外伝の1 その後の迷宮 中編
「お、おい。早く開けろよ」
緊張がちな声が、天井から伝う蔓を揺らした。
「今やってるって」
声調の震えが石の造りに跳ね返る、暗がりで四方に通路を繋ぎ、残るを壁に囲まれた小部屋。
話しかけた男、板金の鎧から首を生やした青年に応え、言われた方が背後を向く。
傾けた首の角度は高く、捧げた視線の出所は、屈んだ姿勢を考慮してなお低かった。
「んふふ。きっとすっごいお宝よぉ。箱の作りが他と違うし、こんなに手間がかかるんだもの。けどまだなの? あんまり焦らされると私、ガマンできなくなっちゃいそう」
「お宝お宝~♪」
「はいはい」
被った帽子と巻いたスカーフ、そして足先の曲がったトンガリ靴が特徴の彼は、続く仲間たちの声に、顔を戻すと作業を続ける。
先端が『C』字の杖を手に、その豊満な胸をたわめる妙齢の女性と、燐光を伴って宙を舞う、昆虫の翅を生やした少女。
ぴったりした黒衣に身を包む<魔女>と、手の平サイズの<妖精>に、相槌を打って手先を操った。
「かなり複雑な鍵だから急かさないで欲しいな。手元が狂ってミスった場合、何が起きても知らないよ?」
「む、無理はしないでください、ね?」
身長は低く、体も小さく、顔付きは成年なのに声の高い小男、<小人>の<盗賊>が警告を発する。
残る仲間、十字を縫う白帽子に聖衣を纏った<神官>の少女が、後ずさりながら願いを捧げた。
靴による葉擦れの音に続き、手にした祭具の飾りが鳴る。
「しかし気が急くよな、実際にこれを前にすると。くぅ~! こんな苔むした場所に長居はしたくないし、さっさと開けて出るとしようぜ」
「へいへい、分かってますって────お」
金属の噛み合う硬質な音色が、カチリと声に重なった。
室内の視線が殺到し、寄せられた顔が、ぼんやりとした光に浮かぶ。
「開いたの!?」
部屋の中央に照る輝きを、集った人影が取り囲んだ。
響いた声の上擦りに、広がった蔦や葉が揺れる。
「待った待った! 油断すると危ない。ここは慎重に、できるだけゆっくり……」
足元で編まれた蔓を避け、あるいは踏み付けて迫る仲間に、手を上げた小人が制止をかける。
緊張を滲ませた深い呼吸を繰り返して数度、満ちた樹木の香気を胸に、全員へゆっくり振り返った。
「はやくはやく~」
「言われなくてもやりますってね」
天井から注ぐ光が周囲を淡く照らし、葉や苔など、茂る緑に覆われた空間。
四方の通路からは木の根が集って凹凸を生み、床の上で既に朽ちた石材がひび割れ、浸食の跡を覗かせている。
長い自然の営みと時間を、幾重にも重ねた荒廃と繁茂。
新造でありながら古代の如き神秘をたたえた迷宮で、<冒険者>たちが今、一つの成果を得ようとしていた。
「し、慎重にお願いしますよ?」
既に脅威を除いた室内は、奇妙な黄色に一部が明るい。
枝や根を這わせて周囲を取り巻く樹木の網、木々の繋がりが同時にある種の葉脈となり、通路の先から外の光を運んでいる。
床や壁の上を走る黄緑の輝き、蛍光に似たそれが鼓動のリズムで部屋に入ると、上部に集い、照明代わりに咲き誇った巨大な花から、仄かな光を零していた。
衣のように下へ向けて広がった花弁、月光の色をした一片から漏れるのは、貯蔵された太陽光か。
花の黄色と緑を溶かした明かりには、花粉に似た粒子が混じり、靄を思わせて優しげにかかる。
宵闇が月に払われたような、幻想的な舞台照明。
その中央には台座の上に据えられた、場に唯一の人工物が存在している。
緑樹が組み上げた段に安置された箱に、<盗賊>の指が静かに伸びる。
