不法滞在宇宙人
コンビニを出たのは、午前二時を少しまわった頃である。コーポを出た時から曇っていたのが、とうとう堪え切れなくなったかのように小雨が降り始めていて、私は少し駆け足気味に帰り道を進んでいた。
つい先程宇宙人の忘れ物を見たせいか、道すがらに思いだされるのは、千草と三人で町を歩いた夏の思い出ばかりである。
孤独、小雨、深夜。
感傷的な気分に浸るための舞台は整えられている。これで切ない思い出の一つや二つでも独白するかのごとく思い出せれば、私も悲劇の主人公という役に酔うことも出来ようが、無常にも思いだされるのは、院部が問題を起こし、私が千草に叱られる場面ばかりである。センチメンタルも何もあったものではない。
そうやってふらりふらりと歩きながら、ふと顔を上げると、私の少し前を誰かが歩いている事に気付いた。
やけに背が高い。私が千草を肩車してもまだ届かないであろうその頂点に、鍔の広い山高帽を被っている。こんな時間に出歩く人も居るのか、と自分の事を棚に上げて驚いているうちに、右にも一人立ち、左にも一人つき、何時の間にか私は山高帽の集団に囲まれてしまった。
何事かと周りを見回す間にも、彼らはゆっくりと距離を詰めて来る。大分厄介なことになった。
どこかで見たような気もするが、一体彼らは何者なのだろうか。恐喝の類なのかしらん。しかしそれにしては妙に静かである。
山高帽なんかを被って、必要以上に紳士然とした態度を装ってはいるが、物陰に入った途端豹変するかもや知れぬ。油断は出来ない。
ああ、やはりこんな時間に外出などするんじゃあなかった。今さっきカップ麺を買ったせいで今は二十四円しか持っていないというのに、こんな奴らに絡まれるとは。
しかし、私も災難だが彼らもついてないものだ。もっと懐の温かい客もいるだろうに、よりにもよってこんな素寒貧の男を標的にしてしまうとは。
よしんばかつあげが成功しても(確実に成功するだろうが)、彼らの収益は一人頭たったの八円である。彼らも落胆するだろうが、一番かわいそうなのは私だ。と、たった数秒の間にそこまで考えてから、私はようやく彼らの違和感に気付いた。
足音が全くしないのである。小雨の降る道に響くのは私の靴の音ばかりで、三人も居るというのに、彼らは音を立てることなく、すべるように私の周囲にまとわり付く。
なるほど、これなら標的にも気付かれ難かろうが、しかし一体どういう仕組みなのかと、私は彼らの足元に目を凝らした。幸い、仕組みはすぐにわかった。彼らは浮いていたのである。
いくら私が救いようの無い阿呆であっても、彼らが母なる大地に反抗して浮いていられるのは、恫喝その他で日銭を稼ぐような地に足着かぬ生活を送っているからだ、などという屁理屈に諸手を挙げて納得するほどの馬鹿ではない。
が、しかし、では彼らの地に足着かぬ歩行術とは一体どういうものなのか、という疑問に対し、瞬時に筋の通った回答を返せるほどの秀才でもない。
この難問にてこずっている間にも、彼らはゆっくりと近づいてくる。
今はとにかく、思索よりも逃走あるのみ、と顔を上げたところで、その手が鉤爪状になっていることに気付き、ようやく彼らの事を思い出した。
七月下旬、私が孫吉氏に変態であると勘違いされた、その原因を作った宇宙人どもである。たった三ヶ月ほど前の事が、私には何年も前のことのように思われた。
正体不明の宇宙人に遭遇したとき、浪人生がとるべき真に正しい行動とは何か。
正体不明の宇宙人と半年以上の同棲経験を持つ私が断ずるに、それはさっさと捕まることである。絹を裂くような悲鳴を上げて逃げるなどという行為は下策の極みであり、発案者の良識を疑わざるを得ない愚行である。
実際、この策に惑わされた一人の哀れな浪人生は、宇宙人とは無関係の第三者から顔面を殴られるという憂き目に会っていることからも、この理論の信憑性が伺えるというものだ。
かくして、先の理論を実践に移し、私は極めて紳士然とした態度で彼らに捕らわれた。二人の宇宙人に両側から手をとられた私は、彼らに対し、私は一介の浪人生であり、一般的な地球人のサンプルにするには適さない、などということを、辛抱強く何度も繰り返したが、彼らは私が「責任者と話がしたい、貴君らのリーダーのところへ連れて行ってくれ」と言う度に、どういうわけか爆笑するだけで、あとは一切反応を示さなかった。
このやり取りの間、私はやはり礼儀正しく振舞っていた。決して逃げ遅れたとか、捕まった時点で殆ど破れかぶれになっていたとか、そういうことではないという事実は、聡明な諸君の目には明白なことであろうから、あえてここに書いたりはしない。
○
世に宇宙人を見た、と証言する人は数多くあれど、実際に宇宙人に連行された、という人は中々少ないだろう。
