表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
25/30

記憶

 私は試験を受けていた。三限目は歴史である。開始の合図と同時に問題用紙を表にし、そのままの姿勢で硬直した。

「第二十四代汎銀河大統領院部団蔵の業績を次の四つのうちから一つ選べ」

 その下には宇宙怪獣の征伐、地球訪問等、とても正気とは思えない選択肢が並んでいる。

 ゆっくりと辺りを見渡せば、受験生は皆私を襲った鉤爪たちで、どういうわけか試験官は彼らのリーダーたるあの食い逃げ男であった。

 絶望的な気分で手元に目をやると、親指サイズの千草が居て、私にペンを握るよう催促する。

「良いですか、二浪生を置いとくスペースなんか、うちにはないんですよ。ほら、そこの答えはイですよ、全く情けない」

「何を言ってるんです。院部大統領が地球を統一したのは、汎銀河暦三七五六四年六月二日、浪人皆殺し(62 37564)、でしょう」

「それよりも、こちらの方が問題ですよ。こんなの、小学生でも間違えません」

 いつの間にか五人にまで増えた千草たちに恐怖を覚え、気付かれないように後退りすると、やにわに足を踏み外しかけ、私は大きくよろめいた。

 振り返れば、目の前には断崖絶壁が広がっていて、その中腹辺りには、秘法館の全商品を背負った永武さんが、苦悶の表情を浮かべてしがみついている。

「ほら、早く問題を解かないと、永武さんを助けに行けませんよ」

 鼠算式に増え続け、ついに机の上から零れ落ち始めた千草たちに、声をそろえてそう言われて渋々ペンを手に取ったが、こんな問題、いくら考えても解けるものではない。

「それじゃあ院部さん本人に訊きましょう。彼が何処に居るのか、ご存知なんでしょう?」

「知りませんよ、あいつとはもう二ヶ月近く会ってないんだから」

 そう応えても、彼女たちは聞く耳を持たず、「知っているはずです」と繰り返しながら私の方へと押し寄せる。

 まさか千草を踏み潰すわけにもいかず、じりじりと後退するうちに、いよいよあと一歩で転落するという位置にまで追い詰められた。

 詰問の声はますます大きくなり、断崖に反射した声も重なって、さながら山鳴りのようである。耳をふさごうにも、いつの間にか肩にまで千草が乗っていたせいで上手くいかない。

「院部は何処に居る」

「君は知っているはずだ」

 知らない、と叫ぶたびにその数は増え、今では辺り一面に爪の先くらいの黒々とした塊が蠢いている。

 今はもう、声も顔も千草のものではない。それらは、あの男の顔つきになっていた。

 そのことに気付いた途端、ついに足元の地面が崩れ落ち、私は再び闇の中へ、今度は物理的に落下した。

 あっという間に彼らの顔も、永武さんも、意味不明な問題も遠くなり、声だけが怒り狂った蜂の如く、耳元でわんわんと鳴り響いていた。


 ○


 例えば少し昔の仮免(かりめん)ライダーのような、日曜の朝方にやっている分かりやすい勧善懲悪ものの特撮などで、敵に捕まったヒロインなんかが目を覚まし、「ここは一体」と不安げに言うシーンなんかがあるが、私はそういう場面を見るたびに「白々しい」と苦笑していた。

 捕まる前にしっかりと敵の姿を見ておいて、ここは何処もなにもないものだ。どうせ支部か本部か、敵の手中なのは違いない。大体そんな台詞を言ってみたところで、状況が変わるわけでもない、と考えていたのである。誰からも嫌われる視聴者である。

