case5ー7.三つの情報
退院したエレノアは、マリアとミカエルとともに店に戻った。
双子はここしばらくの間、オーウェンズ病院の警護をしていたが、エレノアの退院と同時にウェスト商会の傭兵団にその役目を任せて帰ってきたのだ。
扉を開けて店に入ると、銃撃戦の現場となった店内は既に修繕が済んでいた。ウィリスがエレノアの入院中に手を回してくれたらしい。たった一日しか経っていないのに寸分違わず元通りになっていたので、正直驚いた。
そして、店に帰ってから程なくして、ポールが訪ねてきた。退院したことを聞きつけ謝罪に来たらしい。
彼を応接室に通したエレノアだったが、それから数分も経たないうちに、この男を招き入れた事を激しく後悔した。
「エレノアさん……無事でよかったぁ……」
「いい加減泣き止め、鬱陶しい」
エレノアは応接室のソファで頬杖をつきながら、何度目かわからない盛大な溜息をついた。ポールが店に来てエレノアの顔を見てからというもの、ずっとメソメソと泣いているからだ。
「本当に……僕のせいで、すみませんでした……グスッ」
一向に泣き止まず、鼻水をすすりながら謝ってくる彼に、エレノアは白い目を向ける。
「お前、あのタイミングに店に来たのはわざとか?」
「そんなわけないじゃないですか! あんな怖い目に遭うのはあれきりで十分です!!」
ポールは心外だとでも言うようにそうまくし立てたが、目を真っ赤に腫らし鼻水を垂らした状態では全くもって迫力がない。
エレノアはポールが双子に助けを求めに行った時点で、彼のことを白だと判断していた。もしジョンと繋がっていたなら、そんなことはしないだろう。
ただ店に来るタイミングが本当に最悪だったのだ。
ポールを無実だと判断した上で「あのタイミングに来たのはわざとか?」などと意地悪な質問をしたのは、彼に対するちょっとした仕返しである。
「わかった、わかった。そういうことにしといてやる。だがまさか、お前に読唇術の心得があったとはな」
昨日、ジョンに担がれ店から出る時、エレノアはポールに唇の動きだけで「インクをたどれ」と伝えた。正直読み取ってくれるかは賭けだったので、彼がすんなり解読したことに感心していたのだ。
「情報屋ですから! それくらいはできますよ!」
ポールは胸に拳を当て、得意げにそう言った。目は赤いままだが、いつの間にか涙が引いている。
「で? あんな最悪なタイミングで来るくらい、急ぎで売りたい情報があるんだろう? 助けを呼んでくれた礼だ。今日は言い値で買ってやる」
「本当ですか!? やったあ!」
エレノアの言葉を聞き、ポールは目を輝かせて喜んだ。全く、調子のいい奴だ。
彼は人差し指を立てると、得意げな表情で意気揚々と話し始める。
「持ってきた情報は大きく三つあるんですが、まず一つめ。なんと、あの伝説的なオペラ歌手、リサ・マーキュリーがこの国にやってくるんですよ! 今週末から国立劇場で新作オペラの公演が始まるんですけど、それに極秘ゲストとして出演するんですって!! 毎週末公演があるんですが、四週間で終わってしまうので、チケットの争奪は必至ですよ!!!」
興奮気味なポールに対して、エレノアの顔はヒクヒクと引きつっている。こんな情報のためにあんな痛い目に遭ったのかと思うと、何ともやりきれない気持ちになってくる。
「お前……わざわざそんなことを言いに来たのか……」
「あ、あれ……? 知ってました……?」
「新作オペラの公演があることはな。リサ・マーキュリーが来ることは知らなかったが、正直あまり興味がない」
呆れた表情でエレノアがそう言うと、ポールの顔がみるみるうちに曇り、再び目に涙が浮かんでくる。
「……ごめんなさい……僕はなんてことを……グスッ」
「ああ、もう。いちいち泣くな、めんどくさい」
エレノアはやれやれと溜息をつきながら、彼が泣き止みそうな話題を振る。
「リサ・マーキュリーのファンなのか?」
そう尋ねると、ポールはスッと涙を収め、再び目を輝かせた。実に単純な男である。
「あの伝説の歌姫リサ・マーキュリーですよ!? 一度でいいから生歌を聞いてみたいと思うのは当然じゃないですか!!」
「そんなに行きたいなら、チケットを譲ろうか? 取引先から二枚もらってな。一枚やる」
手広く多種多様な仕事をしているエレノアは、取引相手から何かしらの贈り物をもらうことが多い。オペラのチケットもそのうちの一つだ。