ましてや、連行された先が自分の賃借りしてるアパートの一室で、その中で彼らのリーダーが、公共の電波には到底乗せられないような際どいビデオを見ていた、という人は尚更である。
その上、そのリーダーが数ヶ月前流しのラーメン屋で会った男だった、などと言おうものなら、これはもう全くの妄言として処理されるか、あるいは精神の衰弱を疑われて病院送りにされるかの二択になる。
幸か不幸か、私の眼前に展開されたこれらの光景は、妄言でもなければ幻覚でもなかった。男はビデオを一時停止させると、床から立ち上がり、ゆっくりと私の方に振り返る。
「中々良い趣味をしてるじゃあないか、井筆菜君。何処でこのビデオを手に入れたんだい」
永武さんと私の名誉、及び公序良俗に配慮して、ここではそのビデオの内容を詳らかにはしないけれど、彼はそのパッケージを見て、実に嬉しげな笑顔を浮かべていた、とだけ記しておく。
「今まで見てきた中でも最高の一品だぜ、これは」
「今までって、そんな何本も見てきたのか」
「ああ、この隣の部屋にあったのは、大方見てしまったな。確か、二ヶ月くらい前だ、ちょっとコピーに手間取ってしまったけれど」
「あれもあんたの仕業か」
不意に、あの夏祭りもどきを行った夜のことを思い出した。すると、永武さんに徹夜の巻き戻し作業を行わせたのは、彼であったわけだ。「違法コピーは犯罪だぞ」
「まぁ、そう怒るな。今日はそのお詫びもかねて、こうして君の部屋へお邪魔させてもらってるんだから」
そういって冷蔵庫から黒ずんだ煮卵を取り出し、旨そうに頬張る。
それはもう二ヶ月も前に作ったまま、忘れていた奴だということを教えて、溜飲を下げようかと口を開きかけたが、彼が喋り出す方が先であった。
「さて、ご覧の通り我々は君達の側から見て、いわゆる宇宙人であるわけだが(喋りながら、彼は私を捕まえている三人を指差した。手のふさがっていない一人が照れるように身をくねらせるのを、彼は驚くほど冷徹な目線で射殺す)、君の抱いている一般的な宇宙人のイメージのような、片言で話したり、街中で光線銃をぶっ放したりするような輩ではない。地球侵略なんて野望を抱いてなんか全然ないし、むしろ、この美しく青き惑星の環境保全を目的とする、凄く良い団体から派遣された、凄く良い集団なんだ、わかるかい」
私は黙ってうなずいた。
彼の言い分を全て了解したわけではないが、彼らが少なくとも人間ではないことは確信できる。
その言葉の節々に、何処と無く院部のものと同じ胡散臭さを感じたのである。
「よろしい、普段の我々は地上の様子を観察することが出来、且つ地球人には発見されにくい高度――君達の単位で換算すると、まあ八十キロメートルくらいに位置する宇宙空間だね(こうやっていちいち注釈を付けるのは、面倒な上にあまり好ましいものでもないから、これきりにさせてもらうが、高度八十キロメートルはまだ大気圏内である。こういった細々とした胡散臭さが、また強く院部を彷彿とさせるのである。)――から常時君達を見張っていたのだ。ところが、師走も過ぎたる今年の初め、ある一つの厄介な事件が勃発した。私の担当する区域に、みょうちくりんな生き物が現れたのだよ」
最初にその怪人を見つけた時、彼は我が目を疑ったという。
奇怪な眼に奇矯な服装、意味不明な言動等、どれをとっても地球のものではない。こんな奴がどうして、と思うまもなく、その怪人が強引にコーポへと居座ったのだからたまらない。
「急ぎ本部へ電報を送った。ところが返ってきたのは、「そのような生物が自然発生するとは思えない。よしんば現れたとしても、到底長生きできまい。無用の手出しをして地上を混乱させるよりも、放って置いて垂たれ死ぬのを待て」とまぁぜんぜん消極的な返信だ。畜生、斉藤の野郎、自分が現場に居ないからっていい気なもんだ。なんだい、鬼が鏡に映った自分の顔に驚いてるみたいな顔しやがって、大体俺ぁあいつのことが」
再び斉藤なる人物への愚痴が始まり、私はうんざりした。
いかに斉藤氏が人骨卑しくむくつけき野郎であるかを滔々と語られても、肝心な本人の面相を私は知らないのだからどうしようもない。全国の無関係な斉藤さんにも迷惑がかかるし、全く宇宙人の愚痴というものは始末に終えない。
「まあ、奴の事はどうでもいい」と、自分で提起したくせに、件の斉藤氏をあっさりと放り出し、彼はまた妖しげな話を始める。
「とにかく、本部からそういう通達が来た以上、我々もそう軽々には動けない。泣く泣く指をくわえて奴を注視することになったわけだが、この不審者、あろうことか人間と同居なんぞを始めやがった」
地球環境の保全を一任されている彼としては気が気でない。 繰り返し本部へ電信を送ったものの、斉藤氏から返ってくるのは「手出し無用」の文字ばかり。