 けれども、世の中経験してみないとわからないこともあるもので、目を覚ました私がまず最初に口にした言葉も、やはり「ここは一体」であった。

 別段何か考えがあったわけではない。ただ、とりあえず何か喋らないと不安だったのである。

 だから、すぐ隣から返事があったときには、飛び上がらんばかりに驚いた。

「南の工場の内の一つさ、今は無人だがね」

 そういってあの男が横から顔を突き出したので、また飛び上がらんばかりの衝撃を覚えたが、今度も飛び上がることはできなかった。

 私は鉄の台の上へ大の字に寝かされ、手足を縛られていたのである。

「う、え、あ、いや」

 多色ボールペンの芯を全色同時に出そうとするかの如く、尋ねたい事柄が咽元めがけて殺到し、しばらくの間、私はみっともなく呻いた。

「な、なんで」

「最初に言ったじゃあないか、今日は君にお詫びをしに来たんだって」

 なるほど、地球人の中にも、少数ながらこういった緊縛を楽しむ人も居るというし、あるいは宇宙人たちのお詫びというのは、相手を縛り上げることなのかも知れぬ。少なくとも、わたしには一生涯かかっても理解できそうに無いやり取りである。

「君も中々の阿呆だな」

 侮蔑の表情でそういうと、彼はゆっくりと私の足元の方へ歩いて行く。台が斜めに立っているおかげで、さほど首を曲げなくても彼の姿を追うことができた。

「君、大学に受かりたいかい」

 非常識的な存在から極めて現実的な話題が飛び出し、私は再びうろたえた。

「そりゃあ、受かりたいさ」

「そのためにはどうするべきだと思うかね」

「勉強する、とか」

「もっと具体的に言いたまえよ」

 まるで担任と話しているかのようである。昨年の様々な失態を思い出し、私は一人いたたまれない気分になった。

「現代文、はできるから、英文法とか、日本史とか」

「つまり、その文法だかなんだかを全て暗記できれば受かるわけだ」

 それができれば学習塾や参考書などというものは存在しないのだ。「まあ、そうだよ」

「じゃあできるようにしてやろうじゃあないか」

 自信満々に言い切ったその表情が深夜の怪しげな通販番組の司会と被り、自ずからため息が出た。

「ベテルギウス式暗記術かなんかでも教えてくれるわけ?」

「馬鹿にするな、そんなちゃちな物じゃあない」

 ベテルギウス人でもないし、というと、彼はつかつかと私の頭の方へまわる。

「ただし、その為には君の方からの協力が不可欠だ。と言っても、そんなに大層なものではないがね」

「何をするのさ」

「院部に関する全ての記憶を提供してもらいたい」

 その時だけ、男の口調がひどく冷たく響いたような気がした。

「提供?」

「そう、君の頭の中にある奴との記憶の一切合財を切り取り、こちらがそれを受け取るということだ」

 私は再び言葉に詰まった。男は黙ったままこちらを見つめている。


 ○


 実に残念なお知らせだが、自称宇宙人の院部 団蔵(いんべ だんぞう)は美少女ではない。美が少ない年寄り、という意味では美少年かもしれないが、実際、年の方もよく分からないのである。

 異星人らしい目つき、地球人とは思えぬ耳、ベテルギウス星系人のような頭、地球外生命体じみた顔つき。

 これらが院部の偽らざる全てである。有機物も無機物も引っ括めて、地球上で彼に欠片でも似ているものはない。無理矢理例えるならば、太陽の塔を人間大にして、噛み付き、捻り、蹴倒し、踏みつけ、唾を吐きかけた上で、極めて悪意に解釈すれば、多少は似てくるかもしれない。

 しかし、著名な文化財にそんなことをする人間がいるはずもないから、殆どの人類は、彼の顔面に少しでも似ているものを全く見ることなしに生涯を送ることができるだろう。

 これはとても幸いなことだと、私は思う。四月にうろな町に越してきて以来、私は目撃した瞬間、反射的に憎しみを覚えるくらい、この顔には苦労してきたのである。

 過去問の出来が散々だった時、院部は私を盛大に馬鹿にして大いに笑った。

 私が彼の道具を捨てた時、院部は私を痛烈に糾弾し、身も世も無く号泣した。

 友人から彼女との相思相愛の程を自慢する電話があった時、「恋人どもよ滅ぶべし」と叫ぶ私に、院部は「人間はこれ以上生み増えるべきではない」という自説を掲げて賛同し、大気炎を上げた。

