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おしゃべりな女と老貴族の懺悔

文字数今日は少なめです

それはもはや「噂」ではない。

誰もが信じる「揺るぎない真実」なのだ。

            

-----


 エドウィンは伯爵家に勤めていたという三人の元侍女を訪ねた。


 一人目は、現在別の貴族家に勤務している侍女だった。貴族邸の控えめな応接室には磨き上げられた銀の食器が美しく棚に並べられていた。その清潔さと几帳面さが、彼女の生真面目さを物語っているように思えた。


「マリアンヌ様は素晴らしい方でした。不仲説は……確かに聞きましたが、詳しくは……ああ、でももしかしたらリーゼが…」


──口が堅いのか、あるいは、本当に知らないのか。いずれにせよ、あまり情報は得られなかった。


 二人目は商家の女中になっていた。商家の狭い台所で、鍋を磨く手を止めずに、エドウィンの問いに答える。


「マリアンヌ様と王子様が冷たい雰囲気だったのは本当です。でも、噂がどこから来たかは……可能性があるなら、リーゼかしら…」


 目撃情報は語るが、発信源は知らない。これも期待外れだった。


 三人目は、縫製工房で働いていた。よほど忙しいのか針を動かす手を止めず、彼女は言った。


「ああ、リーゼなら知ってるかも。あの子、おしゃべりで有名だったから。クビになったのも…ああ、私からはこれ以上は。だけど確か、今は王都の下町で花屋をやってるはずですよ」


 リーゼ──おしゃべり、口が軽い、伯爵家をクビになった。

その断片的な情報なだけでも、あまりいい予感はしない。それに同僚からの評判もあまりよろしくない人物なのだろう。なにしろ三人とも、その名前を口にする時、わずかに顔をしかめていた。



-----

           


 王都の下町は、貴族街とは空気の密度が違った。


 密集した建物の間を縫うように走る、狭い石畳の路地。頭上では窓から窓へと渡されたロープに洗濯物がはためき、切り取られた空は狭い。

 だが…人々の息遣いが、空気に溶け込んでいると言えばいいのだろうか、商人の声、子供たちの笑い声、荷車の音──生きている街の音がそこにあった。


 小さな花屋は、その一角にあった。

 店先には色とりどりの秋の花々が溢れ、甘い香りを振りまいている。夕日を浴びて輝くバラ、カーネーション、百合。店構えは小さいが清潔で、多くの客で賑わっていた。


「いらっしゃいませ!」


 明るい声が響いた。

 二十代前半と思しき栗色の髪の女性が人懐っこい笑顔を浮かべて、客に花束を渡している。

 ただ渡すだけではない。天気の話、近所の噂話、自分の一日の出来事――言葉が泉のように湧き出ている。客も笑顔で応じてはいるが、そのマシンガンのようなトークに若干気圧されているようにも見えた──なるほど、確かに「おしゃべり」だ。


「すみません。」

「いらっしゃいませ!何かお探しですか?」

「リーゼさんですね?」

「はい!どうされました??」

「少しお話を伺いたく」


 エドウィンが懐から王太子の紋章入りの証書を取り出すと、リーゼの目がこれ以上ないほど丸くなった。


「ええっ!?王宮の方が!?もしかして……マリアンヌ様のこと?」


 驚きの声が、店に響いた。周囲を歩いていた人々が、一瞬こちらを見る。だが、その驚きはすぐに興味津々の表情に変わった。秘密を守るという概念が薄いのは、その大きな声で元雇い主を叫んだことが、全てを物語っていた。


-----

 案内された部屋の奥は部屋は花の香りで満たされていた。壁には、乾燥させた花が吊るされている。ラベンダー、バラ、カモミール。それぞれの香りが混ざり合って、独特の芳香を作り出している。


「うふふ!!王宮の人が私に聞きにくるなんて…やっぱり情報通の私って頼りにされるわけですね!!」


 店の奥の小さな部屋で、リーゼは嬉しそうに話し始めた。

 その根拠のない自信に、エドウィンは内心で深く溜め息をつく。自分で自分を「情報通」と呼ぶ人間ほど、情報の重さを理解していないものだ。


「……例えばどのような情報を?」


「えっとですねぇ!例えば伯爵様のお部屋を掃除してた時に、机の上に資料が置いてあったんです!山側の交易ルートとか、北の毛皮商との契約とか、南の香辛料商人とのコネとか!すごい販路を持ってるんだなって!」


