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第97話 神様は不公平

 フランスが、まだ何か言ってやりたいような気持ちで、イギリスの瞳を見つめ返していると、広場のほうから、なにかさわがしい音が聞こえた。


 そちらに目をやって、耳をすませる。

 普段のざわめきとはちがう。


 なにかしら。

 なにか、あったんだわ。


 フランスは、広場に向かって走った。


 噴水の近くに、人だかりができている。


 フランスは大きな声で「あけなさい!」と言いながら、前に出た。


 ふたりの女が争っている。

 いや、争っていると言うには一方的すぎる。


 髪をつかまれて、叩かれているのはアリアンスだ。アリアンスは、身体をぎゅっと小さくして、耐えるようにしていた。


 フランスは、ふたりの間にわって入り、暴れている女に向かって叫んだ。


「オランジュ! なにしてるの、やめて!」


 オランジュは興奮して、腕をふりまわそうとした。


 フランスの顔に、オランジュの腕が当たりそうになったとき、寸前でその腕をつかむ者があった。


 大きなお母さんだ。


 大きなお母さんが、叱るように言う。


「オランジュ、やめな! 聖女さまに、手をあげるなんて! ゆるさないよ!」


 そのとき、ひとだかりの中から、声が聞こえた。


「アリアンス!」


 そう叫びながら、メゾンが血相をかえて飛び込んでくる。


 メゾンが、アリアンスに走り寄り、怪我がないか確かめるようにのぞきこんだ。


 オランジュがその様子を見て叫ぶ。


「アリアンス! この売女め! また修道士に色目を使ったんだ! それだけじゃない、帝国の皇帝陛下にまで色目を使って! ちょっと顔が綺麗だからって、悪魔みたいな女め!」


 大きなお母さんが、かぶせるようにして叫ぶ。


「オランジュ! やめな! アリアンスがそんなことをする子じゃないって、分かってるだろう! 一体、どうしちまったんだい!」


 オランジュが、さらに大きな声で怒鳴り返すようにした。


「いい子のふりしてるだけだろ! 裏じゃ、あたしらのこと笑ってるんだよ! 醜い女だって!」


 オランジュはそう叫ぶと、大きなお母さんの腕を振り払い、走り去った。


 人だかりから、ひそひそと、声が聞こえる。


 大きなお母さんが、手をふりながら大声で言った。


「さあさあ、騒ぎは終わりだよ! あっちへ行きな!」


 人がばらばらと散ってゆく。


 フランスはアリアンスの近くによって言った。


「アリアンス、大丈夫?」


「はい、聖女さま」


「何があったの?」


 アリアンスは、困ったような顔をして言った。


「わかりません。最近、オランジュの様子がおかしいから、何かあったのかと聞いたんです。そうしたら……」


 オランジュはよく騒ぎを起こすし、気が強いが、理不尽にアリアンスに対して暴力をふるうような子じゃない。


 アリアンスが、おずおずと言った。


「聖女さま、オランジュの話を聞いてあげてください。何かあったのかもしれません」


 彼女の顔には、理不尽な暴力に対する怒りはない。ただ、心配そうな顔があった。


 こういうところが、人がアリアンスに惹かれるところかもしれないわね。


 なんだか、聖女っぽいのよね。

 とっても、綺麗だし、優しいし、誰だって、好きになる。


 なぜか、イギリスがとなりにいた様子を思い出してしまう。


 フランスは、はっとして、アリアンスに笑顔を向けて言った。


「わかった。聞いてみるから、安心して」


 アリアンスが、ほっとしたような笑顔をする。


 フランスは心配になって言った。


「こんなところ、カリエールが見たりしていないでしょうね。ショックを受けちゃうわよ」


 フランスがまわりをきょろきょろやると、アリアンスが言った。


「メゾン様が、様子がおかしいのを見て、カリエールを抱いてむこうへ連れて行って下さったんです」


 なるほどね。


 メゾンが、心配させないようにか、いっそう気をつかった声で言った。


「カリエールは、今はシトー助祭と一緒にいます。騒ぎになる前に離れたので、大丈夫です」


「そう、良かったわ」


 フランスはメゾンとアリアンスのもとを離れて、オランジュが走り去ったほうに走った。


 あちこち探す。


 オランジュは礼拝堂にいた。ひとけのない礼拝堂に、ひとりぽつんと座って、祈りをあげているようだった。


 となりに座る。


 フランスが何も言わずにいると、オランジュが口を開いた。


「叱らないんですか」


「叱ったりしないわ。アリアンスが心配していたわよ」


 オランジュがかっとしたのか、大きな声で言った。


「あの女に心配なんかしてもらいたくない! あいつは、そうやってわたしのことを見下しているんだ!」


 そういうオランジュの顔が、苦しそうにゆがんでいる。


 フランスは、しずかに聞いた。


「本当に、そう思うの?」


 しばらくすると、オランジュが顔をくしゃっとして涙をながし言った。


「アリアンスは全部持ってるのに、わたしには何もない。神様は不公平だ」


 オランジュには、アリアンスが全て持っているように見えるのね。


 聖下と、いや、シャルルと、来るはずのない日常を、考えたことを思い出す。


 手に入らないものは、まぶしく見えてしまう……。

 オランジュの苦しみも、同じかもしれない。


 フランスは、オランジュの肩に触れて、そうっと言った。


「オランジュ、わかっているでしょう。アリアンスは全部持ったりしていない。彼女が失ったものも大きい」


「でも、わたしが持たないものは持ってる。いきおくれの、もらい手もない醜いわたしとはちがう! 神様も、わたしのことが嫌いなんだ。だから、わたしから、何もかも取り上げっちまうんだ」


 そう言って、オランジュがうわっと泣いた。



 フランスは、気づいた。



 さっき暴れたせいか、オランジュがかぶっている頭巾がずれている。


 彼女の頭にあったはずの、ゆたかな髪は消え、ところどころ頭皮が見えてしまっていた。


 フランスは、オランジュの頭巾のずれをしっかりとなおして、彼女をひきよせ、ぎゅっと抱きしめた。



 オランジュの、苦しい泣き声が、礼拝堂にひびく。





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 おまけ 他意はない豆知識

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【オランジュ】

『オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門』は、フランスの世界遺産。

1世紀建造のローマ劇場と、紀元前20年頃建造の凱旋門が見られる、人口3万人程度の小さな町オランジュ。ちなみに「オランジュ」はオレンジという意味ではなく、古代ケルト人の集落「アウラシオ」が転訛したものです。



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