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不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
28/30

迷路の終わり

 ショーウィンドウを踏みしめ、ぶらりぶらりと院部は先に進んで行く。

 いつものように浮かぶような足取りの癖に、まるで彼が歩く先に道が出来てゆくように、組みかえられた商店街は奥へと続いている。左右には、看板やら標識やらが、寄せ細工のように編み上げられた壁が伸びていて、時折馴染みのある文字が唐突に現れては、他人行儀な様子で不安げな私を見送る。

 阿弥陀くじの如く折れ曲がった電灯が、食品サンプル入りのガラスケースで出来た床から生えているおかげで、天井が放置自転車や、交通誘導人形で覆われていても、明かりに困る事は無かった。

「殆ど悪夢だな、こりゃあ」

 足元の換気扇に躓きかけ、私は毒づいた。

「一体どんな技術があれば、こんなでたらめな事が出来るんだか」

「だからまず大気中のエーテルをですな」

「いや、説明しないでいい」

 そう言って、「三千円ポッキリ」と書かれた看板を飛び越し、

「今は考え事をしている余裕が無い」

「どうせお暇な時間など御座いましても、貴君には到底理解できんようなオーバーテクノロジーでがんすよ」

 横になった「狸飛び出し注意」の標識に腰掛け、院部はこれ見よがしにため息を吐いて見せた。

「こんなところでぐずぐずしている間にも、あの鉤爪どもが時速八キロで追いかけるとき、伸太郎くんに追いつけるのは何分後でしょうか」

 確かに、と納得しかけたところで、自分の脳が、再び院部の言葉を即座に理解できるようになっている事に気付き、私は思わず苦笑した。

 当の院部は、二度ほどその場で軽く跳ぶと、三度目にぐっと腰を落とし、標識をジャンプ台代わりにして、「ホビー高原」の看板の上に飛び乗ってみせる。どうやら、次の道はその先にあるらしい。

「ほれ、早く逃げんと」

 パーカーの裾が翻って視界から消え、私は慌てて壁から突き出しているパイロンに足をかける。

 途端に、パイロンは根元から抜け落ち、バランスを崩した私は、目の前の看板にイヤと言うほど鼻頭をぶつけてしまった。

 痛みによろめいて、思わずあとずさると、「商」の字の横に小さなへこみが出来ているのに気付いて、ひどく焦った。幸い、看板と壁の間には、僅かながら隙間があり、そこから手を入れれば、裏からへこみを直すことが出来そうであった。


 直している間中、いつなんどき後ろから鉤爪が伸びてくるか、と落ち着かなかったが、どうにか目立たない程度にへこみを戻すと、再び足をかけられる場所を探す。

 朽ちた自転車のサドルを踏みつけながら、私は横目で看板を眺めた。年季の入った文字で、「奥田商店」と書かれたその看板を見て、思い出されるのは、院部が小学生相手に口論を吹っかけた、と私に愚痴る千草の姿である。


 猫の尾のように揺れるパーカーの後を追いかけていると、見覚えのある絵や文字が次々と目に入る。

 絨毯の如く床に敷き詰められていたり、天井からぶら下がっていたり、時には、心太(ところてん)よろしく壁から突き出されていたりもしたが、それらは皆共通して、院部のせいで私と千草が訪れる羽目になった店や場所であった。

「こうしてみると、我々の間には思い出が手のひらにいっぱいでありやがる」

「やかましい、前向きに捉えやがって」

 ようやく追いつき、息を整えると、私は思い切り彼をにらみつけた。

「全部僕と千草が謝りに行った所じゃあないか」

「でも素敵な思い出でざんしょ?」

 逆さになった自販機のボタンを、ぺたり、と押すと、小気味の良い音と共に、紙に包まれたコロッケが飛び出してきた。

 まだ湯気の出ているそれを、院部が適当なところで二つに割り、小さい方を私に投げてよこす。

「そこの飯屋も、この雑貨屋も、それからあの銭湯だって、皆男おいどん一匹がいなけりゃ、お前さんの箸にも棒にもかからん人生に引っかかってこなかったのだぜ」

「まあそうかもしれないが」

 魚沼氏お墨付きのコロッケは、まだ包装紙に油の染みこんだ痕が出来ていないくらいに出来立てであった。「いや、風呂屋には行くよ」

「どうだか。お前ほどに名高い戦国不精者を、手前どもは他に存じませぬし」

「お前の粘菌王国には負けるよ」

 二人分の包装紙をくしゃくしゃにまとめると、私は横向きに捩れたくずかごにそれを投げ込んだ。

「もっとも、大分前になくなっちゃったけど」

「なんでございますと」

 途端、愕然とした様子で院部が振り返った。

「近年一人しかいねえから絶滅が取りざたされたこの及公の貴重な生息地を崩壊させるとは、これはラムサール条約にもとる国際的蛮行として世間に公表して、大好評のうちに日本上陸して……」