 エドウィンは、思わず眉をひそめた。

 主人の部屋の資料を見て──しかもそれを口外する。侍女として、あってはならない行為だ。いや、そもそも侍女として以前に、人間としての信義則に反する行為だ。


「それで私、びっくりしちゃって!他の侍女に『伯爵様の家、すごい販路持ってるんだって!』って話しちゃったんです!だって、すごいじゃないですか!」


 エドウィンは、再び眉をひそめてしまった。

──販路の情報を喋るなよ…商売敵に知られたら、横取りされる可能性だってあるんだぞ。

だが、リーゼは全く悪びれずに笑って、エドウィンの不快感など、まるで気づいていない。その笑顔は、無邪気だが、その無邪気さが、かえって恐ろしい。


「そしたらですね、なぜかその後、変な商人がお嬢様のところに来るようになって。『その販路、譲ってくれませんか』とか言ってたみたいで。お嬢様、すごく困った顔してました」


「……それは、あなたが喋ったからでは?」

「え?まさか!ただ話しただけですよ?」


 全く通じていない。

 自分の言葉と結果の因果関係が、彼女の脳内では完全に切断されているのだ。想像力の欠如ここに極まれり、といったところか。


「それと私、マリアンヌ様とめちゃくちゃ仲良くて!いろんな話をしてもらったんです!お嬢様、私には何でも話してくれたんですよ!身支度のときとか、お茶の時間とか、他の侍女には話さないようなことも!色々知ってましたし」


 自慢げに語るその口調に、エドウィンの不快指数は跳ね上がる。

 「仲が良い」というのは、彼女の一方的な思い込みだろう。身分の差もわきまえぬその馴れ馴れしさは、聞いているだけで頭痛がしてくる。


「……例えば?」


「『最近、殿下とうまくいかないの……』『冷たくされて、辛い……』って、悲しそうな顔で言われたんです私、心配で……つい、他の侍女に相談しちゃったんです!」


「……『つい』ですか」


 エドウィンの声が、わずかに冷たくなるが、リーゼは気づく様子はない。


「ええ!だって心配だったんですもん!そしたら、その噂が広がっちゃって……でも、お嬢様のために心配したんですから、仕方ないですよね?」


 仕方なくなどない。

 この女を動かしているのは「友情」などではない。「主人の秘密を知っている特別な私」という承認欲求だ

──エドウィンは、ため息と口から出そうになる罵声を飲み込んだ。口に出しても、この手の人間は通じないだろう。


 リーゼの目は輝いている──秘密を共有している、という優越感に満ちているのだろう。ようは、私はお嬢様の秘密を知っている自分が凄いというアピールなわけであろう。承認欲求。それが、彼女を動かしている。いや、承認欲求が悪いわけではない。それを主人の秘密を話すなどという愚行をして満たしているなら、そんな欲求捨ててしまえ。


「あと、破棄の一ヶ月前くらいに!お嬢様が、ぽつりと言ったんです!『もしかしたら、殿下は私を捨てるかもしれない』『浮気をしているみたい……』って!」

「!」


 リーゼの言葉にエドウィンは身を乗り出した。椅子が小さく軋んだ。


「私、驚いて……つい、他の侍女たちに話しちゃって。『お嬢様が殿下に浮気されてるかも!』って。そしたら、その噂が広がっちゃって……貴族の方々の耳にも入ったみたいで…もしかしてお嬢様への求婚ってそれが要因ですかね!!きゃー!!」


 リーゼは、相変わらず明るく、まるで、楽しい物語を語るかのように、まるで、天気の話でもするかのように黄色い声を上げた。自分が撒き散らした火種の大きさを、何一つ理解していない。


「あ、でもお嬢様が求婚されてから2週間後に、私なぜか、クビになっちゃったんです!『リーゼ、あなたはもうここで働かなくていい』って執事長から!ひどくないですか!?私、あんなにお嬢様に信頼されてたのに!仲良かったのに!なのに、突然クビだなんて!」


 リーゼの声が、初めて不満げになった。まるで、子供のように眉を吊り上げ、頬を膨らませている、本気で理不尽だと思っている表情が、リーゼの無自覚さを物語っていた。…いや、子供以下かもしれない。子供なら、まだ学ぶことができる。

──『ただ話しただけ』で済む話ではないだろう……クビだけで済んだのは奇跡に近い温情だ。


「……リーゼさん。一つ、お聞きしますが。マリアンヌ嬢は、あなたが『おしゃべり』だと知っていましたか?」


「え?ええ、まあ……『リーゼは話好きね』とは言われたことはありますよ」


『話好きね』──それは褒め言葉ではなく、「あなたは、私が話したことを必ず他人に喋る」という皮肉だったのではないだろうか。


同時にふと、エドウィンにある考えが思い浮かぶ。


──マリアンヌ嬢は、最初から彼女の『口の軽さ』を知っていた。そして、利用した。計画的に、情報を流すために。リーゼが既に被害を出していたことも知っていた。販路の情報が漏れ、商人が押しかけてきたことも。だから──どうせ喋るなら、計画的に使おうと判断したのではないだろうか。