深い緑に覆われた其処に、金属の擦れる、無骨で高い音が響いた。
「…………開いた」
焦げたように黒ずんだ革に全体を覆われ、炎の如く赤い金属で縁取られた、不気味な収納箱。
解錠を拒む宝箱には多くの鍵がかけられており、彼らの全員を焦らしに焦らしたその数は、実に九つ。
通常の南京錠から数字を合わせるダイヤル式、魔力に反応する装置に、筐体の上下から鎖と化して結ばれた知恵の輪、箱の側面に描かれた模様をスライドさせて合わせるパズルなど、一つの失敗で罠が動くロック群だ。
手先の器用さに優れた五感、頭脳や知識に魔法の力、数多のスキルを兼ね揃え、ダンジョンとしての《探索》に長けた者でなければ手にできない、真の財宝。
「きゃー!」
「わ~♪」
厳重に過ぎる幾多の封に守られた、その箱の名を<レーギャルン>という。
かの<レーヴァテイン>が収められたと伝えられる、最硬堅固な至宝の一つ。
この世界と近似の電脳、<ファンタジー・クロニクル・VR>において、必ず一本の聖剣・魔剣が封入された、間違いのない『アタリ箱』だ。
「慌てるな! そっとだ…………いいか、そっとだぞ!?」
「う、うん」
そんな事情を露と知らないパーティーメンバー、興奮に叫ぶ魔女と妖精を鎧の男が制し、赤くなった両目を開いて催促する。
寄せられた顔は吐息も荒く、部屋の光源の色もあってホラーもかくやという面貌に、小人が震える手を動かした。
「開けるよ」
最後の封である留め金を弾き、箱の蓋に指をかけ、生じた隙間から持ち上げる。
「────────」
早鐘の鼓動と浅い呼吸を繰り返した末に現れる、彼らがここまで払ってきた、危難と苦労との結晶。
遥か彼方から国を越え、山河を渡って森に入り、幾多の罠と魔物を破って辿り着いた、迷宮の宝物。
解放された内部には、宝を置いた上げ底の面と、窪みで布に包まれた、一本の剣が鎮座していた。
「おお……!」
「わー!」
目にした瞬間、各自が手を伸ばそうとして引っ込め、寄せ合った身で互いに気付く。
無言で顔を合わせた結果、装備に適した鎧の青年、<戦士>の男が前に出た。
「と、取るぞ?」
籠手の内で滲んだ汗を握り込み、ゆっくりと出される彼の指先。
差し入れた手で下から鞘と柄を浮かし、落とさないよう確と持って掲げ上げ、光に照らして仲間に見せる。
「俺が抜いても、い、いいんだよな?」
「いいから早く!」
「お、おう!」
「わわっ!? 扱いには気をつけてください」
確認の言葉にも焦れた魔女の声が飛び、慌てて布に手をかける男に、神官の咄嗟の注意が続いた。
小刻みに揺れる指を抑え、懸命に包を解いていく青年。
剣の輪郭を象った布地、保護の衣をはらはらと剥いて落としていくと、やがてそれが現れる。
「ふわわぁ。きれーい」
天井の花から零れ滴る蜜光に、担い手を得た武が煌く。
ついに露となった財宝、冒険の果ての輝きに、全員の目が吸い寄せられた。
「そうですね。まるで雪みたい」
虚空に差し出し、横に持たれた西洋剣。
握る柄は片手で振るう長さに詰められ、柄頭では小振りな玉が光っている。
手元に向けて反った鍔が冴えた三日月の弧を描き、六花の結晶を無数に刻んだ細工の上で、横に3つ、透明な魔石を象嵌していた。
全体の彩りは冬の化粧で、如何なる神鉄と鍛冶の業か、粉がかった雪色をした濃淡が、各部を繋いで広がっている。
視線を更に滑らせれば、刀身を納めて伸びる鞘は、氷雪の世界を切り出した、一片の曇りもなき白銀。
瞳に目映い雪原の光輝、透徹として冷えた反射が極北の風を思わせて、凍れる威厳を放っていた。
「────────」
