とりあえずそばに居る
「僕なんか悪いことしちゃったかな。」
ぽとぽととカヤノから流れ落ちる涙が俺を濡らす。
さっきからずっとカヤノは泣いてばっかりだ。一応俺も「そんなことはねえぞ」って励ましてはいるんだがあんまり効果はない。カヤノは体育座りした体勢のまま泣き続けている。
あ~、困ったな。ここまでショックを受けるとは予想外だ。って言うかこんな事態が起こるなんて予想できるかよ。
こんな時はギュッと抱きしめたり、頭を撫でてやったりと、人としての温かみが必要だと思うんだが、なんせ俺は地面だからな。それは無理だ。体が温まるだけでも気分も落ち着くんだがな。人間じゃない自分が恨めしい。
カヤノはしばらく泣き続け、泣き疲れたのか夕食も食べずにそのままの姿勢で寝てしまった。あ~あ、頭を覆っているフードが半分剥がれてしまって珍しくカヤノの顔が普通に見えてしまっている。仕方ねえ、直してやるか。
俺が動こうとした瞬間、後ろからの足音に近づいてきた。俺は慌てて動きを止める。ちょっぴり地面が盛り上がっているがまあ大丈夫なはずだ。大丈夫だよな?
「やれやれ、今日はもう眠っちまってるのかい?」
小さなカヤノに聞こえない程度の宿のおばちゃんの声が聞こえた。その手に持っているのはいつも通りの残飯の入った箱だ。視線はカヤノの方を向いているだけで俺の方は見ていない。
よし、セーフ。
おばちゃんはカヤノの方を眉をしかめた仏頂面で見ながらずんずんと近づいてくる。そして大声でカヤノを起こすつもりか息をすぅっと吸い込んだ。
待て待て待て。今、それはまずいっておばちゃん。
地面を凹ましておばちゃんに尻餅でもつかそうと、俺はおばちゃんの足元を動かすために動き出す。しかしそれは必要なかった。おばちゃんは吸い込んでいた息をただ吐いただけだったからだ。
おばちゃんが先ほどまでのしかめっ面を緩め、いつもとは全く違う母親のような優しい笑顔でカヤノを見つめる。そしてカヤノの涙の跡を指で軽く拭うと、カヤノの頭を慈しむように2,3度撫でた。
「大丈夫、大丈夫だよ。あんたは私が守るから。」
おばちゃんの言葉は寝ているカヤノには聞こえない。そのはずなのだが、カヤノの苦しそうだった寝息が和らいだ気がした。そんなカヤノの様子に満足したのかおばちゃんが静かに宿へと戻っていく。
やっぱりツンデレだよ、あんた。でもありがとな。
俺は黙ってそんなおばちゃんの後姿を感謝と共に、今は出来ない敬礼を心の中でしながら見送った。
とりあえず今夜はいつものパトロールや畑の世話はせずに、一晩中カヤノのそばに居てやるつもりだ。カヤノには夜に俺が動き回っていることを伝えてはいるが、さすがに今夜はそんなことをする気にはなれない。カヤノのそばに居てやることが今の俺に出来る一番重要な事だからな。ほら、もしカヤノが夜中に起きた時に1人だと寂しいかもしれないだろ。
それと少し集中して考えたいと言うのも正直な気持ちだ。あの男の態度、様子、言動すべてが今までとは全く違いおかしかった。それだけでも十分異常と判断できるんだが、何より俺を捉えて離さなかったのはあいつの目だ。血走り、ぎょろっとしたあの目、追い詰められ何かを決意したようなあの目。あの目には見覚えがある。嫌な記憶だが・・・
もし俺の予想が正しかったのならとりあえず良いことは起こらないはずだ。あの男がなぜカヤノに忠告ともとれる言葉を残したのか?それは俺にはわからねえ。しかし今後の対応については慎重に考えなくては。この街からカヤノを本当に逃すか、それも含めてな。
「うぅ~、さすがに寒いっすね。」
「冬だからな。」
俺と後輩がいるのは寒風吹きすさぶ30階建ての高層ビルの屋上だ。季節は2月。強風による影響もあり体感温度は0度以下。じっとしていれば体が震え、指先が動かなくなる。
「さっさとチェックしろよ。」
「へーい。」
カチャカチャと言う装備の音が屋上に響く。カラビナ(開閉できる部品のついた金属の輪、ロープなどを通して使うやつだな)の安全環がしっかり締まっていることを確認する。こいつがいざと言う時は俺たちの命を守ってくれるはずだ。
「カラビナ、安全環良し。」
「同じく。」
略しやがった後輩にちょっとイラッとするが、まあ確認自体はしっかりしているようなのでそこまでいう事じゃない。一通り自己点検が終わった後、相手の装備を互いにもう一度確認し準備が完了した。
「こちら榊原班。準備完了した。どうぞ。」
「ザザッ・・了解した。そのまま待機せよ。以上。」
「榊原班、了解。以上。」
雑音交じりの無線が途切れ、屋上に静寂が戻る。さすがにこの寒空の下、降下時の格好のままでいるのはきつすぎるので支給されたフードつきの上着を着込みその時に備える。屋上にいるのは俺と後輩を含めて6名。全員がオレンジの隊員だ。
事が事だけに全員の表情は厳しい。唯一後輩だけがいつも通りの緊張感のない表情をしているが。まあこいつに何を言っても無駄だし、言うと面倒なことになるだろうしな。