 そして利用し終わったら、クビにした。これ以上の被害を出さないために。いや、もっと正確に言えば──計画に不要な情報を流されないために。


そんな考えがエドウィンの頭の中によぎると同時に、その考えを、まさか、と切り捨てることができなかった。七人の求婚者への完璧な立ち回りを見せた彼女なら、それくらいの計算は造作もないことではないかと思ったのだ。


「そうでしたか…お話ありがとうございました」


これ以上聞くこともないだろうと立ち上がろうとすると──


「あ、そういえば!お嬢様、びっくりしてました!『七人も来るなんて、想定外だわ』って呟いてたんです!あとぉ、あ、そうだ!!部屋で独り言を言ってたんです!『クラウス様のために……』って!」


 まだ話し足りないのか、それとも自分の有能さでもアピールしたいのか、次から次へと情報を口から吐き出してきた。だが、どうにも聞き捨てならない情報がそこにはあった。


「──クラウス様のために?」


「ええ!何のことか分かりませんけど!でも、お嬢様、すごく真剣な顔でした!」


 


-----


 クラウス様のために──その言葉に違和感を覚える。不仲だとかそういう噂があると自身で流しておきながらクラウスのため?矛盾している。


 全ては王子のために、マリアンヌは動いていた。

 だが、なぜだ。

 なぜ、婚約破棄という屈辱を受け入れてまで?

 なぜ、未来の国王である婚約者を、辺境へと追放させてまで?


──エドウィンは、リーゼに礼を言い、花屋を後にした。


 リーゼの証言から、侍女コミュニティを通じた噂の流れは見えた。マリアンヌ嬢が計画的に情報を流し、それがリーゼという「拡声器」を通じて広まっていった。


 完璧な情報操作だ。

 だが──同時に、疑問が湧く。何故、侍女のネットワークを使ったのか。


 何故、侍女のネットワークなどという不安定な手段を選んだのか。

 侍女の噂話など、所詮は下世話な井戸端会議の延長だ。貴族の深層部まで確実に届かせるには弱い。実際、このルートの情報を拾えたのは、侍女を情報源にしていた新興貴族のリカルドくらいだった。

 貴族社会全体を動かすには、あまりにも頼りない。


 それに──もう一つ、引っかかることがある。


 リーゼは浮気相手の情報は言っていたが、「長い黒髪」という具体的な特徴は口にしていなかった。では、その情報は、どこから来たのか。

──疑問が残る。多くの疑問が、エドウィンの胸に渦巻いていた。

 石畳を踏む音が、焦りを表すかのように疑問を抱えたまま、エドウィンは王宮へ戻った。



-----


「エドウィン殿」


 王宮に戻ったエドウィンが廊下を歩いていると、声をかけられた。


 振り返ると、六十代後半と思しき老貴族が立っていた。白い髭と歳月の重みを感じさせる深い皺を携え、背筋を伸ばした立ち姿は長年王宮に仕えてきた者の威厳を感じさせる。

 だが、今、その顔には、どこか申し訳なさそうな表情が浮かんでいた──威厳の裏に、罪悪感が隠れている。


「エドガー卿」


 カルロス・エドガー

──王宮で長年勤めてきた真面目な人物として知られている。誠実で、慎重で、決して軽率なことはしない。そういう評判の人物だったからこそ、彼の表情が意外だった。


「少し、お話ししてもよろしいでしょうか」


 エドガー卿の表情は自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったと、ずっと苦しんできたかのように…重い十字架を背負い続けてきたかのように、抱えてきた罪悪感が滲んでいる。


「もちろんです」


 エドウィンは、頷いた。この老貴族が、わざわざ声をかけてくるということは──何か、重要な情報があるのだろう。そして、それを話すことが、この人にとって重荷なのだろう。


 応接室に案内されると、まるで、長年閉じ込めていた何かを、ようやく吐き出すかのようにエドガー卿は重い口を開いた──その声は、わずかに震えている。


「実は……噂を耳にしまして。あなたが、一年前の婚約破棄事件について調査をされていると」


「ええ、王太子殿下の命で」


「それで……」


 エドガー卿は、深く息を吸い込んだ。その肩が、わずかに震えている。胸に手を当て、呼吸を整える。その仕草が、この人の緊張を物語っていた。


「もし、不仲説の発端について調べておられるなら……私が、お話しすべきことがあるかと思いまして。いえ、私が……全ての始まりだったのかもしれません」


  その言葉に、エドウィンは思わず身を乗り出した。


「全ての始まり、ですか」


「はい……あれは……殿下の素行が悪くなる前のことでした。まだ、殿下は真面目で、誠実な方として知られていた頃です」


 エドガー卿は、一年半前のあの日を見つめるかのように、目を細めた。



-----


「王宮の庭を散歩していたら、遠くに殿下の姿が見えたんです。誰かと……とても親しげに抱き合っておられたんです」

 エドガー卿は、困ったように首を振った。その仕草には、自分の曖昧な記憶への不安が滲んでいる。もっとよく見ておけば。もっと近づけば。そんな後悔が、表情に浮かんでいる。


