うなればここは一つの聖域、かな。もしかして、ここを知ってるのかい?」
「知ってるどころか・・・なぁ?」
楓を見ながら、月夜はなんとも言えないような顔をした。
「うん・・・そうだね」
二人にとって、その洞穴は思い出の深い物だった。幼い時、今は亡き家族とよく遊んだこの森・・・そして、月夜と楓の二人はよくこの洞穴の中で遊んだりした。二人にとっては秘密基地みたいなものだった。
「それもまた、何かの因果だろうね。気づかない内に、君達はここに引き寄せられていたのかもしれないね」
「どういうことだ?」
「ふふ・・・行こうか。その答えを・・・いや、君達の全てを、教えてくれる人が中で待っているからさ」
不敵な笑みを浮かべながら、葉月は洞穴の中へと入っていく。そんな葉月を不審に思いながらも、月夜と楓はその後に続いた。
中は薄暗く、足場は岩が多く安定していなかった。
「足元に気をつけるんだよ」
「また転ばないでね、月夜」
「いやいや、そう何度もつまずいたりしないから・・・っと」
葉月と楓に注意を促されたものの、月夜は以前と変わらず岩につまずいて転びそうになる。月夜の後ろでそれを見てた楓は、つい口元が緩んでしまった。それは嘲るようなものではなく、以前と何一つ変わっていない月夜への懐かしさからくるものだった。
「月夜、ここに来るたびにいつも転んでるよね」
笑いながら言う楓に、月夜は振り返らないで言う。
「転んでないだろ?ちょっとつまずいただけだって」
気恥ずかしそうに言い訳する月夜に、楓同様葉月も笑っていた。
「笑うなお前ら!」
「いやぁ、ごめんごめん・・・でも、笑えるなら今の内に笑っておいた方がいいよ。・・・ここから先に行ったら、少なくとも僕はもう、笑えない真剣な葉月の言葉に、月夜も真剣な表情になり、そして聞いた。
「俺らを待っている奴・・・お前に命令してる奴、そいつは、誰なんだ?」
「・・・ほら、もう出口だよ」
葉月は月夜の問いに返事をせず、少し前に広がる多少開けた空間を指差した。別に月夜の声が聞こえていなかったわけではなく、すぐに分かる、と思った葉月は答えなかっただけに過ぎなかった。
葉月がそう言ってから間もなく、三人は多少開けた場所に出た。とは言っても、広さは十畳程もない。先ほど通ってきた薄暗い道に比べれば、幾分中は明るい。
「君達はこの場所を知っているんだろ?」
立ち止まったままの葉月の唐突な質問に、二人は頷いた。
「ああ、とはいっても最近は来てなかったけどな」
「そうだね、一年ぐらい前に一回来たぐらいで、それ以降は全然来てないし」
月夜と楓はここに来た時のあの事件を思い出した。高校に入学してから間もなく、日本の軍人に狙われ追い回された時に逃げた場所がここだったのだ。幼い頃はよく来た場所だったものの、今では何かがない限りここにはとんと来ることがない二人だった。
「今までおかしいと思わなかったかい?こんな場所が、自然に出来るはずがない、って」
「そりゃ思ったこともあるさ、例えば最奥にある石なんて椅子っぽいし・・・でも、それなら壁とかももっと人工的にするんじゃないか?」
確かに、その中は不自然な箇所も多々ある。しかし、人が手を加えたという決め手はなかった。平らな椅子のような石もあれば、反面壁は普通の洞窟のように岩が尖っている箇所がある。人が手に加えたにしては、いまいち不自然さが残るのだった。
「ここは人が作った場所だよ・・・いや、正確には君や僕の原点となる存在が、手がけた場所なんだ・・・だから、こんな仕掛けがある」
葉月はそう言い、最奥にある椅子のような石・・・かつて月夜がよく腰掛けていたその石の平らな部分を下から持ち上げた。
「目を閉じていたほうがいいよ、眩しいから」
葉月のいきなりの言葉に、二人はいぶかしみながらも目を閉じた。
「それじゃ、行こうか」
葉月は数センチ持ち上げたその石を、右に半回転、左に一回転させた後石を下ろした。直後、すさまじい光が三人を包んだ。その光は数秒もかかることなく消え、同時に三人の姿も消えていた。
「・・・?どこだ、ここ」