そして。
沈黙に響く抜剣の音が鳴り止むと、引いて晒された刃が束の間、場に流れていた時を断つ。
「…………ああ」
胸の苦しくなるほど息を詰め、剣の鋒に縫い止められた5人の瞳が、しばらくして刃先から落ちる。
解放に乗った感嘆の響きは濃く深く、等しく合わさって空間に息吹いた。
「氷の剣」
刀身の造りは先端に向かって細くなる両刃で、鋭く磨かれた片手長剣。
しかし青みがかった全体は、凍結したようなくすみと濁りを足して見せ、鍔にほど近い刃の起こりと繋ぎのみが、半透明な材質の不可思議さを示す。
まるで氷塊から研ぎ出した刀剣。
刃金の背には一本の筋が寒々しく通り、左右に秘字らしき記号がびっしりと添えられ、しんとした冷気を湛えていた。
「こいつは……って、うぉ!?」
「!?」
寝かせた刃を返した手で立たせ、視線を落とす鎧の青年。
吐息が刀身に吹かれた瞬間、その水分が凍って染まる。
目を見開いた仲間の前、虚空に煙るのみならず、粒を交えて呼気が落ちた。
握った柄の温度からは信じられない、刃の秘めた極低温が、瞬時に真白い氷結を生む。
「これは思ってたより、ちょーっとばかり凄いわね。期待以上の収穫だわ」
驚愕を解いた魔女がいう。
一見落ち着いた言葉の調子は、抑え込んだ興奮の熱に、微かに震えて空気を伝った。
凍れる剣は鞘から受けた封印を弛め、靄に似た冷気を白刃から緩く浮き立たせると、室内の気温を氷点に向ける。
「どうだ」
部屋の大気も辺りの緑が放つ香気も、急速に呑んで凍て付かせる威力。
検分を終えた刃を収め、得た確信に疑問を切った男の声が、最後の確認で小人へ尋ねた。
「どうだって? 言うまでもないさ」
最初の返答は低く。
こみ上げてくる情動を絞った『溜め』の後、満面で笑んだ小男が、次に叫んで請け負った。
「間違いなく<魔剣>か<聖剣>だよ。それもかなり上等なね。はは! こいつはかなりのお宝だぁ!」
知識と眼力による《鑑定》の結果、仲間からのお墨付きが、残りの者に火を点ける。
途端に。
「「「「「~~~~~~くぅぅううう!」」」」」
こめた力に全身を丸めた冒険者たちは、直後、揃って拳を突き上げた。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああっっ!!!」
その感動を最も早く声にしたのは、剣を握る鎧の男。
「おおっ。おおぉ…………ううおおぉぉぅ!」
渾身の喜びが喉をついて咆哮し、何度も跳ねて鎧を鳴らすと、手にした宝を胸に抱き締め、感動のあまり膝から崩れる。
「お宝だっ……! 財宝だ!! あった……宝はあったんだっ! やったぞ────オレはやったぞぉぉぉーーーーーっっ!!!」
老いてはなくとも成功が遠く、危険の身近な冒険稼業。
かつて全ての者が抱いた、力と冒険と宝への憧れ。
長年に渡る苦労が確かに実った瞬間、夢の成就に似た奇跡が、傍目にも分かる光景だった。
瞳から流れて頬伝う滴。零される滂沱たる涙が、男の鎧に落ちていく。
「やったわ!」
「イェーイ!」
「お宝ゲット!」
「やりましたー!」
他の仲間はお互いの手でタッチを交わし、一人だけ飛び交う妖精が、相手の掌へぶつかっていく。
くるくると宙を回った彼女は天井に上り、透明な翅を広げて光を注がせると、きゃーきゃー言いつつ舞い降りた。
「やったねやったね? お宝お宝いくらかな? 甘いお菓子がいっぱいになると嬉しいな~!」
現金だが陽気な歌を口に、仲間の肩を跳び移って渡り歩くと、次々に頬へキスをする。
妖精の祝福になおも顔を赤くして、返礼や反応をそれぞれに表し、冒険者たちは成功を謳った。
