隣国からの逃亡者
「フレッドー!!!」
顔に歓喜の笑みを浮かべ、両手を広げて走り寄って来るフルフレア。
けれど僕はそれを黙って待つ事はせず、此方から歩み寄って抱え上げた。……だってちょこちょこ走ってると転げそうで怖いんだもの。
首にしがみついてくる小さなエルフの幼子は、以前にあった時とあまり重さが変わらないように思う。
以前この子と過ごしていた時から既に1年近く。
やはりエルフは成長が遅いんだなと思って見つめて居たら、目が合ったので口の中に飴玉を押し込む。
とろけるような笑顔を見せたフルフレアに僕も思わず頬を緩めかけ、けれど己が此処にやって来た要件を何とか思い出して表情を引き締める。
眼前には、僕とフルフレアの再会を黙って、微笑まし気に見守っていた幾人かのエルフ。
ちょっと恥ずかしい。
「お招き頂き有難う御座います。宮廷魔術師第七席フレッド・セレンディル、王家よりの使者として只今参上致しました」
さて僕が今回エルフの里、普段は森の精霊の力で閉ざされた彼等の住まう地へとやって来たのは、別段フルフレアに会う為では無い。
勿論会える事を知った時は嬉しかったし、会えた今もとても嬉しいのだけど。
残念ながら要件はお仕事である。
共和国に奴隷として捕まっていたエルフ達が、とある冒険者の手によって救い出されこの森の同胞を頼って落ち延びて来た。
その際に共に捕まっていた獣人達も居たのだが、残念ながらこちらには行く当てが無かったのだ。
そこで冒険者達はエルフ達を開放した報酬に、獣人達も里で保護してくれないかと頼み込んだらしい。
だがエルフの里としても一時的に預かる事には勿論否やは無いが、時間の流れの違う種族と共に過ごす事は互いの為にならぬと知っている為、国を頼ったのだ。
僕はその冒険者達の名前に聞き覚えがあったが、記録には残さない方が良いだろう。下手に名前が広がっても共和国から狙われるだけなのだから。
ただアイツ等が元気にやってると知れて、前と同じ様にブレないで頑張っている事が聞けて、ちょっと嬉しかったのは確かだ。
そしてエルフ達は国にこの獣人達の扱いを相談する時に、担当者の名前を指名した。
以前に同じ様に囚われていた幼子の同胞を救い、暫くの間預かっていた僕の名前を。
ちなみにエレクシアさんも来たがって凄くごねていたが、最終的には諦めてお菓子の袋を渡された。
首にしがみついて来る暖かさはとても懐かしいが、今は仕事をせねばならない。
ポンポンと背中を叩いてフルフレアに離れる様に伝えるが、しがみ付く力が強くなるばかりで離れてくれる様子はない。
離れないの?
離れないのか。そうか。……どうしよう。ちょっと嬉しい。
まあ良いか。囚われてた獣人達は女性ばかりだと言うし、この方が警戒もとけるかも知れないとでも思っておこう。
エルフ達によって引き合わされた獣人達は十名で、十代や二十代の女性ばかりだが、一人だけ五歳位の子供が居た。
一人の女性の手をしっかり握る姿から見て、……親子だろうか?
あまり突っ込んだ事を聞くのは憚られるが、後で他の人に確かめようか。
同じ種族ではあるのだから、暫定的にはセットで処遇を決める予定だけれど。
犬に近しい獣人種のクー種が五人、兎に近しいマーチヘアー種が三人、そして残り二人が先程の暫定親子で栗鼠のラタトスク種だ。
クー種とマーチヘアー種は獣人の中でも割とメジャーで、王都でも見かけない事もない。特にマーチヘアー種は酒場のお姉さんとかに多い気がする。
しかしラタトスク種は割と珍しく、少なくとも僕が見るのは初めてだった。
どの方も大変美人だったり可愛らしい。彼女達が奴隷としてどの様に扱われていたのかは知りたくもないし、考えたくも無い。
まあ僕を見る彼女達の警戒に満ちた視線を受ければ、おおよその想像は付いてしまうのだけれど。
仕方ないとは思うけど、何もしてないのに女性からその手の警戒をされるのは少しばかり心に響く。首にしがみ付く温もりだけが心の癒しである。
「さて皆さんこんにちは。エルフの方々の要請で皆さんが今後どうするかを相談させていただきますフレッドです。どうぞよろしくお願いします」
僕が頭を下げると、おずおずとだが彼女達もお辞儀を返してくれる。
幸い不安と警戒はあっても話は聞いてくれるらしい。距離感は物凄いが、それでも一つ話が前に進む。
ただしこのあと僕は一つ彼女達に嫌われる事をせねばならないのだが……。とても気が重い。
「大地の女神様を信じる身として、同じ大地に生きる貴女達が不本意な立場から解放された事を嬉しく思います」
そして僕は説明する。この国は他国に比べて亜人差別が軽く奴隷が少ないと、けれど決して皆無では無いとも。
彼女達の扱いは慎重にならざる得ない。しかしエルフ達からの願いもあるので、無下に扱う事は断じてない。
それに僕個人としても彼女達の境遇は何とかしたいと思う。
故に彼女達の望む様に対処をすると決めている。
この国で暮らすならまずは場所を選んで貰おう。クー種ならばクー種が集まって暮らす村もあるので、そちらを紹介する事も出来る。
