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第91話 真心に、キス

 フランスは、イギリスが歩いてゆく先に、ついていった。


 イギリスは、フランスの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩く。


 ついた場所は、いつも夜に、赤い竜に運ばれるときに来る場所だった。教会の裏の林の中にあって、目の前には泉がある。


 今はだれもいないようだった。


 泉のほとりに、小さな天幕と告解室のようなものがぽつんと置かれている。イギリスはフランスを泉のほとりに立たせると、天幕に入っていった。


 そういえば、まだ、そのままだったわね、この天幕。


 まだ、姿を変えることに不慣れだった時、赤い竜の姿ではなく、人の姿で目覚めるために、万が一にそなえて用意してもらった天幕だった。


 イギリスが天幕から出てくる。手に布をもっていた。


 イギリスがそれを泉のほとりにひろげて、どうぞ、というような仕草をした。フランスは、その布の上に座った。


 分厚い布は、立派にふかふかとしていて、地面の冷えから守ってくれるようだった。


 午後の陽が、泉にさしこんで、ちらちらと光を反射している。


 わるくない景色よね。


 派手な美しさはないが、静かな親しみが持てるような場所だった。



 ん?



 え?



 イギリスが予想外の場所に座ったので、フランスは一瞬身を固くした。


 となりに座るだろうと思っていたのに、イギリスは真後ろに座った。


 ぴったりとくっついて。


 まるで、馬車の中で「あたためろ」とイギリスが言ったときに、フランスがしたのと同じように、足ではさむみたいにして密着する。


 フランスが、混乱していると、イギリスはさらに、自分のマントをフランスにまでかけるようにして包み込んだ後、右手はフランスの下腹にぴったりと当て、左手はフランスの冷えた手をとってにぎにぎした。


 ええ。


 これは……。


 フランスは、ふりむいて、イギリスの顔を見た。


 ああ、なるほど。

 そういう感じね。


 イギリスは、相変わらずの無表情で、くっついている。


 フランスが、イギリスの、一見無表情に見える顔から読み取ったのは、こうだった。


『わたしは、冷えた女の身体を温める、ただのあたたかいものです』


 そういう顔をしている。


 今日も、午前中に、腹が痛いとぶつぶつ言うイギリスを、同じようにしてフランスもあたためた。


 お互い身体が入れかわっていると、目の前に見える相手の身体が、自分自身の身体だから、容赦なく近づいてしまう。


 フランスも、思い出してみると、イギリスをあたためるために、自らベッドに入って抱きしめたし、下腹も腰もなでたし、なんなら尻までなでた。お互いが、この月のもの騒動で容赦なく身体をくっつけあう状況がつづいている。


 それにしてもよ……。


 今は、お互いの姿が、きちんと己の姿に戻っているのに、この距離感に違和感がないのだろうか?


 これって、普通の距離感じゃないと思うんだけれど、分かってるのかしら、このひと。


 フランスは、じいっとイギリスの顔を見た。


 イギリスが、なんてことない顔で、なんだ、みたいな視線を返してくる。


 これは……、この違和感には気づいていなさそうな顔ね。


 陛下って、うっかりさんなところがあると思うわ。

 おっとりしているし、うっかりさんなのね。


 ちょっと、変な人よね。

 人のこと言えないけど。


 フランスは「この距離感、変ですよ」と言おうとして、やっぱりやめた。


 言えば、きっと、イギリスはすぐに離れる気がする。

 誠実な人だと思うから。


 わたし、この状態が気に入っているのね。

 この手、あたたかくて最高だもの。


 離れちゃったら……。


 そこまで考えて、あれ、と思った。


 今、離れちゃったら寂しいって思ったのかしら。

 もう、そんなに、親しみを感じてしまっているのね。


 ……。


 彼は、良い人だもの。


 そう思っても、おかしくないわね。


 フランスは、温まってきてうとうとしそうになって、はっとして言った。


「陛下、カヌレを、買ってくださって、ありがとうございます」


「ああ」


 フランスは、すこし身体をはなして振り向き、イギリスの顔を見つめて言った。


「アキテーヌの、菓子を用意してくださって、本当にうれしかったんです」


「ただの菓子だ。気にするな」


 イギリスは無表情だが、やわらかな声で言う。


 菓子が嬉しかったのも本当だけれど、もっと嬉しかったのは、菓子じゃない。


 フランスは、イギリスの瞳をじっと見つめて言った。


「あなたの親切に心から感謝いたします。そうやって、ほんのわずかでも心をかたむけて下さったことが、何より嬉しいんです」


 イギリスは、じっと、フランスの言葉を聞いているようだった。


「あなたが下さった真心に、わたしの心が癒されました。……もう、そんな菓子があったことも、忘れかけていたんです。でも、目の前にしたら、すっかり思い出しました。菓子の名前も、味も、食べた時の記憶も」


 あの庭園の花の香りまで、思い出せる気がした。


 あたたかな陽射し。

 小さくて愛らしい蜂がとぶ音。


 アミアンの笑い声。


 妖精の国の女王様の、歌声。


 平和で、自由な暮らしだった。


 フランスの右目から、ぽとりと大粒の涙がひとつ落ちた。


「あなたが下さったのは、ただの菓子ではありません。わたしにとっては、とびっきり素敵な真心です」


 イギリスが、指でそっとフランスの涙をすくいとるようにする。


「キスを差し上げても、よろしいですか?」


 フランスが聞くと、イギリスはうなずいた。


 そうっと近づいて、彼の頬に感謝の気持ちをこめてキスをおくる。


 イギリスが、フランスの肩をぽんぽんとやった。


 まるで友人をなぐさめるようなやり方で。



 フランスには、その優しさが、身に染みてありがたく感じられた。





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