とりあえずAEDが欲しい
急に倒れた犬の獣人の冒険者に何をやってんだよと言う空気が流れる。押したと言っても平手だし、力いっぱい殴った訳じゃない。当たり前だ。
しかしその空気が次第におかしくなる。倒れた男を争っていた冒険者が揺すっているが全く反応しないのだ。ざわめきが広がる。くそっ、嫌な予感がしやがる。
「どけっ!!」
「リク先生!?」
周囲を囲み始めた冒険者たちを押しのけ倒れた男の閉じている瞼を開く。そして顔を近づけ胸を見るが上下していない。まずいな。男の軽鎧を乱雑に外し、シャツを力任せに開いて胸を露出させ耳をその胸につけて音を聞く。何も聞こえなかった。
「くそっ、意識不明、呼吸停止、心音なしかよ!」
俺は即座に両手を重ねて乳首の中心から少しずれた辺りを押さえ、腕をピンと伸ばしたまま規則正しくグッグッと押していく。心肺蘇生法、俗にいう心臓マッサージだ。1分間に100回のスピードを維持したまま、指先に力が入らないように注意する。
慣れてない人は心臓マッサージをするときに手全体に力が入ってしまってそのせいでろっ骨が折れたりするのだ。ろっ骨ってのは思ったより弱い。だから丈夫な中心の骨の部分のみを抑えるように基本的に手根で圧迫するのだ。わかりやすく言えば手の付け根部分だな。
「・・・29、30」
意識も呼吸も戻っていない。ちっ!
顎を上げ、鼻を抑えようとして犬の獣人なので口先に鼻があることに気づく。こんなところで異世界って実感するなんてな。
仕方がないので男の口と鼻を覆うように思いっきり口を開き、そしてゆっくりと胸が上下するのを確認しつつ息を2回吹き込む。毛がもしゃもしゃしてやりにくい。
「お、おい。何してんだよ?」
「心臓を動かしてんだよ。邪魔だから黙ってろ!!」
声をかけてきた誰かに適当に返事をしながら心臓マッサージを再開する。
状況から考えてこれは心室細動の可能性が高い。心室細動ってのは簡単に言えば血液を送り出すポンプの役目をしている心臓がその名のとおり細かく震えるだけで正常に動かなくなって血液が送れなくなる状態のことだ。一般的には心筋梗塞などの既往がある場合が多いが、たまに胸に外的な衝撃が加わることによって引き起こされることもある。って言ってもこれは胸部がまだ柔らかい子どもなんかがほとんどで大人がなるなんてことはめったにねえんだが。
「・・・29、30.まだ、ダメか!」
心臓マッサージ30回、人工呼吸2回を繰り返す。状況は改善していないがやめるわけにもいかない。こういった血液が送られなくなった場合、いかに初期から継続して心肺蘇生を続けられるかでその後の生存率が変わってくるからだ。
「くそっ、AEDが欲しいぜ!」
変わらない状況に思わず愚痴が漏れる。
こういった心室細動に効果的なのがAED(Automated External Defibrillator)つまり自動体外式除細動器だ。
心室細動が面倒なのはその細かな振動が続いてしまうと規則的ないつも通りの状態に戻らないというところだ。パソコンで言うところのエラーがずっと出続けていて操作が出来ない状態って訳だな。そんな時パソコンなら電源を抜くなどして強制的にシャットダウンをするだろ。それと同じことをするのがAEDだ。
消防で心肺蘇生法を教えたりする機会もあって、その中にはもちろんAEDの使い方なんてものもあるんだが、勘違いされることもあるがAEDによる電気ショックで心臓が勝手に正常に戻る保証なんてない。
AEDは勝手に心電図を取り、ショックが必要かを判断し、電気ショックを与えるがそれは心室細動していた心臓を強制シャットダウン、つまり静止させるだけなのだ。もちろんその後に自力で回復する人もいるが、基本的には電気ショック後も継続して心臓マッサージなどで心臓を再起動させてやる必要があるのだ。AEDを使ったら終わりと言うことは無い。AEDは万能の道具なんかじゃない。しかし有効な道具だ。特に今のような状況では。
「リク、何かすることはある?」
ミーゼの声に反応してチラッと見るとミーゼとカヤノが心配そうに俺を見ていた。カヤノの回復魔法で治療できるならめちゃくちゃ簡単なんだがな。しかしそれは出来ない。
この世界の回復魔法について完全に理解したわけじゃないが今までの経験上、回復魔法が治せるのは怪我などの欠損部分だけだ。体力も少々回復するようだが、風邪なんかは全く治療できなかったしな。この心室細動はどこも欠損しているわけじゃない。つまり回復魔法じゃ治せないのだ。
つまりカヤノとミーゼに出来ることは無い。通常なら心臓マッサージと人工呼吸に別れたり、継続すると披露するので交代したりするのだが、経験のない2人に手伝ってもらうより今は疲れない俺が両方ともした方がはるかに安全で確実だ。しいて言うなら・・・
「雷魔法が使える奴でも連れてきてくれ。」
「そんな・・・」
「ばーか。冗談だよ。神にでも祈っててくれ。」
俺の軽口にミーゼが悔しそうな顔をする。俺のことがむかついたわけじゃなくって、何もできない自分がふがいないんだろう。・・・だよな?