「うう、さぶいっすね。熱いコーヒーが欲しいっす。」
「だな。」
適当に相槌を打ちながら待機を続ける。まあ、分からんでもない。確かに俺も欲しい。待機中だからそんな訳にはいかないのも十分わかっているが。
俺としてはこのまま待機で終わってくれればと思っている。他の皆にしてもそうだろう。俺たちが出るのは最悪の状況。そして俺たちが出たからには失敗は許されないのだ。
しかしそんな願いは叶わない。ザザッと言う無線が入る前の雑音に、俺たちの顔に緊張が走る。
「本部より榊原班。応答願う、どうぞ。」
「榊原班です。本部どうぞ。」
「警察との話し合いでこれ以上の説得は体力の面から考えても厳しいと判断。屋上より緊急降下救助を行う。時刻は今から15分後、18時33分ちょうどとする。どうぞ。」
「榊原班、了解。どうぞ。」
「頼んだ。以上。」
最後の「頼んだ」だけに込められた感情のある声が俺たちの背中を押す。寒さで冷え切った体に火が入る。そんな俺の視線に気づいた後輩がその顔をニヤつかせた。またろくでもねえこと考えてやがるな。
「頼んだ、ですって。いや~、責任重大っすね、陸先輩。」
「お前もだろうが!」
後輩を足蹴にしつつ、俺は強張った体を動かして暖めはじめた。
「いくぞ。」
「はい。」
さすがに後輩も真剣な表情をしている。まあ今ふざけている奴がオレンジに入れるわけがねえが。
屋上の手すりを乗り越えビルの側面へと立つ。眼下には目標がおり、地上にはオレンジ色の小さな四角形のマットが広がっているのが見える。さすがに100メートルの高さから見るとあの大きいはずの落下救助用のマットも米粒みたいなもんだ。いや、それは言い過ぎか。しかしここからあの場所に落ちるってのはこの強風を考えるとたぶん無理だ。だからこその俺達でもあるんだろうが。
俺と後輩はするすると壁面を降りていく。訓練とは違い音を出さないようにかなり気を使っているため、いつもとは違う腕の筋肉が引きつる。後輩に少し目をやるとなんてことないような顔をしながら降りていっている。無駄に能力だけは高えんだよな、あいつ。
この降下救助に俺と後輩が選ばれた理由は単純で俺たちが最もこの訓練を得意としていたからだ。失敗は許されない。だからこそ最高の人員をってやつだな。
事前の打ち合わせ通り目標の3メーター上で止まる。そこからはロープでぐるぐる巻きにされて、くの字に折れ曲がっている布団に窓から半分身を乗り出したまま座っている大学生くらいの少年の頭が良く見えた。少年は俺達に気づくことなくただじっと遠くの方を見ている。
後輩と顔を見合わせ、お互いにうなずく。
立てた3本の指を折っていく。
3、2、1、降下!!
勢いよく一気に降下する。少年が俺達に気づきその顔を向けた時、俺たちは既に少年と布団をがっしりと掴んでおり、危なげなく部屋の中へと押し戻すことに成功した。俺たちが少年を部屋へと押し戻して間をおかず、玄関の方がガチャガチャとうるさく鳴り、そして警官と消防士が突入してきた。窓際のベッドに落ちたその少年は身動きすらせずそのまま警官にやんわりと拘束された。
俺と後輩はほっと胸をなで下ろし、そのまま窓から部屋の中へと入って命綱を外していく。その脇ではうねうねと動いている布団のロープが消防隊員によって外されているところだった。そのロープが解かれ、布団の中から少年とよく似た中年の男が出てくる。
少年に比べ鋭いその目つきは警官に拘束されている少年を捉えており、その顔は寒さのためか怒りのためか、赤く染まっていた。
「なんてことをしてくれたんだ、この出来損ないが!!」
父親からのそんな恫喝を、少年は表情を動かさずにただ受けていた。その赤く充血し、ぎょろっとした目だけが、父親をただじっと見つめていた。少年らしさのないその濁った目が俺の胸へなぜか刺さった。
黙ったままの少年とわめく父親はそのまま警察と病院へそれぞれ連れていかれた。
「陸先輩、早く帰りましょ。俺、今日デートがあるんすよ。」
「帰れるわけねえだろ。報告書があるだろ。って言うかそれ、死亡フラグだよな。」
後輩と馬鹿なやり取りをしても、少年のあの目は俺の記憶の中に残っていた。
そして数週間後、新聞の一面で俺はその少年の名前を見つけた。父親を包丁でめった刺しにし殺した上での自殺。記事には受験失敗から始まった父親からの度重なる暴力による犯行か!?とその詳細が書かれていた。
俺にはあれ以上どうすることも出来なかった、俺の力の及ぶ範囲では無いと理解してはいたが、あの少年の目が棘となり俺の胸の中でうずいていた。
ついにデレ期に入った宿のおばちゃんがカヤノに対して甲斐甲斐しく世話をやきはじめる。そんなおばちゃんにジェラシーを感じ、自分も、と対抗し始めるリク。果たしてカヤノが選ぶパートナーは!?
次回:ハーレムエンド
お楽しみに。
あくまで予告です。実際の内容とは異なる場合があります。