光が消え、おそるおそる瞼を開けた月夜は辺りを見回した。先ほどの小部屋のような場所より十数倍は広い場所に、三人は立っていた。部屋はそれなりに明るく、石で作られた長椅子がいくつも平均感覚で置かれ、月夜たちのいる場所のちょうど反対側には高さ四メートルはあろうかという像が建っていた。両側の壁には平均感覚でドアが並び、その一つ一つが各部屋に通じている。そして何よりも印象深いのは、この場所の雰囲気だった。神秘かつ神聖なる雰囲気・・・そこは言うなれば、まるで教会のようだった。
「随分と、遅かったな」
像の前に立っていた男が、三人を見据え口を開いた。
「ゆっくりと歩いて来たんですよ、彼らにだって、死を前にゆっくりとする時間も必要でしょう?」
葉月のその言葉に、月夜は一瞬戸惑ったが、すぐに怒りの表情に変わる。
「どういうことだよ葉月、お前、信用しろって言ったよな?」
「葉月・・・君?」
葉月は二人に返事をすることも振り返ることもなく、男の方へと歩いた。
「ふん、なんと言って連れて来たかは知らぬが・・・信用だと?貴様のような奴が、よく信用されたものだな」
男の蔑むような言葉に、葉月はつまらなさそうに答えた。
「僕は演技がうまいんですよ、特に月夜辺りは単純ですから・・・簡単なことです」
その言葉に感情は一つとしてなかった。
「ようするに俺は・・・騙された、ってことだな」
「そうだ、そしてお前はまんまとここにおびき出された。・・・彼女を連れて、な」
男は憂いと喜びを含んだ目で、楓を見た。まるで鷲のような目の男に見られ、楓はとっさにビクッと体を震わせた。
「そう怯える必要はない、君はただ、本来の自分の姿を取り戻すだけだ。危害を加える気はさらさない」
「本来の自分・・・?何を言ってるんだ、お前は!?」
月夜は男に向かって怒鳴った。全ての元凶が、その男にあると月夜は理解したからだ。
「説明しないんですか?たまには、昔話もいいかもしれませんよ」
「する必要はない。もし貴様に勝てれば、話は別だがな」
「ご褒美みたいなもんですか?また一段と、条件が厳しいですね」
男の数歩手前まで歩いた葉月は、今まで歩いて行った時と同じ様にゆっくりとした動作で月夜と楓に向き直った。
「そういうわけだから、さ。説明して欲しいなら、僕を倒さないといけないみたいだよ」
人懐っこい顔に、わざとらしい笑みを浮かべて葉月は月夜を見る。その表情には、先ほどのような哀しさは一片たりともなかった。月夜には、そちらの顔のほうが演技に見えた。
「なんだかわかんねーけどよ・・・お前らを倒せば、人間の問題事以外の憂いは断ち切れる、そういうことか?」
「そうだね、戦争が今更止まるとは思わないけど、少なくともそれ以外の物はなくなるね」
「話が分かりやすくていいね・・・時間がないんだ。本気で行かせてもらう」
月夜の背中から黒い翼が生える。その大きさは、今までにない程の大きさだった。それと同時に、月夜の体の周りに人間の手首程の太さの黒い帯が幾本も浮かび上がる。その帯はまるで、月夜自身の怒りを表しているかのように禍々しく蠢いている。
「月夜・・・」
そんな光景を心配そうな顔で見ている楓に、月夜は振り向いて笑った。
「すぐ終わるから、そんな顔すんなよ」
「無茶しないでね・・・?私何も出来ないけど、月夜が死ぬのは嫌だから・・・本当は・・・傷つくのだって、見たくない」
今の楓は、月夜を突き飛ばした時の勢いは全くなかった。楓だって本当は、月夜が傷つく姿なんて見たくないのだ。
「時間がないんじゃなかったのかい?」
葉月のゆったりとした声が、二人の間に割ってはいる。月夜は睨むように葉月に視線を移し、聞いた。
「お前は、その姿のままでいいのか?」
月夜と同じ類のリミーナも、本気を出すときは翼を生やす。ということは、月夜と同じ葉月も、本気になる時は翼が出るのだと月夜は思っていた。
「さぁね、君の実力次第、かな。・・・始まるんで、楓のこと、しっかり護ってくださいよ?」
後半の葉月の言葉は、後ろにいる男に向けられたものだった。