 何処にそんな体力が残っていたのか、弾かれた様に院部は走り出し、つられて私も駆け出した。

「おい、待てってば、何処に行く気だ」

「国に帰って凱旋パレードを開くに決まっておろう」

 不意に足元の感触が柔らかくなったかと思うと、いつの間にか、辺りは森に変わっていた。

 木の根に躓き、枝に引っかかれたりしているうちに、見覚えのある薄汚れた明かりが目に入る。日によく焼けたお爺ちゃんのお肌のような肌色をした木造のこの建物を、私が忘れようはずも無い。

 私と院部は、どうにかコーポ鸚矢にたどり着くことが出来たのである。


 ○


「只今出かけております。お手数ですが荷物はここへ」と張り紙のしてある一○一号室の横を抜け、私と院辺は興奮気味に話し合った。

「さて、こうして王が帰還が成功した暁には、早速挙国一致して兵器を整備して奴等に全面宣戦布告をしてやらんとす」

「馬鹿言うな。武器は殆ど回収されてるんだぜ、手元にあるのはこれだけだ」

 腰にぶら下げたいくつかの兵器は、逃走劇のせいで酷く汚れており、元々の奇妙な外貌も相まって、殆ど鉄屑にしか見えなかったし、どの武器も今のところ役に立たない以上、これはもう鉄屑そのものであった。

 それでも院部は上機嫌で、ふんふん、と鼻を鳴らし、

「なあに、こっちにゃカリキュラ・マシーンのコントローラーもあるし、これだけあれば、彼奴等に一泡でも二泡でも、好きなだけ無き濡れてカニとたわむるがいい」

 コントローラーだけで何ができる、という私の言葉も聞かず、早速整備せん、と二階へ続く階段を登り、ドアを開いた途端、「ふんぎ」と声がして、彼が二○三号室に引きずり込まれるのが見えた。

 何事か、と考える間もなく、鋭い鉤爪が脇の下から伸び、羽交い絞めにされたまま、訳も分からず自室に放り込まれる。

「随分と手こずらせてくれたじゃあないか」

 宇宙人たちのリーダーは、そういって引きつった笑みを浮かべた。

「今度こそ、鬼ごっこは終わりだ」


 ○


 二○三号室は、ひどく荒らされていた。

 机の上の教科書類は、部屋の隅に叩き落とされ、ゴミ箱は逆さにされて、部屋で待機していたらしい鉤爪たちのイスにされている。変わっていないのは、脱走前に再生していた件のビデオを、停止したままずっと放っておかれていたらしいテレビだけである。

「何故貴殿がここに」

 鉤爪に組み伏され、床に這いつくばったまま、きいきいと院部は騒ぎ立てる。「個人情報保護法はどうした」

「阿呆抜かせ。あの迷路を誰が作ったのかわかってんのか」

 多くの鉤爪たちを従える身としては、今の彼の姿は随分と悲惨であった。数時間にもわたる追走劇のためか、目はひどく充血して腫れあがり、髪は富士山を飲み込まんとする波浪のごとく乱れに乱れ、その先端には、どうしたことか鳥の骨が引っ掛かっていた。

「しかし、気持ち良いくらい簡単に引っかかってくれたな、お前」

 不意に体が持ち上がったかと思うと、私は部屋の隅の方に投げ出され、院部と同じように組み伏せられた。腹部に当たる教科書の感触が、ひどく冷たく感じられる。

「げえ、ひょっとして謀られたとでも言うのか」

「ここまで簡単に捕まえられると、達成感がないというか、今まで何をやってたのかというか」

 ぶつぶつと呟くうちに、色々と思い出してきたのか、男はぐっと眉根を寄せた。

「今までの苦労は何だったっていうんだ、ええい、妙に腹が立つ」

 とにかく、と話を切ると、

「あとはお前を連行して、彼の脳味噌を取り出せば、我々も大手を振って帰れる、という訳だ」

 不敵な笑みを浮かべ、悪く思うなよ、と言うと、彼はゆっくりと院部の方へ歩き出す。


 ○


 いわゆる絶体絶命の状況に直面した時、多くの主人公は、大胆かつ華麗にその窮地を脱し、勇壮かつ瀟洒に正義の一撃を与えるものである。

 それは、この手記の主人公たる私もまた同様である。

 確かに、私がとった行動は、大胆というには程遠いかもしれないし、少なくとも華麗とは到底言えまい。およそ勇壮という言葉が似あう場面は一瞬たりともなかったし、ましてや瀟洒などとは口が裂けても言えない行動であったかもしれない。