「抱き合って……」


「三十メートル以上は離れていましたが……間違いありません。夕日の中で、殿下が誰かを強く抱きしめておられました。そして、相手の方も……殿下に、すがるように寄り添っておられた」

「相手の方は?」

「背中しか見えませんでした。ですが、髪色は今でも鮮明に覚えております。マリアンヌ様のような、光を透かす淡い色ではありませんでした……漆黒です。まるで夜の闇を切り取ったような、深い黒髪でした」


 エドガー卿は、その光景を思い出すように目を細めた。


「殿下があのように親しげに接する方は……婚約者のマリアンヌ様しかいないと思っていましたので。まさか別の方と関係を持たれているだなんて…」


「それで、どうされましたか」


「それで……帰宅して、妻に話してしまったんです。『殿下が、見知らぬ方と親しげに抱き合っておられた』と。それが、長い黒髪の方だったと。妻が……社交界の知人に話したようで……それが広まってしまったんです」


 エドガー卿は深く頭を垂れた。その姿は、神に許しを乞う懺悔者のようだった。


「そして……それから、なのです」


「それから?」


「殿下の素行が、乱れ始めたのは。酒場での泥酔、会議の欠席、暴言……全て、あの目撃情報の後から始まったのです」


 エドガー卿の声が、震える。


「私が……私が妻に話したことで、噂が広まって。それを知った殿下が……それで……」


 その声には深い罪悪感が滲んでいた。自分が話したことが、全ての始まりだったのではないか。自分が、王子を追い詰めたのではないか。


「申し訳ないことをしました。確証もないのに、軽率に話してしまった。それが……それが全ての発端になったのではないかと……ずっと、ずっと、気に病んでおりました」



 その声には、一年間抱え続けた罪悪感が滲んでいた。真面目な人物だからこそ、自分の軽率さを責め続けてきたのだろう。夜、眠れない日もあったに違いない。枕元で、あの日の光景を思い出しながら──もし、自分が黙っていれば、と


「だから……もし調査の役に立つのであれば、全てをお話ししようと思い、お声がけした次第です。どうか……どうか、真実を明らかにしてください。」


 この老貴族の誠実さは本物だ。だからこそ、第二王子という、王家というスキャンダルと無縁でなくてはならない人物の不貞を目にして動揺してしまい、うっかり口が滑ってしまったのだろう。そして、誠実だからこそ、それを後悔している。


「貴重な証言、ありがとうございます」


だからこそ、頭をさげ、後悔する目の前に相手に下手な同情の言葉をかけるわけにも行かなくて、そう返すしかできなかった。

 



-----



 夜──机の上に並べた羊皮紙を、ろうそくの炎が照らしている。


 エドウィンはじっとそれを見ながら時系列を整理する。


 一、エドガー卿の目撃──クラウス王子が、長い黒髪の人物と抱き合っているところを目撃される(素行悪化の前)


 二、噂が広まる──エドガー卿が妻に話し、貴族社会に広まる


 三、クラウス王子の素行が悪化──酒場での泥酔、会議の欠席、暴言、ほぼ同時期に侍女ネットワーク──マリアンヌがリーゼを通じて同じ噂を流す


──そして婚約破棄


 今まであやふやだった時系列がここにきてはっきりした。エドガー卿の目撃が先であり、マリアンヌ嬢はそれを「利用」する形で侍女ネットワークで同じ噂を流し、二つのルートを合流させた。そして、クラウス王子は素行を悪化させ、「王室の恥」となった。

普通に考えればその流れだ。マリアンヌが何かしらの理由でもって破棄するべく動いた話で完結するだろう。

 

 だが──


 エドウィンは、リーゼの証言を見つめた。


 「クラウス様のために……」


 その一言がずっと引っかかっている。マリアンヌ嬢の独り言の真意は何なのか。もし、もしも婚約破棄することが目的ならば、なぜ「クラウス様のため」になるのか。


──推測だけでは答えは出ない。


「直接、聞かなければならない」


 クラウス王子のもとへ。

 辺境へ──真実を語ってもらうために行くしかないだろう。


 エドウィンは、 明日の朝、出発するための準備を始めた。


──疑問を抱えたまま、真実を求めて。


ここまでありがとうございました 

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