第94話 道に外れた、恋?
フランスはメゾンとカーヴをつれて、広場の横にある水飲み場まで来た。
広場にも水飲み場はあるから、いつもここはひとけがなく、ひっそりとしている。建物の陰になっていて、ひんやりした雰囲気だ。
フランスは、腕をつかんでつれてきたカーヴに向き直って言った。
「カーヴ、どこが痛むの?」
カーヴが泣きそうな顔で左腕を差し出した。
フランスが彼のそでをめくると、腕が赤くなって腫れている。
動かせているし、折れてはいないようだけど……。
フランスはカーヴの顔を見た。
不安そうな顔をしている。
さっき泣いていた涙のあとまである。
かわいそう……。
たいした怪我じゃなきゃ、癒しの力を使う必要もないけれど。
どうも、カーヴのことは、心配で甘やかしちゃうのよね。
フランスは、赤くなっているところに手をかざして言った。
「あなたは、癒された」
祝福するような光が、心をなでる。
カーヴの腕の赤みも腫れも、すっかり消えてしまう。
「どう? まだ痛むところはある?」
フランスが聞くと、カーヴが首を横にふった。
やれやれ、一安心よ。
「それにしたって、あんなに驚くことないじゃない。声をかけただけで。二人して、いったいどんな悪だくみでもしていたの?」
フランスがそう言うと、カーヴがひきつれたような声で、おそれるように言った。
「わ、わ、わるだ、く、わる、くっ、なっ」
しまったわ。
フランスは、ひきつれたように声を出すカーヴの、両腕をやさしくなでて言った。
「カーヴ、わたし、怒ってないわ。ね。無理に話そうとしなくても大丈夫よ。ゆっくり息を吸って~」
カーヴが息を吸う。
フランスはそれに合わせて言う。
「吐いて~」
カーヴが息を吐く。
「ごめんね、カーヴ。おどろかせちゃったわ」
フランスがゆっくりとそう言うと、カーヴはすこし落ち着いた様子で、うなずいた。
悪いことしちゃったわ。
カーヴは、突発的な出来事に言葉が追いつかない。それは、たんに言葉の問題だったが、カーヴにとっては自分自身がそうなってしまうこと自体が、ひどくおそろしいことらしい。
一度そうなってしまうと、ひどく怯えてしまう。
フランスはカーヴの腕をなぐさめようとなでながら、メゾンに顔を向けて言った。
「いったい、なにしていたの?」
メゾンがばつの悪そうな顔で、持っていた小さな袋を持ち上げた。
「これを……、アリアンスに渡そうと思って」
「それって、何なの?」
「……球根です」
「球根? なんの?」
「花の」
「へえ、めずらしい花なの?」
「チューリップです」
フランスは驚いて大きな声で言った。
「チューリップ⁉ よく手に入れたわね」
最近貴族の間で庭園に咲かせるのに流行っている。
はるか遠い異国の花だ。
人気が出すぎて、とんでもなく価格が高騰している。
超高級品じゃない。
それにしても……。
「それを渡すのに、なんだってこそこそしているのよ」
フランスがそう言うと、メゾンはだまってしまった。
顔を赤くさせて、うつむいている。
ん?
フランスは、メゾンの様子をしかりと見ながら、うかがうように言った。
「メゾン、もしかして、あなた……」
「ちがいます! わたしは決して、アリアンスに対してよこしまな気持ちを抱いているわけではありません!」
「よこしまだなんて言っていないわ」
メゾンが、球根のはいった袋をぎゅっとしながら言った。
「わたしは、ただ……」
フランスは、カーヴの腕をなでながら、視線で先をうながす。
「ただ……彼女に喜んでもらいたくて。でも、迷惑かと思って、なかなか渡せなくて」
それって、たぶん。
フランスは、そのまま聞いた。
「アリアンスのことが、女性として好きなの?」
メゾンが顔をさらに真っ赤にした。
答える声が震えている。
「わたしは、そんな、そんなことは……。わたしは、修道士です」
フランスは思い出しながら言った。
「あなたはまだ終生誓願は立てていないわ」
「それは、そうですが……」
「終生請願を立てていないなら、生き方は変えられる。あとは、あなたの気持ちと、彼女の気持ちが合うかどうかの問題よ」
終生請願を立ててしまえば、修道士は、生涯、貞潔を守らねばならない。でも、そうでないなら、生き方を選ぶ自由がある。
メゾンが、赤い顔をしたまま、不安そうに言った。
「お叱りにならないのですか?」
「叱る? なぜわたしが叱るのよ」
「修道士としての道に外れています」
「あなたの前には、ひとつの道しかないわけじゃない。選べる道はいくつもある。あなたが選ぶのよ。だれもそれを邪魔はできない」
「ですが……」
メゾンがぐっと不安そうな顔をする。苦しそうにも見える。
「なにを、おそれているの?」
「主の前に正しくありたいのです」
フランスは、すこし考えてから、言った。
「主の前に正しくあるということは、主を理由にして心を偽ることではないと、わたしは思うわ」
フランスは、身体ごとメゾンにしっかりと向き合って言った。
「彼女の目に美しいものを渡したかったから、チューリップの球根を買ったのではないの?」
メゾンがうなずく。
「それに、球根で渡せば、育てて売ることもできるし、増やすこともできる。彼女の役に立ちたくて、用意したのでしょう?」
メゾンが、なぜか泣きそうな顔をした。
「それは、真心、じゃないかしら。よこしまな心だとは、わたしは思わない」
フランスは、メゾンがぎゅっと握りしめている袋を見つめた。それなりの量が入っていそうに見える。
チューリップだなんて、高いのに。
きっと、何か切りつめたり、したのでしょうね。
「あなたは奪おうとしたのではなく、与えようとしたのでしょう? それは、愛のあることではなくて?」
うつむくメゾンに、フランスはそっと聞いた。
「アリアンスに、渡しにゆく?」
メゾンが、うなずく。
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おまけ 他意はない豆知識
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【チューリップ】
トルコ・イランや中央アジアが原産のチューリップ。
16世紀頃、オランダに伝わり、その後世界初のバブル『チューリップ・バブル』を巻き起こしたほどの人気の花。珍しい品種は球根が家一軒分にもなったとか。
フランスでも大人気でした。
【終生請願】
カトリック教会には、貞潔・清貧・従順を守る修道請願があります。終生請願は一生をかけて請願を守りとおします。三年ないし六年の期間を持つ有期誓願もあります。