 しかし、大事なのは行動ではない。心構えである。貧者一燈の言葉もあるように、蚤の心臓の私が、状況を打開するための一撃を見舞った、という、その心が尊いのである。

 従って、私はすでに行った行動に対し、うだうだと言い訳を述べるつもりは毛頭ない。

 ただ、少々みっともなかった、という事実を認めるのも、また吝かではない。

 真実を素直に認める心もまた、極めて尊いものである。


 ○


 院部の居住と私の脳味噌が危機に瀕したその時に、私が気が付いたのは、腹部を冷やす物体が、教科書にはあり得ない突起物を持っている、ということと、すぐそばに重ねられていた、本物の教科書類の下に、カリキュラ・マシーンが転がっている、ということであった。

 一体何故自分がそんなことを思いついたのか、今でもわからない。

 父母から受け継いだ才覚が目覚めた、とでも言うのなら、まだ説明もつかないことはないだろうが、図書館司書の父や、最近陶芸教室に通い始めた母から継承できる才能が、この至極下らない作戦の閃きに関わったとは思えない。

 私を押さえつけている鉤爪が、院部と男に気を取られている間に、ゆっくりと右腕を腹の下まで持ってくると、手探りで突起物を掴む。

「まったく、お前のせいでこっちは酷い目に遭ってきたんだからな」

 頭を掻いているうちに、引っかかっていた鳥の骨に気付いて、忌々しげにそれを放ると、

「何だってあんな所にゴミ箱が転がってんだ」

「さあてね、恐らく普段の素行がよろしくないからでっしゃろ」

 事もなげにそう言うと、院部は抵抗をやめて、彼の顔を見上げた。

「どこまでも生意気な奴! お前、これからどうなるのか、わかってんだろうな」

 男が憎々しげに吐き捨てる横で、私はボリュームの捻りを最大値に合わせる。

「知らんぞなもし」

 ふん、と鼻息を漏らし、

「それより、自分の身の心配をした方が良いかもしれないぜ」

 未だに信じられないのだが、その時院部は、こちらに顔を向けて、はっきりと笑って見せたのである。それも、いつものような小馬鹿にしたようなものではなく、どうしようもない悪戯を思いついた悪友に向けるようなものを。

 なんだと、と狼狽える男の方に向け、私は腹の下の兵器――リモコンコントローラーの「再生」スイッチを、ためらいなく押し込んだ。


 ○


 八月も中頃の話である。

 その日、私は非常に高尚かつ学術的な職業意識から、永武秘宝館の商品を検品していた。丁度夕暮れの頃であったと記憶している。

 如何に高邁な思いから職務を遂行していようとも、取り扱っている商品は商品である。外部に音が漏れないよう、私はイヤホン等を用いて、厳戒態勢を敷いていた。

 はずだった。

 如何なる用事があって、千草がそんな時間帯に二○三号室を訪れたのか、今となっては確かめる術もないし、その後のことは思い出したくもないが、とにかく、この一件から、私はある一つの事実を学んだ。

 いわゆる桃色映像作品は、あらゆる物理的法則を超越して、あたりによく響き渡る、という事実である。

 宵の頃の虫が咽び泣く中でも、彼女の耳には、あられもない音声その他諸々が確かに届いていたのである。

 (いわん)や、風さえ吹くのを嫌がるような、切迫と静寂に包まれた深夜ならば、である。


 突然テレビから流れだした悩ましげな音声に、鉤爪と男が仰天した一瞬、私は死に物狂いでカリキュラ・マシーンをひっつかむと、遮二無二院部に向かって投げつけた。

 瞬間、いつか見たあの奇態な動きで鉤爪から逃れると、院部はヘルメットをはっしと受け止め、その勢いのまま、それを男の頭にたたきつけた。

 ようやく我に返った鉤爪たちが、私と院部を捕えようとするよりも早く、腰に下げていたカリキュラ・マシーンのコントローラーを手に取り、一切の乱れもなく男の頭にそれを突きつけると、院部は躊躇いなくどどめ色の突起物を押し込んだ。

