第87話 聖女、男と遊んでたのばれる
フランスは黒イチゴ酒をちびちびやりながら、イギリスに向かって聞いた。
「大丈夫ですか?」
イギリスがげっそりして言う。
「ああ、もう一滴たりとも入りそうにない。が、酔ってはいない」
たしかに。かなり意識ははっきりしていそう。
あれだけ飲んじゃあ、おなかがはちきれちゃうわよ。
「なんだってまた、飲み勝負なんてしてたんです?」
アミアンが、さらにぶどう酒をなみなみ手にして言う。
「お嬢様をお待ちしている間に、陛下が時間つぶしにどこかへ連れてって下さると言うので、居酒屋に」
なんなの。
陛下って居酒屋が好きなの?
もっと他にもあるじゃない。
——と思ったが、そういえば、アミアンはくったりとした作業向けの普段着だし、イギリスも最近、教会でいるときはすっかりくつろいだ服装ばかりしている。ぱっと見た感じは、ふたりとも、そこらの町の居酒屋で飲んでいてもおかしくないくらいの服装だ。
まあ、気取った場所より、こっちのほうが顔だって見られても平気かしら。
普通は帝国の皇帝の顔なんて見ることないものね。
ちょっとでも顔を知る可能性のある貴族たちがいる店の方が、寄りにくいのかもしれない。にしても堂々と大通り沿いの店だけど。
アミアンが、あんなに飲んでいたのに、まだ美味しそうにぶどう酒を飲みながら言った。
「最初は、普通に飲んでいたんですけど、陛下がどのくらい飲めるのかとお聞きになるので」
ああ、この前、アミアンがお酒に強いって話をしたものね。
「じっさいどのくらい飲めるか挑戦したことはないと言ったら、してみるかと言われて。で、こんな感じになりました」
にしても。
「陛下、いくらアミアンに言われたからって、樽ごとぶどう酒を買って飲ませるなんて」
フランスが目を細くしてそう言うと、イギリスがばつの悪そうな顔した。
アミアンが、ほがらかな笑顔で言う。
「わたしが、おねだりしました」
「えっ⁉」
ぶどう酒を、樽でおねだり?
さすがアミアンだわ。
かっこいい。
好き。
アミアンが、フランスのグラスをのぞいて言った。
「黒いちご酒美味しいです?」
「うん。飲んでみる?」
「はい」
アミアンが一口飲んで、嬉しそうな顔をする。
「ぶどう酒より、美味しいです」
イギリスがアミアンに「飲むか?」と聞くと、アミアンは嬉しそうに「はい陛下! ありがとうございます!」と返事した。
フランスはふと不安になって、声をおとして言った。
「ねえ、わたしも呼んじゃってるけど……、陛下って呼んで大丈夫?」
アミアンが笑って言う。
「ああ、なんだか皆さん、冗談で言ってると思って下さったみたいで」
なるほど。
大げさな坊っちゃん呼びみたいなことかしら。
アミアンがにこにこして言う。
目が見えなくなるほどの、にこにこ顔で……。
「ところで、黒イチゴ酒なんて、お嬢様飲んだことがなかったのに、なんで急に、黒イチゴ酒なんです?」
フランスは、かたまった。
イギリスと居酒屋に行ったことを、アミアンに言っていない。
夜更けに男とふたりで居酒屋に行ったなんて、怒られそうで……。
不良よ。
わたしは、不良なことをしました。
フランスは勢いよく、ぺらぺらっと言った。
「この前ね、夕食を食べそこねたのよ。あの、あの、陛下と飛ぶ練習に行った日よ。ほら、シトーの服とか洗ってて、時間を逃しちゃって。それで、それでね、陛下が気にかけて、夕食を食べるために、飲むためじゃなくて、夕食をね、食べるために居酒屋に連れて行ってくださったの。そのときに、たまたま、美味しい黒イチゴ酒があるって店の人が言うものだから、一杯だけ飲んだの」
「へえ」
アミアンはにこにこの顔のままだった。
フランスは、すぐに小さい声でつけたした。
「二杯飲みました」
「そうなんですね」
アミアンは変わらずにこにこの顔のままだ。
フランスはイギリスに視線をやって念じた。
『助けて!』
イギリスが、ちょっとの間、考えてから、なぜか、きりっとした顔で言った。
「わたしが、彼女の同意なしに連れ出した」
バカーーーーーッ‼
なんでそこを言うのよッ‼
たしかに赤い竜の姿で、説明なしに連れ出されたけれど、その言い方はおかしいでしょ!
