第98話 思いっきり、いっちゃって
フランスは、オランジュとアミアンと、三人でフランスの私室にいた。
鏡台の前に、フランスが座る。
アミアンは、フランスの背後に立ち、オランジュはその横で、不安そうな顔をして立っている。
フランスは、いさましく言った。
「アミアン、思いっきり、いっちゃって」
「やれやれ、ひさしぶりで、緊張しますね」
アミアンがそう言いながら、櫛で丁寧にフランスの髪をとかす。
アミアンが丁寧にとかしている間、フランスは鏡越しにオランジュに話しかけた。
「さっき癒しの力をつかったけれど、頭髪に効くかどうかは、正直……、わたしにも分からないわ。これが、なにか一時的な心の負担や、病によるもので、あなた自身に回復する力があれば、また生えてくるかもしれない」
オランジュが、元気なくうなずく。
フランスが、元気づけようと、明るく言う。
「だから、しばらくは、かつらを使ってすごすといいわ。頭巾をはずしたいタイミングもあるでしょうし」
オランジュが、困ったような、不安なような、恐れるような顔をして言った。
「でも、聖女さまの髪をもらうなんて……」
フランスは鏡越しに、手をひらひらっとさせて言った。
「いいのよ。どうせすぐに伸びるわ」
かつらなんて高いものを、その日暮らしをするような者が買うのは難しい。だが、髪を用意して簡単なものを作るなら、手を出せないほどの値段じゃない。
オランジュの髪が抜け落ちているのはほとんど後頭部だ。後ろ側をかくせる簡単なつくりのかつらですむだろう。
アミアンが、フランスの髪をとかしながら、うなずいて言う。
「お嬢様、ほんとうに伸びるの早いですもんね」
「そうよ。だから安心して、もらっておきなさい」
オランジュが、不安そうに言う。
「でも」
「わたしが、髪を伸ばしている理由は、こういう時に使うためよ」
アミアンが笑顔で追加する。
「売ってお金にするためとも言います」
「そうよ。髪は高く売れるからね。そろそろ売り時だと思っていたのよね」
まだ不安そうにするオランジュに、フランスは笑顔を向けて言った。
「あなたと髪の色が近くて、良かったわ」
アミアンが、フランスの髪を小分けにして結んでゆく。
フランスは鏡越しに、結ばれた位置を見て言った。
「もうちょっと上でもいいわよ」
「だめです。これ以上、短くしたらつけ髪をつけられなくなります。舞踏会にも出ますし、結えるくらいには残しておかないと」
そっか。
それも、そうね。
「かつらにするのに、長さは足りそう?」
フランスが聞くと、アミアンが、オランジュとフランスの毛を交互に見やる。
「長さは、十分だと思いますよ」
「うん。じゃあ、おねがい」
「はい、お嬢様」
アミアンが丁寧にはさみを入れていく。
はさみが入るたびに、フランスの頭が、ふわりと軽くなってゆく。
髪を切るのって、なんだか好きだわ。
開放感がある。
すべて切り落とすと、なんだか新鮮なヘアスタイルの自分が鏡の中にいた。ととのえていないから、まるで乱暴に切り落とされたみたいな、いびつな髪型だった。
ちょっと、面白い。
フランスは立ち上がって言った。
「アミアン、オランジュと一緒に行って、いい感じのかつらを作らせて来てよ」
「髪をととのえなくて、よろしいんですか?」
「夜か、明日にでもしてくれる? オランジュのかつらの方が先よ。なんだか、この髪型、面白いし」
アミアンが、やれやれといった風に笑う。
「見た人が、びっくりしますよ」
フランスは、にやっとして言った。
「それを、見るのも楽しそう」
オランジュが、おずおずと言った。
「聖女さま、ありがとうございます」
フランスは、笑顔でオランジュに向き合って言った。
「オランジュ、神様が不公平だと思ってしまう時もあるわ。でも、あなたのことを思う者がいることも忘れないで。わたしもそう」
オランジュがうなずく。
「話したくなったら、来て。ね?」
オランジュが、なにか言いづらそうにする。
フランスが視線でうながすと、オランジュが言った。
「アリアンスのことがうらやましかったんです……。だって、アリアンスは、きれいだし、みんなから好かれているし、子どもだっている。今日は、メゾン様になにかもらっていたし。この前は、皇帝陛下がカリエールにおもちゃの剣を与えてました。アリアンスは……、なんだって与えられるんだ。それに……」
オランジュが拗ねたような顔で、小さく言った。
「メゾン様に思われているのに、皇帝陛下にまで笑顔を向けるんだ」
フランスは、アリアンスとイギリスの姿を思い出した。
似合いの美男、美女。
アリアンスみたいに、やさしくて美しい人なら、誰だって好きになるかもね。彼女は、心までやさしく美しいもの。
フランスは、男女として並べるアリアンスを、ちょっと羨ましいな、と思った。
思ってから、首をよこにふって、振り払う。
聖女は、主の女よ。
「アリアンスが持つものもあるし、持たないものもある。それはオランジュ、あなたも一緒よ。あなたには、父も母もいる。けれど、アリアンスにはないわ」
聖女には、権威と特別な力があるけれど、女としての自由はない。
フランスは、自分自身にも言い聞かせるように言った。
「自分が持たないものって、ほんとうに、まぶしく見えるわ。でも、相手も、きっとそう思っているかもしれない。あなたの中にも、だれかが羨むようなものがある。オランジュ、あなたは醜くなんかない。かわいいわ」
フランスは、オランジュの両頬にキスをした。
オランジュが、恥ずかしそうにする。
ほら、そういうところが、とってもかわいい。
アミアンとオランジュが出ていってから、フランスは鏡をのぞきこんだ。
ばっさり切られただけの、不揃いな髪をした女が目の前にいる。
聖女じゃなかったら……、もっと自由を感じたかしら。
聖女じゃなくなったら……、髪を切ったみたいに軽くなったように感じるかしら。
でも、聖女でなくなった自分に、一体どんな価値があるだろう。
身寄りもなく、生きるすべも知らず、大きな借金をかかえただけの、力のない女。誰の役にも立てない。
フランスは鏡に向かって苦笑した。
聖女の力があるからこそ、今こうして、アミアンやシトーやほかの皆と教会で過ごせている。
何を不満に思うことがあるだろう。
主よ、どうか、わたくしをお導きください。
あなたの、愛に、寄り添いたいのです。




