第96話 自分を大切にしている?
フランスはカーヴの腕をつかんだまま、またしても広場の横にある水飲み場に来た。
相変わらず、ひとけがなくひっそりとしている。
なぜか、うしろからイギリスもついてくる。
泣きだしてしまったカーヴを落ち着けようと、メゾンが近寄ると、なぜかカーヴが嫌がったので、メゾンのことは置いてきた。
メゾンのことは放っておいても大丈夫ね。
なんだか悪くない雰囲気だったし、アリアンスとカリエールと、なんとか過ごしているでしょ。
フランスは、カーヴと向き合った。
もう泣きやんではいるが、びくびくとして、おそれるようにちらちらとイギリスのほうに視線をやっている。
フランスは、ゆっくりと言った。
「カーヴ、大丈夫よ。陛下はこわい方じゃないわ。とっても優しいから、安心して」
カーヴが、おそるおそるといった様子で、うなずく。
こわいのか、うつむいたままだ。
「カーヴ」
フランスがゆっくりとのぞき込むようにして名前を呼ぶと、カーヴが伏せていた目をゆっくりと上げる。
「ね、無理に答えなくていいからね。言いたくなければ、言わなくてもいいの。でも、あなたのことが心配だから聞くわね。いい?」
フランスがそう言うと、カーヴがうなずいた。
「なぜ、さっきメゾンを突き放したりしたの?」
メゾンとカーヴはいつだって一緒だ。
どちらも、ひどくこわがりだが、カーヴの方が話すことが苦手な分、輪をかけてこわがりだ。だから、メゾンはいつもカーヴを守るようにして側にいる。
ただ、メゾンが一方的にカーヴを守っているかというと、そうでもない。カーヴは話すことが苦手だが頭がいい。
お互いに守り合い、頼り合うような関係だったはずだ。
なのに、さっきは、カーヴが突き放すように、メゾンが近寄ることを嫌がった。
カーヴが、深呼吸をしてから、小さな声で、慎重に音を出すようにして言った。
「メゾンの、じゃまを、したく、ない」
「邪魔? もしかして、アリアンスと一緒にいるところを邪魔したくないってこと?」
カーヴがうなずいて、言う。
「迷惑かけて、ばかり、だから、カーヴはいないほうが、いい」
そんな風に思っていたのね。
カーヴが小さい声だが、はっきりと言った。
「騎士団に、もどり、たい」
「そんな……」
「お願い、します」
フランスは、カーヴの腕に手をやって言った。
「ねえ、メゾンと話し合った方がいいわ。側にいるからって、メゾンがあなたのこと迷惑に思っているなんて、わたしには思えないもの。あなたたちは、ふたりっきり兄弟じゃない」
「メゾン、優しいから、話、したら、ここにいろって、いう」
「わたしも言うわよ。ここにいてよ、カーヴ。あなたが心配よ」
「迷惑、かけたく、ない」
「迷惑なんかじゃ、ないったら!」
そのあと、フランスがどうなだめても、カーヴは騎士団に戻りたいとしか言わなかった。
カーヴが仕事のために、水飲み場をさる背中を、フランスは悲しい気持ちで見送った。
それまで黙っていたイギリスが、言う。
「彼が、望むなら、騎士団に戻してやればいい」
フランスは、イギリスのほうを振り向いて言った。
「それが、彼のほんとうの望みなら、戻してやります。でも……、それはカーヴの本当の望みじゃない」
「本当の望みかもしれない。ひとり立ちして、騎士団で立派につとめを果たしたいということが」
そうかしら。
そうかもしれない。
でも——。
「カーヴは本当は司祭になりたかったんです。勉強もできます。でも、言葉がうまく話せないから……、司祭になる道は認められなかった。それで、体格が良いからって、メゾンもカーヴも騎士団に入れられたんです。でも……、合わなかった」
やさしい二人に、騎士団のつとめは合わなかった。
「彼らをよく知る司祭が、世話をやいてこの教会の警備役を世話してくれたんです」
イギリスが、しばらく考えるようにしてから言った。
「合わなくても、彼はそうしたいんだろう。メゾンのために」
フランスは、イギリスの目を見つめて言った。
「誰かのために、何かできるのは素敵なことだと思います。でも、もっと自分を大切にしてほしいんです。この教会ですごすものは、わたしの家族だから」
フランスは、カーヴがこっそり隠れて、聖書を読む練習をしている姿を思い出した。たまに教会の敷地のひとけのない場所で、聖書を声に出して読んでいる。
カーヴは何も言わないけれど、司祭になる道をあきらめてはいないような気がした。
イギリスが、フランスの目をじっと見つめ返して言う。
「きみは、どうなんだ」
フランスは首をかしげた。
「わたしですか?」
「ああ、きみは、自分を大切にしているのか?」
「……」
そんな風に言われたことはなかった。
聖女は、教国のために尽くす存在だ。頼られることはあっても、自分を大切にしているのかと、聞かれたことはなかった。
「わたしは……」
答えられない。
考えたこともなかった。
自分を、大切にしているだろうか。
自分を、大切にするって、どういうことかしら。
人のことなら、いくらでも思えるのに、自分のことはてんでわからない。
まるで、迷子みたいね。
でも……。
「あなたは?」
フランスは、思わず聞いた。
「あなたは、自分を大切にしていますか?」
イギリスが無表情に答える。
「大切にしなくても、死にはしない」
なんてこと……。
そんな。
そんな風に思うなんて。
怒りにも似たような感情があった。
なぜかは分からない。
フランスは思わず強い口調で言った。
「では、わたしが大切にします。あなたのことを」
イギリスが、じっとこちらを見ていた。
どんな感情があるのかは、その目を見ても、分からない。




