自由の番犬1
その報告書を読み終えて、僕は怒りのあまり頬が勝手に引き攣るのを感じた。
共和国の議員の財産を返還する様にと、旧貴族派の貴族の一人、ラケルタ子爵から要求があったそうだ。
王国と共和国は現在敵対関係にあるが、その交流の一切が途絶えた訳では無い。
無論王国と共和国の国境を直接越えるのは難しいが、小国家群を経由する事で商人が物や手紙を運んだりはしているのだ。
なので共和国との和平の道を模索しているという題目を掲げる親共和国派、旧貴族派を通してあちらからの要求が届く事もある。
僕からは、時に自らの欲の為に国を売り渡そうとしてる風にさえ見えるが、彼等なりの理屈は勿論あるのだろう。
王国も共和制になって共和国と和平する。或いはもっと進んで合併する。表立っては言わないが、彼等の望みはそれだ。
そうすれば国としても、そして貴族達も今より遥かに富む事が出来ると考えているのだろう。
だが彼等なりの理屈があったとしても、この要求は僕の怒りをかき立てる。
この返還を要求されている財産とは、先日共和国で救いだされて解放された奴隷、エルフや獣人の女性達の事だ。
僕は人道的にも大地の女神の教え的にも奴隷制度が嫌いだが、それを必要とする国があるのは理解している。
例えば国民からの支持を受けた国があり、支持を受け続ける為に国民に飴を与えて国を拡大していけば、その国は奴隷を必要とする筈。
国民に豊かな生活と発展を与えるなら、それを支える搾取して問題ない労働力は必須となるからだ。
寧ろ豊かな土地の恵みで、奴隷等に頼らなくても富む王国が例外なのだろう。
しかしその恵まれた王国で暮らしながら、救われた彼女達を財産として返還してやれ等と要求できる恥知らずな旧貴族派に、僕は拳を握りしめた。
困窮が時に人から善良さを奪うのは止む得ない事だ。
けれど豊かさの中で、特に恵まれた貴族にありながらも更なる欲の為に誰かを物扱い出来る人間を、僕は決して好きにはなれない。
共和国に関しては元からそんなものだと思ってるので今更だけれど。
一つ、二つ、大きく深呼吸をする。僕が此処で幾ら怒っても事態は解決してくれやしない。
具体的な対処を講じる必要があった。共和国の議員は兎も角、この要求を出してきたラケルタ子爵も、まさかエルフまでもとは思っていないだろう。
王国がエルフとの関係を損ねてまでいがみ合う共和国に配慮する筈が無いからだ。
実際には獣人達もエルフより託されたので、当然この要求は却下される。例え万一通りそうになっても僕が手を回して却下させる。
だがそれをラケルタ子爵が理解していなければ、亜人を、特に獣人を蔑視して軽く見て居る人間であったなら、身柄を先に押さえに出るかも知れない。
ではどうするか。こう言う時は騎士に頼ろう。
冒険者を動かすのも考えたが、貴族と敵対するリスクを冒険者に負わせるのは酷すぎる。
僕と親しい王国騎士団第七隊は基本的に強面揃いだが、副隊長のキャッサをはじめとした女性騎士も僅かだが居なくはないのだ。
人間に、特に男性に対して警戒心を拭いきれないであろう過去を持つ獣人達の直接護衛は、出来るなら女性にお願いしたい。
女性の人手が足りなければエレクシアさんにお願いして五隊からも人を借り受けられないか聞いてみよう。
幸いかな、獣人の女性達は現在旧市街の教会に全員固まって身を寄せて居る。バラバラになってない分護衛の人数はそこまで大量に必要とならない。
さあ動こう、今は時こそが重要だ。
獣人の女性達に安心出来る護衛を付けた上で取りうる最良の手段は、正攻法でラケルタ子爵の要求を棄却し続ける事だ。
彼の要求が通る道理が無い事を、理解出来るまで何度でも教え込んでやるだけでこの問題はやがて解決するだろう。
貴族的傲慢さを振りかざして身柄の確保に来たのなら、それを汚点として追い落としも図れる可能性がある。
しかし今回僕は待ちを選びたくは無い。
必要であるとは言え、配慮できる人材を選んでお願いしたとは言え、それでも護衛に貼り付かれる事に獣人の女性達はストレスを感じる筈だ。
例え護衛の騎士が守り抜いてくれるとは言え、貴族の私兵が身柄を捕まえにやって来るのは怖いだろう。
女性達の中にはまだ五歳の幼い少女、クラシャだっているのだから、そんな怖い思いをさせるのはダメだ。
だから僕は状況をコントロールする必要がある。
諦めるのを待つのではなく、諦めさせなければいけない。
傲慢さで暴発するなら、僕が火をつける事で暴発のタイミングを把握しなければならないのだ。
彼女達の眼前に現れる前に手早く摘み取る為に。
それは僕にとって少しリスクの高い手段になる。多分エレクシアさんやバナームさんには後で怒られるかも知れないけれど……。
その手段とはラケルタ子爵の秘密を探って回る事だ。密やかに、けれども探られている当人にはちゃんとわかる様に。
要するに挑発と脅しである。単純な手だが、宮廷魔術師である僕に嗅ぎ回られれば彼も生きた心地がしないだろう。
幸いラケルタ子爵には後ろ暗い秘密が沢山あると知っていた。中には公になれば彼の子爵位が消し飛ぶような物も混じる事も。
そんな秘密を抱えれるぐらいにラケルタ子爵が好き勝手を出来るのは、当然所属する派閥の力があるからだ。
親共和国派、或いは旧貴族派、呼び方はどちらでも良いけれど、現在では少数派になるとは言え彼等の力は決して侮れない。
彼等の中には、改革期に処分したくとも出来なかった老獪で力有る貴族家が含まれているのだ。
故にラケルタ子爵の秘密を暴き立てんとする僕の行動は、旧貴族派との敵対に発展する恐れがある。
元より彼等の敵対陣営である王家派に所属する身ではあるのだが、僕個人は未だ旧貴族派に然程敵視されていない。
僕が実績を積む事は彼等にとって目障りではあっただろうが、不利益では無かったからだ。
けれど今回は違う。僕の行動にラケルタ子爵が旧貴族派に泣き付けば、彼等が出張って来る可能性も十分にある。
とは言え話がそこまで大きくなったなら、王家派の介入も始まるので最終的にラケルタ子爵は消し飛ぶだろう。
そうなればもう獣人の女性達に手を出す者は居なくなる。後は旧貴族派に敵視された僕の戦いが始まるだけの事。
別に僕はそれでも構わない。覚悟を抱いて、そうするって決めたから。
しかしラケルタ子爵に少しでも想像力があるのなら、旧貴族派に泣き付けば最終的に自分の消し飛ぶ未来が理解出来る筈。
ならば自分で僕を何とかしようとするだろう。権力か知力か暴力で。
それでも僕を抑えれなければ、ラケルタ子爵も何故に自分が狙われているかを考える。そして自分の出した恥知らずな要求を思い出せば……。
そこで諦めて手を引く事で僕と手打ちを図るか、それとも彼女達の身柄を抑えてしまおうとするかは今の段階では判らない。
どちらにせよ決着は早いと思われる。




