第30話 姉/暗転
父親の手紙には、石河開の家に行くようにという指示があった。
姉の電話は、とにかく来るなという指示だった。何か事件が起きているらしい。
石河が、転校してきた戒刃嶽人に気を付けろと言っていた。
ぜぇ、ぜぇと息切れしながら、何かが起きていると思われる目的地の建物を視認した。
明輝学園。小、中、高から大学、大学院まである超名門校であり、多くの有名人を輩出していることで全国的にも有名な学校である。
「はぁ、はぁ」
息荒い。
暑いんだか寒いんだか、よくわからない。冬の早朝なのだから寒いはずなのに、激しい運動をしたせいで体温が上がっていて、ひどく身体が火照っている。
けれども、息を整える暇も惜しい俺は、走るのをやめなかった。車通りの少ない大きな街道を走り、ようやく、明輝学園に着いた。
最初は格好つけて猛ダッシュしていた俺だったが、最終的には格好悪く門に寄り掛かりながらの到着だった。みのりに殴られたり蹴られたりした体が痛んだから、と言う事もできるが、それは言い訳に過ぎない。自分の体力のなさが情けない。
学園内は無人だった。綺麗な廊下や階段を蹴る足音が、よく響いた。
弥生から制服を借りるということも考えたが、それは女装になる上に時間に余裕が無いと判断し却下した。弥生はスリムだからサイズも合わないだろうしな。一人で行かなければならない。
階段を上っていく。
広大な敷地の学校だったが、何かが起きている場所がわかる気がした。体が勝手に動いていく。まるで、知らない間に、催眠をかけられているかのように。
みのりの居る場所までの一本道を駆ける。
そして俺は、屋上の鉄扉の前に立った。重たい扉が開かれる。
★
屋上は、異常なくらいに寒かった。風がびゅうびゅう吹いている。
「アキラ……」
目の前に、家で見た時と、全く印象の違う姉が立っていた。
落ち着いてる系セミロングの髪は、後ろに束ねる快活系ポニーテールになり、黒だった色も、極彩色の派手な色になっていた。地味だった服装も、その大きな胸を強調するような、胸元が大きく開いた服を着ていて、総合的に見れば格好いい系だった。
「姉……ちゃん? 本当に姉ちゃんか?」
「私は、言わなかったか? 来るなって」
力強い声だった。その声は確かに、姉の声だった。いつもと全然雰囲気はちがったけれど、根っこの声は変わらない。
「でも……」
「本当に……バカなんだから」
呆れたように、姉、結城姫乃は呟いた。
屋上にいたのは、姉だけではなかった。
横たわる木林がいて、その側に石河開と、俺のクラスに転校してきた戒刃嶽人が立っていた。木林をめぐって、石河と戒刃がにらみ合っている、みたいな形だ。
「どういう……ことだ」
「こうなってしまっては、仕方ないわね……」
姉はそう言うと、どこからか取り出した背の丈を遥かに超えるほどの長槍を片手で持ち、その先端を俺に向けた。形状としては、槍というよりも薙刀のようで、半月の形をした刃が禍々しかった。薙刀と言うには長すぎるので槍と呼ばせてもらう。
冬の朝焼けを背に、刃と柄の間に付けられた、オレンジ色の二枚の布が、バタバタと屋上の冷たい強風にはためいていた。
「アキラ……全てを、知りたい?」
「当り前だ」
即答する。不思議な長槍なんかに驚かない。催眠術の存在を聞かされた今では、超常現象的な力の存在だって受け入れている。こわくないと言ったら嘘になる。だけど、俺はもう決めた。
「俺は、全てを知りたい」
「後悔しない?」
「ああ。絶対にしない」
「はぁ……仕方ないわね……」
白い溜息を吐いた姉は、長槍を一度肩に担いだ。すると長槍は粒子に分解されたかのように消滅した。そして、俺に背を向け、木林たちの方へ歩き出す。俺も、姉の後に続いて行く。
「人格彫刻家って、知ってるわよね」
「ああ、石河から聞いてる」
「ふむふむ、そっか。じゃあ、手短に言うとね。デイドリームメイカー……つまり、私たちの父さんが作った、木林みのりと木林いのりが、今壊されようとしている」
「そんな」
絶対に許されない。それが本当だとしたら、そんなことはさせない。俺のことを手紙を盗み見まくる最低男だと認識させたまま死なせるわけにはいかない。罪滅ぼしをしなくてはならないのに。
「詳しくは、石河開に訊きなさい」
「ああ……どういうことだ、石河」
俺は、姉に言われた通りに、目の前にいる石河開に訊いた。しかし、
虚空を見つめて立ち尽くすばかりで、何の反応も示さなかった。どういうことだ。
姉がかわりに言うには、
「今の彼は石河開じゃないね。石河開は現在、木林みのりの中に入っているわ」
横を見ると、転校してきた謎の男、戒刃嶽人の様子もおかしかった。
二人とも、まるで意識が無いまま立っているかのようだった。微動だにせず、蝋人形のよう、とでも言えば良いのか。目に光が無いというか、きっと死んだ魚のような目っていうのは、こういう目のことを言うのだろう。
「だからね、アキラ。石河開のところっていうのは、つまり……」
ズドン、と腹部に衝撃。
どうやら結城姫乃が、再び手にした長槍の柄で俺を殴ったらしい。
ああ、俺は近ごろ殴られてばかりだな。殴られて当然のことも確かにしたけれど、今のは何故殴られたんだかわからない……。
「グッドラック、アキラ」
俺の視界は、自分の体が屋上の冷たいコンクリートの上に崩れ落ちる景色を最後に、暗転した。