「貴様に言われるまでもない」
男はそう言った瞬間。目を瞑り何かを念じた。
「きゃっ!?」
「楓!?」
男と楓の周りに、円形の透明に近い色をした薄い膜のようなものが現れる。
「心配はいらないよ、あれは楓が巻き込まれないように張られた防壁みたいなものさ」
「彼女を傷つけられてはたまらないのでな」
そして男はすぐに再度念じた。今度はこの建物を護るかのように、壁や椅子、この場にある床と月夜と葉月を除いた全ての物に防壁を張り巡らす。こちらの防壁は男や楓の周囲にあるようなものではなく、物そのものに張り付いて周囲を覆っている。
「これで貴様ら以外に被害はない、貴様も存分に楽しめるのではないか?」
男の言葉に、葉月は不敵な笑みを浮かべた。
「彼次第ですよ」
二人の距離は約二十メートル程、二人には無いも同然の距離だった。
「僕の渇きを満たしてくれるかな?」
「知るかよ」
月夜はなぜか落ち着いていた。力を発揮するときはその力に飲まれているかのように強い怒りを発する月夜だったが、今の月夜は内なる静かな怒りを迸らせている。その瞳は闇に染まっておらず、いつもの月夜だった。それは月夜が、完璧に力をコントロールすることが出来ているからなのか、この聖域と呼ばれてる空間の中だからなのか、それは分からない。
「無駄話はもう終わりにしようぜ・・・行くぞ」
言葉を言い切ると同時に、月夜は動き出した。それはゆっくりとした動作に見えた。しかし、その一瞬後には葉月が立っている場所に月夜の腕が振り下ろされていた。しかし、そこに葉月の姿はなく、ただ地面を抉っただけに過ぎなかった。
「さっきより速くなってるね、でも、まだ本気じゃないだろ?」
余裕の態度を崩さない葉月は、微笑を浮かべ月夜から数歩離れた場所に悠然と立っている。
「そういうお前も、攻撃したらどうだ?」
「もう少し君の力を見ないと、下手したら殺してしまうからね」
「その余裕、すぐに後悔させてやるよ」
月夜はすぐに次の攻撃に移った。しかし、突き出された拳はまたも空を切る。
「それじゃつまらないよ、もっと速く動けないのかい?」
月夜の攻撃を避け、悠然と立っている葉月のその顔に少しだけ残念めいたものが宿る。
「残念だな・・・見えてなかったのか?」
「何を・・・ぐっ!?」
完全に月夜の攻撃を避けきっていたはずの葉月に異変が起きた。まるで何かに斬られたように、葉月の右肩が裂け、真っ赤な血を飛び散らせる。葉月は確かに月夜の拳は避けていた、しかし、月夜の周囲に浮かんでいる帯からの一撃を見切れていなかったのだ。その光景を、男は嫌な笑いを浮かべながら、楓は震えながら見ていた。
「早く本気とやらを出した方がいいんじゃないか?そうじゃないと、次で終わる」
それが月夜からの最後通牒だった。これ以上は、時間をかける気にならない、それが月夜の気持ちだった。
「・・・安心したよ、やっと、君と本気でやりあえそうだよ」
今までにない程の笑みを浮かべた葉月だったが、やはりそれもどこか嘘臭さのある笑顔だった。
「生まれてきたからには、何か意味がなくちゃいけない・・・僕の場合、それが、戦いなんだと思う」
葉月の纏う雰囲気が、徐々に重さを増していく。月夜によってつけられた傷が、治っていった。
「でも、弱い者いじめはつまらないんだ・・・本当に、つまらないんだよ」
月夜と同様に、葉月の背中から翼がその姿を現した。しかし、それは違和感を伴うものだった。左右黒の月夜とは違う、また、左右白のリミーナとも違う。葉月の翼は、右が黒、左が白の不自然なものだった。
「珍しいな、それ」
それでも、月夜は冷静さを失わない。月夜やリミーナの力の源は、実のところ翼によるところが多い。出さなくても力はそれなりに使えるが、それでは力が半減以下になってしまう。結局、白と黒の珍しい翼でも、その力はあまり変わらない。そう、月夜は思っていた。
「ふふ、お気に入りなんだ、これ。まるで・・・」
僕を現しているみたいで