 私は常にで「浪人は孤独であるべし」と叫び続けてきた。

 そしていつもその隣で院部は笑っていたのである。


 ○


「君は今まで奴の悪行に振り舞わされ、本分を疎かにしてきた。それを解決できるのだから、そういう記憶を提供するくらい、別に拒む理由も無いだろう」

「何でそんなものを欲しがるんだ?」

 ようやく口を開いたとき、私の声はひどくかすれていた。

「それも条件の一つなのさ。奴が地球上に不法に滞在し、そこに暮らしていたという強力な証拠だ」

 私は黙ったままうつむいた。


 私と院部は友人ではない。

 院部は事あるごとに私を馬鹿にしてきたし、私の身に降りかかる災難の大部分は院部が引っ張り込んできたものだ。


 それでも、どんな手段を用いるのであれ、私はその記憶を明け渡そうとは思わない。全く論理的ではないが、それが私の答えだ。

 ぐいと顔を上げ、男の目を正面から見据える。

「僕は――」

「まあいい、あまり時間も無いことだし、さっさと終わらせてしまおう」

 そういって私の頭の側に屈みこむと、彼は銀色のヘルメットを取り出して見せた。


 実によく似ていた。

 むしろ本家本元であろうカリキュラ。マシーンよりもよく出来ている。

 用途不明な飾りは、全て実用的な凶器に取り替えられているし、内側に取り付けられた大型の錐は、青ざめた私の顔がはっきりと視認出来るくらいに磨き抜かれている。

 いわば、カリキュラ・マシーンの悪意に満ちた模造品である。事務的な害意を発散させる、ろくでもない兵器である。

「本国に戻れば、こんな原始的な手術を行わなくても済むんだが、まあ恨むなら斉藤を恨みたまえ」

 先程まではほんの少しだけ芽生えていた勇気が、実を結ぶ前に立ち枯れ、私は出来る限りそのヘルメットから離れようと、必死に身をよじる。

「何だ、その凶器はッ」

「凶器とは失敬な。これ一つで頭蓋骨の切開と脳の摘出を行える優れものなんだぜ。本当は本部にある光学式生体スキャナーとかが使えりゃあよかったんだけど、君を本部まで連れて行くと惑星法に抵触する恐れがあるし、無理は出来ないからね」

 麻酔もかけずに頭を切り開く方が無茶だろう、そう言おうとしても、喉からはうめき声が出るばかりである。

「ええと、説明書は何処だ……え、対象の頭部に本製品をカチッと音の鳴るまで押し込んでください。開始ボタンを押すと、切開および摘出が開始されます。二分ほどで摘出は終了します。観賞用に保存する場合は十三ページへ、記憶を取り出す場合は十四ページへ進んでください」

 ページをめくるたびに指を嘗めるせいで、説明書らしい紙の束にいくつもの黒い染みが出来て行く。

「あったあった……摘出した脳髄を二センチ角に切り分け、保存液と一緒に付属のミキサーで十分程度攪拌してください。出来上がった溶液は、別売りの解析装置上部へ流し込んでください。解析には二十分ほどかかります……面倒だなあ、うちにある奴なら三分くらいで終わるのに」

「記憶を取り出すって、そんな物理的な方法だったのか」

 私の声は潰れたヒキガエルのようである。

 ありきたりな表現だ、というならば、潰れたヒキガエルの声帯模写に失敗した浪人生の声のようである、とでも言い換えておこう。

「脳が無いのに、どうやって受験に浮かるって言うんだ」

「代わりに機械脳を埋め込んであげる。それが我々なりのお礼さ。型落ちの奴だけど、まだまだ現役だぜ。人間なんかの脳と違って、任意で覚える覚えないを切り替えられるんだから……まあ、容量を超えると、古いほうからところてん式に忘れてっちゃうのが欠点だけど、なあに、元より人間の脳は十パーセントも使ってないとか言うし、大丈夫に決まってる」

「冗談じゃない!」

「冗談じゃあない。ある一線を越えなけりゃ、一回読んだだけで覚えられるんだ、絶対に受かる……ただ、今後海外旅行に行くのはよすんだな。金属探知機なんかに引っかかるかもしれんし、最悪爆発するかも」

