葡萄とゴーレム
がっちゃがっちゃと多脚ゴーレムが大量の葡萄の上で足踏みする光景を見せられて、僕は眩暈に襲われる。
大きな受け樽に潰された葡萄果汁が勢いよく溜まって行く。
「どう、凄いでしょう。私の『足ばっかりヘカトンケイル君』は」
そう、凄いのだ。この多脚ゴーレムは。
大量の足が全てタイミングと速度さえも変えてバラバラに、けれど上体のバランスはけして崩れない様に足踏みを繰り返している。
偶に踏む角度まで変えているのだから芸が細かい。
これにより同じ面ばかり同じ風に踏まれると言う事が無くなり、満遍なく葡萄が潰されて行く。まるで複数の人間が潰しているみたいに。
そして踏む事によって葡萄が潰れ、足場の角度が微妙に変わって行くのに、常に安定した重心位置を確保するバランス維持機能が、本当に凄い。
全部が全部、無駄に凄いのである。
僕が此れを再現しようとすれば、出来ないとまでは言わないが数か月の時間を使って苦労するだろう。
下手したら制御の為にサイズが一回り大きくなるかも知れない。いや足回りあんな滑らかに動かせるかな……。
何でこんなに優れた技術を葡萄を踏む為だけに注ぎ込むのか。僕にはそれが、理解できない。
「ワインがね、飲みたくなったのよ。出来上がっちゃった奴じゃなくて、ほんのり酒精が宿ったか程度の凄く甘い奴を、ね」
そう言ってエレクシアさんが笑う。出来たのなら、僕も飲みたい。
潰した葡萄を日の当たらない静かな場所に保存するだけで、葡萄は少しずつワインへと変わって行く。時折混ぜたりもするけれど。
しかし変わり始めたばかりの頃、まだ酒精が宿り始めたばかりのそれは果汁の甘味が残って、寧ろ濃厚にさえ感じられて美味しいのだ。
甘い物好きにとっては、であるけれど。
酒としては赤子も赤子で、その時点で飲んでしまうのは邪道も良い所なので、基本出回ったりはしない。
ワインを作っている農家などが少しだけ近所と楽しむ程度の代物だ。どちらかと言えばジュースである。
故に僕等が飲みたければこうやってこっそり自分たちで作るしかないのである。
王国は農産物の輸出が強い。そこには単純に食料品だけでなく、茶や農産物を加工して作った酒類なども含まれる。
ワイン造りの時期になると、大規模葡萄園のある村には近隣から若い女性が大勢集まり、彼女達が踏んで葡萄を潰すのだ。それはもう楽しそうに。
それは貨幣を稼ぐ機会であり、近隣の村々との交流であり、古くから続く儀式でもある。
そう大地の女神に捧げる儀式としての側面がワイン造りにはあるのだ。
葡萄を踏む女性達の笑いは、実りの豊かさを示す。そんな実りの豊かさを凝縮された液体は、日の当たらぬ場所で寝かされる。
ワインは女神の懐に抱かれる事で風味が増すと言い伝えられているのだ。
真に優れたワインには女神の愛が詰まっているとされ、口にした者の身体に健やかさを与えるとさえ言われる程に、王国民にとってワインは特別な飲み物だ。
勿論それを理由に浴びる様に飲み過ぎる者は村の神官などに窘められたりするのだけれど。
だから今回のこのワイン風味の葡萄ジュースを作る事はほんのちょっぴり後ろめたい事であった。
そう例えばシスター・カトレアに知られたなら、ちょっと困った顔で反省してくださいねと言われる程度には。
まあ大地の女神はお優しいので、こっそり自分達だけで楽しむ分には見無かった事になさって下さる。
しかしまあ諸々に目を瞑ったとしても『足ばっかりヘカトンケイル君』を見るとやはり思う。
「技術の無駄遣いもそうですけど、何と言うか……、このゴーレムに足りないのは風情ですよね」
うん、ワインを造るのは神事だのなんだのはさて置いても、やはり可愛らしい女性であって欲しいと思ってしまう。
確かにこのゴーレムを創ったのはエレクシアさんなので、間接的には綺麗な女性が造ってると言えなくもないけれど、ちょっと違う。
「風情ねぇ。上体の造形を凝るとバランス悪くなるのよね。スキュラみたいになるのも冒涜的だし」
だから違うそうじゃない。先の言葉は少しばかりの可愛げが欲しいな位の意味しかないのだ。
別にエレクシアさんに踏めと言う訳じゃ無いけれど、その考え方も方向性が全然違う。
凝り性の片鱗が見え隠れしてる。
エレクシアさんは確かに凄いけど、やっぱり無駄にエレクシアさんなんだと痛感させられた。
「まあいいわ。出来たら呼ぶから飲みなさい。嫌いじゃないでしょう? とりあえず今日の所はお茶ね」
そうして僕はエレクシアさんにお茶を戴く。ガチャガチャ足踏みをし続けるゴーレムを横目に眺めながら。
余った葡萄を摘んで一口、ワイン風味の葡萄ジュース完成に思いをはせる。
今日も平和な昼下がり。
本日のお仕事自己評価40点。しゅせいつよいのはみつぞうしゅになるのでごちゅういを。