そう呟いた瞬間、葉月の片側の白い翼から放たれた拳大程の閃光が月夜の立っている空間を貫いた。速過ぎるそれは、空気を切り裂く音すら聞こえさせない。月夜はそれをとっさにかわそうとしたが、避けきれずにわき腹を少しだけ抉り取られる。
「がっ・・・なかなか、やるじゃないか・・・」
しかしそれは致命傷にはならない。むしろ、その程度の傷ならば月夜は即座に再生出来た。しかし、その再生の時間すら許さないかのように、次々と葉月の翼から閃光が飛び交う。今度は月夜はそれを避けようとせずに、片っ端から闇の帯で叩き落していく。それはもはや普通の人間には見えないほどの、異常な応酬だった。
「ち・・・くそ・・・」
月夜は防戦一方だった。防ぐだけでもいっぱいいっぱいのはずの月夜だが、それでもなぜか頭は落ち着いていた。
「結構がんばるね・・・でもさ、前だけ見てたんじゃ、他がお留守だよ?」
「何・・・?」
その言葉に嫌なものを感じた月夜は、閃光を防ぎながらとっさに後ろに飛び退いた。その直後、月夜が立っていた場所の上から黒い大粒の弾が降り注いだ。その弾はなんなく地面を砕き、後ろに飛び退いた月夜に土煙と無数の石つぶてを飛ばす。
「ほら、隙だらけだよ?」
石つぶてはさほど傷にはならない、しかし土煙によって遮られた視界、それは月夜にとって致命的な隙となった。土煙の合間から、無数の閃光が月夜を狙い撃ちにする。
「これはちと・・・やべ・・・くっ!」
それでもいくつかは叩き落し続ける月夜だったが、太ももに一発くらってからは、一気にくらい始めた。肩に、足に、腹に、胸と頭を除いたほとんどの箇所に、拳大の穴が開いた。
「ちく・・・しょう・・・」
月夜は様々な箇所から血を吹き出しながら、前に倒れる。倒れてはいけないと思いつつも、足が踏ん張ってくれなかった。月夜が倒れると同時に、葉月からの攻撃は停止した。ようやく土煙が晴れ、月夜の視界はクリアになった。しかし、既に意識は遠のき始めている。月夜の意識が途切れる寸前、その目に映ったものは、物足りなさそうな顔をしている葉月だった。
「もう終わりかな?案外呆気なかったね・・・」
これなら、本気を出さない方が良かったかな、とぼやきながら、葉月は事の成り行きを見守っていた男に視線を向ける。
「終わりましたよ」
「ご苦労、早かったな」
「つき・・・や・・・?」
愕然としている楓は、月夜の元に走りよろうとした。しかし、楓を包み込んでいる防壁が邪魔で進むことが出来ない。
「つきや・・・月夜!」
必死でその防壁を壊そうとする楓だが、叩いても蹴っても体当たりしても、その防壁は傷一つつかず、そこにあり続けた。
「嘘だよね、月夜・・・起きてよ、ねぇ・・・」
防壁にすがりつくように、楓は膝をついて震えながらポロポロと涙をこぼし始める。付き合いが長い楓は、今まで月夜が怪我をしている姿など幾度となく見てきた、しかし、今楓の目に映っている月夜は、怪我をはるかに通り越して死体にしか見えなかった。楓の中に、怒りと哀しみと・・・そして自身にも分からぬ何かが、こみあげてくる。
「無駄だよ、楓」
そんな楓に、葉月は冷たく告げる。
「殺してないとはいえ、もう動くことも、喋ることすら出来ない」
「そんなことない!月夜は・・・月夜は・・・!」
嗚咽をもらしながら、楓は叫ぶ。しかし月夜は楓がどんなに叫んでも、返事をしないどころか、ピクリとも動かなかった。月夜の体はひどいという言葉すら生温いほど、おぞましいものになっていた。傷がほとんどついていない顔と胸は、月夜自身の血で赤く染まっている。主に攻撃を受けた足や腹には拳大以上の穴がいくつか開き、肩に至っては腕と体が繋がっているのが不思議なほどに千切れかかっていた。そんな月夜の体を中心に、円状に赤い液体が広がっていく・・・。
「・・・やっ・・・いや・・・いやぁぁぁぁぁぁ!」
楓は気が狂ったかのように叫ぶ、それでも視線は月夜から外さない、いや、外すことが出来なかった。
「ほら、早く回収しないと、死んじゃいますよ?」
いつも通りのゆったりとした口調で、葉月は男に言う。
「まだだ、回復されて抵抗されてはめんどくさいからな、もう少し弱らせる必要がある・・・念には念を、だ。死んでさえいなければ良い」