エレノアが自室からチケットを取ってきて渡すと、ポールの子犬のような丸い瞳がより一層輝く。
「いいんですか!? でもエレノアさん、せっかく二枚あるなら誰かと行かないんですか? エレノアさんほどの美人なら、周囲の男性は放っておかないと思いますけど。想い人とかいないんですか?」
「男装をしている私に、男がいると思うか?」
エレノアは、エレノア本人として過ごす際は常に男装をしている。店にいる時は、決まって黒のフロックコートだ。
しかし、男装の理由を知る者はこの世にほとんどいない。
「その男装って、男避けなんですか? それにしては中途半端ですよね。前から気になってたんですが、何か理由が? だって服装は男物でも、髪は長いし、胸も別に隠してないし……って、痛ぁっ!」
ポールは話の途中で悲鳴を上げた。エレノアが思いっきりペンを投げつけたからだ。
痛そうに額を抑えるポールに、エレノアは射殺すような視線を向ける。
「……お前、出禁にされたいのか?」
「す、すみません、すみません!! もう何も喋りませんっ!」
機嫌を損ねたと気づいたポールは、焦った様子で口を両手で塞いでいた。そんな彼にエレノアは、思いっきりチッと舌打ちをする。
「情報、あと二つあるんだろ? 簡潔に話してさっさと帰れ」
「わ、わかりました……」
そうしてポールは恐る恐るといった様子で残りの情報を話し始めた。
二つ目の情報は、最近ルイス侯爵が世界初の臓器移植に成功した、というものだった。
ルイス侯爵は、皇太子フェリクスの元専属医だ。毒を盛られたフェリクスを完治させられず、手柄をたった二十歳のアレンに取られてしまった侯爵のことを、落ち目だなんだと言う貴族も多かったらしい。
しかし今回の一件で、完全に名声を取り戻したということだ。
そして最後の情報は、ここ最近少女が行方不明になる事件が多発している、というものだった。
「お前……なんで先にそれを言わない」
この情報を最初に話してくれていたら、もう少し穏やかな気持ちでいられたものを。
ジトリとした視線を送ると、ポールは頭を掻きながら笑って誤魔化した。
「いやあ、バークレー警部とかから既に聞いてるかもしれないなあと思って……」
話を聞くと、行方不明になった少女に共通点はなく、平民から貴族の令嬢まで様々らしい。いずれも身代金の要求はないが、警察は連続少女誘拐事件として捜査をしているようだ。幸いなことに、少女が遺体になって発見されるようなことはまだ起きていない。
そしてその少女たちの中には、レッドフィールド公爵家の長女、ヴィオレッタも含まれていた。
レッドフィールド家は五大公爵家のうちの一つで、古くから皇族に仕えている一族だ。昔から「皇族の忠犬」と呼ばれるほど忠誠心が高く、現当主も例に漏れず真面目一辺倒な人物らしい。
当主のレイノルドは、数年前に家督を継いだばかりの比較的若い男だ。その娘のヴィオレッタは、皇太子フェリクスの花嫁候補として名前が挙がっているらしい。
ヴィオレッタが行方不明になったのは五日ほど前。最愛の娘がいなくなり、レイノルドは血眼になって彼女を探しているという。
ちなみに、皇太子フェリクスの元婚約者の実家、アーレント公爵家が没落した後、五大公爵家には一つの空席ができていた。しかし、第二皇子の母親の実家であるブレデル侯爵家が公爵の位に格上げされたことで、今はブレデル公爵家を含めて五大公爵家と呼ばれるようになっている。
情報をすべて聞き終えたエレノアは、ポールが要求してきた金額を支払い、彼を帰らせた。
エレノアを危険な目に遭わせてしまった罪悪感が拭えないのか、はたまた機嫌を損ねてしまったのが後ろめたいのか、彼にしては控えめな額の要求だった。
(行方不明になった少女たち……奴と無関係とは思えない)
ジョン・ラッセルは人身売買にも手を染めているという噂がある。もし彼女たちがジョンに攫われたなら、売り飛ばされる可能性が極めて高いだろう。
裏社会の平穏は、エレノアたち裏の住人の平穏に直結する。双子の安全を守るためにも、できれば早く事を片付けたい。
(しかし、ウィリス様にこれ以上関わるなと言われているしな……それに、手がかりも何も無い)
そんなことを考えながら、エレノアは小さく溜息をつくのだった。