「いやー、やったやった。当たりも当たりの大当たりだ。…………詳細は聞くかい?」
「おお。そうだな、頼む」
周囲の魔物を呼ぶかもしれない乱痴気騒ぎを、認識して止まらぬ大はしゃぎ。
やがて一先ずの息切れに彼らの肩が下り、仲間とようやく結べた実りに、小人が他の者へと問うた。
「分かった。商人なんかの専門の《鑑定》じゃあないから、正確な額は不明だけど」
言いながら調子は得意げに。
返答に前置きし、<盗賊>としての説明を始める。
「うん。売るにしても使うにしても、これはかなりの大儲けだ。売るならしばらく稼ぎがなくても遊べるし、使うとしたら数年は剣を買わなくていい。下取りに出すか余所と交換するにしても、それなりの装備は引けるだろうね。場合によっては、これまで受けなかった依頼に踏み込める」
氷炎や風雷、光闇といった要素を宿した超常の武具、<魔法武器>。
その価値は、定所に暮らす民でいえば、土地付きの家や家宝に等しい。
「なにせ見ただけで分かる魔法の武器だ。これだけの品なら、今の物の数倍、もしかしたらそれ以上の価値だってつけられるかもしれない」
「つまり本当にお宝ってことよね。いいわぁ、もう最高っ!」
冒険者なら駆け出しでは遠く、一人前となって届かず、ベテランでようやく低位の品を腰に佩ける、垂涎の得物。
魔石や宝石に分類される希少鉱物、魔物素材、それらを多量に用意して金と手間をかけ、わずかな職人にたっぷりの時間を与えて出来る、戦闘者たちの憧れの的、運と努力と実力の証だ。
「本物の魔剣に聖剣かぁ。あって欲しいとは思ったけど、まさかこんなところで、こんな箱に本気で入っているとはな。まったく、迷宮様々だ!」
彼らが手にした剣の銘は、<吹雪の刃>。
伝承を持つ英雄剣には及ばないが、<霜>と<雪>の高位に置かれ、50レベルの領域にある上位装備。
<迷宮>における夢の大きさ、宝の価値を見せるための魔王の配慮は、階層の割には奮発気味だ。
場にいる者の実力からは一段上、通常であればあと数年は手に入らない位階の武具に、担い手の男が喝采した。
高位の武器や防具につけられる値段は、効果が強いほど加算の額も増えていく。
強力なほど市場に出ず、素材の入手も困難を極めるための原理だ。
新人の過半が脱落し、そこから残った冒険者たちの一割に満たない熟練者でさえ、持つかどうかの高位魔剣。
客観的な額を札に書いたとして、下手な中堅冒険者の、一年の稼ぎを優に超えるのは確実といえる。
それも収入であって純粋な可処分所得────毎回の道具や食事などの準備に用いる費用、装備の補修、更新、依頼失敗時のための積立金、予備費などを除いた────ではない、単純な全額と比して、となる。
「約束通り、こいつはオレが貰う。代わりに今回と、コイツの額を稼ぐまでの取り分はナシだ。他に出たのは好きにしてくれ。とりあえずの負担金は町で払うから、金勘定はよろしく頼む。くっはああぁぁっ! 今から《鑑定》に出すのが楽しみだ!」
報酬の分配は揉め事の種で冒険の常、集団の掟にして鉄則だ。
使えば大きな戦力強化で、今の装備品と合わせ、売れば引退もありの財産。
その処分の取り決めを持ち出し、牽制ではなく喜びの調子で青年がいう。
「おめでとうございます! ええどうぞ。その代わり、これからも活躍してくださいね? あ、出来れば怪我はしないように」
「応ともよ!」
「あーあ、残念。噂じゃ杖も出るらしいし、そしたら私の番だったのに…………売っちゃおうか迷うけど。仕方ないわね。入るお金で美味しいものでも食べようかしら?」