「そうですね、後数分も放っておけばさすがに死にますけど、二、三分なら問題ないですね」
二人の会話のやり取りを聞いて、楓は今までに見せたことのない程の怒りを帯びた表情で二人を睨んだ。それはもはや、怒りを通り越して、殺意のこもった瞳だった。
「お前らが・・・お前らが・・・!許さない!絶対に許さない!!」
怒りに任せ、荒々しい口調で楓は叫ぶ。強く握り締めた拳は、爪が皮膚にめり込み、血が流れ出ている。
「ごめんね、楓・・・でも、こうするしかなかったんだよ」
コウスルシカナカッタ?コイツハ、ナニヲイッテイルンダロウ。
「僕の望む形にするには、こうするしかなかったんだ」
カタチ?ソンナノハシラナイ・・・ワタシハシラナイ。ソレダケノタメニ、コイツハツキヤヲ・・・
楓の中で、何かが大きくうねり始めた。強い怒りと哀しみが、体中を巡り、それが何かを呼び起こすような、そんな感覚が、楓を包み込む。いち早くその異変に気づいた男が、叫ぶ。
「そんな馬鹿な!同族の私の力なくして、彼女が呼び起こされるはずが!?」
ウルサイダマレ、コロスゾ。
そんな思考が、楓の頭を支配する。楓は震えながら、強く体を抱き締める。自分の内側から起ころうとしてる何かに、ひどく恐怖する。
「くそ!彼女が呼び起こされているのではない、あの女に彼女の力が吸い取られているのか!?そんな、そんな馬鹿なことが!」
男はすぐに防壁を解き、楓の元に向かおうとした。直後、男の体は数本の何かによって貫かれた。
「なっ!?」
前のめりに倒れる男を、葉月は心の底から楽しそうな表情で見下ろした。
「やっと、隙が出ましたね。ずっと待ってたんですよ、こういう時を、ね」
「き、貴様!?」
倒れたまま、男は鋭い目つきで葉月を睨む。葉月はいつもの飄々とした態度で、その視線を受け流した。
「くすくす・・・あなたともあろうお方が、惨めなもんですね。そうやって地面に這いつくばって・・・くすくす、はは、ははははっ」
笑い続ける葉月。しかしその声には、喜びも哀しみも怒りも・・・感情が何一つなかった。
「貴様・・・一体、何が目的だ!?」
普通の人間なら間違いなく即死の傷を負っているはずの男は、気丈な態度を崩さずに倒れたまま葉月を睨み続ける。
「目的・・・?さあ、なんでしょうね?・・・少なくとも、僕が描く夢の中に、あなたはいませんよ」
「分をわきまえぬ愚か者が・・・夢だと?所詮偽者風情の貴様が、この私に歯向かおうと言うのか!」
男は叫び、すぐに何かを念じた。倒れた男の周囲に、サッカーボール程の大きさのいくつかの黒と白の球体が浮かび上がる。しかし、それは力を発することなく、葉月が発した眩い何かに押しつぶされて消えた。男は多少の驚きを見せたが、それでも葉月を睨み続ける。
「偽者偽者って・・・いい加減うざいんですよ、僕はあなたの駒じゃないしましてや捨石でもない。意思を持つ一人の人間なんだ」
いつもの落ち着いた口調とは裏腹に、その言葉には強い想いが込められていた。
「ふん、何度でも言ってやる・・・貴様は所詮偽者だ。私に作られただけの、分身にすぎない」
気丈な男の言葉に、葉月はもはや何も言わなかった。ただ、右手を前に突き出し、それを男に向ける。直後、男の上に小さな黒い球体が浮かび上がった。それは徐々に大きく、そして禍々しい黒い光を放ちながら、男の体を飲みつくそうとする。
「ふん、黒い月か・・・貴様にこれ程の力が、あったとはな・・・だが・・・」
自分の死を前にしながらも、冷静だった男の声は途切れた。葉月が発生させた黒い球体は男の体を覆いつくし、そして忽然と消えた。黒い球体と共に、男の姿も、それに触れた地面も、空間ごと抉りとられてしまったかのように、その場から消えてなくなっていた。
「・・・さて、手遅れになる前に、なんとかしないといけないね」
男がいた空間を少しの間眺めていた葉月はそう言って、今も苦しそうに身を震わせている楓の元に歩きだす。否、歩くという表現はあてはまらない。その歩みは速く、数十メートルの距離を一秒とかからず詰めたのだから。