実際、俺だって本気で言ったわけじゃない。一応魔法には基本属性の火、水、風、土があり、ほとんどの魔法使いはこの4属性の使い手だ。そしてちょっと特殊なのがカヤノの回復魔法だったりするわけだ。他にもいろいろと特殊な魔法とか血族しか使えない魔法とかもあるらしいがその中でも希少な魔法として知られているのが雷魔法である。
とは言え知名度としては決して低くない。その原因ははるか昔に雷魔法を使用してドラゴンを退治し、国を興した英雄王の物語が広く知られているからだ。小さいころのおやすみのお話の代表みたいなもんだ。カヤノでさえ知っているくらいだ。
しかし雷魔法を使える奴なんていない。創作ではないかとも言われているが、建国したという国はここからははるかに離れているが未だに存在しているらしく、話の真偽は不明のままだ。まあ、今無いもんをねだっても仕方がねえか。
「戻れ、戻れ、戻れ、戻れ!」
心肺蘇生を続ける。既に10サイクル。5分以上は経過しているはずだ。反応は無い。
心臓停止から5分も経過すると救命率は50%程度まで下がる。そしてたとえ命が助かったとしても脳へのダメージなどで後遺症が出ることもある。
だからと言ってやめる理由にはならない。まだ助かる可能性はあるんだ。
俺の心臓マッサージと人工呼吸の音だけが静まり返ったギルドの中で響いていた。
「何の騒ぎだ!?」
上の方から男の声が聞こえた。低く、野太い声だ。「ギルド長だ。」と言う声が聞こえ、パタパタと階段を誰かが昇っていく音が聞こえる。お偉いさんの登場のようだ。変な横やりを入れてこなければいいんだがな。
人工呼吸が終わり、すこし様子を確認したが変化はない。呼吸も戻らないし、心臓が再び動き出す様子もない。続行だ!
再び胸に両手を当て心臓マッサージをしようとしたところでグイッと肩を掴まれ強制的に振り返させられる。目の前に金髪をソフトモヒカンにした厳つい顔が急に現れ、思わずのけぞる。
「うおっ。」
「何してんだ?」
「見てわかんねえのか、心肺蘇生だよ、心肺蘇生。邪魔すんじゃねえよ!」
周囲から「うわっ。」とか「やっちまった。」とか声が聞こえるが心肺蘇生は継続が何より大事なのだ。やりながら話すならまだしも、止めるなんてのは愚の骨頂だ。どうせこのおっさんが偉い奴なんだろうが、後で謝ればいい。今は生きるか死ぬかの境界線のこの男の方が大事だ。
肩を掴んでいたごつい手を軽く払い、心臓マッサージを再開する。しかし数回行ったところで再び肩を掴まれ強制的に止められた。
「おい、無視するな。」
「・・・」
何なんだ、こいつは。こいつの目にはこの倒れた冒険者が映ってねえのか?それとも冒険者の1人や2人死んだところで問題ないとでも思っているのか?
一生懸命、こいつを生き返らせようとしてるんだぞ。それを邪魔しようってのか?
「おいっ!」
プチッ。
俺は無いはずの血管か何かが切れる音を聞き、気づいた時にはおっさんの手を両手で掴んで思いっきり壁に向かって投げ飛ばしていた。
救急救命講習。そこに様々な理由でやって来た個性的な人々。惰性で彼らを指導していたリクはひょんなことからある一人の生徒と深く関わっていくことになる。
次回:命の重み
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




