第86話 魔王 VS 侍女
フランスは、シャルトル教皇の私室で、もとの服に着替えて、大聖堂を出た。
アミアンが待ってくれているはずの馬車にもどると、アミアンがいない。イギリスもいなかった。
陛下は、先に教会に戻っているかもしれないわね。
いつも乗るものとは違う大きな馬車の御者が、フランスの姿に気づいて近寄って来た。
御者は丁寧な態度で挨拶し、フランスに言った。
「お待ちになっておられたお二人を、お呼びしてまいります」
そうか、この馬車って借りものだから、ふたりのうちひとりが帝国の皇帝だって知らないのね。
そういえば、陛下の服装も、そうは見えない服装だったしね。
陛下は鍛錬のときに着ていそうな、くったりと着慣れた動きやすい軽装だったし、アミアンはいつもの作業向けの服装だ。
それにしても、ふたりでどこに行ったのかしら。
フランスは首をかしげて聞いた。
「どこかへ行っているんですか?」
「はい。居酒屋で酒を飲んでおられます」
は?
「お嬢様がお戻りになられたら呼び戻すように、と仰せつかっております」
なんですってぇ!
わたしも行くわよ!
フランスは、力強く言った。
「案内してください。わたしも行きます」
「かしこまりました」
御者に案内されてたどりついたのは、大通りに面した居酒屋だった。
店の中は、開放的な雰囲気だ。迷いなく進む御者について二階にあがると、なんだか人だかりができていた。
すごく盛り上がっているわね。
御者が背伸びをして、人だかりをのぞき込み言った。
「あそこにおられますね」
「えっ」
あの人だかりの中心に⁉
何してるのよ、あのふたり。
フランスは御者に案内の礼を言って、人だかりの間にぎゅっと入り込んだ。
人だかりの中心にテーブルがあり、そこにアミアンとイギリスが向かい合って座っている。テーブルのとなりには、ぶどう酒のたるが置いてある。
ほんとに、何やってるのこのふたり。
大盛り上がりしている中、アミアンがいちはやくフランスの姿に気づいた。
「あ、お嬢様、おかえりなさい!」
まわりの客が、フランスのために場所をあけた。
フランスは、アミアンとイギリスの座るテーブルに近づいて言った。
「なにやってるの、ふたりで」
アミアンが、にっこりして言う。
「どっちのほうが飲めるか勝負です!」
こんな明るい時間から⁉
イギリスが席を立って「帰ろう」と言った。
なんでよ‼
わたしも、昼間から飲むという不良行為がしたいわよ‼
フランスは必死な気持ちで言った。
「わたしも飲みた」
「だめだ」
なんで!
アミアンは飲んでいるのに!
まわりの見ものしていた客がやんや言う。
「兄ちゃんまだ帰るなよぉ」
「決着ついてないだろ~」
「お嬢ちゃんも飲みたがってるんだから、もうちょっといなよ」
イギリスが無表情に言う。
「彼女は体調が良くない」
フランスはすかさず言い返した。
「大丈夫です」
イギリスもすぐに言い返す。
「なにが大丈夫なものか、帰ってあたたかくして寝ろ」
乳母みたいね。
乳母陛下。
フランスは、胸をはって言った。
「ほんとに大丈夫です。さっきまで馬に乗っていたくらいなんですから」
イギリスが信じられないという顔をした。
フランスがしれっとアミアンのとなりに座ろうとすると、イギリスに腕をつかまれる。
イギリスがそこらへんに向かって言った。
「もっと良いイスはないのか」
ひとりの、店の者か、客か分からない若い男が言う。
「これは、クッションつきだぜ」
「いいな。それをくれ」
「おうよ」
イギリスが受け取った椅子をひいて、フランスはそこに座らされた。イギリスがマントをぬいで、フランスの膝にかける。
「ありがとうございます」
痛みを知っているから、至れり尽くせりね。
月のもの二日目だからね。
その様子を見て、どんなに身体の弱いお嬢さんだと思われたのか、そこらへんから周りの人たちが次々と物を集めてくる。
「クッションもあるぞ」
「足置きもある」
「暖かい飲み物でも持ってきてやろうか?」
フランスは、笑顔で言った。
「あ、黒イチゴ酒を」
「だめだ」
イギリスがすかさず重ねてくる。
だめなのね……。
自分のお金で飲むんじゃないから、強くは言えないわ。
フランスは、はりきってかわいそうな顔をした。
イギリスが嫌そうな顔をして言う。
「やめろ。そんな顔をしてもだめなものは、だめだ」
ひとりの若者が、階下に向かって叫んだ。
「黒イチゴ酒あるかー?」
下から「持ってくよー」と小さく声が聞こえる。
素敵なお兄さん、ありがとう!
フランスは、素敵な若者に手をふっておいた。若者も、まかせろよ、みたいな顔でふり返してくれる。
イギリスが、さらに嫌そうな顔をした。
まわりの人たちが、またやんや言う。
「よし、再開だぞ!」
「おれは、背の高い姉ちゃんのほうにかけてるんだ、頼むぞ!」
「馬鹿野郎、兄ちゃんが勝つにきまってるだろ」
かけまで始まってるのね。
フランスが手元に届いた黒イチゴ酒をちびりちびりとなめている間に、アミアンとイギリスが次々と杯をかさねていく。
アミアンが飲むと、イギリスが飲む。
ふたりともまったく顔色が変わらない。
ふたりの杯があくたびに、まわりから「お~」という声があがり、近くにいる男が面白がる顔をして、樽からぶどう酒をなみなみとついだ。
みんなついでに、自分のぶんも樽から頂戴しているようだった。
なかなか自由ね。
素敵。
まったく顔色がかわらないまま、アミアンとイギリスの杯が進むが、すこしするとイギリスの表情が曇りはじめた。
あら、もしかして、酔ったのかしら。
アミアンは、相変わらず平気そうにしている。
相変わらずとんでもないわね。
アミアンったら、水を飲んでいるみたいじゃない。
アミアンが飲み干す。
イギリスがため息をついて、ぶどう酒を見たあと、言った。
「わたしの、負けだ」
人だかりがうわーっと盛り上がる。
「やったー! かけに勝ったー!」
「待て待て! 兄ちゃんまだ酔っちゃいないだろ! なんで負けなんだよ!」
イギリスが曇った顔のまま言った。
「これ以上、入らない。……ちょっと気持ち悪い」
「うそだろー。容量で負けたのかよ。背の高い姉ちゃんどうなってんだよ」
たしかに。
とんでもない量を飲んでいるのに、アミアンはけろっとしている。
あんなに飲んじゃあ、お腹の中がちゃぷちゃぷになっちゃうわよ。
イギリスが若干げっそりした様子で言った。
「樽の残りは、好きに飲んでくれ」
まわりから歓声が上がった。
樽ごと買ってたのこれ?
勝負も終わって、酒も飲み放題とあって、人だかりがぱっと散る。
フランスは、アミアンの表情をうかがうようにして聞いた。
「アミアン平気なの?」
アミアンは、なんだか楽しそうな顔で答える。
「はい! まだ樽ひとつくらい飲めそうです」
「うそでしょ」
「うそだろう」
フランスとイギリスの声がかぶった。