「あ・・・あぁ・・・っ」
己の中の何かと葛藤している楓に、葉月は手を触れようとした。しかし、楓はその手を払いのける。
「わた・・・しに、さわる・・・な・・・!」
それは楓の声であり、楓の声ではなかった。何かが混じったようなその声を聞いて、葉月は時間がないことを理解する。
「・・・辛いでしょ?君の中の力が、目覚めようとしているんだ・・・本当は、ここまでする気じゃなかったんだ・・・ごめんね」
葉月は辛そうに呟きながら、楓の額を右手でつかむ。楓は抵抗するように両手でその手を握るが、それは全く意味を成さなかった。
「はな・・・して、はな・・・せ!」
「すぐに、いつもの楓に戻してあげるから・・・信じて」
切実に呟く葉月に、楓は途切れ途切れ否定の言葉を口にする。
「しんじれ・・・ない!・・・お前が・・・月夜を・・・!」
葉月は悲痛な表情を浮かべた。葉月がしてきたことを顧みれば、信じられない、と言われるのは仕方のないことだが、それでも葉月は耐えられない、といったように哀しみの表情を浮かべる。
「それでも・・・僕は、君を・・・」
葉月の体に力が灯る。それは肩、腕を通り、楓をつかんでいる右手に流れていく。それは破壊の力ではなく、抑止の力。先ほど男が口にしたように、楓の内側に眠る力と男の力が同族的なものであれば、それを目醒めさせることが出来る。そして逆に、それを抑えることも理論上は可能だった。男の分身のような存在である葉月には、それを可能にする力を持っていた。
「くあ・・・やめ・・・ろ・・・」
それは楓が言っているものなのか、それとも楓の内側にある眠っている何かが言っているものなのか、それは分からない。それでも、葉月は止めることなく抑止の力を楓に送り続けた。楓は、自分の中の熱く大きい何かが、徐々に治まっていくのを感じた。数十秒後、葉月により内側の何かを抑えられた楓は、いつもの楓に戻っていた。
「葉月・・・君」
「戻ったみたいだね、良かった・・・」
右手を離し、心底安心したように葉月は微笑む。
「どうして・・・?どうして、こんなことしたの・・・?」
葉月の真の意図が分からない楓は、葉月にそう問いかけた。葉月は困ったように頭をかきながら、仕草と同様に困ったように言った。
「僕も随分不器用でね・・・こんなやり方しか、見つけられなかった。・・・君もそう思うだろ?ねぇ、月夜」
葉月は振り返っていまだ倒れているはずの月夜に呼びかけた。楓も視線を葉月から月夜に移す、最初は哀しみに満ちた虚ろな瞳だったが、その瞳はすぐに驚きを含んだ物に変わり、そして安堵と嬉しさを含んだ物に変わった。
「全くだな、ったく・・・いてーよばかやろう」
二人の視線の先には、血まみれになりながらも、体の傷はほとんどふさがりつつある月夜が立っていた。
「・・・え?つき・・・や?どうして・・・」
混乱に陥りながら、安堵と嬉しさで涙は出るが言葉をうまく出せない楓が、そんな月夜を見つめている。
「そんなもんはそいつに聞いてくれよ。つーか、俺にも説明してもらおうじゃないか」
「そうだね・・・一応全て終わったことだし、説明しようか」
その前に・・・と葉月は呟きながら、二人の疑問の視線を飄々と受け流し、歩いてすぐ近くのドアのノブに手をかけた。中へと消えていく葉月を二人は呆然と見ている。葉月はすぐに戻ってきた。その両腕には、二人がよく見知った人物が抱きかかえられている。
「リミーナ!?」
「リミーナちゃん!?」
二人の顔は驚きの表情に変わった。
「寝ているだけだよ。身体的損傷は、もうほとんど回復してるしね」
葉月はリミーナを手近な長椅子に横たえ、二人に、おいでおいで、と手招きをした。二人は葉月の言動に混乱しながらも、リミーナが横たわる長椅子へと歩いていった。
「まぁ、座りなよ。ゆっくり・・・している時間もないけど、話をしようじゃないか」
葉月はリミーナの隣に座り、そう言った。月夜と楓は心配そうな顔でリミーナを見ながら、楓はリミーナの頭側に、そして月夜は楓の反対側、葉月が座っているすぐ横に腰掛けた。左から順番に言うと、楓・リミーナ・葉月・月夜の順番だ。
