私の技能
コンビニを出てからどれくらいの時間が経ったのだろう。もはや小雨とは呼べない程に降りしきる雨の中、廃工場から飛び出した私は、ただひたすらに走り続けていた。
確固たる目的地があるわけではない。とにかく人気の多い所に出る事が出来れば、と気ばかり焦るものの、半年以上暮らしていたにも関わらずろくに外出をしてこなかった男が、入り組んだ工場地帯を颯爽と抜けられるはずも無く、三度資材置き場に突き当たった私は、思わず溜息を吐いた。
「また行き止まりか」
積み上げられた鉄骨に寄りかかって息を整え、腰にぶら下げた幾つかの兵器を手に取る。鈍く光るそれは、その人を食ったような外見同様、今の私にとってはちっとも役に立たない代物である。
「せめて一つだけでもいいから使えたらなあ!」
そう呟いて、引き金のように見えなくもない部分を何度か引いてみても、水虫菌噴射銃は沈黙したままである。
いっそ捨ててしまおうかとも考えたが、せっかくあの宇宙人のもとから奪還した物だというのに、という貧乏根性のせいで、ただ重いだけのそれを私は捨てる事が出来ないでいた。
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私に人生を生きてゆく上での才覚が全く不足している事は、既に周知の事実であろう。しかし、裏を返せばその事は、常人が生活を送る上で微塵も必要の無い、むしろ会得しているだけで後ろ指を差されるような技術を私が会得している、という事に他ならない。
では、院部との不毛極まりない同居生活において、汚泥の中から立ち上がる蓮さながらに開花した私の技能とは何か。
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いわゆる特撮史を語る時、仮免ライダーの存在は決して外す事が出来ない。
仮免習得中の大学生という身近な存在でありながら、同時に改造人間として自らを生み出した悪の組織と戦い続けるという「親殺し」の悲しみを背負うその姿は、老若男女を問わず昭和中期の人々を魅了した。
今でも「変形」の掛け声とともに親しまれる独特の変身姿勢は、特に初代のものが有名だが、流石に四十年以上も前の作品ということもあり、その正確なポーズを知るものは意外と少ない。
鉤爪宇宙人が私に披露して見せたポーズも、やはり正確なものではなかった。本来ならば頭上に掲げるはずの右手を、何故か腰に当てていたのである。
しばらくの間、呆気に取られて彼の姿を眺めていたが、やがて脳裏に閃いたものがあり、私は早口に喋りだした。
「やあ、それにしても上手いもんだ。手の角度から足の傾斜に至るまで、微に入り細を穿つとはまさにこのこと、ここまで完璧に再現されたのは今まで見た事がない。頭に装着された仮免ヘルメットが見えるようだぜ」
とにかく思いつく限りの賛辞をのべつ幕なしに喋りたて、そのポーズをひたすらに褒めそやすと、鉤爪は瞬く間に気を良くし、ぐっと身を反らした。その自慢げな様子にほくそ笑みながら、しかしそのことを気取られないよう細心の注意を払いつつ、私は更に彼を褒め上げる。
「いや、本当にここまで上手だと、これはもう本家本元を凌駕しているといっても過言じゃあない。ただ惜しむらくは、そのあれがもうすこしだけ、こう、あれだったら、次の仮免ライダーに選ばれてもおかしくないくらいの出来になるのだが」
鉤爪の反応はすこぶる早かった。一瞬怪訝な顔をしたかと思うと、もう私の隣に立って、講義するかのように身をくねらせている。予想通りの反応に内心安堵しながら、私はいかにも残念そうに言葉を続ける。
「もちろん僕としても、君にその改善点を教えてあげるにやぶさかではないけれど、しかし言葉で説明できる物ではないからなあ」
そういって、思わせぶりに溜息を吐いて見せた。
「せめて、ちょっとの間だけでもいいから、この縄を解いてくれる人がいればなあ!」
つまり、私が開花させた能力とは、まともな人間なら即座に見破ってしまうような、どうしようもないはったりと嘘八百で作り上げられた話術であった。今まで自称宇宙人をなだめすかし、良い気にさせるくらいにしか使い道の無かった技能は、しかし本物の宇宙人にも十分効果を発揮したようである。
気が付くと私の両手足は自由になっていて、傍らには、比喩表現でなく目を輝かせて私の変身指導を待つ鉤爪が立っていた。その後ろに、数多のゴミと一緒くたになって院部の兵器が置いてあるのを確認すると、私は久しぶりに心の底から笑顔になった。
そして恐らくその笑顔は、私の短い人生の中でも、特に気色の悪い物であっただろうことは想像に難くない。




