第84話 シャルルの彼女です♡
フランスの視線の先にある、小さな修道院のような建物のほうから、なにかが走って来る。
小さな、ふわふわの、りんごちゃんと似たような淡い毛色の、犬だった。
それを見て、シャルトル教皇が言う。
「あれは、こりんごちゃんです。りんごちゃんに色が似ているので」
かわいいいいい。
聖下がかわいすぎるうううう。
こりんごちゃんは、まっすぐにシャルトル教皇のところに走ってきてじゃれついた。彼は、服がよごれるのもかまわず、こりんごちゃんを抱き上げる。
シャルトル教皇は、にっこりと笑顔で、こりんごちゃんと顔を合わせるようにして言った。
「こりんごちゃん、今日もかわいいね」
うぅぅぅうううッ‼
聖下が、今日もかわいすぎます。
そのうち、なにかさわがしい音がした。目をやると、こりんごちゃんが走って来たほうから何人も走って来る。子供だった。
ひとりの一番背の高い男の子が、こちらに向かって叫ぶ。
「シャルルー! 今日は彼女連れー⁉」
まわりの子供たちが、それを聞いてきゃーっと笑う。
シャルトル教皇が大きな声で返した。
「からかうなら、菓子はやらないからな!」
子供たちが一斉に「お菓子だー!」と叫んだ。
シャルトル教皇が、持ってきた大きな菓子箱をあける。
焼き菓子がいくつも並んでいた。
気づくと、まわりは子供だらけだった。
聖下が箱を差し出すと、いっきに手がのびる。
口々にみんな「シャルル、ありがとう」と言いながら取っていく。
最後に焼き菓子がひとつだけ残った。シャルトル教皇は、それをフランスに「どうぞ」と差し出した。
みんなその場で、美味しそうにもぐもぐとお菓子を食べている。フランスもならって食べようとして、やめて、半分に割って、聖下にさしだした。
シャルトル教皇は、にっこりとして言った。
「いいのですか? ありがとうございます」
シャルトル教皇が、フランスから菓子を受け取ると、一番背の高い男の子が、すかさず言った。
「いいのですか⁉ ありがとうございます⁉ シャルルよっぽど、その人のこと好きなんだ!」
また、みんながきゃーっという。
「彼女にふられたら、どうしてくれる」
聖下が、笑いながらそう言うと、小さな女の子がフランスのほうに来て言った。
「シャルルのこと、ふるの?」
か、かわいい。
フランスは、にっこりして答えた。
「ふらないわ」
「じゃあ、シャルルのこと、ちゃんと好き?」
うわあ、かわいすぎる。
フランスはためらいなく答えた。
「大好きよ」
ほんとの、ほんとによ。
こどもたちが、きゃーっと言う。
ちいさな女の子が、満足した顔で言った。
「シャルルはとっても親切よ。今日もこわれた柵をなおしてくれたの。わたしが、シャルルと結婚しようと思っていたけど、ゆずってあげるね」
女の子が、いかにもやれやれといった様子で、おしゃまな顔をした。
持って帰りたい!
子供たちは菓子を食べおわると、「シャルル、またね」と言って、あっという間に走り去っていった。こりんごちゃんも子供たちの後ろを追いかけてゆく。
なんだか、すごい勢いだったわ。
子供がたくさんいると、こんな雰囲気になるのね。
シャルトル教皇が、子共たちの走ってゆくさきを見ながら言った。
「あそこに見えているのは、孤児院ですよ。かれらはみな、あそこで暮らしているんです」
彼の視線の先に、修道院のように見えた石造りの建物がある。
フランスも、そちらを見ながら言った。
「随分、気さくでしたね」
「ええ、彼らは、わたしのことを、馬番のシャルルと思っているんです」
馬番のシャルル⁉
こんな美人の馬番がいたらびっくりよ!
シャルトル教皇は、子共たちが走って行ったほうに視線をやったまま、言う。
「たまにお菓子を持ってきたり、そこらの柵をなおしに来たりする、気さくな馬番です」
「なぜまた……」
「おかしいでしょう。でも、これが、理想の生活です。ただの、馬番のシャルルが。大きなことには関わらず、自分の身の回りのことを大切にする者です。収入は少なくても、頼られると、子供たちに菓子を買ったり、親切に柵をなおしたりする。それで、ああやって、からかわれたりするんです」
シャルトル教皇が、ぽつりと、小さな声で言った。
「それって、幸せですよね」
フランスは、その横顔を見た後で、同じように孤児院に目をやり、想像してみる。
思い浮かんだ内容を、言葉にしてみた。
「そうして、彼女をつれてきて、そのうちに結婚をして、子供をつくるんですね」
シャルトル教皇が、嬉しそうな声で、フランスのあとにつづく。
「そうそう。それで、そのうち、毎日奥さんに怒られてばっかりで、とか言い出すんです」
「でも、帰りに、ご機嫌伺いの花をつんでかえったり」
「いいですね! それで、家で奥さんと子供にキスして、眠りにつく」
「素敵ですね」
すこしの間があった。
シャルトル教皇は、落ち着いた声で言う。
「我々には、縁遠い話です」
「……そうですね」
修道士から教皇の座へとかけのぼったシャルトル教皇には、妻を持つなど考えられないことだし、処女性を失えば力を失うという聖女フランスには、夫を持つなど考えられないことだ。
聖女の婚姻を禁止する法はないが、聖女が異性と関係を持つということ自体が、教国では忌避されている。
聖なる女は、主の女だから。
シャルトル教皇は、とくに何の感情も感じられない声で言った。
「ないものねだりですね」
「——ええ、ほんとに」
大切なものは、そばにあるのに。
なぜ、手に入らないものは、まぶしく見えてしまうかしら。
シャルトル教皇が、フランスのほうを見て、申し訳なさそうな笑顔で言う。
「失望されましたか?」
「いいえ」
いいえ——。
失望するはずがない。
人として、あたりまえのことに思える。
彼は、理想の生活をここに垣間見ながらも、悪魔のようだと言われるほどの手腕で、この教国を導いている。
理想の生活が手に入らなくても、それでも——。
「それでも、教皇であることを選ばれました」
「ええ。わたしが、のぞんで手に入れたのです」
まるで、言い聞かせるように聞こえた。