「お菓子お菓子ー!」
「はいはい。アンタは単純でいいわよねぇ」
英雄の夢や冒険の成功には付き物の、道と窮地を切り開く刃。
願いを叶えて童の頃に戻った仲間へ、神官が笑顔の祝福を授ける。
他の者も言わずして彼に微笑を贈り、信頼を交わして背を預ける仲間が、不和ならぬ絆の深さを見せた。
「まったく……」
ただ。
かつて、この迷宮の王が同等の魔剣を魔物一匹の製造に潰し、その強さが十数年経た熟練冒険者に、産まれながらに匹敵すると知ったなら。
彼らを含め、多くの侵入者は卒倒したかもしれなかったが。
そうならずに済んだのは、そんな迷宮にいる不幸の中では、幸いだったのかもしれない。
悲願の成就と物の価値を考えれば、彼らが有頂天を極めてしまうのも仕方なく。
従ってここからの成り行きも、当然の如く、魔王に規定されていた。
「ん────?」
そこで。
宝の入手に貢献しながらも見守る態だった<盗賊>の小人が、何かに気付いて耳をそばだてる。
「どうした?」
「っ…………敵だ!」
「!?」
瞬間を経て興奮を醒まし、下りた沈黙に漲る緊張。
各自が武具を握る力を強め、通路の繋がる四方を瞳に、警戒の視線を巡らせた。
「どっちだ?」
「正面の奥。足音が2つ…………四足で二体、曲がってこっちにやってくる」
「四つ足ならご同業じゃないわね。このタイミングで魔物かぁ。嫌になっちゃう」
沸いた歓喜に水を差され、声を低くする冒険者たち。
「そう愚痴るなよ。試し切りに使える相手が、向こうから来たと思えばいいさ」
「れ、連携はいつも通りにお願いしますよ?」
「当然!」
しかし隙に繋がる怒気は見せず、戦闘に向けた切り替えを鋭く、戦意を研いで布陣する。
部屋を満たす緑の上、葉擦れも様々に距離を置いた足音の集散。
衝突の逆に後衛を固め、集団で一人、純前衛の戦士を前に、神官が願って彼が応えた。
踏み込んだ男は手にしたばかりの剣を抜き、意気揚々と構えつつも、刃は揺れずに静止している。
「ここに来るまであれだけ倒してまだ出るか。そういえば、冒険者によっちゃあ、魔物がメインのダンジョンだったな」
やがて闇の向こうに灯る光、魔王の尖兵がギラつかせる瞳。
それがむしろ己を利するものであると、冒険者たちは気付かない。
興奮のあまり自制を忘れ、『まだ行ける』という油断と欲で招く自滅を避けさせる、魔王ハルキからの配慮。
あえて小さな危険をぶつけ、無理をするより今ある宝を持ち帰るべきと、思考を誘導する措置だ。
苦労の成果ほど失いたくないのは当然で、何かを得れば守りたくなるのが人情である。
「だったらこれ以上やって来る前に、倒して地上に戻るだけだ」
主を欠いた状態が普遍の、異世界にして現実のダンジョン。
その常識下にいる彼らは、迷宮の主が哀れな侵入者を監視し、勝敗さえも支配している、絶望的な視点を知らない。
<魔王>を見据えて討伐を目指した<勇者>たちと、稼ぎの場として<迷宮>を見ている彼らとの、明確な腕と冒険の違い。
いまだ現れぬ二者の差は、陰と化して闇を深める。
晴れることなき迷宮で。
いつか其処にはまった者を、暗き淵に呑む日まで。
「折角手に入れたお宝だ! なんとしても持ち帰るぞ!」
「「「「おー!」」」」」
迫る危機に声を上げる者たちも、決死の覚悟からは遠く、この迷宮が『不殺』を法に敷くことは、既に周知されている。
よって敗北するまで攻略を続ける存在も多く、更なる時の流れを経れば、客の数は加速度的に増えるだろう。
宝があり、魔物がおり、命の危険がない迷宮。
