case4ー4.聖女様
後日、夕刻。
エレノアはメアリーという女生徒に扮して、ロゼク国立高等学校を訪れていた。
学校の敷地内は石畳が美しく整備されており、校門を抜けた大通りの先には厳かな校舎が見える。
しかし今日は校舎に用はないので、真っ直ぐに敷地の外れにある温室へと向かった。
温室に着くまでの間、エレノアは双子が集めてきた情報を思い出す。
アンナ・スミス。十五歳。
出身は、学術都市ルムニア。鍛冶屋の一人娘。
実家は多額の借金を抱えており、かなり厳しい生活を強いられていたらしい。
そんな中でも彼女は独学で多くの知識を身につけ、それがとある貴族の目に止まった。その貴族からの推薦を受け、彼女は晴れてロゼク国立高等学校への入学を果たす。
推薦人はアンナの学費や生活費を援助し、さらに太っ腹なことに、実家の借金の一部を肩代わりしたという。
しかし、一つ奇妙な点があった。
調べても調べても、その推薦人というのが誰だかわからなかったのだ。学校への推薦も、資金援助も、すべてが匿名で行われていたため、双子でも調べきれなかったらしい。
名門のロゼク国立高等学校に平民をねじ込めるだけの力があるということは、それなりの地位にいる貴族なのだろうが――。
(アンナを推薦した貴族は、平民に肩入れしたことを他人に知られたくなかったのか?)
そんなことを考えているうちに、目的の温室が見えてきた。
ガラス張りの建物の中には、様々な種類の草花が生い茂っている。この中に、アンナ・スミスがいるはずだ。
温室の扉をそっと開け中に入ると、談笑する生徒たちの声が聞こえてきた。十人以上はいるだろうか。
声のする方へ、植物を両脇に見ながら小道を進むと、程なくして少し開けた場所に出た。
そこにはテーブルセットが置かれており、十数人の生徒たちがその周りを取り囲んでいる。
そしてその全員が、恍惚とした表情でテーブルに座っているであろう人物を見つめていた。しかし、人垣のせいで肝心のその人物の姿は隠れてしまっている。
エレノアは人垣を素早く観察し、ひとりの生徒を発見した。
(……あれがトムか)
やや小柄で、顔にそばかすのある男子生徒。双子の調査資料の似顔絵と一致している。
トムの目はうっとりと垂れ、顔は紅潮し、まるで恋する乙女のようにテーブルの主と会話をしている。
他の生徒たちも話に夢中で、エレノアには気づいていない様子だった。
エレノアは、いかにも悩みがありそうな気弱な少女を演じ、小さく声を上げる。
「あのう……すみません……」
エレノアの存在に気づいた生徒たちが、一斉にバッと視線を向けてきた。そして、数人の男女が駆け寄ってくる。
「ごきげんよう。あなたも聖女様のありがたいお話を聞きに来たのかしら?」
「どうぞ、歓迎するよ。君も一緒に、聖女様の素晴らしいお話を聞こうじゃないか」
「聖女様は本当にすごいお方なんだ。君も話せばすぐに分かるさ」
(何だ、こいつら。目が……)
キマっている。
そう表現するのが最もしっくりくる。
ここが学校ということを一瞬忘れそうになるほど、彼らは生徒と呼ぶにはあまりにも様子がおかしかった。
彼らに背中をグイグイと押され、エレノアはテーブルの方へと無理やり連れて行かれる。
人垣が割れたおかげで、テーブルに座っている人物を初めて視認することができた。
座っているのは、緩くウェーブがかった髪の可愛らしい少女、ただ一人。大きくも目尻にかけて下がった瞳は、優しく穏やかな印象だ。
その少女はエレノアを見つめながら、にこりと微笑んだ。
「はじめまして。私はアンナ・スミスと申します。あなたのお名前を伺っても?」
透き通るような高めの声は可愛らしく、それでいて良く響く声だ。人を惹きつける声をしている。
「私は、メアリーと申します。その……アンナさんにご相談したいことがあって……」
「勇気を出して来てくれてありがとうございます。私で良ければ、いくらでも相談に乗りますわ」
アンナは微笑みを崩さずそう言うと、周囲を取り囲んでいた生徒たちに声をかけた。
「皆さん、今日はもうお開きにしましょう。彼女と二人きりで話がしたいので」
アンナがそう言うと、生徒たちは声を揃えて「わかりました」と言い、さっさと帰っていった。
まるで従順な操り人形だ。全員洗脳されているかのようで、気味が悪い。
「どうぞ座ってください。今お茶を淹れてきます」
アンナはそう言って一度席を立つと、温室の奥に消えていった。そして程なくして戻ってくると、エレノアの向かいに座り直し、一杯のお茶を差し出してくる。
「ふふ。緊張しないでください。良ければ、お茶を飲んでリラックスしてくださいね。知り合いからいただいて、とても美味しいのです、このお茶」
勧められるがまま茶を口に含むと、不思議な風味が鼻に抜けていった。