 突如、まったくの無表情になったかと思うと、やにわに男は爆発的な笑いの発作に襲われた。


 それは、実に奇怪な光景であった。

 つい数時間前まで、無情なまでの静謐に満たされていた自室に、今は不法に滞在する宇宙人と、それを拿捕せんとする、これまた別の宇宙人という、殆んど悪夢のような面子が揃い踏み、親に顔向けできなくなるような映像と音声とが、鼓膜を破らんとするような爆音で響き渡るその横で、それにも勝る大音声を張り上げて宇宙人の隊長が笑い転げている。いっそ悪夢であれば、と考えようにも、嫌でも耳に入る雑音がそれを許さない。地獄とはこのことか、と思われた。


 くの字に折れ曲がって捻転を続ける男を拾い上げ、院部は狼狽える鉤爪たちに向かい合った。

「静まれい、静まれい。貴君らのおリーダーさんは」

 彼としても精一杯声を張り上げているのだろうが、隣に立っている私ですら、彼の声を聞き取ることは難しかった。

「こんなんに成り果て申した。こいつめを治すには、こちらのコントローラーが必要十分条件になるが」

 何がつぼに入ったのか、笑いの発作が一段と激しくなり、増々聞き取り辛くなる。

「しかしこいつをつかえるのは、この乃公出でずんば誰がために」

 笑い声はいよいよ佳境に入る。とにかく、と切り上げ、テレビの電源を消してしまうと、院部は不敵な笑みを浮かべた。見覚えのある、自分以外のすべてを侮るような微笑みである。

「交換条件と行こうじゃあないか」


 ○


 書類の一番下に、ミミズでさえのたうち回るのを嫌がるような筆跡で自分の名前を書いてしまうと、院部はボールペンを男に押し付けた。

「これで私も犯罪者の仲間入りか」

 男は沈痛な表情と声でそう言おうとしたようだが、口から出て来たのは、学校が休校になったのを、表面上は残念がる阿呆学生のような声である。私は、改めてカリキュラ・マシーンを恐ろしく思った。

「公文書の偽造、しかも滞在許可文書の偽造なんてことがばれたら、首が飛ぶなんてもんじゃあすまないというのに」

 心から楽しそうに笑みをこぼし、男はやけくそ気味に許可印を押す。すぐさま鉤爪がその文書を回収し、持ち込んだ送信機に押し込んでゆく。

 深夜の四畳半は、役所の書類につきものの、わざとらしい程に厳粛な匂いに包まれていた。

「おい、この空欄には何て嘘を書けばいいので」

「保証人の署名だ」

 一目見るなり、盛大に吹き出しながら、私にペンを差し出すと、

「その惑星に星籍(こくせき)を持ってる支配種族なら、誰の名前だって構わん。たとえ浪人だろうがなんだろうがね」

「つまり、これに名前を書いたら、僕も犯罪者の仲間入りってわけか」

「フォローするつもりじゃあないがね」

 引き笑いの合間に、男は話を続けた。

「不法滞在宇宙人を匿っていた時点で、君はすでに札付きの悪人なんだぜ」

 そこまで言うと、自分の言葉に耐えられなかったのか、再び体をくの時に折り曲げたので、彼の姿は炬燵の下に消えてしまった。

 改めて、「他星人院部団蔵の半永久滞在許可書」に目を落とす。

 これに署名することで、今までの塩辛いばかりの人生が劇的に好転する、ということは、まずないだろう。

 むしろ、この経済的不況が蔓延する昨今、要らぬ負債を抱え込むばかりである。

 まさか、宇宙人と共同生活を送っていた、という経歴が役に立つ職種などないだろうし、仮にあったとしても、そんなものはこちらから願い下げである。

 だとすれば、取るべき行動は決まっている。

 私は今一度、しっかりとペンを握りなおした。


YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』より、ホビー高原を、

三衣 千月さんの『うろなの小さな夏休み』より、オクダ屋、もとい奥田商店を、

桜月りまさんの『うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話』より、魚沼鉄太さんを、

それぞれ話題としてお借りしました。

何か不都合な点などございましたら、ご連絡ください。


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