そんなダンジョンは大陸全土、人類の歴史を紐解いてさえ、この地の外には存在しない。
冒険に生きる数多にとっての黄金楽土、英雄の求める不死の天国、<魔王>の治める化外の地。
「今度は私の番なんだから。魔杖の入った宝箱を見つけるまで、何度だって挑むわよ!」
「負けない程度にお願いしますねっ!」
だが同時に。それは愚者と弱者を煮詰める、蠱毒の壷だ。
挑戦のハードルは恐ろしく低く、反して朽ちたダンジョンと異なり、機能する罠や無尽の如き魔物など、利点もあれど難度は高く。
まるで少しでも多くの侵入者を集め、一握りの勝者と最多の敗者を生むような、意図を感じる奇妙な構造。
一度でも負ければ命と引き換えに冒険の象徴、最も高価な道具たる装備を全て奪われ、地上の門前に打ち捨てられる。
「魔法魔法♪ 不思議で可笑しな妖精の魔法♪ 今日はどんな種類の気分~?」
「場所が場所だ。炎は避けて他ので頼むよ? 町まで退いたらお菓子は山ほど買うからさ」
武具の全損はパーティー解散の危機にもなり、『命の危険』の回避によって意識から外れた、大打撃にして迷宮の利益。
集めた武具による魔物の生産、<邪悪の樹>の仕組みを知らなければ到達できない、真に恐るべき機能だ。
国家すらも凌駕し得る魔王の軍備、闇の軍勢に己を食ませていることに、誰一人として気が付かない。
防御と迎撃で外敵を食らって増大し、深く深く地の底までも穿孔する、地獄の王宮、万魔の殿。
挑むこと自体が既にして犠牲、逃れられぬ貢献であり、善戦、苦戦、奮戦、血戦、悪戦苦闘が壁に染み、生気と魔力を吸わせ、魔物の強化に繋がる。
勝者は他者への誘蛾灯、敗者は更なる地獄への滋養で、魔王を直接討たない限り、全ては利用されるに過ぎない。
「行くぞおぉ!」
だがそれでも。
<魔王>ハルキの迷宮における今日この時を、彼らは生涯忘れないだろう。
あるいは彼らが死してすら、終生の自慢に語り継がれた物語が、後の時代に生きるかもしれない。
それは仮想における一時ではなく、命を懸けた己の生で、現実に掴んだ成果ゆえ。
誰の意図も関係ない、利用されても構わない、己でなした冒険の証。
その手に握った<魔剣>を構え、渾身で振るった戦士が咆える。
「おらぁぁぁああああああああああああああああーーーーーーっっっ!!!!!」
彼らが異界の電脳と仮想を知ぬように、ハルキも彼らの現実を知らぬまま与えた、明日への希望。
数多の遺跡は掘り尽くされ、機会は強者と先達に奪われ、朽ちて枯れたかつての夢。
およそ圧倒的多数、大陸における冒険者たちのほとんどが、<迷宮>の外では叶わぬ望み、絶えぬ祈り、求めて止まぬ、見果てぬ願いを抱えている。
彼らが迷宮に挑むのは、ただただ彼らの夢のため。
────────よって、そこに真なる貴賎、優劣はなく。
あるのはただ、<迷宮の魔王>と<冒険者>が、互いのために繰り出す一手だ。
「迷宮の魔王めっ! オレらの冒険、その目でせいぜい見てやがれよ……っ!」
『ああ。そうさせてもらうさ』
奇しくも状況を言い当てた彼。
ただ懸命に迷宮で戦うその姿に、魔王が真なる祝福を贈って。
両者の示す指し手の交差、巧拙を競う激突が、ダンジョンの闇で火花を散らした。
次回の更新は明日、20時~22時に行います。
前回に続き30kb超えをして作業が追いつかず、後編を更に分割しての投稿となりました。
今回は真ん中、中編となります。
遅くなった上に申し訳ない……。
※都合につき、例によって遅れております。予定になかった加筆も行っておりますので、どうか、今しばらくお待ち下さい。