もう奴らを当てにはせん、と同居人の言いつけを無視して度々一人で外出を繰り返すそいつの拿捕を試みもしたのだが、他の事は何一つ満足にできぬ癖して、逃げることに関しては、その生物の右に出るものが居らず、奴が現れてから約半年もの間、彼らは全く手を打てないでいた。
だが、責任者たる彼の胃に五円玉程度の穴が空き、電報を送るのが奴を捕らえるためなのか、斉藤氏への嫌がらせのためなのか判然としなくなった頃、本部からある一通の長い文書が届いたのである。
斉藤氏が根負けしたのか、あるいは通信係から苦情でも出たのか、それは「以下の全ての手順をこなした時のみ、その怪人を地球上で捕らえても良い」という、いわば条件付の逮捕状であった。
令状は二十四枚にも渡り、その殆どは手順の説明に費やされていて、最後の方にはご丁寧にも、「私個人の意見としては、そのような生物が地球上に存在するとは到底思えない。担当士官には精神薄弱の気があるようだ」という斉藤氏からの一言も添えられていた。
これに触発された彼らは、即座に行動を開始、計四十二項ある手順の一つ一つを確実につぶしていった。
「彼が持ち込んだ武器類の接収等、難しい要求もあったが、我々は着実に条件を達成し続けた……あのビデオだって、彼が地球上で入手した情報の解析という立派な名目があったからこそ、やむを得ず複写したのだよ。決して個人的な興味があるわけじゃあない」
その割には、ビデオを再生していた時の喜び方が真に迫っていたようだが、といいかけたが、私はその言葉をゆっくりと飲み込んだ。
先程から私を捕らえている手に、少しずつ力が入ってきているような気がしたのである。
「その中でも、最も面倒だったのが査証関連のことだった。君の部屋に、こういうチラシが届いただろう」
そういって懐から小さく折りたたまれた紙を取り出し、私の目の前でそれを広げてみせる。
「長期地球滞在用査証更新のお知らせ」と、思いの外ポップな字体で書かれたそれは、四ヶ月前、蛾の体液で汚れたそれと同一のものだった。
「読んで字の如し、だ。この通知を受け取った長期滞在者は、一ヶ月以内に宇宙外務省へ出頭し、ビザの更新を行わなければならない。逆説的にいえば、これを一ヶ月間無視したものは、折り紙つきの犯罪者となるわけだ。
このチラシをコーポ全体に投函したのが七月二十五日。私と君とが出会った日を覚えているかね。あの日に出会ったのは、決して偶然などではなかったのだ」
忘れようとしても忘れられるものか。この食い逃げ男と出会ったのは、八月二十五日の深夜だった。
「あの日、彼の命運は決したのだよ。我々はゆるぎなき理由を手に入れたというわけだ。
あの許し難き犯罪者、不法滞在宇宙人 院部団増を逮捕するには、十分過ぎる程の大義名分をね」
○
「さて、これで今宵私が君の部屋へお邪魔した、その理由がわかっていただけたかと思うが、何か質問はあるかね」
出来の悪い生徒と話すかのようにそういうと、彼は炬燵の上に腰を下ろした。
質問は、殆ど思いつかなかった。
院部は失踪したのではない。彼らによって逮捕されたのだ。その事実にショックを受けている自分に驚いた。
私が院部に友情を感じたことは一度も無い。それははっきりといえる。彼によって嘗めさせられた無用の艱難辛苦の数々を、私は一日たりとも忘れたことは無い。
けれども、彼らが今夜ここに来ることになった原因であろう彼の忘れ物を、素直に引き渡すこともまた、なんだか躊躇われるのである。
黙ったまま下を向いていると、痺れを切らしたのか、炬燵から立ち上がり、彼は先程よりも少し冷たい口調で「質問がおありかね」と訊いた。
「いや、特に無いです」
「よろしい、では早速院部のところへ案内してもらおうか」
「は」
私は大いにまごついた。
「今更彼の事をかばうこともなかろう。早く言いたまえ」
「知らないよ、こっちが知りたいくらいだ」
「そんなはずがあるまい」
尚も二、三回問答を繰り返したが、議論は水平線のままである。
訳のわからぬまま言い返しているうちに、先に彼の方が音を上げて、
「ええい、君の中々強情だな。もういい、一回戻るぞ。どうせ彼も後で運ぶつもりだったんだから」
後ろの方は鉤爪に向けていった言葉のようで、彼らは続々と玄関先に集まり、私を見下ろした。背が高過ぎるせいで、山高帽はどれもひしゃげてしまっている。
「少し眠っててもらうぜ」
リーダーたる食い逃げ男が右手を上げると、それに呼応して鉤爪たちも両手を挙げる。
眠らせるといったのだから、催眠術か何か、宇宙人的テクノロジーでも用いるのだろうか、と恐怖の中にも少しだけ興味を覚えて、私は恐る恐る彼らの顔を見上げた。
彼らの催眠術は、極めて高度な方法であった。正確に言えば、この世に存在する催眠術の中で、下から一番目に高度であった、というべきであろう。
彼らは容赦なく浪人の頭を殴りつけ、私は一撃で闇の底へと沈んでいった。