「・・・リミーナは、本当に大丈夫なんだろうな?」
「問題ないよ、今は眠らされているだけさ。あいつも死んだことだし、すぐに目を覚ますと思うけど」
月夜の心配と怒りが混じった声に、葉月は意に介した様子もなく答える。
「・・・ああ、そういえば彼女も関係があるんだったね、良ければ今すぐ起こしちゃうけど?」
「そういうことが出来るなら、さっさとやれ」
はいはい、と葉月はめんどくさそうに言った後、少しだけ身を乗り出してリミーナの頬を軽く叩いた。
「起きろー」
場の雰囲気に合わない葉月の行動に、楓は驚いて心配そうな顔をした。そして月夜はこけそうになった。
「お、お前なぁ・・・なんだそりゃ」
葉月の行動は、ただ普通に起こしているようにしか見えない。月夜の疑問の声も当たり前のものだった。しかし・・・
「ん・・・んぅ?」
リミーナは目を覚ました。
「おはよう、調子はどうだい?」
目を覚ましたリミーナに、葉月はいつもの微笑を浮かべながら声をかける。
「おはよー・・・って、あなたは!?」
目をこすりながらぼんやりとした声で挨拶を返したリミーナは、自分の目の前にある顔に驚いて目を大きく開け、とっさに体を起こした。ぶつかりそうになったリミーナの頭を、葉月は、ひょい、となんなくかわす。
「この前はよくも!・・・きゃっ!?」
葉月に飛び掛りそうな勢いのリミーナを、楓が後ろから抱きしめた。
「良かった・・・無事で・・・」
「え?え?・・・楓おねーちゃん?」
状況を全く理解していないリミーナは、あたふたと混乱している。そんなリミーナを、楓は、良かった・・・と呟きながら抱き締め続けている。
「やれやれ・・・全く」
そんな二人を眺めていた月夜は、口調とは裏腹に、その表情はとてもにこやかだった。
二人がある程度落ち着いた頃合いを見計らって、月夜はリミーナに事情を説明した。
「・・・へぇ、そんなことがあったんだね」
「ああ、実際俺も分からないことばかりなんだけどな・・・」
「私も・・・だから、早く説明して欲しい」
三人の視線が葉月に集中した。月夜がリミーナに説明している間、何かを考えるように黙っていた葉月はその視線を受けて嫌味っぽく言った。
「彼女を起こすように言ったのは君だろ、僕の説明が遅れたのは僕のせいじゃないよ」
「それは否定しないけど・・・元を辿ればお前、いや、お前らのせいだろうが」
その言葉に月夜も嫌味っぽく返した。その場の雰囲気が、学校にいる時のような物に変わりつつあった。
「僕だって好きでやっていたわけじゃないんだよ?僕はあいつを殺す隙を狙っていたのさ」
悪びれた様子もなく言う葉月に、月夜は溜め息をついた。
「とりあえず、早く説明してくれ・・・世界が、手遅れになる前に」
「そうだなぁ・・・どこから説明すればいいかな・・・」
ゆったりとした葉月の態度に三人は、じれったいなぁ、といった表情をする。しかしそれでも、誰一人口を開きはせずに、葉月の言葉を待った。
「・・・まずはあの男の正体、かな」
葉月はそう切り出し、俯いて説明し始めた。
「あいつの名前はルシファー、今の世の中だと最高位の堕天使として有名かな」
葉月の言葉に、三人は一瞬固まった。しかしすぐに、各々がいぶかしむ声をあげた。
「ルシファー?確かに神話とかだと有名だけど、現実に存在するわけないだろ?」
「うん、私も名前は知ってるけど・・・それがあの人だったなんて、信じられないよ」
「本人じゃなくてただ単に名前が一緒なだけとか?・・・どちらにしても、ただの人間じゃないのは分かるけど・・・」
各々の反応に、葉月は困った表情を浮かべた。
「うーん・・・まぁ信じられなくても仕方のないことかもしれないけど、本当のことなんだよ。あの男は・・・」
そこで葉月の言葉は途切れた。三人は葉月の次の言葉を待ったが、いくら待っても続きの言葉はその口から出てくることはなかった。ついに痺れを切らした月夜は、葉月の顔を下から覗き込んだ。
「おい、どうした・・・え?」