このままでは、陛下がヨハネの首にされてしまうかもしれない。
フランスは、イギリスの訳の分からない主張に、ちょっと笑いそうになりながら、アミアンの腕をぎゅっと握って言った。
「いや、あの、アミアン、陛下は善意で……」
そこまで言うと、アミアンがおかしそうに笑った。
「なんとなく、分かりました。怒ったりしませんよ。陛下がお嬢様にひどいことをなさらないってことは、もう分かります」
フランスは肩の力を抜いた。
そっか。
アミアンも、そう思うんだ。
フランスも、もうすっかりイギリスのことを信頼する気持ちが強くなっていた。
最初のうちは、赤い竜の力の、制御の仕方を教えると言いながら、見張られたりするのかと思ったが、そんな様子はない。
フランスが彼と向き合って感じるのは、思いやりや、誠実さだった。
何かを探ろうとしたり、情報を得ようとしたりすることもない。
他国の皇帝だというのに、すっかり親しみを持ってしまった。
フランスはにこっとして言った。
「良かった。わたし、陛下と居酒屋に行ったのすごく楽しかったの。また来れて嬉しい。アミアンが一緒だから、もっと嬉しい」
「わたしも、お嬢様と陛下と居酒屋に来れて嬉しいです」
アミアンとくっついて、くすくすやる。
イギリスに顔をむけると、彼もちいさく笑った。
イギリスがふと気になったというふうに、アミアンに言った。
「聖女の酒癖は昔からひどいのか?」
「酒癖? 居酒屋でそんなになるほど飲んだんです?」
フランスは、へらへらっとして言った。
「ブールジュとスロー酒を飲んだ日に、陛下がわたしを部屋に閉じ込めて下さったのよ」
アミアンが笑って、イギリスに言った。
「ええ、まさか、遅くまでお嬢様の相手をしてあげたんですか?」
イギリスが怪訝な顔をする。
「お嬢様、三杯以上お酒を飲むと、まるでむかしの、ちいさい頃のお嬢様みたいになるんです。人がするなと言ったことをしたがり、行くなと言ったところに行きたがって。相手が疲れた顔をすると、嬉しそうにするんです。酔っぱらって、自由度がマシマシですが、あれ、わざとやっているので、相手をしちゃだめですよ。確信犯なんですから」
イギリスが、フランスに、どういうことだ、みたいな視線をよこす。
アミアンが、やれやれという顔でつづけて言った。
「しかも、たちの悪いことに、何も分かっていないようで、ちゃんと相手を見てやってます。危ない場所にもいきません。教会から出たりもしません」
フランスは思わず言い返した。
「あら、ちがうわ。本当に、相手が誰だか分かっていないこともあるもの」
アミアンが首を横にふって言う。
「今まで何度も見てきましたが、相手が誰だか分からない、と言いながら、からかう相手はいつも、なんだかんだ優しくしてくれる相手ばっかりです。どうやってか分からないですが、しっかり、わざとやってますよ」
イギリスが、責めるような顔でにらみつけてくる。
アミアンが、ひとつため息をついて言った。
「放っておくのが一番良いんです。放っておいたら、すぐに部屋に戻って寝ますから」
フランスは、すごい顔をしているイギリスに、にこっとやっておいた。
楽しくなって、つい、やっちゃうのよね!