 殆どテロリストである。「そんな無茶な、大体、なんで僕の記憶だけなんだ」

「そりゃあ君の記憶が一等強烈だからさ。次点はあの大家の娘さんだが、それだって君のには遠く及ばない。持って帰るのは一人分のだけで十分だしね」

 狂気のヘルメットは、今や私の頭上すれすれにある。

 あの太い錐が頭蓋に突き刺さるのかと思うと、目を開けているのも恐ろしく、私は瞑目して、口の中で思いつく限りの神仏に祈った。


 布袋様にまで祈ったところで、一向に痛みを感じないのを不審に思い、ゆっくりと目を開くと、ヘルメットは脇に追いやられ、男はこちらに背を向けたまま鉤爪たちと口論している。

「見つけたのなら何故さっさと捕まえに行かんのだ」

 剣突を喰らわされているのは、彼らの中でも一番背の低い一人である。

 宇宙人の識別に自信があるわけではないが、その悲しげなくねくね動きからすると、私の部屋で睨まれていた奴だろう。

「山か、人通りの無い所へ逃げるとは、やはり阿呆だな、よし」

 さらに二言三言何事かを口走ると、二人の鉤爪を連れ、彼は私の後方へと走り去って行った。相変わらず目の端に移るヘルットを視界から追放するべく、顔を背けながら様々なことを考える。


 見つけた、捕らえろと騒ぐからには、院部が発見されたと見てまず間違いないだろう。

 実に良いタイミングで見つかってくれたものだ、と危うく彼に向かって感謝の言葉を口にしかけたが、そもそも院部がコーポに住み着かなければ、こんな目には遭わずに済んだのだ、という事実に気付き、私は口をつぐんだ。

 辺りには中途半端に中身の残っているペットボトルや、私にも馴染み深いカップ麺の食べ残しなどが散逸しているが、こんな状態の中で消毒もせずに脳を取り出したりしても大丈夫なのだろうか。

 そもそも、私の脳を機械に挿げ替えた場合、私にはどのような変化が生ずるのか。まことに勝手なイメージだが、いわゆるアンドロイドは基本的に無感情だと思われる。

 そうすると改造後の私も、感情を失った冷酷な殺戮マシンに成り果てるのだろうか。

 己の貧弱具合を鑑みるに、そうまではならないにしても、少なくとも妄想能力は失われるだろう。人生の大部分を妄想で食い潰してきた私にとって、これは極めて重大な変化である。


 そうやって半ば現実逃避気味な妄想をたくましくしていると、不意にヘルメットが浮かび上がってこちらへ向かってきたので、私は三度飛び上がらんばかりに驚いた(そして当然飛び上がれなかった)が、注意してよく見ると、ただ単に一人残った鉤爪がヘルメットを持ってこちらへ向かって来ているだけであった。

 一瞬安堵した後、反動で私はさらに恐怖した。

 私はまもなく改造されるだろう。

 ああ、もういっそ、新造人間として生き延びてやろうか。故郷には私の家が在る。猫も居る。両親は、まさか私を家から追い出すようなことはしないだろう。感情だの、妄想だの、考えてみれば、くだらない。人を落として自分が受かる。それが受験戦争の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、小ずるい浪人生だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。

「ええい、なんだか本当に仮免ライダーみたいな最後だ」と、殆ど自棄になってそう呟くと、不貞腐れた牧人の如く開き直り、来るべき衝撃に備えたものの、今度も中々切開が始まらない。

 よもや目を開いた瞬間に開始されるのではなかろうか、と恐る恐る目を半目に開くと、鉤爪はヘルメットを持ったまま、何度も奇妙なポーズをとっている。

 一瞬呆気に取られたが、しばらく彼のポージングを眺めているうちに、私の脳裏に、悪の組織が日本を裏から牛耳る世界最大規模の自動車専門学校であるが故、未来永劫本免を取得することが出来ない非業のヒーローの姿が浮かび上がった。

「それ、もしかして初代仮免ライダーの変身ポーズか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