仕事を欲し、居場所を欲するなら教会の協力を仰いで一人ずつが王都に溶け込めるように尽力しよう。
もし別の国へ行きたいのなら、信頼できる冒険者を雇って道中の護衛を頼み込む。
けれどその全ては一つの、たった一つの条件を受け入れて貰えたらだ。
王国と共和国は敵対関係である。だから共和国の奴隷を開放してどんな形であれ救いを齎すのに障害は無い。
ただし共和国のスパイでさえないのならだ。
共和国で傷付いた彼女達にかける疑いとしては最悪の物である。
でも僕は王国の人間で、何より王国を守らねばならない。故に万に一つでも共和国のスパイの可能性があるならそれを潰さねばならないのだ。
「嘘を見破る魔術を使います。此れを受け入れ、僕の質問に答えてください。共和国のスパイでないか、貴族のスパイでないか、これからどうしたいのか等を」
僕の言葉に対する獣人の女性達の反応は怯えと戸惑いだ。
当然の反応だろう。僕と彼女達の間に信頼関係は無い。僕が彼女達の万に一つを疑う様に、彼女達だって僕を警戒して疑ってる。
それを責める心算は無い。これ以上を強要はしない。ただ結論を待つだけだ。
もしも拒むなら、本当に申し訳は無いが別の国へ移動して貰う事になるだろう。
仕方のない事だ。歯がゆい事だ。本当は何とかしてあげたいけど、僕からこれ以上手を伸ばす事は出来ない。
その時だ。ぺちぺちと僕の頬を叩いたフルフレアが耳元で小さく囁いた。
「フレッド、泣かないで」
と。僕は言葉に出しては返せない。けれど安心させる為に彼女の背中を小さく叩く。
泣いてないよフルフレア。僕は泣いてない。
寧ろきっと泣いてるのは目の前にいる獣人達だ。傷付いて逃げて来た地で、あらぬ疑いをかけられて。
けれどその時一人の獣人が前に出た。それは小さな小さな一人の獣人。
止めようとした推定母親の手をすり抜けて、僕のローブに縋りついて来たのはラタトスク種の少女だった。
「お兄さん、私が魔法を受けるから。母さんとお姉さんたちを助けてあげて!」
幼さと、そして怯えで僅かに言葉の滑舌が悪い。
そんな少女の健気さに、思わず眼尻に涙が滲んだ。ごめんフルフレア嘘ついた。やっぱりちょっと泣きそうです。
ふと、肩の力が抜けた気がした。僕は何をやってるんだろう。こんな少女を怖がらせるなんて。
気が張っていたのは仕方ない。彼女たちのこれからを思い悩んでいたのも確かだし、失礼だが同情もしていた。
でもこれは無い。気が利かないにもほどがある。情けなすぎるぞフレッド・セレンディル。
引き合わされた場で、立ったままで嘘を見破る魔術をかけさせろなんて、尋問以外の何物でもないじゃないか。
僕はしゃがみ込んで少女と視線を合わせる。急に姿勢が不安定になったフルフレアがむずがったが、抱え直す事で勘弁して貰おう。
「ごめんね。お兄さん気が利かなかったんだけど、お菓子とか好きかな? 良かったら皆さん、お茶にしませんか。王国のお茶は美味しいですよ」
目尻の涙を拭って問いかける僕に、皆の空気が少しだけ緩んだ気がする。
思うに、今回の案件は人選からして間違いだったように思う。
「クッキーか、飴玉、欲しい方に手を上げてください~。クッキーが良いかなー? 飴玉が良いかなー? あら両方か~、でも正直に言えたのでどっちもプレゼントしますね」
ラタトスク種の少女、クラシャと言う名前らしい彼女に、飴玉とクッキーの両方を手渡す。
例えば今回は、エレクシアさんならもっと上手くやれたように思うのだ。
エレクシアさんなら女性の気持ちも僕よりずっと理解出来るだろうし、彼女達も然程怯えずに済んだかも知れない。
それにそもそもエレクシアさんは僕よりずっとお茶を入れるのも上手なのだ。あの人も少し優し過ぎる気もするけれど。
ぺチぺチと頬が叩かれ、フルフレアが自分にもと言わんばかりに口を開けてる。
随分と可愛らしい顔なので眺めていたいが、開けた口から涎が落ちても困るので割ったクッキーをひとかけら放り込む。
何だか、席に座ってお茶を飲んでた獣人の女性達に笑われてる。お姉さんに笑われるのは、なんだかとても恥ずかしい。
次にぺチぺチが来たのは膝だ。クラシャがもっと質問は無いのかと見つめて来る。
どうやら嘘当てゲームを気に入ったらしい。嘘を見破る魔術も本当に使いようなのだなと思う。
あと全然関係ないけどクラシャが大分打ち解けてくれたのが凄く嬉しい。やはり小さい子には笑って欲しいから。
他の皆も少しずつ心を許してくれて来ている。丁寧に話せば魔術もきっと受け入れて貰える筈だ。
もし彼女達が王都に住む事を望むなら、シスター・カトレアに相談してみよう。あそこの人達は彼女達の事情をきっと理解してくれる。
仕事を見つけて、生活環境を整えて、そして悪い手を払い落そう。
皆が幸せになれるよう、僕の出来る限りで。
まあその前に、僕が帰る際に泣き喚くであろうフルフレアをどうするかと言う最大の難関が待ち受けてはいるのだけれど。
本日のお仕事自己評価35点。だめだめでした。もうすこしきのきくおとこになりましょう。