どしゃ、という音を立てて、葉月の体が前に倒れこんだ。突然の事態に、月夜は葉月を支えることが出来なかった。
「お、おい、どうしたんだよ?」
「しばらくの間、体の自由を奪っただけだ。そう案ずることはない」
広い部屋に、四人以外の何者かの声が響いた。少し前に聞いたばかりのその声に、月夜は体を震わせて辺りを見回した。
「どこにいるんだ!?」
「私は、ここだ」
部屋中に響くように聞こえていた声は、いつの間にか一箇所の場所から声を発していた。三人は一斉にその場所を凝視する。
「お前・・・どうして・・・?」
「嘘・・・だって、あなたはさっき・・・」
「あなたは・・・!」
三人の視線の先、先ほど男が立っていた大きな像の前に、葉月に消されたはずの男、ルシファー本人が超然と立っていた。
「死んだはず、とでも言いたいのかね?残念ながら、あの程度では私は死なぬ・・・この聖域の中であるのならば、それは尚更のことだ」
それは紛れもなくルシファー本人だったはずなのに、その声と姿は、先ほどよりもはるかにすさまじい重圧感を醸し出していた。
「・・・お前は、なんなんだ?」
強烈な重圧感に圧されながらも、月夜は震える声でそう尋ねた。月夜のすぐそばにいるリミーナと楓は強烈な重圧感に圧され、声をあげることすら出来なくなったようだ。
「私はルシファー、愚かしい全ての人間に・・・神の裁きを与える者だ!」
ルシファーが叫んだ瞬間、月夜は自分の心臓が鷲づかみにされる感覚を覚えた。今まで感じたことのないような圧倒的な恐怖が、月夜を包み込む。月夜は震えるどころか、指一本動かすことすらかなわなかった。楓とリミーナも同様に、自身の時が止まってしまったかのように、微塵の動きも見せなかった。
「ふん・・・私が怖いか?最初から大人しくしておれば、そんな目にあうことなく終われたというのに・・・さて、終わらせるとしようではないか」
怖い。確かに月夜は、ルシファーが怖かった。それは理性的なものではなく、本能がそう告げている。それでも・・・、と月夜は、湧き上がる恐怖を無理やり抑え、口を開いた。
「・・・怖い?そんなわけ、ないだろ」
言葉とは裏腹に、月夜の声は震えている。それでも、月夜は精一杯の嘘をついた。相手にではなく、自分自身に勇気を与えるために。もし自分が動けなかったら、相手が攻撃を仕掛けてきた時にリミーナと楓を護ることが出来ない。そう考えた月夜の、必死の抵抗の証だった。
「ふん、嘘を貫き通すのならば、まずはその震えをどうにかしたらどうだ?」
ルシファーの言葉に、月夜は強く拳を握り締めた。情けない・・・俺、ほんと、情けねぇな・・・。自身の情けなさから湧き上がる想いが、恐怖を徐々に塗りつぶしていく。
「・・・嘘?嘘だと思うなら、信じられるまで何度だって言ってやる。お前なんか怖くない・・・怖くねぇんだよ!」
最後の言葉を言った時には、月夜の声はもう震えてはいなかった。超然と立っている男を、強く睨みつける。
「大した意志の強さだ・・・ふん、よかろう。貴様のその心意気に免じて、私自ら説明してやろうではないか」
どことなく哀愁のような、そしてなおかつ嬉しさのようなものを含んだ声で、ルシファーは言う。
「ああ、説明しやがれ!こっちは何も分からない状態で、お前らに振り回されるのはごめんなんだよ!」
月夜の叫びに、ルシファーは笑い出した。
「ふっ・・・はっはっは・・・そうだな、死に行く者・・・いや、消える者にも、それ相応の説明が必要だな。・・・たまには、昔話も良いかもしれん」
どことなく嬉しそうなルシファーの声に、もしかしたら、こいつ昔話したかっただけなのか?と月夜の中に緊張感の欠片もない疑念が膨らんだが、今はそれを考えている場合ではなかった。
「それでは、話を始めるとしよう。この場にいる人間、全てに関係がある遠い過去の話だ」
懐かしい故郷を思い出すような口ぶりで、ルシファーは話し始めた。
物語もそろそろ佳境に・・・なるのだろうか?
あいっかわらず戦闘シーン腐ってますが、うまくかけるようになれたらいいなぁ・・・