(随分と甘ったるいな)
不味くはないが、好みではなかった。香りが甘く、重すぎる。フレーバーティーのようだが、香料を使いすぎている印象を受けた。
「メアリー様、あなたのお悩みは何でしょうか? 大丈夫です。誰にも言わないので、安心して話してください」
アンナに話を促され、エレノアはおどおどしながら口を開いた。
「じ、実は……私の友人の、こ、婚約者の方が、アンナさんにご執心で、友人が困っていて……そ、そういった方、他にもたくさんいらっしゃるのです。アンナさんはどなたかと……恋仲になっていたりするのですか?」
エリザベスの願いを叶えるに当たって、まずはアンナ側の意思を確認しておきたかった。
アンナが故意にトムを侍らせているなら、彼女からも慰謝料を取ったほうがエリザベスの気も晴れるというものだ。相手は平民なので少額しか取れないだろうが、形だけでも支払ってもらったほうが丸く収まるだろう。
それに、アンナの信者になれば証拠集めがしやすい。彼女に接触したのはそういう理由もあった。
「……そうですか。それは申し訳ないことを……」
アンナは眉を下げ、とても心苦しそうに言った。どうやら、トムやその他の生徒を侍らせているのは、彼女の本意ではないらしい。
「私も、こんなことになるとは思っていなくて。いろんな人の悩みを聞いているうちに、いつの間にか皆が私のことを慕ってくれるようになりました。それはありがたいことなのですが、なぜか聖女様なんて呼ばれるようにもなってしまって……私としても、少し困っていたのです」
アンナの話を聞く限り、生徒たちは勝手に彼女を神聖化し、付きまとっているようだ。彼女からすれば、はた迷惑な話だろう。
「でも、特定の誰かと恋仲になるつもりは一切ありません。私は平民で、他の方は皆さん貴族ですから。立場は弁えています。それは信じてください」
そう言って、アンナがそっとエレノアの手に触れる。
その時、突然体に異変を感じた。
アンナの手の感触が妙に生々しい。心拍数が急激に上昇していく。
「もしよければ、そのご友人の方を連れてきてくださいませんか? 一度ちゃんと話して、誤解を解きたいのです。私はあなたの婚約者を奪うつもりは一切ないって、わかっていただきたくて」
アンナの可愛らしい声が頭の中で反響する。彼女に視線を向ければ、まるで後光が差しているかのように光り輝いて見える。彼女の存在そのものが、魅力的に感じて仕方がない。
(茶に何か良くないものが混じっていたな……?)
あまりにも不快な症状に、エレノアは思わずこめかみを押さえ顔を顰めた。
「大丈夫ですか? どこか具合の悪いところでも? 保健室に行きますか?」
アンナが心配そうに顔を覗き込んでくる。その姿も愛らしく思えて、頭がどうにかなりそうだ。冷や汗が止まらない。
「いえ……大丈夫です。でも、少しめまいがするので……今日はこれで失礼させていただきます」
「わかりました。くれぐれもお気をつけてお帰りください。続きはまた今度。いつでもお待ちしていますので」
エレノアはアンナが言い終わらないうちに無理やり立ち上がり、足早にその場を立ち去った。視界がゆらゆらと揺れている。
思わぬ事態に、エレノアはもはや笑うしかなかった。
「クッ……ハハッ! 何が聖女だ。とんでもない化け物が出てきたぞ……!」
アンナから離れた今も、彼女の姿が脳裏に浮かんで仕方がない。あの可愛らしい声が、何度も何度も脳内で再生される。
その後、何とか店までたどり着いたが、正直どうやって帰ったかあまり覚えていなかった。
店に入った途端座り込んだエレノアに、双子が驚いて駆け寄ってくる。
「姉さま、大丈夫ですか!?」
「何があったの!?」
「……水を」
短く発すると、ミカエルがすぐに水の入ったグラスを持ってきてくれた。それを一気に飲み干し深呼吸を繰り返すと、あの不快な症状が徐々に落ち着いてくる。
「何の毒ですか? すぐにアレンさんを呼んできます!」
「いや、大丈夫だ。その必要はない」
「誰にやられたの!? あの聖女ね!? 今すぐ殺してくるわ!!」
「落ち着け、マリア。殺すのはまずい」
困惑し、怒る双子を諭し、エレノアは二人に指示を出した。
「すぐにウェストゲート卿に連絡を取ってくれないか? 明日、面会したいと」
「ウェストゲート卿にですか? ちょうど今日、電報が届いていましたよ。ご当主のシルヴェスター様ではなく、ご子息のウィリス様からですが」
ミカエルはそう言うと一度店の裏に行き、すぐにその電報を持ってきてくれた。
そこには「話したいことがあるので明日店に伺う」という旨が記されていた。こちらとしても、裏社会の番人に話しておきたい事ができたので好都合だ。
それからエレノアは、双子に学校での出来事を話し、今後の作戦を練り直すのだった。




